第88話 お忍びデート再び
「ヴァル。ウィスティと出掛けるのは構わないのですが、その髪と目のまま出掛けられるのですか?」
ヘリオトロープ公爵が俺に詰め寄るように尋ねてきた。顔には心配と書いてある。
お泊りをした次の日の朝。
ヘリオトロープ公爵一家との朝食の時に、ウィステリアとお出掛けをすることを告げると、即承諾された。
ウィステリアに対して不埒なことも、嫌がることもしていないので、日頃の行いが良いと判断されたのか、信頼してくれたのか反対の声は上がらなかった。とりあえず一安心だ。
これが父のグラナートならこうは行かない。相手は従兄弟のヘリオトロープ公爵だし。
「……流石に、それは難しいとは思ってますよ。私の髪はこの国の王家の色で、父や兄と比べても目立つ色をしてますから」
苦笑して、自分の髪を一房摘む。
父と兄の髪の色は紅緋色で鮮やかな赤系の色だが、俺の髪の色の紅色も同じく鮮やかな赤系の色で、何より伝説の召喚獣のフェニックスと同じ色なので、国旗にも使われていて余計に目立つ。
「更には珍しい
思わず、猫かな、と思うくらいに。
金目銀目って、猫に多いらしいし。
まぁ、性格は犬より猫だと自分では思ってるけど。だから、乙女ゲームの第二王子の召喚獣は獅子だったのか? と深読みしてしまう。
双子の姉になるはずだったハーヴェストも同じ目の色だし、どちらかというと猫だと思う。
って、何の話だ。
「では、今回も色を変えるのですか?」
ヴァイナスが期待に満ちた目で、俺を見る。
「え、ええ。そのつもりです……」
「ちなみに、どんなお色に?」
アザリアさんも扇を広げ、俺を見る。
俺の隣で、ウィステリアも見てくる。
「……まだ、決めてなくて。何がいいと思いますか?」
そう尋ねると、ヘリオトロープ公爵一家はにんまりと笑った。
そっくりだな!
「でしたら、我が家の色になさいませんか?」
「ヘリオトロープ公爵家の、色、ですか?」
アザリアさんの提案に、呆然とした顔で俺は目を瞬かせる。
「ええ。わたくしの髪の色とクラーレット様の目の色はどうですか?」
にっこりと優美に微笑んで、アザリアさんが提案する。
アザリアさんの髪の色は紅紫色で、ヘリオトロープ公爵の目の色は藍色だ。
ウィステリアとヴァイナスの髪の色は、ウィステリアは薄紫色で、ヴァイナスはヘリオトロープ公爵と同じ紫色。目の色は二人共、ヘリオトロープ公爵の目の色と同じだ。
対するアザリアさんの目の色は浅葱色だ。
そんな素振りは見せていないが、ウィステリアとヴァイナスに継がれなかったのを気にしているのだろうか。顔立ちはウィステリアとヴァイナス共に、両親そっくりの美貌なんだが……。
アザリアさんの胸の内は分からないが、その提案を断る理由もない。
提案されて、どんな色になるのか、かなり気になっている俺がいる。
「いいですね。準備する時に早速試してみます」
笑顔で答えると、アザリアさんは嬉しそうに笑った。
「ヴァル君、その時は拝見しても宜しいですか?」
「はい。構いませんよ」
「あの、私達も……!」
ヘリオトロープ公爵とヴァイナスが身を乗り出した。
「あ、はい。どうぞ……」
その二人に気圧されながらも俺は頷いた。
髪と目の色を変えるだけなのに、見て楽しいのだろうか……。
そして、ヘリオトロープ公爵邸の俺が泊まらせてもらっている部屋で、ヘリオトロープ公爵一家がやって来た。
服はお忍び用として、前回と同じく商家のお嬢様を守る護衛という格好だ。滑り止めが付いた黒い手袋を着け、腰には鋼の剣に擬態した光の剣クラウ・ソラスを佩いている。
この服は何かあった時のために、空間収納魔法で保管しておいた服だ。
まさか、お忍びデートとして使うとは思わなかった。
どちらかというと、俺が断罪された時や誰かに捕まった時に、脱出する用にと思っていたものだ。
『断罪は有り得ないからともかく。誰かに捕まるようなヘマはリオンはしないだろう……』
俺の考えが流れたのか、紅が呆れた声で念話で呟いた。
『俺が信頼している人に対してなら、うっかりはある気がするよ』
意外と抜けてますので、俺。
なので、相手が長年掛けて俺の信頼を勝ち取り、この人は俺を裏切ることはないと思っていたら、多分、あっさり捕まる。そこは、紅達、俺の召喚獣達が目を光らせていると思うけど。
『今のところ、リオンを裏切るような者は周りにいないぞ。安心するといい』
それは知ってる。一応、俺もちゃんと人となりを見た上で臣下にならない? とスカウトしているし。
「ヴァル様、髪と目の色を変えられますか?」
紅と少し念話をしていると、ウィステリアがそわそわとした表情で尋ねてきた。
ウィステリアは前回と同じく商家のお嬢様の格好をしている。が、幼い頃から教養のおかげで、高位貴族の令嬢としての佇まいが、商家のお嬢様の格好でも溢れてて、眩しい……!
そんな表情はおくびにも出さず、俺は小さく笑う。
「そうだね。早速、変えてみるよ」
そう言って、俺は早速、アザリアさんの提案のヘリオトロープ公爵家の色に変える。
魔法で、アザリアさんの髪の色の紅紫色に、ヘリオトロープ公爵の目の色の藍色に変えてみる。
鏡台の前に立ち、変えてみた髪と目の色を見る。
父とヘリオトロープ公爵が従兄弟同士だからなのか、変えてみると意外にもしっくりとしていて、違和感がなかった。
むしろ、ヴァイナス、ウィステリアと並んで縁戚ですと言っても、信じるレベルだ。
多分、俺は女顔の影響で、女性と思われるのだろうけど……。
「ヴァル……っ!」
「わぁっ!」
突然、ヴァイナスに抱き着かれて、思わず声を上げた。
「ヴァイナス?! どうしました!?」
「是非とも、我が家にいる時はその色でいて頂けませんか?!」
「はい?」
目を輝かせて、抱き着いたまま離れない将来の義理の兄の言葉に目を丸くする。
どうして、そんな話に??
「我が家の色を纏うだけで、本当の弟みたいで……!」
弟欲しかったんです……! と言いながら、尚も離れないヴァイナスに俺は混乱する。
将来の義理のお兄さん、暴走してませんか?!
「その案、賛成ですわ。お顔立ちがシエナ様に似ているとはいえ、カーディナル王家の血筋ですから、クラーレット様にも似ていますわ。三人目の子供みたいで、わたくしも嬉しいですわ。ヴァル君、我が家の養子になりません?」
アザリアさんも嬉しそうに扇を広げて、優美に微笑む。
冗談なのか、本気なのか、本当に分からないんですが……!
「あの、子供と言われて嬉しいのですが、私は兄妹より、ウィスティの夫になりたいのですが……」
「ちょ……ヴァル様……!」
ヴァイナスに抱き着かれたまま、そう言うと、ウィステリアの顔が真っ赤になった。
「あらあら。そうですわね。養子より、簡単にすんなりわたくし達の子供になるのでしたわね。ヴァイナス、あと少しの辛抱だから、落ち着きなさいな」
くすくす笑いながら、アザリアさんがヴァイナスに声を掛ける。
「すみません、ヴァル。取り乱しました……」
顔を赤くしたまま、ようやく俺を離したヴァイナスが小さく咳払いをしながら、照れ隠しのように横を向いた。
「いえ……」
俺もそれしか言えず、ヴァイナスとの間に微妙な空気感が漂う。
そこで、ふと先程の遣り取りに入って来なかったヘリオトロープ公爵に目を向ける。
「あの、ヘリオトロープ公爵……?」
目を向けると、俺を見たまま、凝視するヘリオトロープ公爵がいた。
「……ヴァル、今日から私のことを義父と呼びませんか?」
「はい?」
困惑した顔で、ヘリオトロープ公爵を見る。
この人も何を言っているんだろうか。
結婚後ならともかく、今現在、婚約中で言うのもどうなんだ??
そういう家もあるとは聞いたことがあるが、第二王子と公爵令嬢の場合、それやっちゃうと下の貴族達もしないといけなくなるとかならないだろうか。
考え過ぎだろうか。
「……クラーレット様。気持ちは分かりますが、ヴァル君がしてしまうと、公爵家以下の貴族達も倣わないといけなくなりますから、クラーレット様もヴァイナスと同じくもう少しお待ち下さいませ」
アザリアさんがにこやかに暴走寸前のヘリオトロープ公爵を窘めてくれた。
やっぱり考え過ぎではなかったようだ。
「アザリア、そうだね……。我が家の色を見たら、つい……。すみません、ヴァル」
「いえ……。あの、出掛ける時の色はこの色ではなく、他の色にしましょうか……?」
「「「「それは却下です!」」」」
何かこの色にすると、ヘリオトロープ公爵一家を暴走させてしまうので、そう提案すると目の前の将来の義家族に拒否された。
「え、あ、そうですか……。では、この色で。ところで、ウィスティの髪と目の色はどうしますか?」
本当は俺の色を提案したいところだが、そうなると王家の血筋だと分かるし、第二王子は王女説が流れる気がしたのでやめた。
出来れば、前回の色とは違う色を見たい。
「そうですわね……。ウィスティ、何か希望はあるかしら?」
「そうですね……。あの、イェーナ様の髪の色とシャモアの目の色を纏ってみたいです!」
「お嬢様……!」
部屋の端で静かに立っていたシャモアが感動の声を漏らす。
居たことは知っていたけど、今までの遣り取りを見られていたとなると、内心、恥ずかしくて居た堪れなくなる。
王家やヘリオトロープ公爵家の名誉のためにも他には漏らさないシャモアの忠義を知っているが、夫のハイドレンジアと義妹のミモザには漏らしそうだ。この二人も他には漏らさない。それで、きっとミモザ辺りに俺は軽く弄られるのだろうな。
「イェーナ嬢の髪の色といえば黄色で、シャモアの目の色は緑色だね」
前回と同じ茶髪にしても、娘盛り、芳紀ともいわれる年頃になったウィステリアは、顔立ちも立ち居振る舞いも完全に高位の貴族令嬢なので、商家のお嬢様の格好をしてもバレるだろうから、忍ばない作戦を考えてもいいかもしれない。
要は、第二王子と公爵令嬢だと分からなければいいのだから。
そう考えると、イェーナとシャモアの色は無難かもしれない。
「試しにやってみる?」
そう尋ねると、ウィステリアは大きく頷いて、鏡台の前に立ち、魔法で髪と目の色を変える。
いつもの色がもちろん好きなのだが、普段と違う色のウィステリアにドキドキする。
誰もいなかったら、抱き締めているところだ。
「ヴァル様、どうですか?」
「うん。いつもの色が一番好きだけど、違う色のウィスティも良いね」
小さく微笑むと、ウィステリアが照れるように下を向いた。
本当は俺の色にして欲しいと思うのは、独占欲の表れか。
「あの、ヴァル様。お願いがあるのですが……」
「ん? 何?」
「髪を、ヴァル様がして下さいませんか?」
「へ? 髪?」
目を瞬かせると、ウィステリアは手をもじもじとさせ始めた。
「あの、四歳の時に、ヴァル様が髪を整えて下さったように、今日のお出掛けの髪をヴァル様に整えて頂きたくて……」
俯き加減からの上目遣いで、ウィステリアは俺にお願いしてくる。
よく知ってるな、俺のウィステリアの弱い仕草!
多分、無意識だと思いますが!
「え……っと、構わないけど、何か要望はある?」
「歩くので、動きやすいように一つに結んだ髪型で、ヴァル様にお任せしたいのですが……」
「一つ結びで、かぁ……。シャモアみたいな玄人な侍女じゃないから、綺麗に出来なかったらごめんね。先に謝っておくね」
「大丈夫です。四歳の時もヘリオトロープ公爵家の使用人絶賛でしたから!」
鼻息荒く、ウィステリアが俺に期待の眼差しを向けてきた。
使用人絶賛という言葉に、更にウィステリアというか、ヘリオトロープ公爵一家の期待値が上がる。
俺は小さく息を吐きつつ、ウィステリアに鏡台の椅子に座ってもらい、彼女の髪に触れる。
ウィステリアの髪を櫛で丁寧に梳かし、両サイドを一房ずつ後ろに捻じり、それをもう二房同じように後ろに捻じって纏め、下の辺りでポニーテールにした。
確か、前世で友人の結婚式に出るという姉にも同じような髪型にした覚えがある。結婚式でも、普段でも使える髪型だと喜んでもらったなとふと思い出す。
ウィステリアの髪型をヘリオトロープ公爵一家と、いつの間にか近くにやって来たシャモアがじっと見ている。
「ウィスティ、出来たよ。どうかな?」
ウィステリアは鏡を見つめつつ、出来上がった髪型にそっと触れる。
「流石、ヴァル様。とても器用ですね! 私より上手です! ありがとうございます!」
目を輝かせて、ウィステリアは微笑んだ。
「気に入ってもらえて、良かったよ」
「ヴァルは本当に器用ですね……」
ホッと安堵の息を漏らしていると、ヴァイナスに頭を撫でられた。
そんな俺とウィステリアを微笑ましくヘリオトロープ公爵達に見られ、お出掛けの準備は終わった。
準備を終えた俺とウィステリアは王都のヘリオトロープ公爵邸の前で、ヘリオトロープ公爵一家に見送られることになった。
「ヴァル。前回、ウィスティと立ち寄ったというアクセサリー屋ですが、そこでは色を解いて下さい」
「え? 解くんですか?」
「そこの店主にはヴァルとウィスティが行くことは伝えております。お忍びとはいえ、店員達が何か失礼なことをする可能性がありますからね」
にっこりとヘリオトロープ公爵が微笑んだ。
その微笑みは公爵や宰相というより、親の顔だ。
前回、店員がウィステリアに近付こうとして、俺に軽く撃退されたことを知っているのだろう。影がついて来てるから報告されたのだろうな。
「……前回の店員がいるかは知りませんし、いたとしても、私がしっかりウィスティを守ります」
「そこは安心しているのですが、どちらかというとヴァルの方が心配です」
「え? 私ですか?」
「我が家の色に変えても、お顔は変わりませんからね。第二王子の肩書きがない状態だと、市井では狙われ放題です。そこで、うっかり声を掛ける不届き者が出て来たら、ヴァルよりフェニックス殿達、召喚獣が恐ろしいです……」
少し青い顔で、ヘリオトロープ公爵が説明する。
『否定は出来ないな。市井なら特に俺が出そうだ』
月白が俺とウィステリアにしか見えないように現れて、念話でヘリオトロープ公爵の言葉に頷いた。
「……何とか止めて、私が対処します。とりあえず、アクセサリー屋の中では色を解きます」
そして、俺とウィステリアはお忍びデートなので、徒歩で王都の商業区へ向かった。
王都は碁盤の目のように建物が大小それぞれだが並び、周囲を正方形型になるように高い壁がある。
王都の中央に大きな噴水があり、噴水を中心に北が貴族以外の住民の居住区、西が飲食を含む様々な店がある商業区、東は公共の図書館や役所、教会等がある区、南が貴族の居住区になっている。
その南の貴族の居住区の中央にヘリオトロープ公爵邸がある。それも、かなりの面積を占めており、流石、貴族筆頭の公爵家と思う。
俺とウィステリアの結婚後は領地とは別に、この南の貴族の居住区に邸宅を建てた方がいいのか悩んでいる。
王都を離れるので、王城での王家としての仕事やパーティーやらをするために、邸宅を王都に建てた方が移動が楽ではないかと考えている。
多分、王城やヘリオトロープ公爵邸に泊まれとか言われそうな気がするが、転移魔法で簡単に帰れるから建てなくてもいいかとも思う。
時間はあるから、もう少し考えよう。
「リオン様、何か考え事ですか?」
「ん? リアとの結婚後のことだよ。王都に邸宅を建てた方がいいのかなぁって」
「なっ、えっ、結婚後っ?! 早過ぎませんか?!」
「早くないよ。早くても一年半または二年後だよ?」
そう言うと、ウィステリアの顔が真っ赤になる。
「一年半って、卒業後すぐですか?!」
「王家とヘリオトロープ公爵家が了承したらね。あれ、嬉しくない?」
「う、嬉しいですが、婚約期間が長くて、まだ結婚は先だと……」
「流石に、婚約期間が長過ぎたよね……。今の時点で十二年。もうすぐ十三年だしね。結婚の年数だったら、子供も数人いてもおかしくないよね。しかも、思春期に入りそうな子供の年齢だね」
早くウィステリアと婚約したかったとはいえ、期間が長過ぎた。お陰で、色々自分に課すことになった。
「確かに長いですが、私は、その、嬉しかったです。婚約していたお陰で、八歳の時に会ったこともないセラドン侯爵が貴族の皆様を唆そうとしていたところをリオン様が庇って下さいましたし、他にも守って下さいました。その、矛盾してますが、この関係に慣れてしまったから、先に進むのが怖いのかもしれないです」
「婚約期間が長過ぎる弊害だよね。俺はリアとなら先に進んでも怖くないけどね?」
「とんでもないことをさらりと言いましたね、リオン様……」
いたずらっぽく笑って言うと、ウィステリアが頬を膨らませてた。可愛いなぁ、本当に。
「……話は変わりますが、実は、先程の髪と目の色の時、本当はリオン様かヴェルお義姉様の髪と目の色にしたかったんです……」
「俺か、ヴェルの?」
「はい。流石に目立ちますし、私がリオン様の色にすると、第二王子が実は王女という噂が流れ兼ねないので諦めました……。ヴェルお義姉様の色だと、王都でチェルシーさんに会ってしまった時に、彼女の中にいるという元女神に変な情報が行くかもと思って、こちらも諦めました」
「ごめんね、どちらも目立つ色で……。王家の色もだけど、濡羽色の髪に、金色と銀色のオッドアイも人が多い王都とはいえ、目立つよね。もし良ければ、結婚後の俺達の家でしてくれる?」
穏やかに微笑むと、ウィステリアが真っ赤になった。
「う……はい。します……」
ウィステリアの返事に、俺は満面の笑みを浮かべた。
徒歩で王都の西にある商業区に向かいながら、その間、他愛のない会話をしていた俺達は久々の王都の人の多さに圧倒された。流石、商業区。
南の貴族の居住区は馬車での移動が主流なので、どちらかというと人通りは少なく、閑散としていた。
久々の王都といっても、少し前に冒険者ギルドに行ったのだが、頻繁ではないため、ちょっと圧倒された。
前世の俺だったら、呪いの影響で人混みに酔って、お出掛けどころではなかったはずだ。
「王都に活気があることは良いことだけれど、人が多いな……。引き籠もりにはキツイかなぁ……」
「そうですね。リオン様は特に……」
「それでも、俺がしっかり守るからね、リア」
そう言って、ウィステリアの右手に俺の左手で触れて、指を絡めてぎゅっと繋ぐ。所謂、恋人繋ぎだ。
「とりあえず、はぐれないための対策と俺の下心ね」
にっこりと笑って言うと、またウィステリアの顔が真っ赤になった。
「……リオン様、本当にずるい……」
「ずるくないよ。とりあえず、アクセサリー屋に行こうか」
「う……はい……」
笑顔が止まらない俺に翻弄されてしまう形のウィステリアは苦笑した。
商業区の大通りを少し歩くと、十二歳の時に入ったアクセサリー屋に着く。
中に入ると、ヘリオトロープ公爵が連絡してくれたお陰か、お客さんは誰もいなかった。
「あの、申し訳ございません、お客様。本日は貸し切りとなってまして……」
慌てて、店員の一人が俺とウィステリアに話し掛けて来た。
よく見ると、四年前にウィステリアを下心丸出しに見ていた男性店員だった。
まだ、この店にいたのか。しかも、また、ウィステリアの方を見ているようだ。
思わず、殺気が漏れそうになる。
「ヴァル様……」
慌てて、ウィステリアが俺に小声で話し掛けてくる。
そこで思い出して、俺とウィステリアの髪と目の色を戻す。
戻すと、男性店員は息を飲み、店内にいた他の店員達も黄色い悲鳴を上げた。
「ヘリオトロープ公爵から話があったと思いますが、店主はいますか?」
王子らしい作り笑顔で尋ねると、俺の顔を惚けた顔で見つめていた男性店員はハッとした表情になり、慌てた。
「は、はい! すぐ呼んで参りますっ」
ドタバタと慌てた様子で、男性店員は店の奥へと走っていった。
「……あの店員、まだいたのか。しかも、慌て過ぎ」
「まさか、第二王子殿下が来られると思わなかったのですから、仕方ないですよ。大目に見てあげて下さい」
ぼそりと呟くと、ウィステリアが苦笑した。
「……あの店員、ウィスティを見てたし」
「え、どちらかというと、ヴァル様を見ていたと思いますけど……」
『リオン、リアちゃん。両方だよ。両方見てたよ、あの店員』
鋼の剣に擬態していた光の剣クラウ・ソラスこと蘇芳が俺とウィステリアに念話で告げた。
『いい度胸をしている。前のようにあからさまな行動をしていたら、我が出るところだったぞ』
姿を消して、いつものように俺の右肩に乗っていた紅も俺とウィステリアに念話で呟く。
「紅も蘇芳も動かないでね。もちろん、鴇も」
『え、僕はまだ何にも言ってないけど!』
胸元に隠している短剣に擬態しているフラガラッハが念話で不満を訴える。
「言ってないけど、紅と同じこと思ってただろ? 鴇とも長い付き合いだから、分かるよ」
閉ざされた世界で神の俺と長い時間を共にしていたのだから、言われなくても何となく分かる。
『バレてたかぁ……。まぁ、流石にすぐには動かないよ。ただ、相手が失礼なことしたら、即動くよ』
「……ヴァル様の周りの皆さんは本当に過保護ですね……」
苦笑しながら、ウィステリアは小さく呟いた。
「忘れないで欲しいけど、俺はウィスティに対して過保護だからね」
小さくそう言うと、またウィステリアは真っ赤になった。
『それより、あの店員、ヴァーミリオンとウィステリアを出入口に立たせたまま、店主を呼びに行くのはどうなんだ。あの店員ではなくても、他の店員も何処かの個室に案内するなり、商品見せるなり出来ないのか』
いつの間にか、姿を俺とウィステリアに見えるようにして現れた月白が怒りを混ぜた声音で呟く。
「そこは、突然の第二王子とその婚約者だから、緊張で頭が真っ白になったんじゃないですか?」
じっと俺とウィステリアの一挙一動を見守るように、他の店員達は店内の離れたところで見ている。
他の男性店員も女性店員も、誰が俺達に声を掛けるかといった小さな声が聞こえる。
うーん……緊張で頭が真っ白とかではなかった。
俺とウィステリアより、俺の召喚獣や武器が不満を募らせて来た頃、慌てた様子で店主が先程の男性店員を伴って、こちらにやって来た。
「ヴァ、ヴァーミリオン殿下、ヘリオトロープ公爵令嬢! お待たせして申し訳ございません! 更にはご案内することもなく、王族の方と婚約者様を出入口にお待たせするようなことを致しまして、誠に申し訳ございません!」
真っ青を通り越して、真っ白な顔で、店主は俺とウィステリアに頭を下げた。
その言葉で気付いたのか、一緒にやって来た男性店員も、店内で遠巻きに見ていた店員達の顔が青ざめた。
「今回は正式にではなく、突然お忍びでこちらが来たのですから大丈夫ですよ。次、気を付けて下されば」
作り笑顔でそう告げると、店主は少し顔色を戻した。まぁ、やんわりと釘を刺したから、気が気じゃないだろうけど。
店主は二十代前半くらいで、深緑色の長い髪を後ろに纏め、しっかりとした強さを湛えた若草色の目、華美ではなく機能性重視のような紺色のワンピースドレスを着た、スラリとした細身の落ち着いた印象の女性だった。前世でいうところのクールビューティだ。
「殿下の寛大な御心に感謝致します。申し遅れました。王国の太陽であらせられる、ヴァーミリオン第二王子殿下にご挨拶を申し上げます。私はシスティーン伯爵家の次女、レネット・エルブ・システィーンと申します。こちらのアクセサリー屋の店主をしております」
店主のレネットはカーテシーをして、俺に正式な挨拶をする。
貴族なら納得がいった。
そりゃあ、焦るよね。自分の店の店員がやらかしたことが他の貴族に話が流れてしまうと、社交界でも火消しが大変になる。店が潰れる可能性もある。
それにシスティーン伯爵家って、確か、ヘリオトロープ公爵の派閥の家じゃなかったっけ……。ということは、ヘリオトロープ公爵にも影響が出る。
それはヘリオトロープ公爵に申し訳ない。
「挨拶をありがとうございます。早速ですが、見て回ってもいいですか?」
作り笑顔で応答していると、ウィステリアが恋人繋ぎからパーティーでするような、俺の腕にそっと添えてきた。
相手が貴族の令嬢なら、公爵令嬢として、ウィステリアのその行動は正解だ。
ただ、ウィステリアの動きに、内心俺は複雑だ。
ああ、折角のお忍びデートが……。恋人繋ぎが……。前世からの念願が……。
「はい。ご案内致します。どうぞ、こちらへ」
そう言って、レネットが俺とウィステリアの前に立ち、アクセサリーが並ぶガラスの陳列棚へ案内する。
広い店内に落ち着いた薄茶色の棚、ガラスの陳列棚が所狭しと並び、色とりどりの宝石が散りばめられたアクセサリーが広がる。
ネックレス、イヤリング、指輪、ブレスレット、ブローチ等様々な種類のアクセサリーが種類、色ごとに陳列棚に丁寧に並べられている。
前にも思ったが、ここの店主であるレネットは恐らく几帳面なのだろうなと窺わせる。
ウィステリアが目を輝かせて、アクセサリーのイヤリングや指輪を見ている。
指輪……指輪、欲しいよね……そりゃあ……。
「ウィスティ、何か気に入った物はある?」
「あの、どれも素敵で、迷ってます……」
小声でウィステリアに問い掛けると、彼女も小声で返してきた。
ウィステリアのこの言葉はきっと、自分の気に入ったアクセサリーがなくて、言い辛いのだろうと感じた。
「システィーン店主。指輪はこの陳列棚にある物だけですか?」
「いえ。他にもございます。こちらはどちらかと言いますと、王都の住民の皆様や貴族の方向けの物を重点に置いておりまして……。殿下や公爵令嬢が身に着けられても問題ない物は、別室に厳重に管理しております。もし宜しければ、別室にご案内致しましょうか?」
ですよね。そりゃあ、そんな高価な物を店内に置きませんよね。防犯面含めて。
ヘリオトロープ公爵もそれを踏まえて、話を通した上で、髪と目の色を戻せと言ったのだろうな。
「お願い出来ますか?」
「畏まりました。こちらへどうぞ」
穏やかに微笑み、店主のレネットは二階へ案内する。
二階へ上がり、個室に入り、俺とウィステリアをソファへ勧めた。
「ヴァーミリオン殿下、ヘリオトロープ公爵令嬢。今からお持ち致しますので、こちらにお掛けになられて、少々、お待ち頂けますか?」
「分かりました」
頷くと、店主のレネットはカーテシーをして、個室を出た。
「あの、ヴァル様。何か、気になることでもあるのですか?」
「ん? どうして?」
「店内にある物だけかと聞いていらっしゃってたので、何かあるのかなって……」
「そう言う、ウィスティも気になった物がなかったんじゃない?」
「あ、はい……その、十二歳の時は可愛いなぁと思っていたのですが、今見ると、可愛過ぎて……」
「年頃の女性にウィスティが成長したってことだね。落ち着いた綺麗な指輪があるといいね」
穏やかに微笑むと、ウィステリアが少し頬を膨らませた。
「ヴァル様と同い年なのに、大人の余裕のような素振りのヴァル様を見ると、何か悔しいです……」
「いや、これ、虚勢だからね。大切な婚約者の前での精一杯の見せ掛けだからね。男は好きな女性の前で良いところを見せたいんだよ」
むぅ……と小さく声を漏らし、ウィステリアは釈然としない表情をしている。
そんな会話をしていると、店主のレネットが戻って来た。
「ヴァーミリオン殿下、ヘリオトロープ公爵令嬢。お待たせ致しました。宜しければ、こちらをご覧頂けますか?」
テーブルの上に、様々な石、様々なデザインの指輪が入ったトレーを置いていく。
トレーの中身を見ると、石もデザインも店内に置いてある物より高価で、豪華だった。
年頃の貴族の令嬢や夫人が好むような物ばかりで、人を選ぶ指輪だった。
つまり、高位の貴族、王族向けの物だ。
ちらりと隣を見ると、ウィステリアも食い入るように見つめている。
ウィステリアが見つめている先は、高価な石を使っているが、落ち着いたデザインの指輪で、前世のアニメでも、今世でもよく見掛ける、傲慢な貴族が着けているような無駄に宝石が大きい、ゴツゴツギラギラした指輪ではなかった。ちょっと安心した。
ウィステリアが見つめている指輪は銀の腕に、中石にある宝石を花の形にカットした物だ。
その銀も、純銀のようで、中石の宝石はガーネットで、俺をイメージしたのかなと自惚れていいだろうか。
「ウィスティ、それが気に入った?」
「はい。あの、ヴァル様は?」
「うん。その前に聞きたいことがあるんだ。システィーン店主」
俺とウィステリアの会話を微笑ましく見ていた、店主のレネットが名前を呼ばれて、びくっと身体を震わせた。
「は、はいっ! 殿下」
「このお店では、誂え品をお願いすることは可能ですか?」
俺の言葉にウィステリアはぽかんと小さく口を開け、店主のレネットは目を輝かせた。
誂え品、所謂、オーダーメードだ。
「普段はあまりお受けしておりませんが、ヴァーミリオン殿下のお願いでしたら、いくらでもお受け致します!」
先程までのクールビューティは何処へやら、店主のレネットは身を乗り出す勢いで頷いた。
その目は、どんな誂え品だと言いたげだ。
物作り好きな目をしている。
「どのような物を作りましょうか?」
「私と彼女の、対になる指輪をお願いしたいのです」
「指輪ですね! 失礼ですが、どのような用途にお使いでしょうか?」
店主のレネットは素早い動きで、空間収納魔法からペンとノートを取り出した。
流石、商いをしている貴族の令嬢だ。空間収納魔法は商い向けだよね、と感心する。
「婚約指輪です」
俺が告げると、ウィステリアと店主のレネットの動きがピタリと止まった。
「「え?」」
「ご存知の通り、私とヘリオトロープ公爵令嬢は四歳の頃から婚約者です。当時の子供の私達には指輪は早かったですからね。パーティーでのお互いの礼服やドレスで色を身に着けるくらいしか手段がありませんでした。成人した今ならお互いに婚約指輪を常に着けても問題ないと思いませんか? システィーン店主はどう思います?」
作り笑顔で店主のレネットを見ると、目を更に輝かせた。
「成程。婚約指輪をフィエスタ魔法学園でも身に着けられたいということですね。女性としては、殿下のその御心はとても嬉しく思います。更に、既製品ではなく、誂え品。私でしたら、確実に今以上に惚れます。ヘリオトロープ公爵令嬢も嬉しいのではないでしょうか」
そう言って、店主のレネットはウィステリアを見る。俺も隣のウィステリアを見る。
「ウィスティ、どう?」
真っ赤になって、ウィステリアは上目遣いで俺を見上げる。
「う、嬉しいです……」
湯気が出そうな程、真っ赤にして、ウィステリアは俺の左腕にしがみついた。
「良かった。じゃあ、今からシスティーン店主にお願いしてもいいかな?」
恥ずかしくなったのか、顔を俯いて、ウィステリアは何度も頷く。可愛いなぁ。
「では、殿下。どのようなデザインに致しましょうか? それと、宝石はどのような物を使いましょうか?」
創作意欲が溢れたのか、店主のレネットは目を輝かせて、俺に色々と質問した。
そのほとんどが、婚約指輪のデザインや素材に関することで、俺やウィステリアの個人に対しての質問はなく、職人としての質問で、俺もウィステリアもとても好感を持てた。
アクセサリー屋でたくさん時間を使い、二回目のウィステリアとのお出掛けは終了したが、とても有意義なものになった。
色々と拘ってしまったオーダーメードの婚約指輪は、店主のレネットの話だと一ヶ月くらい掛かるとのことで、連絡があるとのことだった。
一ヶ月で出来るのかと思っていたら、一週間後には完成したと連絡があった。
いくら何でも早くないか?!
何でも、創作意欲が溢れた店主のレネットは寝食以外は全て指輪作りに力を入れてくれたようで、一週間で出来たそうな。
正直、集中力凄いなと思ってしまった。
「――という訳で、リア。婚約してるのに、遅くなってしまったけど、この指輪、受け取ってもらえる?」
王城の南館の俺の私室にウィステリアに来てもらい、指輪が入った箱をゆっくり開ける。
本当は雰囲気のある場所で、と考えたのだが、第二王子と公爵令嬢なので、安全面を考えて俺の私室になった。
ロマンスもへったくれもない。結婚のプロポーズはちゃんと場所を考えるし、ありとあらゆる結界を張ってやると意気込む。
それはさておき、箱を開けると、ウィステリアに渡す婚約指輪が現れる。
指輪の中石は俺の髪の色に似たルビーで、銀と金でルビーをはさみ留めしている。
ルビーの周りにウィステリアの髪の色に似たラベンダーヒスイを脇石に葉のような形でルビーに寄り添っている。
指輪の輪の部分――腕は金と銀を使って、アルファベットのエス字を描くように緩やかな曲線が掛かっている。ウィステリアの指の流れに沿うような立体的で柔らかな形をしているので、指に優しく馴染み、女性らしい印象を与えてくれる……とイメージして、店主のレネットにオーダーした。
滅茶苦茶、拘ったので、店主のレネットには申し訳ないなと思っていたが、想像以上に良い出来でとても満足している。
ちなみに俺のはウィステリアの対になる物で、指輪の中石はウィステリアの瞳の色に似たタンザナイトで、脇石はルビー、腕は金と銀は同じだが、曲線ではなくストレートにしている。
どう見ても、お揃いだし、相思相愛だから、フィエスタ魔法学園の生徒や貴族の連中には有無を言わせる気はない。指輪を見たら分かるだろ? な指輪になった。
「リオン様。アクセサリー屋に行った時からずっと聞きたかったのですが、お出掛けの時に、婚約指輪を作るおつもりでしたか……?」
「いや。リアが誘ってくれた時は考えていなかったよ。アクセサリー屋で、リアが指輪を見てた時に、作ろうって決めたんだ。俺がほとんど形をオーダーしてしまったから、結婚指輪はリアが好きな形に決めてね? それで、この婚約指輪、受け取ってもらえる? 渡すのが遅くなってしまって、気付くのも遅くなってしまって申し訳ないのだけど……」
顔が熱を持っているのを感じながら、ウィステリアを見る。
頭一つ分低いウィステリアが上目遣いで、俺を見上げる。
「……四歳の時に婚約したので、婚約指輪を頂けるとは思っていなかったので、本当に嬉しいです。リオン様、私に着けて頂けますか?」
花が綻ぶように綺麗な微笑みを浮かべ、ウィステリアが俺に告げる。
「うん、もちろん。俺の指にも後で着けてね」
頷いて、ウィステリアの白く綺麗な左手を取り、薬指に婚約指輪を嵌める。
結婚指輪ではないけれど、婚約指輪だけで、ウィステリアは俺の婚約者で最愛だと改めて愛おしく感じる。
「リア、似合ってて良かった。嬉しい」
「リオン様にも着けさせて下さい」
ウィステリアが俺の婚約指輪を箱から取り出し、俺の左手を取る。
ウィステリアとは対称的な剣だこだらけの俺の手を取られ、内心、ドキリとする。薬指にそっと指輪を嵌められる。婚約指輪に違和感がなく、そこに最初からあったような感覚を感じながら、ウィステリアを見る。
「またリオン様とお揃いが出来て、嬉しいです」
本当に嬉しそうに微笑むウィステリアを、俺はそっと抱き締める。
「俺も、嬉しいよ」
「結婚指輪も、お揃いにしますからね。リオン様」
腕を俺の背中に回して、ウィステリアは囁いた。
「それは楽しみだね」
笑い合って、ささやかな幸せを感じる。
次の日、また面倒臭いことが起きるが、この時の俺は気付かなかった。
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