第3話

 「そんなことより、待ちくたびれたぞ。勿論、わしを存分に楽しませてくれるのだろ?」

 「あら、今日のミスターは気が早いこと」


 甘えた声で、女の人がご主人様に身を寄せる。しかし、上目遣いに僕を見て、恥ずかしそうに顔を赤らめた。


 「・・・幾ら人形でも、見られるのは恥ずかしいですわ」

 「それがいいのではないか。誰かに見られていると思うと、より一層燃え上がると言うものだ」

 押し倒そうとしたご主人様の手を軽く押さえ、僕に向かって、女の人はお願いするように言った。


 「ねえあなた、ちょっとの間、あっちを向いて貰えないかしら?」

 「はははっ、商売女の癖して、ウブだな。そういうところが、また燃え上がる。よしよし、分かった、今すぐレッドに命令してやろう」

 にやにや笑いを止めて、ご主人様はこちらへと顔を向けた。


 「レッド、向こうを向け」

 命令には、逆らっちゃいけない。

 言われた通り、僕はすぐに体の向きを窓の方へ戻した。


 「ほら、向こうを向いた。さあ、これからたっぷり可愛がってやるぞ」

 「やだ、もう、くすぐったいですわ。あん、乱暴になさらないで」

 女の人の笑い声を聞きながら、僕は再びキラキラした不思議な世界へと吸い寄せられていった。


 黒い空の向こうには何がある?キラキラした先には何がある?ストローの中を走るクラフトは、一体何処へ行くのだろう?


 きっと、まだ僕の見たことない、凄いところへ行くのかもしれない。


 そうだ、夢のような・・・・・。

 

 いいな、行ってみたいな。もっと、色々なものを見たい。

 そう思うのは、悪いこと?


 ———— あれ?


 何だろう。窓の外で、何かがちらちらしていた。

 キラキラの中を過る影に、僕は目を凝らす。

その時、見たんだ。

 大きな月の光を背にして、佇む妖精の姿を。



 前に、女の人が言ってた。背に羽を持つ妖精が、この世界にはいるのだと。

 その妖精は、まだ誰も知らない不思議の国へ、見た者を連れて行ってくれる。



 ビルの間を縫うように、ゆっくりゆっくり、妖精が近づいて来る。

 ワインを零したような、長く紅い髪を靡かせながら。


 僕は振り返って、ご主人様に教えてあげようと思った。

 ベッドの上で、女の人と抱き合ってる背中に、思わず声をかける。


 「マスター」


 瞬間、パシッと耳元で響いた。

 同時に、鈍い音。

 驚いた僕の目に、ぐったりしたご主人様の姿が映った。ご主人様の頭から、ワインが広がって零れる。その肩先には、女の人の悲しげな瞳があった。


 僕は呆然としたまま、振り返って妖精を見る。


 ひび割れたガラスが、ぽろぽろと絨毯の上に零れ落ちた。

 ぴかぴかの黒い塊を握りしめた妖精は、宙に佇んだまま、じっと冷たく僕を見下ろしていた。


 背中の羽がぶるぶる震え、僕と妖精の間を少し縮める。

 その身に纏った黒い衣が、風に遊ばれててひらひらと舞い踊る。

 妖精は、月と同じように青ざめた顔で、手にした塊を僕の方へと向けた。


 「待って!その子を殺さないで!」


 突然、女の人が叫んだ。裸のまま、窓へと駆け寄る。

 金糸の髪が視界を遮り、彼女の白くて華奢な腕が大きく広がった。


 「この子は、SRなのよ。何も知らないわ!」

 女の人の頭越しに、僕は黒い妖精の姿を仰ぐ。

 妖精はしばらくその人を睨んだ後、無言のまま手にしたもので窓を叩き割った。


 パリンと音が響き、ひび割れた小さな穴が、広がって砕け散った。

 そして、開いた空間からすっと入って来て、妖精が絨毯の上に着地する。同時に、羽は背中の小さな箱へと消えてしまった。


 「ケイ、この子は本当に何も知らないのよ。あたし達のことも、あの男のことも」

 尚も黒い塊を握りしめたままの妖精に、女の人が必死になって言う。


 ———— 何も、知らない?


 そうだ、僕は何も知らない。妖精のことも、女の人のことも、ご主人様のことも。


 僕が知ってるのは、ファームと、白いハコと、クラフトが走るストローと、ビルの中の人と、この部屋だけ。


 毎日目にする、キラキラの景色が、僕の中の全てだった。

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