第20話 蔡邕《さいぼう》

王允の指示通り、長安や郿に居た董旻、董璜をはじめとする董卓の一族は、全員が呂布の部下らの手によって殺害され、90歳になる董卓の母親も殺された。また董氏一族の遺体は集められて火をつけられた。死体が腐るから燃やされた。そんなやり方だった。董卓は平素からかなりの肥満体で、折りしも暑い日照りのために死体からは脂が地面に流れ出した。そのことから夜営の兵が戯れに董卓のへそに灯心を挿したら、火はなお数日間燃え続けた。


長安の志士や民は、董卓の死を皆で喜んだ。王允は董卓の息のかかった人物を、徹底的に粛清する態度で臨んだ。

蔡邕さいぼうは、董卓がその才能に惚れ込まれ異例の出世をしたのだ。それは彼自身の徳によるもので、不徳をなすところの董卓が蔡邕さいぼうの知性ある人格者としての存在に縋ったのだ。

だが董卓が、独り善がりであったため、蔡邕さいぼうは時には諌め忠告もした。しかし、ほとんど聞くことがなかった。そのため、何のために董卓の元にいるのか、またこのまま董卓は、無事で済む訳がないだろうと予感し、兗州に逃れた方が良いのではないかと考えた。そしてその事を、従弟に相談したところ、冷静にこう言われた。


「君の容貌は常人と異なり、道を行くたびに観る者が集まって来るではないか?これでどうして己を隠し、難を避けられようか」と諌められたため、思い止まったという経緯があった。

しかし、何の予兆もなく董卓が暗殺されたので動揺してしまった。それを見咎めた王允が言った。

「董卓は国の大賊である。君は王臣となり、憤りを同じくすべきところなのに、かえってこれを痛ましく思うとは、まさか君も董卓と同じく逆賊ではないだろうな。ただちに蔡邕さいぼうを牢屋に入れろ!適切に処罰してくれようぞ」

蔡邕は牢屋に入れられた後も謝罪した続けた上で、黥首(額にいれずみを入れる)・刖足(あしきり)の刑によって死罪を代替し、漢史の編纂を続けさせて欲しいと訴えた。


王允を李儒や黄琬が諌めたが、全く聞く耳を持たな なかった。

「昔、武帝が司馬遷を殺さなかったばかりに、誹謗の書が世に出ることになった。幼ない献帝の左右で佞臣に筆を執らせるべきではないのだ。私がその誹謗を被る元となる。そんな歴史に悪名を残すことなどどうして出来ようか!」

その後、王允が悔いて容疑を取り下げようとしたが間に合わず、蔡邕は獄死することになった。紳士諸儒は涙を流さない者が無く、また北海国の鄭玄はこの報を聞き「漢世の事、誰と共に正せばよいのだ」と慨嘆した。兗州の陳留県では、皆画像を描いて蔡邕を讃頌した。

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