助けて

連喜

第1話

 俺は都内の中小企業に勤務する平凡なサラリーマンで、勤続十六年のベテランだ。離職率の高い職場だから、管理職を除けば一番の古株ということになってしまう。仕事は単調でやりがいは全く感じられないが、やめても後がないから我慢している。月曜日の朝から、あと何日出勤したら休めると考えながら会社に出勤している。


 毎朝、会社に行って一番最初にやることはメールのチェックだ。メールを開けると毎日大量の迷惑メールが届いている。


 不思議なもので、会社のメールアドレス、ヤフーメール、携帯のキャリアメールとそれぞれに来るメールのタイプが違う。会社に来るのは海外からのメールが多くて、英語で書かれているものばかりだ。Men、Dating、Women、prostate(前立腺)、Prostitute、Bladder(膀胱)、SEXなどの単語が入っている。寝具や電化製品など、純粋なセールスのメールも多い。もしくは、あなたを私の財産管理の代理人にするから、個人情報を送ってほしいというのもある。俺は迷惑メールによく目を通している方だと思うけど、同じような内容のメールが一年中届いている。


 日本語で届く迷惑メールは、銀行やクレジットカード会社を騙ったものが多く、アカウントが停止されたから、至急下記のリンクにアクセスしてくれというものばかりだ。本家と間違えそうになるくらい上出来でうまく作ったなと感心する。


 ある朝、会社に行ってOutlookを開くと、気になるタイトルのメールが届いていた。ただ、三字「助けて」と書かれていた。


 俺は思わずそのメールを開いてみた…と言うか、他メールを消していく中で勝手に表示されてしまった。迷惑メールでやってはいけないのは、添付ファイルを開くこととリンクをクリックすることだ。それさえやらなければ、ほぼほぼ大丈夫だろうと思っている。


「拉致されてどこかに連れて来られています。メール見た人は助けてください。お願いします」

 

 送信者のメールアドレスは****@gmail.comだった。今までの経験上、迷惑メールがgmailから来ることは少ない。ほとんどの迷惑メールは、わざわざ専用のドメインを取っていることが多い。


 もしかしたら本当かもしれない。何となく不気味で面白そうだった。俺は暇人で、毎日ホラー動画を見て時間潰しをしているような人間だったから、この先どうなるか興味があった。だが、もしかしたら、フィッシング詐欺かもしれない。俺は迷ったが、返事を出さなかったらあちらからはしばらくメールが来ないだろう。もし、詐欺だとしてもクレジットカードの番号などを入れなかったら大丈夫だ。


 俺はわざわざスマホのメールからそのメールに返信した。すると、すぐにメールが返って来た。


「助けてください。監禁されてます」


 その言葉から俺は若い女性が車で拉致されて、田舎の別荘などに監禁されているところを想像した。昔の作品だけど、『コレクター』という映画を見たことがある。蝶の収集を趣味とする若い男が美女を監禁する話だ。メールを送って来た人も、監禁されるくらいだからきっと人目を引くような美人に違いない。


「場所わかりますか?」

 まるで数年前に流行った謎解きミステリーみたいだ。

「わからない。福生で車に乗せられて車で何時間か走ったところだから、埼玉、山梨、神奈川あたりだと思う。バッテリーがなくなるから早く助けて」


 福生?

 あ、そう言えば…。俺ははっとした。


 今朝、朝食を食べている時にたまたま耳にしたニュースを思い出した。20歳くらいの若い女性が、数人の男が乗った車に連れ去られということだった。確か黒いワンボックスカーだったはずだ。なぜ覚えていたかと言うと、場所が東京の福生市というところだったからだ。福生といえば米軍横田基地があり、昔の赤線地帯があった場所である。俺が子どもの頃は行かない方がといい言われるような場所だった。確かに、あの辺は暴走族が多くてしょっちゅう揉めていた記憶がある。今は昔より治安が良くなったとは言っても、それなりに事件は起きるものだ。


 俺はすぐに返信した。


「警察に連絡した方がいいですよ。そしたら、GPSで見つけてくれると思うんで」

「今使ってるのはタブレットで通話機能がないんです。スマホは取り上げられてしまって」

「タブレットでも位置情報ONにできますよ」

 俺はその人にやり方を説明すると、その人から位置情報が送られて来た。

「位置情報送ってもらえますか?」

 とりあえず情報を聞き出して警察につないでやろう。俺は思っていた。


 住所は神奈川県の相模原市だった。相模湖という人造湖のある辺りだからかなりの田舎だ。確かに人家がまばらな地域ではある。さっきメールで車で何時間か乗せられて…と書いていたから、そこだけは話の辻褄が合わなかったが、目隠しでもされていたら時間が長く感じたとしてもおかしくはない。人命がかかっていると思って、すぐに警察に連絡することに決めた。俺は上司に事情を話し、交番に行くために会社を早退した。


「どうせサボりだろ」

 上司は笑いながら言った。五十五歳くらいで気さくで面倒見のいい人だった。あまり口うるさくないし、伸び伸びやらせてくれるところが俺に合っていた。同じ会社に長く勤めることができたのは、この人のお陰だと思っている。


 普段、俺が営業に行くふりをして、よく漫画喫茶や喫茶店にいることはとっくにばれていた。それでも俺は会社で売上トップだから、上司も見逃してくれている。しかも、今回は警察に行くのだから問題ないだろう。俺は荷物をまとめると急いで会社を出た。交番で捕まっている女性のことを伝えよう。その後は家に帰ればいいや…。今日はやる気が出ない。

 

 昨日はゲームのやりすぎで寝不足だから疲れていたのだ。家に帰ったら、またすぐにゲームを始めるに決まっているのだが。


 ****


 俺は会社の最寄り駅にある交番に行った。そして、福生で誘拐された女性と思しき人物とメールでやり取りをしたと伝えた。すると、交番にいた若い警察官がびっくりしていたが、慌ててどこかに電話をかけ始めた。もしかして、有力情報を提供したとして表彰されたりするかもしれない。子どもみたいに気分が高揚して来た。


 俺は交番で一時間くらい個人情報やこれまでの経緯を聴かれて、そのまま家に帰った。俺が家に帰ってからやったことと言えば、途中で買った弁当を食べて、昼寝をして、ゲームをして、無為に一日を過ごしただけだった。


 俺は次の日、普段通り出勤した。毎朝のルーティンでメールを開く。すると、また「助けて」というメールが来ていた。昨日は携帯から送ったのにそちらには返事がなかった。


 また「別の場所にいる」と言うことだった。俺は二日続けて早退できないから、駅前の交番に電話を掛けた。


「ああ…あれですか。探したんですが見つからなくて…でも、お話伺いますよ」


 俺が疑われているんじゃないか。ちょっとそんな気がしてきた。結局、上司に相談した後、交番に出向いて、会社のパソコンもお巡りさんに見せた。


「朝来たら、同じメールアドレスからまた『助けて』っていう来ていたんです。もし、タブレットを充電できてなかったら、そろそろバッテリーなくなるかもしれないし、危ないんじゃないですかね」

「じゃあ、試しに何か送ってもらえませんか」

「位置情報送ってくださいっていうのでいいですか?」


 俺はメールを送った。もう会社のパソコンがウイルス感染しても仕方ないと思った。人命がかかっているならやむを得ない。一介の社員が判断することではないが、上司も大目にみてくれるだろう。すると、すぐに返事が来た。位置情報が載っていたが、八王子の高尾山の周辺だった。被害者は人目のつかない田舎にいて、車で連れ回されているのだろう。その被害者の若い女性とお近づきになれるチャンスかもしれない。俺は少し緊張していた。もし、助かったらお礼を言いに来るに違いない。

 

「パソコンを預からせてもらえませんか?」

 若い警官が言った。

「わかりました」

 俺は現実に引き戻された。どうやら疑われているみたいだから、ここは協力した方がいいだろう。俺は言われた通り、会社の許可を取らずにパソコンを警察に置いて来てしまった。時々変なページを見ていたけど、警察の人はどう思うだろうか。まあ、色んな頭のおかしい輩のパソコンを見ているだろうから別にかまわないだろう。ホラー好きというのはちょっとマイナスかもしれないな…。ホラーにもいろんなジャンルがあって、監禁とか暴力は好みではないのだが。俺は不安になった。俺にはアリバイがあるし、調べればすぐに無関係だとわかるだろうから大丈夫だろう。そう自分に言い聞かせた。

 

 ****


 俺は交番を出た後、電車で高尾山に向かった。高尾山というのは東京都八王子にある高さ599メートルの山で、都内なのにハイキングを楽しめる景勝地だ。古くは修験道の山でもあった。


 警察に疑われないようにするには、高尾山に行くべきではないのだが、俺はその女性がどんな人か見てみたかった。きれいな人かそうでないかは関係なく、ただの野次馬にすぎないのだが。GPSは数百メートルの誤差が発生する場合もあるということだから、会えるかどうかわからないのに、俺は好奇心を抑えきれないでいた。


「今、どんな感じですか?」

 スマホからその人にメールを送った。本当の事件なのか愉快犯なのかは確信がなかった。もし騙されていたとしても、二日間スリルを味わうことができただけで満足だ。警察に行って事情を聴かれるなんて、ほとんどの人は経験できないことだし、面白かった。数分後に返事が来た。

「とても寒い。おなかも空いてるし」

 もしかしたら裸かもしれない。不謹慎だが、俺はちょっとわくわくしてしていた。

「お車ですか?」

「はい」

「何が見えますか?」

「森」

「どんな車ですか?」

「黒のワンボックスカー」


 あ、やっぱり…。警察が向かっているだろうと思いながら、捕まえる瞬間を見たいと言う欲求に駆られていた。高尾山と言っても広すぎる。見つけられるだろうか。

 

 俺は駅を降りてから、位置情報をもう一度送ってもらった。意外にも駅の近くだった。


「近くだからすぐ行きます」


 俺が急いでその場所に行くと、駐車場にぽつんと黒いワンボックスカーが止まっていた。あの中に被害者がいるのか…。別に喧嘩が強いわけでもないし、俺が一人で行って被害者を助けられる訳がない。俺はその車をじっと見たまま動けずにいた。そうやって1時間くらい睨み合っていたと思う。あちらが俺に気づいていたら、中で変な男がいると警戒されているに違いない。


 すると、駐車場にもう一台白い乗用車が入って来た。そこから、人が下りて来て黒い車をノックした。


「すみませーん。申し訳ないんですけど、車、動かしてもらえませんか?」


 何の返事もないようだった。数人でしばらく車の周りをぐるぐると回っていた。しばらくして、特殊な工具のような物で車のドアを開け始めた。中には被害者の女性がいるんだろうか。終いに裸の女性が下りて来るのではと俺は期待していた。


 しかし、警官がドアを開けたと思ったら、そのまますぐに閉めてしまった。きっと外れだったんだ。…まずい、捜査をかく乱したことにされて、俺が注意を受けるかもしれない…。車のすぐ外で刑事らしき人たちが立ったまま話している。もしかしたら、俺の処分をどうするか話し合っているのかもしれない。


 しばらくして、パトカーが複数駐車場に集まって来た。何だろう…まずいなと思って俺は立ち去った。帰りの電車の中で俺は苦悶した。昨日はともかく、今日は通報しなければよかった。変な正義感を出したばっかりに面倒に巻き込まれてしまったじゃないか…明日も会社を早退しなくてはいけないなんて…クビになったらどうしてくれるんだ。しかも、今度は逮捕されるかもしれない。


 上司に今日のことを話して、警察に呼ばれるかもしれないと言おうか。だけど、話すって一体何を?さっきは、パトカーが集まって、俺を捕まえる相談をしていたのかもしれない。もしかして、家に帰ったら警察が家に来ているんじゃないか…。そこで、容疑者として警察に連れて行かれるんだ。俺に前科はないが…。決して褒められた経歴じゃない。


 早く弁護士を雇えっつったって、薄給なのにそんなの金を払える訳がない。


****


 俺は低所得者や高齢者が多く住む、都内某地域でアパート暮らしをしていた。家にはうつ病と糖尿を患う母親が待っている。自宅ではくつろげないから実は会社の方が好きなくらいだ。


 母はうつ病のせいで何もできなくなってしまった。いつからか覚えていないけど、子どもの頃からなのかもしれない。水商売なんて合わない仕事を続けていたことや、人に騙されたせいで病んでしまっていた。


 俺が仕事に行っている間、日中母親を一人にしてしまうから、週二回ヘルパーの人に来てもらって家事をお願いしている。さらに、残りの三日はデイサービスにも通っている。そういう風にして、介護保険を使いながら、できるだけ一人にしないようにしていた。しかし、これから俺が逮捕されてしまったら、母親の世話は誰がしたらいいんだろうか。定職についていない兄とは十年くらい前から連絡が取れなくなっている。警察に相談したら母親の方は行政で世話をしてもらえるだろうか。


 こんな状況だから俺に彼女なんてできないし、たまにマッチングアプリで出会った人と恋人ごっこをするくらいだ。俺にうつ病の母親がいて介護が必要だと言うと、皆連絡をくれなくなる。周りの同僚が結婚した、家を買った、子どもが生まれたなんて楽しそうにしているのを尻目に見ながら、俺の人生には何も起こらない。親が死ぬか施設に入るまで自由はないだろう。


 俺が高尾山から家に帰って風呂から出たくらいに、スマホが鳴った。警察からだった。


「昨日今日と交番まで来ていただいて申し訳ないのですが、明日、〇〇署にお越しいただけませんか?」

「はい。かまいません」

 きっと逮捕されるんだ。俺の頭の中は真っ白で何も考えられなくなっていた。


***

 

 次の日の朝、七時。ほとんど眠れなかったが時間通りに起きてシャワーを浴びた。ダイニングのテーブルにつくと、いつもの習慣でテレビをつけた。ぼんやりしながらトーストとコーヒーで質素な朝食を取る。いつも、かわいい系の美人お天気お姉さんの顔を見てから出勤するのが日課になっている。テレビに出ている人たちはみな俺と対極の人生を送っているように見える。金があって華やかだ。

 万一、ああいう子たちとリアルで会えたとしても、俺なんて絶対に相手にしてもらえない層の人たちだ。しかし、手が届かないと思うと余計に欲しくなる。人間何でこれほど格差があるのか不思議で仕方ない。


 しばらくて、アナウンサーがニュース原稿を読み始めた。


「昨日、八王子市〇〇の駐車場に停まっていた黒いワンボックスカーから男性三人の変死体が発見されました。目立った外傷はなく…事件と事故の両面から捜査を行っています…福生市で女性が拉致された事件との関連が疑われ…」


 〇〇の駐車場?黒いワンボックスカー?えっ…?まさか、あの車が…。俺は自分の情報が死体発見のきっかけになったことに驚いていた。昨日、目の前にあった車に死体が乗っていたなんて、到底信じられなかった。俺はその車を一時間も見つめ続けていたのだ。その時、中にいた人たちはすでに亡くなっていたのか…。


 じゃあ、あの女の人はどうなったんだろう。


「拉致された女性はまだ見つかっていないんですよね?」

 コメンテーターの一人が尋ねた。よくテレビで見るけど、名前がわからない六十くらいのおじさんだ。

「今回発見された車にはいなかったそうです」

 先ほどニュースを読んだ女性アナウンサーが答えた。

「拉致された女性の身元はわかっているんですか?」

「まだわからないそうです」

「おかしな事件ですね。普通は身の回りの人がいなくなったらもしかしてって思うんじゃないですか?」

「今は隣近所と交流しませんからね」

「もしかして、もともと知り合いだったってことはないですか?まだ人通りのある時間にその人を狙って連れ去るってことは、そういうこともあるんじゃないですか?暴力団や半グレ絡みの事件かもしれませんよ」

「目撃者が多数いるのに、誘拐された人が誰かわからないって…この日本では不思議ですよね」

「防犯カメラがあちこちついてますから、そのうち被害者の写真なんかが公開されるんじゃないですか?」


 コメンテーターたちが勝手に喋り続けていた。俺はそれをぼんやりしながら聴いていた。監禁されていた女性はどこに消えたんだろう。犯行グループが仲間割れして、そのうちの一人が三人の男を殺して、女性を連れて逃げたんだろうか。それか、女性が三人を殺して逃げた。または、女性に共犯がいるかだ。外にメールを送れるなら仲間に助けを求めることだってできただろう。一体どうなっているのかさっぱりわからなかった。


***

 

 どうして俺の会社のメールに連絡して来たんだろう。どこかで会ったことがあるのかな…。お客さんと行ったキャバクラや風俗で名刺を出したこともある。レジで領収書をもらう時に、会社名を説明するのが面倒だから名刺を見せて宛名を書いてもらうからだ。それ以外で個人に名刺を渡すこともある…。個人宅に引き取りに行くこともあるし、その方面の担当だった時期もあった。


 俺の勤務先は中堅の産廃業者だ。以前、少年院に入っていた時期もあるのだが、被害者が連絡して来たのがなぜ俺だったのか。それが疑問だった。もしかして、俺がグレていた時期の被害者の誰かだろうか。俺を捕まえて半殺しにするとか…。しかし、俺が怪我させたのは不良ばかりで一般の人は一人もいない。後からヤクザにでもなって仕返しを企んでいるんだろうか。もう二十年も前の話なのに…。


「生きてますか?」

 俺はスマホからメールを送ってみた。1分後くらいにすぐに返事が来た。

「助けて」

「今、どこですか?」


 すると、すぐに位置情報が送られて来た。


「え?」

 一瞬心臓が止まりそうになった。


 〇谷4丁目松原荘…その地図は、俺の住んでいるアパートの周辺のものだった。嘘だろ?俺は目の前が真っ暗になった。やばい!!!距離的に、そろそろうちまで来ちまうじゃないか!俺は頭を抱えた。


 やばい…!!!110番なんかしたら、業務妨害と思われて逮捕されるかもしれない。しかし、警察以外に俺を助けてくれる人なんかいない。


 俺は急いで母親を起こすことにした。ダイニングキッチンの奥に独立した部屋が二つあって、右が母親の部屋、左を俺の部屋にしていた。親子だけど俺ももう大人だから一応プライバシーを保つためだ。


 毎朝、仕事に行く前に、俺は毎朝母親を起こして着替えさせてから家を出る。週三はデイサービスの人に迎えに来てもって出かけることにしているが、母親が忘れて寝ていることもあるから、玄関のカギを掛けないで行くことになっている。どうしようか…。鍵を掛けずに出掛けるなんて、そんな怖いことはできるわけがない。

 

「お母さん!」 

 俺は引き戸をそっと開けて声を掛けた。小声だから気が付かない。カーテンが閉まっていて部屋の中は薄暗かった。母親は布団から頭頂部を出した状態で寝ていた。

「何寝てんだよ!早く起きろよ!」

 俺は怒鳴った。急いでる時に寝てやがって。畜生!こんなババア、早く死ねばいいのに。

「夜更かしばっかりしやがって、いい加減にしろよ!」

 俺はいらいらして一気に布団をはいだ。すると寝ている母親の体の周りが真っ黒だった。直感ですぐにわかった。それは血だった。


「ぎゃぁぁああああああ!!!!!!」


 俺は我を忘れて大声を上げた。母親は血をたっぷり吸った布団に寝かされていたのだ。俺は悲鳴を上げながら後ずさりすると、靴下が滑って倒れそうになった。

「わぁぁぁあ!!!」


 しかし、後ろに誰か人が立っていた。そこにいるはずのない誰かだ。

 

 満員電車でよろめいた時のように誰かが壁になっていた。俺は恐る恐る振り返った。そこに立っていたのは、見覚えのない顔なのだった。化粧をしていない若い女だ。誰なのか直感で分かっていた。


「あんた、あの時の…」

 

 ぼさぼさの髪に汚れた白いワンピースを着ていて睨むような眼で俺を見ていた。ああ、そうだ。その人は、俺が十代の頃に車で拉致して、みんなで回した後に山に捨てて来た女だった。

「助けて」

 絞り出すような声でその女の人は俺にしがみついて来た。俺は悲鳴を上げながら後ずさった。その人がこの世のものでないことはすぐにわかった。死んでるんだから、もう、助けようがないだろ…。




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