第42話 黒女神と王子

『初めまして。ヴァーミリオン』


 綺麗な笑みを浮かべ、女性が宙を浮いている。

 先程から感じている、今まで感じたことがない気配は、目の前のこの女性から発している。

 紅が目の前の女性に頭を垂れた。

 その姿に俺は目を見開いた。


『わたしは貴方達がよく話す、この世界を作った女神よ。宜しくね、ヴァーミリオン』


 紺色のドレスを身に纏い、しなやかに、上品にカーテシーを女性がすると、濡羽色の長い髪が一房、肩から流れる。

 微笑みを浮かべるその女性は母と、特に俺の顔に似ており、目の色は右目が銀色で、左目が金色で、俺の目と逆だった。

 唯一違うのは、髪の色だけだ。

 纏う気配が人間や紅達のような召喚獣、魔物、魔獣と違い、女神と言われて、納得する。

 気配も何もかもが、本当に違う。

 今までの誰よりも違う雰囲気に、自然と緊張してしまう。


『そんなに緊張しなくても、貴方を護りこそすれ、取って食べたりはしないわ』


 苦笑いを浮かべ、女神は言う。

 その笑い方も俺と何処となく似ていて、鏡と話している気分になる。あちらは女性だが。


「……護るとは、どういう意味です?」


『そのままよ。フェニックスから聞いているでしょう? 貴方はこの世界でヴァーミリオンとして生まれるはずだったけれど、わたしの助けで日本で生まれた。そのことを恨んだ者が前世の貴方をこの世界に戻らせるために呪った、と』


 確かに、紅と初めて会った時にそう聞いた。その時、初めて乙女ゲームの世界ではないと認識した。


「確かに、そう聞きました。何故、女神様が俺を護る必要があるのですか? 何故、俺が呪われないといけないのですか?」


『貴方を呪った者は、わたしの姉なの。あることで魔に堕ちた元女神。名をミストというのだけど、貴方の魂をずっと狙っているの。姉が貴方を呪ったのは、貴方の魂を手に入れようとした姉からわたしが護り、知り合いの神がいる日本に逃したから。魔に堕ちたことで、姉は日本までは行けないから、わたしが作った世界に戻らせるために呪いを掛けたの。世界の理の中にね、違う世界から呪いを掛けられると、今居る世界は異物として、それを排除し、呪いを掛けた世界へ吐き出す、というのがあるの。それを姉は狙ったの』


 悲しげに、申し訳なさそうに女神は告げる。

 宙に浮いていた女神はふわりと床に降り、俺の手に触れる。

 背も、俺と同じだった。


『ごめんなさい。姉に対抗するには、貴方を護るにはわたしが護るのが手っ取り早かったから。それでわたしの加護を生まれる時に貴方に与えたから、全属性持ちになり、魔力も高くなってしまったのだけど』


 女神が突然、俺の長年の疑問をさらっと解決した。

 加護、かぁ。

 何で全属性持ちで、魔力が高いのだろうとは思ったけど、加護かぁ。

 俺を護るために生まれる時に与えてもらったものなら、文句も何も言えない。

 加護がなかったら、あっさりその元女神に囚われてたかもしれないし。

 目の前の女神の言葉を、あっさり信じてしまっている自分に対しても不思議なのだが、この感覚はなんだろうか。


『姉が狙ったことで、貴方を巻き込んでしまったことが申し訳なくて、本当は早く伝えたかったのだけど、ちょっとお説教されてしまって……』


 この世界を作った女神をお説教って、誰がしたのだろう。


「お説教、ですか……。女神様にですか?」


『そうなの』


 困った表情を浮かべる女神は溜め息を吐く。

 仕種が俺に似ていて、不思議に思う。


『さっき、貴方はこの世界でヴァーミリオンとして生まれるはずだった、と言ったでしょう? 今ではなく、本当は五百年前に貴方はヴァーミリオンとして生まれるはずだったの』


 五百年前。女神のその言葉に、ある答えが浮かぶ。ちょっと聞きたくない。


「五百年前、ですか……」


『このカーディナル王国の初代国王夫妻の子供として、生まれるはずだったの。その初代国王夫妻にお説教されてたから、遅くなってしまったわ』


 どれだけ長いお説教なんだ、と思いつつ、確かに、自分の子供になるはずだった魂が元女神に狙われていると聞けば、親になる予定だったのだから、クレームの一つや二つ入れたくはなる。

 何だか壮大な話過ぎて、頭が痛い。目が回る。

 巻き込まれ体質かなと思ったことはあったけど、完全に巻き込まれ体質確定じゃないか。


「生まれるはずだった、というのは、俺は初代国王夫妻の子供として生まれなかったのですね」


 頭痛のおかげなのか、少し冷静になった気がする。

 握っていたクラウ・ソラスを腰に引っ掛ける。

 抜く必要はないと思ったからだ。


『ええ。貴方が生まれる前に、初代王妃の命を狙った者がいて、初代王妃を護るために貴方が毒と呪いを請け負ったの。貴方は覚えてないと思うけど。それで生まれる前に貴方は命を落とした。それを見ていた姉が魔に堕ちた』


 確かに覚えていない。覚えているのは前世の日本での出来事だけだ。その前のことは全く覚えていない。というより、生まれる前で自我もないわけなのだから、初代王妃の胎内の記憶なんてあるわけがない。


「……俺が狙われたのはそれがきっかけ、ですか?」


『そうだと思うわ。初代王妃のお腹の中にいた貴方の魂は聖の精霊王と光の精霊王から守護と祝福を与えられたためか、とても綺麗な色をしていたの。それに姉が焦がれてしまったようで、貴方をずっと見ていたそうよ。貴方を手に入れたかったみたいなの』


 聖の精霊王と光の精霊王から守護と祝福を与えられたって、初代国王夫妻の子供になる予定だった俺の魂、どんだけなの。

 そこで、ふと疑問が浮かんだので、女神に問うことにした。


「あの、聖の精霊王と光の精霊王から守護と祝福を与えられたって、今の俺もその守護と祝福があるままですか……?」


『ええ、そうよ。更に聖の精霊王と光の精霊王が代替わりをして、貴方が今の国王夫妻の子供として生まれる時にまた守護と祝福を与えたから、わたしの加護もプラスで増し増しだわ』


 にっこりと女神が微笑む。

 とんでもないことしたな、女神と精霊王。

 貴族とかにバレたら目立つ上に、王位継承権争いになるじゃないか。


「そうですか……」


『加護や守護、祝福を与えると、貴方が困るのは分かっていたのだけど、そのくらいしないと、貴方は姉にすぐ囚われてしまうから。姉は、ミストは、魔に堕ちたせいで、狡猾になった。妹として、わたしは貴方を全力で護らないと、申し訳なくて……』


 本当に申し訳なさそうにする女神を見て、俺は溜め息を吐く。


「色々、俺の出生については分かりました。前世を含めて助けて下さって、ありがとうございます。俺は、これから何をすればいいのですか?」


 静かに、お礼を述べると、女神が目を見開いた。


『貴方は本当に聡いわね。貴方にして欲しいのはゲームと同じよ。卒業パーティーの時に断罪をして欲しいの』


「――ウィステリアを、とは言いませんよね?」


 思わず、殺気を込めて言ってしまった。


『言わないわ。今もゲームもあの子は本当に良い子だもの。違う者を断罪して欲しいの』


「チェルシー・ダフニー、ですか?」


『その通りよ。その者を断罪することで、ミストに繋がる。そうすれば、貴方はミストに狙われることもなくなるわ。どうして、チェルシー・ダフニーを断罪しないといけないのかは、卒業パーティーまでにしっかり貴方が見つけなさい。貴方の選択次第で、犠牲になる命が減る。ゲームで言うところのバッドエンドも有り得るわ。貴方が思うバッドエンドになりたくないなら、いつも貴方がしていることをして、選択しなさい』


 同じ背の高さで、同じ顔の女神が、俺の頬に触れる。


『前世で貴方が見聞きした乙女ゲームがこの世界の話と似ているのは、あの終わり方が貴方にとってのバッドエンドの一つに成り得るからよ。そういう風に知り合いの地球の日本の神にお願いして、作って発売し、貴方の元に行くようにしたものよ。まさか人気になってファンディスクや二作目に繋がるとは思わなかったけれど』


 困ったように笑い、女神が呟く。

 ファンディスクと二作目は予想外だったのか。


『乙女ゲームのヴァーミリオンはフェニックスが言ったように魂は貴方と別物よ。あのようにしたのは、より貴方が気を付けてくれるでしょう? あのようになりたくないから』


 あのように……ワガママ王子とウィステリアの断罪のことだろう。


「そうですね。確かにあのようになりたくないですね。一つ聞きたいのですが、何故、女神様と俺の顔や背、目の色が似ているのでしょうか?」


 そう聞くと、言ってなかったっけ? といった顔をして、女神は目を瞬かせる。


『とんでもないことを言うと、貴方は、わたしの双子の弟として生まれる予定だったの。わたしの母――未来が視える女神が貴方の未来を知って、生まれる前に貴方を隠したの。貴方の未来というのは、わたしと双子として生まれたら、ミストに殺される未来が視えたみたい。それで、しばらく隠した後、初代国王夫妻の子供として生まれるはずが、結局、ミストに狙われるし、生まれる前に命を落とすし、貴方の魂を日本に逃しても呪いを掛けられて死んでしまうし、今もまた狙われてるし。本当に困った姉のせいで、巻き込んでごめんなさい。だから、本当は双子の姉弟として生まれるはずだった貴方を、わたしとしては双子の姉として護りたいのよ』


 本当にとんでもない内容を女神がぶっ込んできた。

 荒唐無稽過ぎるし、もう情報過多で、頭痛と目眩がひどい。

 顔が似ているのは、目の前の女神と双子として生まれるはずだったって……。

 双子として生まれたら、姉になるはずの元女神に殺されるって、何でだよ。


『未来が視える母の話だと、わたしと双子として生まれると、姉のミストが貴方を殺してしまう。その理由は貴方が人間の女の子と結ばれるから。その女の子の名前はウィステリア。その未来では貴方とウィステリアをミストは殺したそうよ。ミストは貴方に恋をしたみたい。そうならないように母が未来を変えてくれたけど、結局、ミストは貴方の魂に惹かれているから、全てを変えられていない。私情を言うとね、わたしは貴方と双子の姉弟として過ごしたかったわ。だから、わたしは貴方を護りたいの』


 姉に恋をされても、非常に困るんですが。

 というか、弟に恋焦がれるのは神の中ではアリなのか。

 姉弟の恋愛みたいな話は前世でもあったけど、まさか当事者になるとは思わなかった。

 しかも、俺が女神と双子として生まれ、ウィステリアと結ばれたら、二人共殺されるって、彼女が一番可哀想じゃないか。

 そんな未来じゃなくて良かったが。

 俺の何とも言えない顔を見たのか、女神が苦笑した。


「女神様のお母さんが視た未来ではない、今の、元女神はウィステリアを狙っているのですか?」


『ミストは狙っていない。狙っているのはチェルシー・ダフニーよ』


 俺と女神が同時に溜め息を吐いた。

 面倒臭い。

 この一言に尽きる。

 きっと目の前の女神も同じ気持ちな気がする。


『元々、双子で生まれる予定だったから、色々似てるわね。姉とチェルシー・ダフニーが変な気を起こさなければ平和だったのに』


「本当にそうですね。いい迷惑です。ところで、女神様のお名前を聞き忘れてました。何というのですか?」


『あ、忘れてたわね。わたしの名前はハーヴェストよ。ヴァーミリオン』


 綺麗な笑みを浮かべ、女神――ハーヴェストは俺に抱き着いた。


『ああ、もう、本当に、あの困った姉のせいで、リオンを弟に出来なかった! リオンと色々たくさん遊びたかった! ウィステリアちゃんを義妹にしたかったのに!』


「あの、女神様?」


『ハーヴィはやめてね。ミストがそう呼ぶから嫌なのよ。わたしのことはヴェルと呼んで。わたしもリオンと呼ぶから。敬語もなし! ちなみに、わたしもウィステリアは推しよ?』


「そこは似なくても……」


『似ていることがわたしとリオンが繋がっている唯一よ。あの姉のせいで、わたしは寂しかったのだから! 生まれる前にいきなり半身を引き離されたのよ!』


 ぎゅうと俺にしがみつくハーヴェストの、とりあえず、濡羽色の髪をぎこちなく撫でた。

 何となく、姉、というより、妹に思えるのは言動のせいだろうか。

 半身、という言葉に腑に落ちる部分はある。

 前世も今も、よく分からない寂しさはあった。

 何なのかは分からなくて、もやもやしていた。

 それが、ハーヴェストのような気がする。


『やっとよ、やっと。リオンに会う機会が出来た。もういっそのこと、わたしも貴方の召喚獣になろうかしら』


「それ、本当にやめてくれない? 両親達に説明するのが本当に面倒臭い……」


 まさかの発言に、溜め息を吐く。

 世界を作った女神が召喚獣になりました、なんて両親や兄達に言ったら卒倒する。しばらく寝込まれたら、国が回らない。

 ただでさえ、やらかしが多いから困らせてるのに。


『確かにそうね。リオンは当事者で、被害者だから、今、説明出来るところは話した。他の人達に伝えても信じてくれるかは分からない。だから、リオン。クラウ・ソラスや召喚獣達は貴方と繋がっているから大丈夫だけど、まだ貴方の出生のことは誰にも言わないで。ウィステリアにもディジェムにも。まだ、時期ではないわ。でも、五百年前のことなら、ロザリオには言ってもいいわ』


「ロザリオって、タンジェリン学園長? って、待った。その言い方だと、まだ何かあるのか?」


『あるわ。姉のせいで、リオンの生まれも含めて、色々なことが拗れたのよ。そうね、最後にもう一つ言えることは、討伐戦の時にオークキングが言っていた白きものは姉のことよ。髪の色が白……白磁色だからよ。魔に堕ちる前は白女神と言われていたわ。堕ちた後は女神ではないから白きもの。ちなみにわたしは黒女神。髪の色が黒というか濡羽色だから。イメージで黒が悪って思われることがあるけど、白の方が染まりやすい、堕ちやすいのよ。だから、わたしやリオンは染まらない、堕ちないわ』


「俺は、髪の色が紅色だけど」


『双子で生まれる予定だった時はわたしと同じ髪の色だったのよ? 日本でも黒だったでしょ? 今、違うのはカーディナルの色だから。黒はエルフェンバインの色よ。エルフェンバインのドラゴンだと、リオンをミストから守りきれない。フェニックスなら守りきれる。だから、カーディナルにリオンは生まれたから紅色だけど、元が黒だから、魔に堕ちない』


 何か、いっぱい出てくる……。

 王城に帰ったら、熱で寝込みそう。

 というか、今の時点で情報過多だから、寝たい。

 ベッドの中で色々整理したい。


『リオン。卒業パーティーまでは学園生活も楽しんで。貴方の選択次第で、犠牲になる命が少なくなるとは言ったけど、気負い過ぎないで。前世も姉のせいで色々リオンは大変だったから、その分、今の生では楽しんでも欲しいのよ。ちなみに、姉のミストは貴方と姉弟になるはずだったことも、わたしと双子として生まれるはずだったことも知らないからね。卒業パーティーでチェルシー・ダフニーを断罪した後はわたしを呼んで。姉を捕らえるから。ウィステリアをしっかり守ってね』


「分かった。ありがとう、ヴェル」


 ハーヴェストの愛称を初めて呼ぶと、彼女はとても嬉しそうに微笑んで、俺にまた抱き着いてきた。


『こちらこそ、姉がごめんなさい。わたしの方こそ、名前を呼んでくれてありがとう。貴方に名前を呼んでもらえると嬉しいわ。リオン、また会いに来てもいいかしら?』


「もちろん。まだ聞きたいことはあるし……」


『そうね。まだ伝えないといけないことはあるわ。貴方以外の転生者についても、伝えないといけないことがあるし。まだ問題が山のようにあるし』


「それに、俺はヴェル自身の話を聞きたい。ウィステリアにヴェルを紹介したい」


 少し照れてしまい、顔が赤くなっているのを感じながら言うと、ハーヴェストは嬉しそうに笑って、再度抱き着いてきた。


『わたしの話も聞いてくれるの? ウィステリアを紹介してくれるの?! ありがとう、リオン! それなら、また会う機会をすぐ作らないと!』


 銀色の右目と金色の左目を輝かせて、ハーヴェストは意気込んでいる。


『リオン。貴方に会えて、本当に嬉しかったわ。会いたい時はわたしの名前を呼んでくれたら、すぐ行くから! またね、わたしの半身』


「俺も、貴女に会えて、嬉しかった。ヴェル。来てくれて、教えてくれて、ありがとう。またね、俺の半身」


 お互い笑い合って、ハーヴェストは手を振って消えた。

 ハーヴェストが立っていたところをしばらく見て、それからソファに移動して座る。


『大丈夫か? リオン』


 気遣うように、紅が俺に声を掛ける。


「うん……俺の出生とか色々聞いて、頭は大混乱だけどね。紅は何処まで知ってた?」


『すまぬ。今日話した内容全てだ。ハーヴェスト様に、自分で説明するから黙っていて欲しいと頼まれた。だから言えずにいた。すまぬ、リオン』


『ごめん、私も知ってた。言えなくて、ごめんね、リオン』


 蘇芳が俺と同じ年頃の人の姿になり、申し訳なさそうに謝る。


「紅も蘇芳も謝らなくていいよ。俺が同じ立場なら言えなかったと思うから。蘇芳が両親や兄に俺が置かれている状況も本人より把握している、と言ってたのはそういうことだったんだな」


 少し長くなった前髪を掻き上げ、溜め息を吐く。

 そこで、ふと気付いた。


「あ。防音の結界張るのを忘れてた。控室にミモザとヴォルテールがいるんだった……」


『そこは問題ない。ハーヴェスト様がいらっしゃる間はあの方が時を止めた。去られた後は時が動いている。だから、誰もこの話を聞いた者はいない』


「それなら良かった。気を抜き過ぎだな、俺」


 天井を、じっと見つめる。

 かなり重要なことをたくさん聞いた。

 そして、ずっと分からなかったもやもやが何だったのかも分かった。

 よく分からない寂しさが、半身――ハーヴェストということも分かった。

 また会えたら、嬉しい。

 会えたら、ウィステリアを紹介したい。お互い、推しのようだし。

 その前に、卒業パーティーまでにしないといけないことも出来た。

 ハーヴェストから言われた断罪を、ヒロインにしないといけない。

 ヒロインを断罪しないといけない理由を見つけないといけない。

 恐らく、魅了魔法はその理由の一つだ。

 他にもあるのだろう。

 それを見つけないといけない。

 タイムリミットは卒業パーティーまで。

 あと二年と約半年。

 その間もウィステリアを守らないといけない。

 ヒロインが狙っているようだし。

 ウィステリアを狙うとはいい度胸だ。

 ということは、乙女ゲームのルートでいうと恐らく、第二王子のルートをヒロインは踏襲するはずだ。


「……本当に面倒臭い」


 考えていると、問題の多さに頭痛がひどい。目眩もする。

 仕事にならないから、王城の俺の部屋に帰って、寝た方がいいかもしれない。


「……萌黄。レンに先に帰ると伝えてくれる? リアを俺の代わりにヘリオトロープ公爵の邸宅に連れて帰ってくれるようにも伝えて。その後、そのまま萌黄はリアの護衛をして欲しい」


 名を喚ぶと、ふわりと風と共に萌黄が現れる。


『分かりました! マスター、大丈夫ですか? 顔色が悪いです』


 萌黄が心配そうに、俺の顔を覗く。


「なんとか、まだ大丈夫。とにかく、リアを……」


 萌黄の頭を撫で、ソファから立ち上がろうとして、ぐらついた。

 左肩に衝撃を感じ、床に倒れたのが分かった。


『リオン?!』


 紅が慌てて、こちらに来る。

 頭が痛くて、起き上がれない。

 不穏を感じたのか、控室から個室にやって来る足音がいくつか聞こえる。

 勘がいい側近達だな。思わず、笑みが漏れる。


「紅、王城の俺の部屋に、俺を運んでくれる?」


『分かった。後は任せろ。リオンは休め』


 安心させるような声音で、紅が羽根で俺の頭を撫でる。


「ありがとう」


 紅の声に安心して、俺は意識を手放した。







 手放した意識がはっきりすると、俺は見知らぬ場所にいた。

 空気が澄んでいて、嫌悪感はない。

 小さな庭園があり、その端に四阿がある。その奥には小さな家がある。

 何処なのか分からないので、とりあえず、四阿へ向かう。

 四阿に着くと、ティーカップに口を付け、何かを考えているハーヴェストがいた。


『……ヴェル?』


 眉の寄せ方が俺にそっくりの女神に声を掛けてみた。

 俺の声に驚いて、ハーヴェストは肩を震わす。


「?! リオン!?」


 ティーカップを慌てて置いて、ハーヴェストは俺に近付く。


「どうして!? 何で? わたしの家にどうやって来たの?!」


『いや、俺も何が何だか……。気が付いたら、ここにいたから』


「え?? ちょっと詳しく教えてくれない?」


 俺の手を引っ張り、四阿ではなく、奥の小さな家にハーヴェストは向かう。

 家に着き、ハーヴェストが扉を開ける。

 玄関に足を踏み入れ、辺りを見渡す。

 こじんまりとした、小さな家の中は家具等、必要な物しか置いてなくて、すっきりとしていた。

 ハーヴェストは応接間に俺を連れて行き、ソファに座らせ、自分も対面のソファに座った。


「どうやって、わたしの家に来たの? リオン」


 紅茶を淹れたティーカップを俺に渡しながら、ハーヴェストが問い掛ける。


『俺も何が何だか。ヴェルと別れた後、しばらくして頭痛がひどくなって、倒れたんだ。その時に意識を失ったんだと思うけど、気が付いたらここにいた。ここは貴女の家と言ったけど、何処にある?』


「リオンが生きている世界にはわたしの家はないわ。召喚獣が住む場所、幻獣界があるように、ここは神が住む場所。神界というの。神しか来られないはずなんだけどなぁ……」


 溜め息を吐いて、ハーヴェストは俺を見た。

 そして、何故か固まった。


『どうした? ヴェル?』


 俺を見て固まるハーヴェストを不思議に思い、首を傾げる。


「……リオン、驚かないで聞いてくれるかしら?」


『ん? 勿体ぶってどうした?』


「あのね、今の貴方、髪の色がわたしと同じ濡羽色だわ……」


『え……?』


 固まってしまった俺を見て、ハーヴェストは額に左手を当てる。

 右手で、手鏡を俺に渡してくれる。

 手鏡を受け取り、覗くと、ハーヴェストと同じ濡羽色の髪の俺が映っていた。目はそのまま右目が金色、左目が銀色のオッドアイのままだ。

 こう見ると、本当にハーヴェストと瓜二つだ。


「わたしと同じ顔で見慣れてるから、髪の色に気付かなかったわ。そうよね、双子として生まれるはずだったから、リオンも資格はあるわよね……」


『一人だけ納得されても困るんだけど……』


 手鏡から目を離し、一人でうんうんと頷いているハーヴェストを見る。


「つまり、リオンは神界に呼ばれたみたいなのよ。というか、無意識にわたしが呼んでしまったみたい……ごめんなさい」


『……何で?』


「さっきリオンにずっと会いたかったって言ったでしょう? 別れた後もね、寂しいなとか、また会いたいなとか思ってたのよ。ついでに、余韻に浸ってたのよ。やっと会えた半身だもの。それがいけなかったみたい。無意識に呼び寄せてしまったみたいなの。身体ごとではなく、魂だけだけど。魂は神として生まれるはずだった。だから、神としての資格がある。無意識に呼び寄せてごめんなさい」


 ハーヴェストは申し訳なさそうに頭を下げる。


『そっか。問題があって呼ばれたとか、元女神に連れて来られたとかではなくて良かったよ。俺も、ヴェルにまた会いたいなとか、ウィステリアに会わせたいなとか思ってたから、すんなり神界に来てしまったんだろうな』


「わたしもウィステリアちゃんに会いたいわ。さっきも言ったけど、ウィステリアちゃんにも、わたしのことはまだ話さないでね。もう少し待って。そんなに時間は掛けないけど、わたしがリオンが生きている世界に行くのに少し時間が掛かるのよ。ちなみに言うけどね、姉のミストは魔に堕ちて、神の資格がなくなったから、ここにはもう来られないわ。リオンのことはうっかりだったわ。リオンはこちらの事情で神として生まれなかったから、資格が生きてたみたい」


『資格ね……。あっても行き方が分からないけどね。俺が生きている世界に逆にヴェルを呼んでも時間が掛かるのか?』


「わたしとリオンは双子として生まれるはずだったから、制限は掛からないよ。ただ、条件は二人の時だけ。ウィステリアやディジェムの前に現れる場合は時間が掛かるの。だから、行けるようになったら貴方に伝えるわ」


 小さく微笑み、ハーヴェストはティーカップに口を付ける。


『ところで、ここから戻る方法はある?』


「もちろん、あるわ。あと三十分くらいで帰れるわ。帰る扉が出て来るからそこから帰れるわ。時間の流れで言うと、ここの一時間が、リオンが生きている世界だと半日くらいよ」


『じゃあ、俺は半日寝てるのか。心配掛けてるだろうなぁ……』


 溜め息を吐いて、淹れてもらった紅茶を飲む。

 双子として生まれるはずだったからなのか、紅茶の好みも同じだった。


「そこは、本当にごめんなさい。次は気を付けるわ。頭痛のことも、考えておくわ。わたしの気配がリオンの魂を揺さぶったせいだと思うから」


『それは、こっちもごめんなさい。俺もこんなことになるとは思わなかった……』


「わたしも想定外だったわ。とりあえず、三十分くらいで帰れるから、それまではゆっくりしてね」


 にこやかにハーヴェストは笑う。嬉しそうだ。

 お互い、紅茶を飲む。

 少し沈黙が降りるが、特に苦痛はない。


「それにしても、リオンはわたしの話を信じ過ぎじゃない? 普段から騙されたりしてない? 荒唐無稽な話をわたしがしておいてだけど、双子の姉としては不安になったわ」


『すんなり信じたりは普段はしてないよ。一応、第二王子だから、ちゃんと調べたりした上で動くようにしてる。貴女の話は確かに荒唐無稽だけど、俺の中で腑に落ちた。日本で生きてた時も、ずっと何か欠けたような寂しさはあったし、ヴェルは他人には思えなかった。俺も不思議なんだよね』


 第六感というのか、何故かハーヴェストの言葉は信じられた。

 普段はここまですんなり信じない。信じるとしても半々だ。

 そこから、周囲の人々や言った本人の反応を見たり、言葉に矛盾がないか確認する。


「それならいいのだけど。わたしも顔の影響もあってか騙しやすいと思われるのよね」


『それはあるね。俺もよく侮られるけど、女神のヴェルも侮られるのか?』


「わたしは上位の神に当たるのだけどね、下位の神の一部や生まれたばかりの神がわたしの顔を見て侮るのがいるのよ。普段は神としての力を隠してるから余計にね。まぁ、度を越したことをしてきたら、完膚なきまでに叩きのめすけど」


 一緒だなぁとしみじみ思った。

 なので、思わず笑ってしまった。


『俺もそう。特に女顔だから、新人騎士達が侮ってくるから、完膚なきまでに叩きのめしてるよ。貴女も一緒かぁ。別々に生きてるのに、共通点や考え方が似てて、双子として生まれたかったな』


 ウィステリアにも少しずつ本音を言うようになったが、ここまで本音を言えたことがないのもあるから、余計に思ってしまう。

 双子だったら、どう過ごしただろうか、と。

 無い物ねだりだけど。もう叶わないことだけど。


「本当にね。本当に、あのふざけた姉のせいよ。リオンがチェルシー・ダフニーを断罪した後、出て来た時にわたしが叩きのめすわ。リオンもする?」


『その時の状況次第だけど、場合によっては参戦するよ』


 お互い、悪い笑みを浮かべる。

 本当に瓜二つだなと思う。


「そろそろ、扉が開く頃よ。リオン、こちらに来てくれる?」


 ハーヴェストは立ち上がり、応接間を出る。

 俺も立ち上がり、彼女の後を付いて行く。

 ハーヴェストの小さな家の中を進み、地下へ続く階段を降りる。

 降りると、大きな扉があり、それをハーヴェストが開く。

 開くと、部屋の中央に赤色の扉があった。


「この扉が、わたしが作った世界――リオンが生きている世界に通じるわ。扉は時間毎に色を変えるの。赤色の時がカーディナルに通じてる。今なら、帰れるわ」


 そう言って、ハーヴェストは扉を開けた。

 扉を開くと、中は景色はなく、白一面だった。


「白いけど、ちゃんと帰れるわ。神界ではリオンの髪はわたしと同じだけど、帰ると紅色に戻っているから安心して。それと、貴方が倒れた理由は蓄積された疲れと言った方がいいわ。フェニックスがそのように言っているから」


『分かった。ヴェル、ありがとう。またね』


「ええ、またね。準備が出来たら、また会いに行くわ」


 お互い笑みを浮かべ、ハーヴェストが手を振ってくれる。

 扉の中へ、白一面の中に足を踏み入れる。

 入ると眩しくて、思わず目を閉じた。






 目を開けると、見覚えのある天井があった。

 俺の部屋だ。

 ベッドに運んでくれたようで、確認するように周りを見る。

 窓を見ると、まだ外は暗かった。夜中のようだ。

 倒れたのは夕方になる少し前だったから、半日経っているのは確かのようだ。

 頭痛も目眩もなく、頭はすっきりしている。

 上半身を起こすと、ふと右手に温もりを感じた。

 右手の先を見ると、綺麗な薄紫色の長い髪が見えた。

 絶対、離さないというくらいに俺の右手を握ってくれている。

 嬉しくて、自然と笑みが零れる。

 ベッドの隅で、伏せて寝ている愛しの婚約者をどう動かそうか悩む。

 伏せて寝るのは、身体が痛くなると思う。なのでベッドに移動させたいが、起こしてしまいそうで悩む。

 一緒に寝る訳にもいかないし、どうすればいいか考えていると、ウィステリアが身じろぎした。

 藍色の目をゆっくり開けて、呆然と俺を見ている。まだ頭がしっかり起きていない様子だ。


「……リア?」


 ぼーっとしているウィステリアに静かに声を掛けると、彼女はハッとした顔をして俺を見た。


「リオン様、お身体は、もう大丈夫なのですか?!」


 身を乗り出して、俺の手をぎゅっと握り、ウィステリアは心配そうに俺の顔を覗き込む。


「大丈夫。頭痛がひどくて、倒れただけだから。色々と疲れが溜まっていたみたい」


「良かった……。いきなり倒れたと聞いて、何か毒とか飲まされたのかと思って……。リオン様は毒ならすぐ気付かれるはずと思ったのに、顔色が悪かったから、私、本当に毒ならどうしようかと……」


 藍色の目に涙を溜めて、ウィステリアは俺の手を自分の頬に持って行く。


「心配掛けて、ごめん。体調管理が上手く出来てなかった。本当にごめん、リア」


 俺の右手を離さないウィステリアを、俺は左手で抱き締めた。


「お願いですから、無理しないで下さい。倒れるリオン様を見たくないです」


「そうだね。これから気を付けるよ。リア、もしかしてずっと側に居てくれたのか?」


 俺が問い掛けると、ウィステリアは顔を赤くして頷いた。


「……目覚めた時に、誰かが居たら、リオン様が嬉しいのではと思って。それが、リオン様が嬉しいと思った人が私なら、私も嬉しいと思って……」


 顔を真っ赤にして、ウィステリアは呟くように告げた。

 俺は嬉しくて、ウィステリアを更に抱き締める。


「うん。嬉しいよ。目が覚めたら、リアが居てくれて、本当に嬉しい。ありがとう。心配掛けてごめん」


「リオン様、お身体は本当に本当に大丈夫なのですか? 我慢してませんか?」


 抱き締めている俺から離れ、ウィステリアは上目遣いで尋ねる。


「本当に本当に大丈夫。頭痛はないよ。顔色も悪くないだろ?」


 ずいっと、ウィステリアに顔を近付けると、ウィステリアがまた顔を真っ赤にした。


「う、はい……。顔色はとても良いです。安心しました。ただ、あの、朝の時より美しさが上がっていませんか? 王子力が上がっている気がします……」


「そう言われても、上がってる上がってないかは俺では分からないのだけど。それに、王子力って何?」


「リオン様の醸し出す雰囲気と綺麗なお顔、お声等など総合したものが王子力です。ミモザ様やシャモアと昔、考えました。最近はイェーナ様も入ってお話してます」


「そ、そう……」


 四人で何してるんだ。俺で遊んでないか?

 まぁ、それで何か被害とかはないし、迷惑を掛けるような四人ではないから、いいけど。


「俺をここに運んだのは、レン?」


「はい。ハイドレンジア様が紅さんと一緒にリオン様を運ばれて、ミモザ様がシャモアに話して下さって、私も萌黄ちゃんに連れて来てもらいました。青藍さんがお父様と国王陛下に伝えて下さいました。ディル様も来たがっていたのですが、エルフェンバイン公国の公子の立場ではいきなり王城に伺うのは憚れるからと、魔法学園の寮で待っていらっしゃいます。召喚獣の皆さんとハイドレンジア様、ミモザ様、シスル様はリオン様の部屋の隣の待機室で待機していらっしゃいます。アルパイン様とヴォルテール様、イェーナ様も心配されてましたが、帰るようにとシュヴァインフルト伯爵とセレスティアル伯爵に言われてました」


「皆に迷惑掛けたなぁ……」


 溜め息が自然と漏れる。

 ハーヴェストの忠告で、ちゃんとした理由を伝えられない分、俺の体調管理不足と説明するしかない。しょうがないことなんだけど、もどかしい。

 断罪の時に、元女神の姉ミストを叩きのめすとハーヴェストが言っていたし、俺もやっぱり参戦しようか。


「リア、俺はもう大丈夫だから、少し休む? 良かったら俺のベッド、使う?」


「うぇっ?! で、でも、そんな、リオン様。あの、ミモザ様がちゃんと南館でお部屋を用意して下さってますし、リオン様はまだ休んで下さい」


「頭痛ももう治ったし、レン達も休ませないといけないし、俺が行った方が安心出来ると思うんだけど」


「逆です! 普段はハイドレンジア様達もそれで安心されると思いますが、今回は心配されて休んで下さいってきっと怒りますよ。私が言って来ますから、リオン様はまだ休んで下さい。疲れが溜まったって言ってましたよね?」


 首を左右に振り、眉を八の字にしてウィステリアが上目遣いで俺に言う。

 可愛い……。一つひとつの仕種が可愛過ぎる。

 まぁ、確かに、ハイドレンジア達なら有り得そうだ。


「分かった。もう少し休むよ」


「ちゃんと休んで下さいね。リオン様が眠るまで、私が居ますから」


 にっこりと微笑んで、ウィステリアは俺の右手を握る。


「いや、それ、嬉しいけど、逆に俺が眠れない」


「大丈夫です。お疲れならすぐ眠れるはずです」


 ウィステリアは尚もにっこり微笑む。

 少しだけ、微笑みに圧を感じる。


「……分かったよ。おやすみ、リア」


 降参のポーズをして、俺はデュベの中に潜り込む。


「はい、おやすみなさい、リオン様」


 俺の右手をまた握り、ウィステリアは綺麗な笑みを浮かべる。

 ずっとその笑顔を見ていたいところだが、また休めと言われるのも辛いので、諦めて目を閉じることにした。

 ウィステリアが言っていたように、身体はまだ疲れているようで、すぐ眠りに落ちた。

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