第62話 恋慕と拒絶

 現在、父から無理矢理(凄んで)、許可を(もぎ)取った母が、南館に居座っている。

 主に、俺の私室と寝室に。

 母親だからまぁいいんだが、これが未婚の女性だったら変な噂が立つ。婚約者でも。

 看病がやっと出来ると、母はやる気に満ちている。

 聞いた話によると、兄は幼少の頃は発熱や体調を崩したりしていたそうで、母はよく看病をしていたそうだ。

 弟の俺は健康優良児の如く、体調を崩すことをほとんどしなかったので、看病出来ずにいたらしい。

 まぁ、俺の場合、体調を崩しても、前世の呪いの方がキツかったこともあり、体調を崩していることに気付かなかったり、体調を崩したことを南館以外には流れないようにしていた伝説の召喚獣と側近、侍女がいたので、母は知らなかった。

 ……過保護な伝説の召喚獣と側近、侍女様々だ。

 が、そのツケが回って来たのか、十五歳になって母に看病してもらう羽目になってしまった。

 しかも、母と共に何故か、将来の俺の妻もいる。

 え? 嫁? 嫁とは言わない。言えない。

 前世で姉から、「嫁だからって、家にずっと女が居ると思ってる? 一般家庭で専業主婦で生活出来るか。仕事するわ。生活費が足らない。家事分担は当たり前よ! こっちも働いているんだから。だから、女へんに家と書く嫁なんて言うようなヤツと結婚なんて願い下げよ。嫁じゃなく、言うなら妻よ。奥さんも嫁と同義語よ。家の奥に引っ込んでいられるのは、お姫様かお金持ちのご令嬢くらいよ。貴方も覚えておきなさいっ! ついでに、多様性を受け入れられないと、時代に遅れるわよ」と彼氏と別れる度に、既に時代に遅れまくっている寝たきりの俺に絡んでいた。

 ちなみに、姉はお酒を飲んでいない。

 素面でこれだ。

 そういえば、奥さんって言葉を何度か考えてしまったことがあるなぁ……と思い出す。口には出してないはず。ここに姉はいないけど、気を付けよう。

 そんな姉から、あくまで姉の考える、女性について、色々考えていることを散々聞かされていた俺は、男性でも女性でもそれぞれの得意分野で働いたらいいんじゃないかと思っている。

 適材適所だ。

 ミモザもシャモアも侍女の格好をしているが、騎士顔負けの剣技も使えるし、魔法も宮廷魔術師顔負けの魔法を使う。

 俺もヘリオトロープ公爵も、そこまでミモザとシャモアに強くなってもらおうとかは考えてなく、二人の自主性に任せたら、こうなっていた。

 それで、見る目を変えたりはしないが。

 それはさておき、目の前の光景を見つめて、俺はとりあえず笑顔を貼り付けながら、思考は前述の通りのことを考えていた。

 母と将来の妻……ごほん。愛しの婚約者は恋バナに花を咲かせている。

 母と婚約者が仲が良いのは良いことだ。

 結婚後の関係とか良好だと、頼ったり、頼られたりしやすいし。

 ただ、その恋バナを何故、俺の前でするかな?

 未だに熱が下がらない、けど、ベッドで寝る程ではないので、私室で書類仕事……と思っていたら、母と婚約者に捕まり、テーブルを挟んで、紅茶を飲みながら恋バナ……それも、母の甘酸っぱいかは知らないが、魔法学園時代の話を聞かないといけないんだ。しかも、俺はその話を十二歳の頃から聞いている。何度も。


「……ヴァル。貴方、ウィスティ嬢に無茶なお願いをしていないかしら?」


 母は心配そうに、俺とウィステリアを見る。

 いや、それ、息子に酷くない?

 子供の頃からウィステリアの嫌がること、不埒なことを俺はしないと決めている。

 確かに父の息子だが、貴女の夫よりはマシだと思ってますよ?!


「……私はウィスティに無茶なお願いをした記憶はありませんが、ご不安でしたらウィスティにも聞いてみて下さい」


 静かにティーカップに口を付け、紅茶を飲む。

 母はじっとウィステリアに答えを求める。


「ヴァ、ヴァル様はちゃんと私の話を聞いて下さいますし、尊重して下さってます。無茶なお願いもなさいません。その、私のことを大事にして下さいますし、待って下さるので……」


 穏やかな笑みを浮かべ、ウィステリアが答える。

 ここに母がいなければ、ウィステリアを抱き締めているところだ。

 もう、可愛くて、惚れ直す……! いや、また惚れる……!


「そう。ヴァルは我慢強い子ね……。何処かの誰かさんとは大違い」


 母が扇を広げ、ジロリと俺の私室の廊下へと通じる扉を見つめる。


「いや、シエナ。あれはその……」


 扉の先で父がおろおろしている。魔力感知に反応していたから知っていたが、しっかり父は母とウィステリアの恋バナを聞いていたようだ。


「それで、陛下は何のご用事で南館にわざわざいらしたのです? ヴァルが負わされた陛下の書類はクラーレットに伝えて、陛下の元に回しましたが?」 


 圧のある笑顔で、母が父に言う。

 言外で、仕事終わってないのに来たのか? と問うている。怖い。


「あの、いや、仕事は終わったし、ヴァルの体調も気になるし、シエナが南館にいるし……」


 そんなに早く仕事が終わるなら、いつもそうして欲しい。ちなみに、ヘリオトロープ公爵が俺と同じことを考えているような顔で、父の後ろに立っている。

 母がちらりとヘリオトロープ公爵に目配せすると、彼は頷いた。本当に仕事を終わらせたようだ。


「わたくしはヴァルの看病をしています。ウィスティ嬢もヴァルが心配で来てくれたので、体調が少し落ち着いたヴァルと共にお茶をしているのですけれど、わたくしがいるから何なのです?」


 尚も圧のある笑顔を父に向け、母は言外で息子の心配は二の次で、母の心配かと見ている。


「いや、ヴァルの体調も気になるって、俺は言ったぞ、シエナ。そろそろ、俺と一緒にいて欲しいんだけど……」


 おろおろしつつ、いい歳の、しかも、国王陛下が左右の人差し指をちょんちょんしている。

 その仕草に、子供か! とツッコミそうなのをぐっと留める。

 ウィステリアと共に空気になるように念じつつ、両親の遣り取りを見守る。


「陛下は、当事者のわたくしには内緒で、三年もあることを進めていらっしゃいました。ですので、わたくしも当事者のヴァルと共に動くつもりです。異論は認めませんわ」


 母が笑顔と共に、広げていた扇を力強く畳む。

 バチンと乾いた音が響く。

 流石に俺の婚約者とはいえ、ウィステリアの前で、フォギー侯爵に狙われていたとは言えないので、「あること」と言葉を濁して母が言う。

 怒りはあるようだが、冷静に周りを見ている。

 王妃は凄いな。


『……リオンは王妃にも似ているな』


 静かに俺の右肩に乗っている紅が念話で呟く。


『まぁ、親子だしね。家族の中で、母が一緒にいる時間が多かったし。顔も似ているから、余計にそうなんじゃない?』


 母が確かに一緒にいる時間が多かったが、それでも、他の貴族の家と比べると少ない。王家だから仕方がないが。

 紅やハイドレンジア、ミモザのおかげで、寂しくはなかったし、前世の記憶で精神年齢も上がったことで問題はなかった。

 前世の記憶がなかったら、ゲームの第二王子まっしぐらだったと思う。

 おっと。再び、思考の海に浸かりそうになった。

 まだ言い合っている両親を静かに見つめ、静かに気付かれないように嘆息する。

 まぁ、両親は所謂、冷戦のような夫婦喧嘩一歩手前の状態で、息子の俺が止めてもいいけど、そうなると母としては不完全燃焼で、しばらく燻る気がするので、吐き出したらいいのではとそのままにしている。

 ウィステリアもそう感じたのか、俺の隣で静かにしている。

 ただ、だんだんマズイ方向に二人の話が向かっている。


「シエナ、確かに俺は君に黙っていた。それは君のことを思って……」


「……陛下は、どうやらわたくしのことを信じて下さらないようですので、このまま――」


「――母上、父上。これ以上、本音ではないお言葉を並べて言い合われるのでしたら、どうなるか知りませんよ」


 静かに、敢えて窘めるような声音で、両親に指摘する。


「言葉を、本音ではない言葉を声に出して告げるだけで、本音ではなくとも、相手には真実として刺さります。後でいくら訂正しても、最初の言葉が重くなるだけです。お二人が仲違いされたいのでしたら、私も止めません。ですが、そうでなければ、ちゃんと本音をお互いに口にされることをお勧めします」


 そう両親に告げて立ち上がり、ウィステリアの手を取って立たせる。彼女と共に、ヘリオトロープ公爵が待つ廊下へと通じる扉へ向かい、振り返る。


「しばらく、お二人でちゃんと話し合って下さい。ただし、私の部屋であるまじきことはなさらないで下さいね? されるのでしたら、お二人の部屋でなさって下さい」


 冷ややかな笑みで告げると、父が何度も頷いた。

 息子にビビるなよ。






 私室を両親に提供したことで、ゆっくり休めなくなった俺はウィステリアと紅、ヘリオトロープ公爵と共に南館の応接室に移動した。


「申し訳ございません、ヴァル。グラナートを止めることが出来ず……」


「いえ、むしろ、両親がご迷惑をお掛けしてすみません。ウィスティもごめんね。お二人には両親の恥ずかしいところを見せてしまいました」


 溜め息混じりに謝ると、ヘリオトロープ公爵が苦笑した。


「あの、ヴァル様、お気になさらないで下さい。両陛下はお互いに想い合っていらっしゃることで、言い合われてるのですから。私も、ヴァル様とお二人のようになっていきたいです……」


 恥じらいながら、ウィステリアが呟くように言った。

 可愛い。本当にヘリオトロープ公爵がいなかったら、抱き締めているところだ。

 人前でも平気でする父のようなことは、ヘリオトロープ公爵の前ではしませんが! ちくしょう!


「王妃陛下の溜まった鬱憤を発散させてあげたかったのですが、まさか、変な方向に行くとは思いませんでした」


「そうですね。グラナートが黙っていたことが悪いので仕方がないですが、体調の悪いヴァルの部屋で言い合わなくてもと思いますよ。ただ、二人をよく止めて下さいました」


「あれは止めないと、売り言葉に買い言葉で、離婚案件ですよ。流石に国王夫妻の離婚は国内外で混乱します」


 しかも、理由が王妃に横恋慕した侯爵から守るために、国王が三年間ずっと守っていたことを黙っていたことが切っ掛けって、ゴシップネタにも程がある。

 そういう話も、新聞も、庶民の耳に入るのは早い。

 火消しが大変だし、面倒になる。

 国王夫妻の離婚以上のネタになるモノを作ればいいが、まずない。

 俺自身のことをネタにしたら消せるが、そんな捨て身なことはしない。愚策もいいところだ。


「……息子としても、両親が仲違いして、離婚は精神的に来るものがあるので、止めますよ。お互い憎しみ合ってとか、暴力とかがあってという訳ではないのでしたら、余計に。想い合っているのは見てますし、知っているので」


「……本当に、ヴァルの方が大人ですね。私達の半分以下しか生きていないのに」


 盛大な溜め息を吐いて、ヘリオトロープ公爵は眉間を揉む。

 前世の年齢も入れたら、そんなに歳変わりませんよ、ヘリオトロープ公爵。とは言えないので、苦笑に留めた。


「それはさておき。体調は如何ですか?」


「微熱が続いているだけですよ。魔力過多症は治りましたが、魔力が上がったので、身体がなかなか慣れないようです。明日のヘリオトロープ公爵家のパーティー、急遽、欠席となる形になってしまってすみません……」


「いえ、体調が悪いのですから、仕方のないことです。今、無理をする必要はありませんよ」


「今日のシャトルーズ侯爵家のパーティーにも行きたかったのですが、残念です」


 苦笑混じりに告げると、ウィステリアとヘリオトロープ公爵が身を案じるように俺を見る。

 ウィステリアも婚約者の俺の看病をするからということで、イェーナの家のパーティーを欠席することになった。

 ウィステリアとは恋仲だけど、外でも仲睦まじいアピールをしておかないと変な噂をする者達が増えるし、側室にとか言い始める者もいる。本当に面倒臭いことこの上ない。


「このような状態ですが、フォギー侯爵は捕らえます。今回はエクリュシオ子爵達や私の召喚獣達に任せる形になりますが……」


 本当なら、俺がさくっと捕らえたいところだが、今回は完全に足手まといでしかない。

 ハイドレンジア達は微熱続きの俺がいると気が散るだろうし、捕らえるどころではない。

 囮として大人しくしておくのが得策だ。

 多分、今日か明日、どちらかにフォギー侯爵は来るだろうから。

 そのための噂は、パーシモン教団の教会辺りにロータスにお願いして撒いた。

 ヒロインと元女神が動けない間に、駒になり得るフォギー侯爵を捕らえた方がいい。


「……本当に大人しくしておいて下さいよ、ヴァル」


 苦笑いを浮かべ、ヘリオトロープ公爵が言った。

 あまり信用してない表情だ。

 納得行かない。

 俺とヘリオトロープ公爵の遣り取りを見て、ウィステリアがくすくす小さく笑っていた。










 ヘリオトロープ公爵は中央棟に、ウィステリアは王都の公爵邸へ帰り、もうそろそろ仲直りしているだろうと思い、紅と私室に戻る。

 自分の部屋なのだが、両親がいかがわしいことをしているところを目撃したくないので、仕方なく扉を叩く。

 していたら、説教をするが。

 扉を叩く音に驚いたらしい、両親がバタバタと慌てる物音が響く。

 これは、説教決定なのか。

 扉を叩いたし、その前にちゃんと釘を刺しておいた。父の頭はやっぱり残念なのか。

 扉を勢い良く開けると、ソファで父が母を押し倒していた。


「……父上」


 いつもより低い声で、父の名を呼ぶ。

 心做しか、周囲の空気が冷たい。


「ヴァ、ヴァル、これには訳が……!」


 慌てた声で、母から離れて父が弁明しようとする。

 母は真っ赤な顔をしている。

 それだけで察した。察せない方がおかしい。


「……先程、あるまじきことをなさらないで下さいと私は言いましたが。されるのでしたら、お二人の部屋でなさって下さいとも言いましたが。息子の部屋でなさるのは、背徳感があって楽しいですか?」


 腕を組んで笑顔で告げると、父の口からひえっと小さな悲鳴が漏れた。


「いや、あの、ヴァル……」


「簡潔に聞きます。されたのですか? されなかったのですか? される寸前だったのですか?」


 何で、息子の俺がこんなこと聞かないといけないんだ。答えによっては幻滅するが。


「寸前、でした……」


 観念したように父が小さく呟いた。


「でしたら、どうぞ、ご自身の部屋でなさって下さい。転移魔法で送りましょうか?」


 笑顔で告げると、父が慌てた。


「ま、待て、ヴァル。こんな状態の俺が言うのもおかしいが、体調が悪い状態のヴァルに送ってもらうのは……」


「でしたら、私の忠告を聞いて欲しかったですね。仲直りをして欲しかったので離れましたが、こうなるなら離れずに見ておけば良かったですね」


 盛大に溜め息を吐き、父と母を冷めた目で見る。

 前世の記憶がない、思春期真っ盛りのワガママ第二王子だったら、怒りや戸惑いで喚いていただろうなと思う。

 その方が、両親も俺を宥めやすい。

 そうしないのは、俺なりの意趣返しだ。

 あれだけ忠告したのに。

 何か一言言おうとしたところで、ハイドレンジアがやって来た。


「我が君。やって来ました」


 そう告げると、両親から緊張が走る気配を感じた。

 溜め息を吐き、頭を切り替える。


「父上、母上。お説教は後程させて頂きます。侯爵に何か言いたいのであれば、一緒に行きますか?」


 そう聞くと、両親は頷いた。

 頷く両親を確認し、俺は無言で部屋から離れた。

 その後ろをハイドレンジアが続く。


「ヘリオトロープ公爵にはミモザが伝達しに向かいました。それより、我が君、大丈夫ですか?」


「正直、暴れたい気分だね。あと一言、二言で、うっかり相手の首を刎ねそうなくらい、精神的にまずい」


 両親が宜しくやってるのは別にいい。それを俺の部屋でやろうとしていること、夫婦喧嘩寸前で周りに迷惑を掛けているのに平気でやろうとしているのが腹が立つ。

 こちらはウィステリアに対して我慢しているし、敢えて忠告もしたのに、いい大人が何を考えているんだと言いたい。


「……我が君は南館で過ごされて良かったと思います。私が言うのもどうかと思いますが、両陛下の下で過ごされたら、多分、我が君が話された乙女ゲームの第二王子よりも酷いことになっていたかと思います。人は環境で変わりますから」


 後ろを歩く、両親には聞こえないくらいの声で、ハイドレンジアが俺に言う。


「否定はしないけど、俺の場合、途中で気付いて何処かに逃げていたと思うよ。とりあえず、このやり場のない苛立ちをどうにか昇華しないと、俺の精神衛生上宜しくない」


「その標的にされるフォギー侯爵には同情しますよ」


「自業自得だろ」


「そうですね」


『否定はしないが、辛辣な主従だな』


 呆れた声で、俺の相棒が念話で呟いた。










 南館の庭に着くと、フォギー侯爵が立っていた。

 ちらりと、周囲の木々にはヘリオトロープ公爵、シュヴァインフルト伯爵、セレスティアル伯爵、デリュージュ侯爵が騎士達と宮廷魔術師達と共に隠れている。バレないのか?


「ヴァーミリオン殿下! シエナ様!」


 俺と後ろの母を見るなり、フォギー侯爵が叫んだ。バレてないんだ……。

 近付いて来るフォギー侯爵と俺の間に、ヘリオトロープ公爵とハイドレンジアが入り、剣の柄を握る。俺の後ろでは父とデリュージュ侯爵が母を守るように立っている。


「近付かないで頂きましょうか。フォギー侯爵」


 ヘリオトロープ公爵の警告に、フォギー侯爵が眉を寄せる。


「クラーレット! 何故、グラナートをそのまま野放しにしているっ! グラナートはシエナ様とヴァーミリオン殿下を害する!」


「何を言っているのですか? グラナートが愛する妻であるシエナと、愛する息子であるヴァーミリオン殿下を害する意味が分かりませんが。誰にそのようなことを吹き込まれたのです?」


 ヘリオトロープ公爵も眉を寄せて、フォギー侯爵に言う。


「ある方から聞いた。近い内に、グラナートがシエナ様とヴァーミリオン殿下を追放され、窮地に立つと!」


 追放に窮地、ねぇ……。

 その言葉で、俺と紅、ハイドレンジアが眉を寄せる。フォギー侯爵に誰が吹き込んだのか、今の言葉で分かる。その前から、正体は知っていたが。

 元女神はヒロインの前世でプレイしたであろう、乙女ゲームの記憶を見たのだろうか。

 その乙女ゲームで追放と窮地に立ったのは、俺の推しのウィステリアちゃんだが。許すまじ。


「何故、お二人が追放されることになるのです? その理由は?」


 ヘリオトロープ公爵が問い返すと、フォギー侯爵が口籠る。

 その理由、聞いてなかったのか。


『元女神に騙されたな。あの侯爵は。リオンや王妃のことになると周りが見えなくなるようだな』


『あの侯爵、リオンが使ったティーカップって騙して商人が売ったら、絶対買うよ。きっと』


『そもそもの話、商人に俺が使用済みのティーカップを売ると思うのか?』


『だから、元女神なんかに騙されるんだよ、あの侯爵』


 辛辣に紅と蘇芳と共に念話で会話をする。

 だんだん、フォギー侯爵が惨めに見えてきた。


「それで、殿下が体調を崩されて倒れられたことを聞き、こちらに来たという訳ですか。折角、脱獄したのに」


 溜め息混じりにヘリオトロープ公爵が煽るように言うと、フォギー侯爵の顔が一気に赤くなった。


「で、殿下の臣下として、殿下を心配するのは当たり前だろう!」


「……陛下と王太子殿下夫妻を害そうとした時点で、臣下ではない。王位簒奪を企み、脱獄した犯罪者だ」


 ヘリオトロープ公爵とハイドレンジアの前に立ち、静かに冷たく突き放すように俺が告げると、フォギー侯爵の顔がショックを受けたように目を見開く。


「息子のアッシュは、確かに私の臣下として認めた。だが、その父親は私の臣下として認めていない。誰が認めた?」


 尚も冷たく言い放つと、フォギー侯爵の身体が強張る。


「……殿下が認めて下さらなくとも、私はシエナ様と貴方様を心配に思う気持ちは変わりません。グラナートがシエナ様と殿下を害そうとしているなら尚更……!」


『ふむ。万が一、国王がリオンを害するなら、我が消し炭にしてやるが……』


 念話でぼそりと紅が呟いた。

 物騒だな、俺の相棒……。


「……誰が、誰を、害すると言うのですか? もう一度、言いなさい。フォギー侯爵」


 今まで静かに聞いていた母が扇を強く手で叩きながら、前に出る。


「わたくしは、魔法学園の時から貴方に何度も、何度も言いましたわよね? わたくしの最愛はグラナート様であって、フォギー侯爵ではない。グラナート様の代わりはいない。自分の妻を蔑ろにし、大切にしようとしない者の元に誰が行くか。痴れ者が、と。何度言えば分かるのです? しかも、わたくしの息子のヴァーミリオンにまで、何をするつもりです?」


 母が俺そっくりの冷たい笑みで、フォギー侯爵を見据える。


『自分の妻にしようと考えていた、とは言えないよねー。あの侯爵』


 念話で蘇芳が呟く。

 両親が、いや、ここにいる人達が耳にしたら、フォギー侯爵の命、あるかなと他人事のように思う。

 問われたフォギー侯爵は、何も言わずに母と俺を見つめる。


「……シエナ様が私の婚約者だったら、ヴァーミリオン殿下が私の息子だったら、と何度思ったことか。何の努力もなく、王族だからとシエナ様を婚約者にし、ヴァーミリオン殿下の父になったグラナートが憎い……!」


 努力というか、こればっかりは運だったり、家柄だったり、政略だったりするから、難しいと思う。

 もし、フォギー侯爵が俺の父親なら、良好な親子関係はなかったと思う。

 アッシュや彼の姉を見ていたら、それが分かる。

 たらればで、無い物ねだりだ。


「夫や父親になれなくても、良き友人としていれば、シエナや殿下と違う関係で共にいられたでしょうに、何故、それを選ばなかったのか、私は不思議ですね」


 溜め息混じりに、ヘリオトロープ公爵が呟く。


「行き過ぎた恋情で、そんなことなど考えられなかったのだろう。だからといって、シエナもヴァーミリオンもお前になど渡すか。俺の大事な家族だ」


 母と俺を守るように父が前に立ち、フォギー侯爵を睨む。


「同級生だった誼だ。脱獄しても、王族はもちろん、国に対して何も仕掛けて来ずに、悪巧みも考えずに逃げた先で細々と暮らしていれば、こちらから何もするつもりはなかったが、わざわざヴァーミリオンの体調不良を聞きつけ、狙ってきた。その時点で、王族と国に対する反逆罪だ。分かっているよな、ダスク・サロー・フォギー」


「……お前からシエナ様とヴァーミリオン殿下を救うためだ。お前さえいなければ、お前さえ……!」


 父がいなかったら、俺は生まれてないんだけどなと遣り取りを見ながら思う。

 話は混じり合わないし、平行線を辿ってる。


「――でしたら、わたくしから引導を渡して差し上げますわ。フォギー侯爵」


 扇を広げ、母が一歩前に出る。


「わたくしは貴方が嫌いです。わたくしの大事なグラナート様、大事な息子達を狙う、貴方など誰が好きになると思って?」


 フォギー侯爵を睨むように見据え、母が言う。

 拒絶の言葉に、フォギー侯爵が震えている。


「シ、シエナ様……」


「何度でも言いますわ。わたくしは、貴方が嫌いです。二度と、わたくしとヴァーミリオンの前に現れないで下さいませ」


 母の拒絶に、フォギー侯爵は愕然とした表情で、がっくりとその場で項垂れた。

 何かしてくるかもしれないと身構えていたが、フォギー侯爵は地面に膝をつき、震えている。

 木々に隠れていたシュヴァインフルト伯爵と騎士達、セレスティアル伯爵と宮廷魔術師達がフォギー侯爵を囲んでいる。


『……リオン。まだ気を抜くなよ』


 紅の警戒の声に頷き、いつでも動けるようにフォギー侯爵の動きも含めて、周囲を見渡す。

 騎士が捕らえるため、フォギー侯爵に近付いた。

 その時だった。

 フォギー侯爵が近付いた騎士から剣を奪い、母目掛けて剣を振り下ろそうとする。

 すぐさま反応し、鞘から光の剣クラウ・ソラスを抜き、母の前に立ち、フォギー侯爵の剣を防ぐ。

 クラウ・ソラスの能力の一つ、能力上昇のおかげで病み上がりながら反応出来た。

 剣を防ぎ、弾き返すと、フォギー侯爵がよろめく。そこを見逃さず、フォギー侯爵の首元に剣先を向ける。


「――言ったはずだ。また私の家族や友人達に手を出すというなら、今度は容赦しない。そちらが手に掛けようとした瞬間、命が消えていると思え、と」


 低い声で、睨みながら告げると、俺の殺気に当てられたのか、フォギー侯爵が握っていた剣を落とし、がくがくと震え出す。

 シュヴァインフルト伯爵が落ちた剣を蹴り、そのままフォギー侯爵を拘束し、セレスティアル伯爵が自害出来ないように、魔法で出した猿ぐつわを口に付ける。

 そして、地下牢へ連れて行かれた。

 念の為、魔力感知で誰もいないこと、紅が問題ないと頷いたのを確認し、クラウ・ソラスを鞘に戻す。


「母上、お怪我は?」


「ないわ。ヴァルが守ってくれたから。ありがとう」


「良かったです」


 それだけを言って、離れようとするとハイドレンジアが慌ててこちらへ来た。


「レン? どうした?」


「我が君、少し失礼します」


 そう言って、ハイドレンジアが俺の額に触れる。

 ハイドレンジアの手がひんやりと冷たい。


「熱が上がっていますね。すぐお休み下さい」


 ハイドレンジアの言葉に、父が目を見開いてこちらに近付く。


「ヴァル、フォギー侯爵の尋問はちゃんとするし、今度こそ脱獄させない。今日は休め」


 父が心配そうな顔を覗かせ、俺を南館へと押し遣る。


「エクリュシオ子爵。息子を頼めるか?」


「もちろんです、陛下。すぐに休んで頂きます。御前を失礼致します」


 それだけ言って、ハイドレンジアはお辞儀をして、俺を連れて南館へと戻った。









 南館の俺の私室に戻るなり、ハイドレンジアはそのまま寝室の扉を開け、ベッドに座らせる。

 その間にも、察知したミモザが水差しとコップをお盆に乗せて持って来る。


「我が君、大丈夫ですか?」


「うん、熱が少しあるだけだから、大丈夫。他は特に異常はないと思う」


 熱でぼうっとするだけで、頭痛や悪寒はない。


「でしたら、悪化する前にお休み下さい。後のことは、紅様と確認しておきますから。ご不安でしたら、初代様方をお喚び頂ければ、こちらの守りは万全です」


 確かにハイドレンジア達の言う通り、月白達を喚べば問題ない。

 今更かもしれないが、ハイドレンジア達に心配を掛けてしまう。

 そこが心配だった。


「大丈夫ですよ、ヴァル様。私もお兄様もしっかりウィステリア様をお守り致します。安心して下さい」


 水が入ったコップを俺に差し出し、安心させるような笑顔でミモザが言う。


「……分かった。後を宜しく。何かあったら、寝ていても絶対起こして欲しい」


「もちろんです」


 ハイドレンジアが大きく頷くと、俺は水を飲むと限界だったのか、ベッドに横になると眠った。






 眠った夢で、俺は微熱の原因を知ることになる。

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