第26話 未亡人と黒い蔓

 カーマイン砦完成式典に出席のため、王城を出て四日。

 馬車で移動中も今後の作戦を考えていたため、頭は糖分不足だ。

 お菓子とウィステリアに会いたい。

 糖分不足でも驚いたことがあった。

 シュヴァインフルト伯爵の訓練のおかげもあると思うが、このヴァーミリオンの身体の丈夫さだ。

 前世ではずっと寝たきりだし、車に乗ったとしても乗り物酔いをしていた俺としては、馬車で今後の作戦のための書き物をしても全く酔わない、この身体に感動した。

 馬車に乗りっぱなしなため身体は少し凝りがあるが、そのくらいしか疲労はない。精神的には疲労困憊だが。

 ちなみに、馬車の中には机が備え付けてある。ヘリオトロープ公爵から聞いた話だが、父が仕事しないので、移動をする時にさせるためだそうだ。

 馬車に揺られて四日。

 俺の思惑通り、この四日間襲って来る者が何回か現れた。その都度、シュヴァインフルト伯爵や騎士達があっさりと倒して、捕まえてくれた。

 捕まえたままだと、フォッグ伯爵領まで連れて行くことになり、相手側の戦力が上がってしまうので、その都度、近くの街に騎士が連れて行き、騎士団の屯所に引き渡している。

 王城にもハイドレンジアのノームからミモザのノームを通して連絡済みだ。

 この馬車での移動も、明日着く予定だったが俺がこっそり馬達に回復魔法を掛けたり、身体強化の魔法を掛けたりして一日早めてもらい、あと数時間で式典までの滞在する領、フォッグ伯爵領に到着する。少しでも情報が欲しいからだ。

 ヴァイナスとシュヴァインフルト伯爵の話によると、犯人の候補に挙がっているフォッグ伯爵領は当主はフォッグ伯爵夫人が務めている。

 フォッグ伯爵夫人は病死した前当主の妻で、未亡人だ。伯爵夫婦には子供がおらず、伯爵の弟の息子を養子にし、後継者として育てているところ、伯爵が病死、子供が当主になるまでの間、伯爵の弟が当主になる予定が伯爵の死から二ヶ月後に事故死した。

 立て続けに当主が亡くなり、子供が成人するまで、暫定的に伯爵夫人が当主代行をすることになったそうだ。それが一年前だそうだ。

 当主代行となった伯爵夫人は伯爵家のお金が使い放題になる。そのお金で冒険者なり、ゴロツキなりを雇うのは容易くなる。

 ますます怪しく思ってしまうエピソードを聞くと、もうフォッグ伯爵夫人じゃない? と考えてしまう。

 フォッグ伯爵の館に着いたら、一応、先入観は捨てようとは思うが。


「ヴァーミリオン殿下、まもなくフォッグ伯爵領に着きます」


 ヴァイナスから声を掛けられ、作戦を書いた紙を見つめていた俺は顔を上げ、馬車の窓から外を見る。


「……空気が淀んでる」


 うっかり小さく呟いてしまった。

 丘の上の街道からフォッグ伯爵領が見渡せるこの位置でも分かるくらい、伯爵領の上がどんより暗い。


「そうですね、これは何か様子がおかしいですね」


 ハイドレンジアも頷いてくれたということは、あのどんより暗い空気が見えるようだ。良かった、俺だけじゃなくて。


「……嫌な予感しかしませんね」


 ヴァイナスも眉を顰めて、同意してくれる。

 今からのことを想像して、苦い顔になりそうなのをぐっと抑え、俺は深呼吸をする。少し、落ち着いたかもしれない。

 その間も、馬車は丘を下り、フォッグ伯爵領へと近付いて行った。






 予定通り、フォッグ伯爵領の街等には寄らず、伯爵家の館に到着した。

 誰もいないことに、ハイドレンジアが眉を顰めている。まぁ、本来は明日到着だったから仕方がないし、申し訳ない。

 なので、シュヴァインフルト伯爵の部下の騎士が一人、フォッグ伯爵家の者に声を掛けに行った。

 馬車の中で待っていると、特に襲われることもなく、少し肩透かしを食らった気分だ。が、ずっと掛けていた魔力感知が変な反応をする。この館に近付くにつれ、今まで見たことがない反応が出て、顔には出さないが内心、嫌な予感しかない。


『紅、これ何だと思う? 変な魔力反応があるんだけど』


 念話で紅に聞く。

 館の中に水と地の属性の魔力がそれぞれ一つずつあり、その内の一つ、地の属性の魔力の周りに、闇の属性とは違う黒い魔力に覆われている。

 セレスティアル伯爵から、魔力感知した時の属性の見方も教わったおかけで分かるようになったが、この魔力の反応は見たことがない。


『あまり宜しくない魔力だから、リオンには近付いて欲しくはないが……』


『近付かないと解決しないだろうね』


『我もリオンの側で警戒しておこう』


 紅のイケメン発言で、少し安心な気持ちになる。

 それでもこの得体の知れない魔力に不安は残る。

 完全に不安を払拭するには解決しかない。

 これ、もう、乙女ゲームとか云々じゃないよね……。乙女ゲームの中ではないけど……! 恋愛要素、何処行った。

 解決して、王城に帰ったら、ウィステリアと甘々なイチャイチャをしてやる! もちろん、年齢に合ったイチャイチャで! 不埒はしません!

 そんな感じで、目の前のストレスから逸らそうとしていると、馬車の扉を叩く音が聞こえ、すぐシュヴァインフルト伯爵が顔を覗かせる。


「殿下、フォッグ伯爵夫人が中へご案内するそうです」


「分かりました」


 立ち上がると、ハイドレンジア、ヴァイナス、俺の順で馬車から降りる。

 淀んだ空気と変な緊張感が周りで漂っているせいか、落ち着かない。

 空気が気持ちが悪いので、ハイドレンジアやヴァイナス、シュヴァインフルト伯爵達を含む、俺の周りを少しだけ、浄化の魔法を掛ける。少し、気持ち悪さが軽減した気がする。

 ハイドレンジアが気付いてこちらを見るが、目配せで知らないふりをしてもらう。

 馬車から少し歩くと、フォッグ伯爵家の館の玄関の前で、茶色の髪の喪服のような、黒いドレスを身に纏った女性と、執事、侍女達が並んでいた。

 その女性の左手には黒い、棘が付いた蔓の入れ墨のような模様が描かれているのが目に入った。


「初めまして、ヴァーミリオン第二王子殿下。ローシェンナ・シュネー・フォッグと申します。子供が成人するまで、わたくしが伯爵家の当主代行をさせて頂いております」


 シュヴァインフルト伯爵の話だと、恐らく、五十代くらいのはずの伯爵夫人の顔はとても若く見えて三十代くらいだった。

 そんなフォッグ伯爵夫人は淑女の礼をして俺を見る。初めて見た彼女のその目は黒く淀んでいる。その目を見ると、元々の目の色は違うのではないかというくらい、黒で塗り潰されているように感じた。

 成人したら当主になるという子供はこの場にいないのも気になった。成人していなくても、挨拶は来ると思うのだが……。

 得体の知れない気持ち悪さが込み上げるが、ぐっと堪え、俺は営業スマイルをする。


「初めまして、フォッグ伯爵夫人。しばらくの間、宜しくお願いします」


 今のところ、あちらは友好的だ。魔力感知でも目の前にいる人達と少し離れた場所にいる地の属性の魔力の人、執事、侍女の人数のみで、特に隠れている反応はしない。警戒はしたままだが。


『……リオン、これは犯人なのは確実だぞ』


 俺の右肩に乗る紅が低い声で、警戒の声を出す。

 その間も、フォッグ伯爵夫人は俺の滞在する部屋を案内する。


『確実? どういうこと?』


『詳しくは部屋で話す。すぐ、部屋に多重結界と防音の結界を張った方がいい。そこでリオン以外の者にも話す』


 珍しく紅が警戒した声で俺に告げた。

 フォッグ伯爵夫人はその間も今回の式典で俺の滞在先に伯爵領が選ばれたことは嬉しいや、俺の今後の活躍が楽しみだとか貼り付けたような笑顔で言ってくる。

 胡散臭い笑顔で言うフォッグ伯爵夫人は、本当にそうは思っていないのだろうなというのが分かる。ゴマすりの貴族はもう少し演技が上手いし、まだマシな気がする。嫌だけど。


「……こちらが、ヴァーミリオン殿下のお部屋でございます。両隣がお付きの皆様や騎士の皆様のお部屋となっております。何かご希望がございましたら、わたくしや執事、侍女達をお呼び下さいますようにお願い致します」


「分かりました。案内、ありがとうございました」


 お辞儀をするフォッグ伯爵夫人にお礼を言いつつ、俺は離れていくのを魔力感知で確認する。

 その間に、両隣の部屋は安全なのか、シュヴァインフルト伯爵の部下達が確認に向かう。

 伯爵夫人が部屋から大分離れたことを確認し、俺は紅に言われた通りに、すぐ多重結界と防音結界を張る。


「我が君? 何故、結界を?」


「ヘリオトロープ公爵令息、シュヴァインフルト伯爵、ハイドレンジア、少し僕とフェニックスの話を聞いてもらえますか?」


 俺が深刻な声で言ったせいか、シュヴァインフルト伯爵が周囲を警戒する。


「その前に、殿下。私のことはヴァイナスとお呼び下さい」


「分かりました、ヴァイナス」


「殿下、何かありましたか?」


 シュヴァインフルト伯爵達が俺を見る。


「フェニックスからですが、召喚獣を捕まえている犯人はフォッグ伯爵夫人で間違いないそうです」


「なっ」


 シュヴァインフルト伯爵が口を開けたまま、固まる。

 驚くよね。俺も驚いてます。

 詳しくは俺も分からないので、紅に理由を聞こうと、彼を見る。


「フェニックス、どういうことか教えてくれる?」


『あの伯爵夫人は召喚獣の理を破り、幻獣界から罪人の烙印を押されている』


「召喚獣の理? 幻獣界? 罪人の烙印?」


 聞いたことがない単語が続き、俺は眉を寄せる。


『幻獣界は召喚獣が住む世界だ。召喚されるまで、召喚獣や精霊はこの世界にいることもあるが、皆、大体、そこにいる。召喚獣の理は大昔に召喚獣と最初に召喚した者の間で決められた律、規則みたいなものだ。それを侵した者は幻獣界から罪人の烙印を押される』


「召喚獣の理はどんなことが決められているの?」


『いくつかあるが、召喚獣を召喚した者はその召喚獣の魔力を奪わない、殺さない。召喚獣は召喚した者を殺さない……等がある。この三つはよく知られているはずだ』


 ……俺は知らなかったんだけど。魔法学園で教わるのかな。


「フェニックス殿、罪人の烙印というのはその理を破った者が押されるということで合っていますか?」


 ハイドレンジアが考える顔で、紅に尋ねる。


『そうだ』


 紅も首肯すると、ハイドレンジアが更に尋ねる。


「罪人の烙印を押されたら、どうなりますか?」


『召喚した召喚獣は幻獣界から切り離され、召喚獣を召喚した者は新たに召喚獣を召喚出来ない』


「印はどのように分かりますか?」


『黒い棘が付いた蔓の印が手首にあれば、幻獣界から罪人の烙印を押されていることになる』


 紅の言葉に、俺はフォッグ伯爵夫人の左手に合った印を思い出す。あれだ。


「フォッグ伯爵夫人に付いてたね、印」


「我が君も気付かれましたか」


 神妙な顔でハイドレンジアは言っているが、目は我が君、流石です、と言いたげだ。この事態でも彼は通常運転だった。


「フォッグ伯爵夫人が召喚獣を捕まえるのは、自分が召喚出来ないから、ということだよね。何のために?」


『聞いてみないと分からないことだろうな。我等には思い付かぬ理由だろう。それに、あの伯爵夫人の目は本来の目の色と違い、黒く淀んでいる。黒く淀んでいるのは罪を犯し続けてている証拠だ。挙げ句、魔力感知すれば分かるが、あの者の属性の魔力の周りが黒い。黒いのは取り返しがつかないことを今もしているということだ』


 紅の言葉に、皆、絶句している。

 俺もどう対処するべきか、考えあぐねている。

 取り返しがつかないことをしているということは、形振り構わず動けるということだ。

 正直、式典中に形振り構わず動かれたら、俺と深く繋がっているから紅や萌黄を奪われることはないが、俺達の方が不利になる。

 理由は通常の召喚方法で契約した三人だ。

 ヴァイナスはフェンリル、ハイドレンジアはノーム、馬車で移動中に聞いたが、シュヴァインフルト伯爵はスレイプニルとそれぞれ魔力強めの召喚獣だ。彼等を狙われると、どのように捕まえるのか分からない分、防げない可能性が高い。


「……そうなると、式典前に捕らえた方がいい気がするね。式典中に何かされたら、対処出来ない」


「しかし、殿下。何か証拠や理由等がないと、フォッグ伯爵夫人を捕らえることは出来ません」


 ヴァイナスが静かに告げる、その表情は皆と同じで、焦りの顔をしている。


「そこで、少し気になることがありまして。シュヴァインフルト伯爵」


「はい、殿下」


「僕達だけで、この館の中で行きたいところがあるのですが、許可って取れますか?」


「……難しいでしょうな。誰かフォッグ伯爵夫人の執事や侍女がいるのなら良いと言うかもしれませんが、殿下やヴァイナス殿、エクリュシオ子爵、俺のみとなると良い顔はしないかと」


 顎を触りながら、シュヴァインフルト伯爵が苦い顔をする。


「そうですよね……」


「殿下、行きたいところというのは何処なのですか?」


「……実は、魔力感知で一人、僕達がここに来てから一度も動いていない反応があるんです」


「それが何か、フォッグ伯爵夫人と関係が?」


「この館の玄関前で、伯爵夫人と館の者達が僕達に挨拶したのに、次期当主である子供が来ていませんでしたよね」


 静かに俺がそう伝えると、ヴァイナスが思い出すような顔をする。


「確かに、いませんでしたね」


「我が君、お待ち下さい。まさか、その動いていない反応というのが、その次期当主だということですか……?」


「恐らくね。繋がれて監禁されているのか、何か没頭するようなことをしているのかは分からないけど、その次期当主に何か事情が聞ければ、式典前に伯爵夫人を止められないかなと」


 少しでも情報が欲しいし、もし監禁されているなら助けたい。成人していないということは俺と同じくらいの年齢だと思う。子供を監禁するのは許せない。最悪、それを理由に捕らえるのも有りかもしれない。


『それなら、魔法で姿を消して探してみるか?』


 静かに聞いていた紅が俺に提案する。

 ヴァイナスがまさか紅がそんな提案をするとは思っていなかったようで、目を丸くした。


「出掛けた振りをして、姿を消して戻ってくるとか?」


 ニヤリと俺が笑うと、ヴァイナスが更にギョッとした顔をする。


「……まぁ、それしかないでしょうな。その時には俺も殿下の護衛として付きますから、一緒に行きますよ」


 俺に慣れているシュヴァインフルト伯爵もニヤリと笑う。


「もちろん、私も付いて行きますからね、我が君」


 ハイドレンジアはにこにこと笑顔で、至極当然と言いたげに俺に宣言する。

 ヴァイナスは小さく息を吐いて、俺を見た。


「私も殿下に付いて行きます。殿下に何かあったら、ウィスティに恨まれます」


 ……何だろう、ヴァイナスのその言い方だと、俺が悪巧みしているみたいじゃないか。

 悪巧みは俺じゃなくて、フォッグ伯爵夫人だろ、と叫びたい。


「じゃあ、早速、明日動こうか」


 俺がそう言うと、皆は頷いた。




 そして、明日、俺は新たな出会いをする。

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