第4話
妖精は無視するように僕と女の人の間を抜けると、動かなくなったご主人様の体に、黒い手袋に包まれた手を翳した。不思議な緑色の光が、その掌に吸い込まれていく。
やがて光が消えると、妖精はその手を握りしめ、また静かに開いた。
そこから零れ落ちる、銀の砂。
「違う」
妖精の薄い唇から、低い声が漏れた。
「この男は、持っていない」
「じゃあ、また探すのね」
女の人の青い瞳が、悲しげに潤む。
ああ、きっとこの人達は、キラキラの向こうの世界から来た人達に違いない。
僕は訳もなく、そう思った。
何か、失ってしまった大切なものを、探しにやって来たんだろう。
僕のご主人様が、持ってると信じて。
それが何なのか、僕には分からなかった。けれど、一つだけ分かったことがある。
僕のご主人様は、部屋に投げ捨てられたドールのように、もう動かないってこと。そして僕は、ずっと一緒に暮らす筈だった、ただ一人の飼い主を失った。
これから、どうすればいいんだろう?
胸が、ちくちく痛んだ。
「ごめんなさいね、あなたには何の罪もないのに、悲しい思いをさせてしまったわ」
僕の頬に手をあて、女の人が囁く。
————— とても温かい、手の温もり。
ご主人様の手とは違う、柔らかい感触。
「悲しい思い?」
女の人の言葉を、口の中で呟く。
女の人は目を伏せて、静かに言った。
「あなたのマスターは、死んでしまったわ」
僕は、小さく首を傾げた。
悲しそうなのは、この人の瞳だ。でも僕には、なんだかよく分からない。
だって僕は、ご主人様の命令に従うだけ。怒られた時は、ちょっぴりドキドキして、泣きたくなってくるけど、ご主人様はもう怒らない。
人形になってしまった。
人形になれば、投げ捨てられるだけ。
ちくちく、ちくちく、針を刺した痛み。
この胸のちくちくは、何なんだろう?
これを、悲しいって言うのかな?
「そいつは、死を知らないんだろう」
冷たい藍色の瞳を僕に向け、妖精は素っ気なく言った。
話に聞いた妖精と違って、なんだか怖い妖精だと思った。でも、綺麗だった。
窓から見るキラキラのように、何故だか分からないけど、目を離せない。
さらさらと揺れる紅の髪に、心が吸い込まれそうになる。
妖精は僕から視線を外すと、自分のマントを脱いで、乱暴に女の人の肩に乗せた。
「ありがとう」
マントを両手で引き寄せながら、女の人が小さく笑みを浮かべる。
二人は一度目を合わせ、そのまま僕に背を向けて扉の方へ歩き出した。
「待って!」
僕は思わず、二人を引き止めた。
言ってから、しまったと思う。
僕は、喋っちゃいけない。黙って、笑って、頷くだけ。
もしその決まりを破ったら、ファームに送り返されちゃう。二度と動かない、ドールとなって。
それなのに僕は、何時もみたいに出来なかった。
胸のちくちくや、ドキドキや、不思議なソワソワに促され、妖精達の方へと足を踏み出す。
命令されることしか許されない僕が、初めて表した気持ち。
いけないことだ。でも、呼び止めずにはいられなかった。
振り返った二人に、僕はたどたどしく言う。
「僕も連れてって下さい。どうか、僕のマスターになって下さい」
マスターは、唯一ただ一人。僕等はファームを出ると、ずっとずっと、動かなくなるまでマスターの側にいる。
動かなくなるのは、死ぬってこと。多分、ドールになることだ。でも、その後どうなるのかは知らない。
妖精は、ワイン色の髪をかきあげ、じろりと僕を眺め回した。それから、
「鑑賞用の人形を、連れ歩く趣味はない」
と、冷たく返事を返した。
僕はがっかりして、そのまま俯く。
やっぱり、駄目なんだ。
僕は、何時までもこのままで、キラキラの向こうには行けない。
行っちゃいけないのかな?
胸のちくちくが、どんどん広がっていく。それがとっても苦しくて、僕の目の前を雫となって濡らした。
これは、悲しいってこと?悲しいと、不思議な液体が目から零れ落ちる。
それは炭酸水でもなくて、ミネラルウォーターでもなくて、雨粒でもない何か。
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