第64話 第二王子と悪役令嬢とヒロイン
休んでいる間、王城の南館で試験のための勉強会をウィステリア達とした。
おかげで、授業の遅れは取り戻せた。
微熱もなくなり、私室で寝込んだことでガチガチになった身体の柔軟体操をし、準備をしつつ体調を整えた俺は魔法学園に登校出来るようになった。
登校してすぐ、魔力の覚醒で王子力が上がってしまったらしい俺は、馬車から降り、ウィステリアと校舎内に入るなり悲鳴が上がり、何人かの貴族の令嬢が興奮して倒れるという謎のことが起きた。
……本当に仮面を考えた方が良いかもしれない。
ちょうど久々の登校した日が試験の日だったようで、そのまま筆記試験を受けた。
授業内容そのままだったので、多分、大丈夫だと思う。
次の日は実技試験で、俺が以前予測した自分の属性の魔法をどのくらいの種類を放てるか、魔法の命中精度の確認、詠唱速度だった。
山を掛けていたおかげで、魔法が苦手だというアルパイン、イェーナ、アッシュに終わった後にお礼を言われた。
そして、一週間後に試験の結果が発表された。
広い廊下の掲示板のところに、一年の筆記と実技試験の総合結果が貼り出され、生徒達がわらわらと集合して、自分の結果を見ている。
俺達も確認しようと思ったが、生徒達が集合していたので、後方から見る。
「ヴァル、見えたか?」
「いや、流石に後方過ぎて見えないね。ディルは見えた?」
神の俺と魂が一つになったことで、神の目や耳もあるのだが、残念なことに俺はまだ使えない。
使うと、多分、身体が慣れてないから、また高熱を出して寝込む。
寝込んだばかりなので、もう少し先にした方がいい気がする。周囲の人達がまた心配する。
「俺も見えないわ。やっぱり待つしかないか」
ディジェムが溜め息混じりに呟くと、すぐ目の前にいた隣のクラスの女子生徒が俺達に気付いた。
「ヴァーミリオン殿下にディジェム公子……!」
悲鳴に近い黄色い声で、俺とディジェムを見た女子生徒がぷるぷる震えている。
あ、ヤバイ。これ、前世でちらりと本で読んだ、とある人の海割りのヤツになる。あれは人じゃなくて海だけど。
「あ、割れた」
同じことをディジェムも思っていたのか、口に出した。
俺達の目の前で、様々な髪の色の人だかりが左と右に割れて、掲示板までの道が出来上がる。
「……俺達、海割りレベル?」
「第二王子と第三公子だからね……」
「まぁ、それぞれの国のトップの一族だもんな。割れて開いた道を通らなきゃ、駄目か?」
「通りたくはないよね。目立ちたくないし」
本心からの言葉を言うと、ディジェムから何を言ってるんだと言いたげな目を俺に向けられた。
「ヴァルの容姿で、目立ちたくないって言われると鏡を見ようなって言いたくなる。まぁ、ヴァルの容姿、綺麗だし、そこらの貴族令嬢じゃ勝ち目ないし。俺の最愛はフェリアだけど」
「……ディルにもそっくりそのままお返しするよ。俺は女顔だけど、君は綺麗な整った容姿で男性の色香が漂ってるし。俺の最愛はウィスティだけど」
「……語彙が凄いんだけど。俺を褒めても何も出ないって」
「それはこっちも一緒。とりあえず、見に行く? ウィスティ、オフィ嬢、皆」
ウィステリア達に声を掛けると、皆、良い笑顔で頷いた。その笑顔の意味が分からない。
気を取り直して、ぞろぞろと皆で掲示板を見る。
約百名いる一年生の順位を後ろから見ようとする。
「どう考えても、あの実力でヴァル様が下位な訳ないでしょう」
とヴォルテールに突っ込まれ、仕方なく真ん中から見ようとすると、
「……せめて、上位から見て下さい、ヴァル様」
グレイからも突っ込まれた。
仕方なく、上から見ると、すぐに名前があった。
そのすぐ下には愛しの婚約者の名前があった。
「あー……」
溜め息と安堵の息、両方が俺の口から漏れた。
「ヴァル様、一位ですね! しかも、全科目満点!
実技も満点! 凄いです!」
目を輝かせて、我が事のようにウィステリアが俺を見つめる。
「そういうウィスティも二位だね。おめでとう」
しかも、筆記と実技合わせて十点差。彼女も凄いなと微笑んでいると、周りの友人達の顔が赤くなった。
「三位がオフィ嬢で、四位がディル、五位がヴォルテール……って、皆で上位独占してるね」
続きは六位がピオニー、七位がイェーナ、八位がアッシュ、九位がリリー、十位がアルパイン、十一位がグレイだった。
「ヴァル様のおかげです。ありがとうございます。ヴァル様の教え方が分かりやすくて、この順位になれました。下位だったら、母に何と言われるか、怖ろしくて……。本当にありがとうございます」
真っ青な顔で、グレイが俺にお礼を言う。その隣でアルパインとイェーナ、アッシュが頷いている。それより、グレイの母のカナリーさん、そんなに怖いのか……。
「俺も、マジでありがとう、ヴァル。本当に五位以内に入れて良かった。そうじゃなかったら、公国に強制送還されるところだった」
「そんなに筆記が苦手なの?」
「書類仕事は出来るが、勉強が苦手なんだよ、フェリア」
「それは駄目でしょ、ディジェ君」
ディジェムとオフェリアの話を聞き、ついうんうんと俺も頷く。
「勉強が国の書類仕事とかに役立つのはもちろん知ってるさ。苦手だけど、少しずつ克服してる最中なんだって。一応、俺も卒業後は公国の領地を下賜されるみたいだし」
「前にも話したけど、お互い近くだといいね。交易したいよね」
「本当にな。そのためにも勉強頑張らないとなぁ……」
結果も分かったし、ずっと前に居続けるのも申し訳ないので、話しながら掲示板から離れると、ざわざわと騒ぐ声が大きくなった。
ちらりと見ると、チェルシー・ダフニーが掲示板に近付いていた。
ウィステリアの肩を抱いて、守るように近寄らせる。ディジェムも守るようにオフェリアの腰に手を回す。
この中で、ウィステリア、ディジェム、オフェリア以外に、全ての事情を知っているグレイも俺の背後に回る。
「グレイ。アレがもしこちらに近付いて来たら、ウィスティを頼むよ」
「分かりました、ヴァル様」
小声で伝えると、グレイが頷いた。
離れながら、掲示板付近の様子を窺う。
チェルシー・ダフニーは掲示板を上位から見始め、下位のところで名前を発見したようだった。
ショックだったのか、身体を震わせている。
「どうして……秘密の店で、答えを買ったのに……」
チェルシー・ダフニーが小さく呟く声が、聞こえた。神の耳、使うつもりがなかったのに、使ったのだろうか。
「秘密の店、ねぇ……」
「あら、ヴァル君も聞こえた?」
俺が呟くとオフェリアが驚いた顔をした。
オフェリアの言葉に、ウィステリアとディジェムが俺と彼女を見る。
「オフィ嬢も聞こえたんだ。ウィスティ達は?」
「私は何も聞こえませんでしたが、どうして、ヴァル様とオフィ様はチェルシーさんの声が聞こえたのですか?」
「聖属性の特性で、悪しき感情が混ざった声が聞こえやすいのよ。聞こえる範囲は魔力の高さに依るのだけど。もしかして、ヴァル君、聖属性持ち?」
首を傾げながら、オフェリアが俺に問い掛ける。
念の為、俺と友人達だけ、防音の結界を張っておく。
聖属性の特性って何だろう。魔法の師匠のセレスティアル伯爵からはその話を聞いたことがない。
セレスティアル伯爵は聖属性ではないし、聖属性持ち自体が少ないから、知られていないのかもしれない。
聖の精霊王の月白は知ってるだろうから、今度聞いておこう。
「あれ、言ってなかったっけ? 俺、全属性持ち」
皆には伝えたつもりでいたが、そういえば最近色々あり過ぎて言ってなかったなと思い出して、告げる。
ついでに神だけが持つ属性――滅も持ってます。
閉ざされた世界から魂の一部が戻り、一つになったディジェムも持ってるはずだから、今度伝えないといけないけど。
さらりと言ったのがいけなかったのか、俺と紫紺を通して知っているグレイ以外の友人達全員が固まった。
「ええっ?! ヴァル様、その話は僕達知らないですよ!?」
ヴォルテールが驚いた声で、俺を見る。隣でアルパインがうんうんと頷いている。
「ヴォルテール、セレスティアル伯爵から聞いてない? 俺も彼から聞いて知ったんだけど」
「聞いてませんよ?! 父に抗議したいところですが、絶対、護衛なのに気付かない僕が悪いって言うんでしょうけどねっ。父のことですから」
「ごめん、言ったつもりでいたよ」
「いえ。思えば、さらりと全ての属性の魔法を使いこなしていらっしゃったのは、そういうことだったんですね……。属性の擬態をしていらっしゃるのも」
「君のお父さんが面白半分で、全属性の魔法を教えてみたら、さらりと使えたから俺が全属性持ちって分かったみたいだよ。とりあえず、ごめんけど、他の人には内緒でお願いするよ」
苦笑しながら伝えると、ヴォルテールが盛大に溜め息を吐いた。何だか、申し訳なくなった。
「ヴァル様の衝撃なことはとりあえず、置かせて頂きますわ。あの、オフィ様。確認ですが、もしかしてオフィ様はアクア王国のオフェリア王女殿下ですか?」
イェーナが扇を広げて、オフェリアに尋ねる。
俺、ウィステリア、ディジェム以外の友人達が驚いた表情で、オフェリアを見つめる。
「もしかしなくても、そうよ。黙っててごめんなさい。でも、もうアクア王国には戻る気はないから、もう王女でも、青の聖女でもないわ。今はディジェ君の側近の妹で、婚約者だから」
オフェリアも苦笑しながら伝えると、イェーナは穏やかに微笑んだ。
「謝らないで下さいませ。むしろ、このようなところで聞くべきことではありませんでしたわ。非礼をお詫び致します」
「大丈夫。ヴァル君がさっきしれっと防音の結界を張ってくれたから、他の人には聞こえてない。今なら皆も秘密を言いたい放題よ?」
にっこりとオフェリアが告げると、イェーナも微笑んで頭を下げた。
「秘密を言うなら、こんなところじゃなくて、王族専用の個室でしない? 他にもあれば、だけど」
俺がそう提案すると、ウィステリア、ディジェム、オフェリア、グレイがこちらを見る。
秘密が多いのは俺だろ、と言いたげな目だ。
まぁ、そうなんですが。
「……ヴァル殿下、秘密があるなら、さらっと吐いた方が楽だと思います」
リリーがじっと俺を見る。
「リリー!? 言い方! 言い方が不敬だから! ロータス兄様がいるとしても、ドラジェ伯爵家が潰れちゃう。ヴァル殿下、申し訳ありません。妹には兄と共にきつく言っておきますから」
ピオニーが慌てて、リリーの前に立ち、ぺこりと頭を下げる。
「いや、いいよ。不敬じゃないよ。気にしてない。確かに、秘密があり過ぎて、そろそろ吐かないといけないよなぁとは思っていたから。皆の時間があれば、今から吐くけど、聞く?」
そう告げると、付き合いの長いアルパイン、ヴォルテール、イェーナが固まる。
聞いてはいけないものではないのかと言いたげだ。
ピオニー、リリー、アッシュは判断に迷っている。
「ちなみに、俺の秘密は国王陛下方も知らない。けど、友人と思ってる皆には知って欲しいと思ってる。ウィスティやディル、オフィ嬢は知ってる。グレイとこの場にいないシスルとロータスは別の事情関連で知ることになったけど」
「そ、それは、もう少し、心の準備をしてからでもいいですか、ヴァル様」
アルパインが代表して俺に告げると、ヴォルテール、イェーナ、ピオニー、リリー、アッシュが頷いている。
「もちろん。いつでもいいよ。心の準備が出来たら言って」
そう言うと、アルパイン達はあからさまに安堵の息を漏らした。本当に申し訳ない。
「それで、話は戻るが、秘密の店って何のことだ?」
ディジェムが俺とオフェリアを見て、問い掛ける。
「さっき、チェルシー・ダフニーが呟いたのが聞こえたんだ。その時に、秘密の店で答えを買ったって聞こえてね」
その秘密の店っていうのが何なのか分からないが、要は如何わしい店で、筆記試験のカンニングペーパーを買ったということだろう。
そして、俺は知らないけど、ゲームで秘密の店はきっと出て来たに違いない。
「成程? その秘密の店とやらで試験の答えが書かれた用紙を買って使ったけど、順位は最下位ってことか」
「ディル。チェルシー・ダフニーって最下位だったのか?」
「ああ。一応、掲示板で確認した。何か言われた時に、反論とか出来るようにさ」
カンニングペーパー使って、最下位はどれだけなんだ? 答えが一つずつズレて書いてしまったのだろうか。それとも……。
「……ちょっと裏が分かったから、最下位は納得したよ。秘密の店とやらで答えが書かれた用紙を買って、使うと漏れなく最下位みたいだね」
「ヴァル様、それって……」
ウィステリアも俺と同じ答えに辿り着いたようで、こちらを見上げる。
アルパインが不思議そうに俺を見ているので、答えを伝える。
「そう。ウィスティが思い至ったことで合ってると思うよ。秘密の店とやらで答えが書かれた用紙はわざと正答ではない、誤答が書かれている。それを書くと漏れなく最下位。ふるいに掛けられたね」
「ふるいに掛けられたって何故ですか?」
アルパインが首を傾げながら、聞く。
「ここの生徒はもしかしたら、王城や各要所で文官あるいは騎士、魔術師、役職持ちになる可能性がある。その時に、悪意に染まって不正をする可能性も出て来る。それが、基からなのか、周りの影響で染まったのか、それは雇用した側は分からない。だから、魔法学園で実力ではなく、予め答えを用意してそのまま書くと、王城や各要所で言うとまぁ、不正に当たるよね? しかも、購入してる。賄賂だよね?」
そう伝えると、ディジェム達は嫌そうな顔をする。
「まぁ、戦場ならアリだと思うけどね。情報戦として相手を出し抜く面では。ただ、国を良くしていく点では、そんな連中は王城はもちろん、各要所にはいらない。そんな不穏分子を育てる土台にされても困るし、育って腐敗されても困る。国は傾くし、国民の生活も脅かされる。なので、優秀なのか、劣悪なのか、この魔法学園でどんな人物なのか、国王陛下達、重鎮に情報が行く。ふるいに掛けてるんだろうね。そして、王族の俺もふるいに掛けられてる。国を任せられるのか、使えるのか、はたまた凡愚なのか。つまりは将来の予行演習のようなものだね。残念な連中はそれ相応の場所に就職だね」
それが地獄なのか、天国なのか、それは魔法学園での振る舞い次第。
「エグいな、フィエスタ魔法学園……」
ディジェムがぽつりと呟く。友人達の顔が心做しか少し青い。
「まぁ、初代国王とタンジェリン学園長が作った学園だからね」
父になるはずだった人と、伯母になるはずだった人で、どちらも敵に回すと怖いし、目を付けられたら最後、それ相応の仕返しが来る。その仕返しも倍どころか十倍、百倍は返ってくる。
「ヴァル様、この内容を知っている方はいらっしゃいますの?」
「生徒ではいないと思うよ、イェーナ嬢。普通に学園生活をしていたなら、秘密の店という存在も知らないだろうし。俺も今知ったし、何処でどういう流れで知るかも分からない。だから、その秘密の店の存在を知り、利用した時点で注意、それを試験で書いたら警戒といったところだろうね。それを繰り返すと、もちろん重要なところでは働けないだろうね。第二王子だけど、王族としてはそんな臣下は願い下げだけどね」
まぁ、そんなの関係なく悪巧みを企てる、高位で大臣クラスの貴族はいるんだけど。セラドン侯爵とかホルテンシア伯爵とかフォギー侯爵とか。
「……ヴァルの話を聞いてると、うちの公国でも採用したい内容だよな。もし、許可を貰えたら、うちの公国でも使ってもいいか?」
「俺に聞くより、国王陛下とタンジェリン学園長に聞いた方がいいかと思うけど。俺が考えた訳でもないし」
「そうなんだけどな……。タンジェリン学園長は良いんだけど、カーディナル国王は途中でヴァルの自慢話になるからちょっと……。息子のヴァル本人に言うのもどうかと思うけどさ」
とっても言いにくそうにディジェムが呟くように告げる。本当に申し訳ない。
「あー……それは本当にごめん。陛下、何やってるんだろう……」
頭痛がする。溺愛なんていう言葉で表したくない。前回のこともまだ説教をしてないし、近々説教決定だな。怒る内容が増えていく。
盛大に溜め息を吐く。
と、その時だった。
「ヴァーミリオン王子!」
防音の結界越しにチェルシー・ダフニーが俺に背後から声を掛けてきた。
相手は魅了魔法を使えるのを知っていることもあり、友人達に緊張が走る。
「私に何か?」
感情の籠もっていない声で振り返り、防音の結界から出る。念の為、防音の結界はそのままにしておく。ついでに状態異常無効の結界も友人達の周囲に張っておく。
冷めた目になっているのが、自分でも分かる。
「あのぉ、試験、一位おめでとうございますぅ!」
間延びした、締まりのない声でチェルシー・ダフニーが目を輝かせて言ってくる。
「はぁ、どうも」
俺を祝うより、自分の心配をした方がいいと思うんだけど、と冷めた目で見る。完全に他人事だが。
「あのぉ、ヴァーミリオン王子! ヴァーミリオン王子のこと、愛称で呼んでもいいですかぁ?」
……は?
思わず、不快な声が出そうだったのをとりあえず抑え、聞き返す。
「……何故、仲良くもないのに私を愛称で呼ぶ必要がある?」
「え? だって、あたしがヴァーミリオン王子のことが好きだからに決まってるからじゃないですかぁ!」
「は?」
防音の結界内で、ディジェムが嫌悪感を含んだ声でチェルシー・ダフニーを見ている。が、防音の結界の影響で、チェルシー・ダフニーには聞こえていないようだ。
「私は興味がない。愛称で呼ぶことは許可しない。迷惑だ」
氷点下になりそうなくらいの、自分でも驚くくらいの低い声で拒否する。
「恥ずかしがらなくても、大丈夫ですよぉ? だって、ヴァーミリオン王子もあたしのことを好きになるんですからぁ!」
いや、何故そうなる? どういう根拠で俺が好きになると思ってる? 魅了魔法を掛けるつもりか?
疑問符が俺の頭の中で飛び交う。
「だから、先に愛称で呼びますね? えっとぉ、ヴァーミって呼んでも」
「――その名で呼ぶな。不快だ」
チェルシー・ダフニーの言葉を遮り、冷たく言い放つ。うっかり神の俺が出そうなくらいに、条件反射で言ってしまった。神だけが持つ属性の魔力が怒りで漏れていないか、確認する。出ていないようだ。
こいつの中に、元女神がいることを改めて感じ、不快になる。
ゲームのヒロインなら、第二王子の愛称はヴァーミではなく、ヴァーだった。それも嫌だが。
目の前のチェルシー・ダフニーは元女神が混ざっている、または中で助言されたということだろう。
「もう一度、言う。私を愛称で呼ぶことは許可しない。認めない。迷惑だ」
「ど、どうして、そんなひどいことを言うんですかぁ?! あたしだって、ヴァーミリオン王子と仲良くしたいだけなのに……!」
目を潤ませて、チェルシー・ダフニーが訴える。
魅了魔法を使わず、俺を攻略しようとしなければ、クラスメイトとして接することも考えた。
だが、守る対象である、最愛のウィステリアに対して、悪意を持った目で常に睨んで敵意を露わにして来た。その時点で、俺の中ではクラスメイトではなくなった。
「仲良くしたい? それならもう少し、接し方を考えることだ。ここは学園で、学ぶことは平等だが、身分は平等ではない。友人として接するにしても、仲良くもないのに突然、愛称で呼ばれて、仲良くなれると思うのか?」
むしろ怖過ぎて、王族抜きにしても俺ならそんな奴には近付かない。
「だって、あの女のせいで、ヴァーミリオン王子の近くに行けないから……っ!」
チェルシー・ダフニーが憎しみを持った目で、ウィステリアを睨み付けた。
防音の結界の中で、グレイが守るようにしてくれている後ろで、ウィステリアがびくりと身体を震わせる。
初めて、ヒロインから直接敵意を向けられ、ゲームで悪役令嬢にされたウィステリアが震えている。
オフェリアとイェーナ、ピオニー、リリーの女性陣がウィステリアをチェルシー・ダフニーから庇うように隠してくれる。
チェルシー・ダフニーの言葉に、俺の怒りが頂点に達しそうになる。
「――誰の、せいだと?」
低く、唸るような声で、チェルシー・ダフニーを見据える。
「ひっ」
小さく、チェルシー・ダフニーが悲鳴を上げる。
「あ、マズイ……!」
ディジェムが慌てる声が近くのはずなのに、やけに遠くから聞こえた。
「今、誰のせいだと言った、チェルシー・ダフニー!」
大声ではなく、静かに通る声でチェルシー・ダフニーに問う。
クラウ・ソラスとフラガラッハを喚びそうになるのを、僅かに残っている俺の理性が必死に止めている。
「ヴァル!」
「――お待ち下さい、ヴァーミリオン様」
ディジェムが叫ぶのと同時に、俺の前にロータスが現れ、左手を掴んで止める。彼の手が僅かに震えている。
「お怒りになるのは分かりますが、ここで力を使われますと、ヴァーミリオン様も咎められてしまいます」
必死に止めようとしてくれるロータスを見て、怒りを少し鎮めるように息を吐く。
「分かった、ロータス。ここでは、しない」
「ご配慮頂き、ありがとうございます」
「……チェルシー・ダフニー。また、私の婚約者を貶める言葉を言えば、次はないと思え」
鋭く睨み、冷たく言い放つと、チェルシー・ダフニーが小さく悲鳴を漏らし、ぺたりと廊下の床に座り込んだ。
それを放置して、震えるウィステリアに近付く。
「ウィスティ、大丈夫か?」
震える肩に触れ、ウィステリアの顔を覗き込む。
「……はい、ヴァル様……」
小さく、消え入るような声で、ウィステリアが力なく微笑む。
その微笑みに、胸が締め付けられる。
そして、後悔する。
チェルシー・ダフニーなんて、呼び止められても無視すれば良かった。
無視しておけば、ウィステリアがこんなに悲しませるような、辛い思いをさせるようなことにはならなかった。
判断を誤った。
チェルシー・ダフニーにもだが、自分にも怒りが沸く。
チェルシー・ダフニーの言葉が切っ掛けだが、俺もウィステリアを傷付けてしまった。
「皆、申し訳ないが、ウィスティと先に帰る。グレイ、レン達に伝えておいてもらえるか?」
「分かりました。お任せ下さい、ヴァル様」
一礼して、グレイは頷いた。
それを確認して、ウィステリアの肩を抱き、転移魔法で王城の南館の俺の部屋へ転移した。
王城の南館の俺の部屋へ転移し、ウィステリアをソファに座ってもらう。
彼女の前に跪き、手に触れて見上げた。
「……リア、ごめん。俺が不用意に、あいつの悪意ある言葉を貴女に聞かせてしまった。俺のせいだ、ごめん……」
「――リオン様のせいではありません。それに、リオン様は私のために怒って下さいました。守って下さいました。だから、そんな泣きそうな顔をなさらないで下さい」
「だが、俺が、あいつを無視すれば、リアが傷付くことには……」
「私は傷付いては、ないです。どちらかというと、怖かったのです。無邪気、と言っていいのか分かりませんが、平気でリオン様や私の心を傷付けるチェルシーさんが怖かったのです」
ウィステリアの手に触れている俺の手の上に、更に手を乗せて、優しく微笑む。
「リオン様は、私を全力で守って下さって、怒って下さって、私は嬉しかったです。ありがとうございます」
跪く俺をウィステリアが抱き締める。
いつも鼻に届く、花の香りが俺を包む。
いつもの俺からではなく、ウィステリアから抱き締められることに、戸惑う。
倒れた時以外なら、もしかして、初めてかも?
そんなことを不意に思う。嬉しくて、心の中で燻っている怒りが鎮まるのが分かる。
「だから、どうか、リオン様。私を守る一心で、私から離れようとしないで下さい。私はそうなってしまうのが嫌です」
「離れないよ。リアに触れないと、側にリアが居ないと、俺は生きられない……。貴女が居ないと無理だよ」
言いながら、俺を抱き締めてくれるウィステリアの背中に手を回す。
閉ざされた世界でも、今ここにいる世界でも、ウィステリアから離れた時の喪失感は強かった。
少し離れただけでも、辛かった。
前世でも、ウィステリアちゃんをテレビの画面で観るだけで、心が躍った。呪いのせいで、灰色に見えた自分の部屋が、世界が、色付いた。
そんな状態なのに、俺の方から彼女の側を離れる訳がない。有り得ない。
重い、この想いは、彼女に会う度に積み重なって、更に重くなっていく。
「だから、俺に、貴女を守らせて。今度こそ、俺の全力で守るから。ずっと、貴女の側に居ることを許して欲しい」
ウィステリアから離れて、縋るように、彼女に
閉ざされた世界では幾度も彼女を守れなかった。
あの喪失感を、ここでも味わいたくない。
ウィステリアを守れるなら、どんなことでもする。
「私は、リオン様が大好きです。私はリオン様が側に居て下さるだけで嬉しくて、幸せなんです。許してだなんて仰らないで下さい。私を守って下さるリオン様を、私も守りたいです」
慈愛に満ちた、綺麗な微笑みでウィステリアが告げる。
「リア……!」
思わず、立ち上がり、ウィステリアを抱き締める。
「ありがとう。リア、愛してるよ」
ウィステリアにしか見せない、極上の微笑みで言うと、彼女の顔が一気に真っ赤になった。
ウィステリアの顔を見て、やっと元の精神状態に戻った気がする。
「ふ……ふふっ」
口に手を当てながら、俺が笑うと、ウィステリアが口を膨らませた。
「リ、リオン様っ! そんなに笑わないで下さい」
「ごめん、あまりにもリアが可愛くて、愛しくて……。本当に可愛いよ、リア」
「……良かった。やっと、リオン様が笑って下さいました。怒っていらっしゃるリオン様も怖くて、でも格好良いのですけど、やっぱり、いつものリオン様が素敵で良いです」
優しく微笑むウィステリアの言葉に、じわじわと顔が赤くなっていくのが分かった。
口を手で覆い、そっぽを向く。
「……ありがとう」
すぐ言葉が出なくて、それしか言えなかった。
それでも、他愛ない、こういった遣り取りだけで、心が満たされる。
だから、それを邪魔するなら、チェルシー・ダフニーも元女神も、母と呼びたくない女神も俺は許さない。
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