第12話 天使な推しが目の前に

 母が気に入っている庭園の隅の生け垣の先には俺の天使がいました。


 見間違いかと思い、まじまじと天使を見つめる。天使は薄紫色の長い髪を綺麗にまとめ、藍色の宝石のような大きな目をしていた。髪と目の色に合った薄いピンク色のワンピースタイプのドレスを着ている。ドレスには小さな花の飾りが散りばめられており、天使の可愛さをとても引き立てている。ヘリオトロープ公爵家のメイドの良い仕事に賞賛だ。天使の可憐さに俺は瞬きや呼吸すら忘れそうになる。

 ゲームのウィステリアちゃんが小さくなったら、目の前の天使のような愛らしさなんだろう。

 ハッ! ということは目の前の天使はやっぱりウィステリアちゃん……!?

 というのがコンマ単位で頭の中で駆け巡る。

 そして、俺が会いたいが故の幻かと思い、じっと見つめる。

 そこで、俺はあることに気付く、天使は生け垣の枝に綺麗な薄紫色の髪を絡ませていた。先程の葉の擦れる音は絡まった髪を枝から外そうしていたのだろう。

 天使は俺がいることに気付き、慌ててカーテシーをしようとする。


「待って待って! 髪を先に外してからでいいよ。貴女の髪に触れてもいい?」


 慌てて止めて、俺は天使の髪に触れてもいいか確認する。天使は小さく頷いた。


「ありがとう。少しじっとしててね」


 そっと薄紫色の髪に触れ、俺は枝から外す。

 難なくするりと枝から髪を外せて、俺はホッとする。


「外せて良かった。貴女には怪我はない?」


「あ、はい、怪我はありません……。あの、ありがとうございます。わ、私はヘリオトロープ公爵の長女、ウィステリア・リラ・ヘリオトロープと申します。王国の太陽であらせられる、ヴァーミリオン第二王子殿下にご挨拶を申し上げます。ヴァ、ヴァーミリオン殿下にお会い出来て光栄です」


 顔を赤くして恥ずかしそうに、俯き加減に天使――ウィステリアちゃんは俺に挨拶してくれた。

 ウィステリアちゃんの声が、生の声が聞けるなんて……! しかも声がゲームと同じだけど、幼さがあって可愛い……。はぁ〜、好き……。幸せ……。尊い……。

 俺は心の中で、所謂、尊死になりかけた。推しが、俺に挨拶してくれるなんて、嬉しすぎる。ウィステリアちゃんに変態と思われたら辛いので、そんなことはおくびにも出さず、俺はにっこり笑う。


「挨拶してくれて、ありがとう。僕は知っての通り、ヴァーミリオン・エクリュ・カーディナル。貴女の父君にはいつもお世話になっていて、貴女のこともよく聞いていたから、僕も貴女に会えてとても嬉しいよ」


『ついに会えたな。良かったな、リオン』


 親目線な友人の召喚獣に、俺は小さく頷く。


「そ、そんな……あの、恐れ入ります」


 ウィステリアちゃんは緊張で萎縮しているように見えた。四歳とはいえ、王子に会ったら緊張するよね……。俺も王族でなかったら緊張するだろうと思う。

 そこで、ふと、ウィステリアちゃんの髪を見た。枝に引っ掛かったことで、綺麗にまとめられた髪が乱れていた。


「ヘリオトロープ公爵令嬢。もし、良かったら、貴女の髪を整えてもいいかな?」


「えっ?」


「貴女の侍女よりは拙いのだけど、僕が整えてもいいかな? 枝に引っ掛かってしまって、乱れた髪のままご両親のところへ行くと心配すると思うよ」


 俺の言葉で、髪が乱れてしまったことに気付いたのか、ウィステリアちゃんは慌てた。


「そんな、殿下にして頂くなんて……!」


「大丈夫だよ。それにそのままの方が、後が何かと大変だと思うしね。誰かにいじめられたのかとか、襲われたのかとか、貴族は色々根も葉もない噂をするしね。子供想いのヘリオトロープ公爵を僕も心配させたくない。僕に任せてもらえないかな?」


 にっこりと安心させるように微笑むと、ウィステリアちゃんは申し訳そうに眉をハの字にする。


「……殿下に髪を整えて頂くなんて、恐れ多いのですが、お願いしてもよろしいでしょうか……?」


 ハの字にしつつ、上目遣いで見る推しに、俺の精神は荒れ模様だ。俺と違い、天然の上目遣いをする推しの破壊力よ……!


「うん、少しの間、触れるね」


 そう言って、ウィステリアちゃんの髪にもう一度触れ、まとめられた方の髪を解く。さらさらな髪が背中まで流れ、ふわりと花の甘い香りが鼻に届く。

 俺は前世の姉や妹にしていた要領で、髪をハーフアップにして、それを三編みにする。残りの髪も含めてまとめ、お団子にする。最後に近くにあった生け垣のピンク色の小さな花を摘んで、耳元に挿す。

 我ながら上出来ではないだろうか。前世の姉や妹にしていたことがまさか推しのウィステリアちゃんに活きるとは思わず、前世の姉達に感謝だ。


『リオンにそんな才能があるとは……』


 紅が感嘆の声を上げ、俺はウィステリアちゃんに声を掛けた。


「ヘリオトロープ公爵令嬢、出来たよ」


 ああ、早くウィステリアちゃんの名前を呼びたいと思いつつ、貴族のルールとしては婚約者か友人にならない限り名前を呼べない。またはホルテンシア兄妹のように側仕え等にならない限り呼べない。でも、このもどかしさも尊いと思ってるあたり、俺は重症だ。

 何となく俺の内心を察したのか、紅が『長い間、推しに会えなかったことへの弊害が出てるな』と念話で呟いている。

 そんなことを俺が思っているとは露知らず、ウィステリアちゃんは恐る恐る俺が整えた髪に触れている。


「……こ、こちらを殿下が……?!」


 目を輝かせてウィステリアちゃんは俺を見上げた。


「ヘリオトロープ公爵令嬢の侍女と比べられると恥ずかしいのだけど、取り急ぎでごめんね」


「いえ、これ、殿下、凄いです! ありがとうございます!」


 嬉しそうに興奮したように俺を尚もきらきらと目を輝かせてお礼を言う。

 ウィステリアちゃんの眩しさに、俺の邪な精神はもう浄化されて消し飛びそうな状態だった。

 推しが喋って、笑って、俺にお礼を言ってくれるなんて……! 今日が俺の命日なのか……!


『今日が命日なら、この少女を救えないぞ』


 という、紅の冷静な一言に、我に返る。やらないといけないことが俺にはあるのだった。

 気を取り直して、俺はウィステリアちゃんに笑い返す。


「ヘリオトロープ公爵令嬢。とりあえず、会場に戻らない? ご両親も心配しているかもしれない」


 大体、時間にして十分くらいではあるが、会場から離れている上、王城は広い。迷子になることもあるのだから、そろそろ戻った方がいいと思う。もっと長くウィステリアちゃんといたいけど、ヘリオトロープ公爵を敵に回したくない。


「あ、そうですね。両親のところにすぐ戻るつもりが、髪が引っ掛かってしまったので、心配しているかも……」


「――それなら会場まで、僕がエスコートしてもよろしいでしょうか? ご令嬢?」


 王子様風の微笑みで、俺は恭しくウィステリアちゃんに手を差し出して問い掛ける。


「は、はい! 宜しくお願い致しますっ!」


 俺の手を取って、顔を赤くしてウィステリアちゃんは返事をしてくれた。可愛い。





 それから俺はウィステリアちゃんをエスコートして、ヘリオトロープ公爵夫妻のところへ彼女を送り届けた。案の定、夫妻は探しており、俺達を見つけるとこちらへ一目散に駆け出してきた。


「殿下! ウィスティ!」


「お父様、お母様!」


 両親の顔を見てホッとしたのか、ウィステリアちゃんはヘリオトロープ公爵に抱き着いた。

 送り届けられて良かったと思いつつ、俺は三人から離れようと一歩、二歩後退する。


「お待ち下さい、殿下。何故、娘と一緒に居たのでしょうか?」


 ヘリオトロープ公爵に声を掛けられ、俺は先程の事情を説明する。俺が大勢の人にびっくりして気分を変えるために少し歩いていたこと、その時に髪を木に引っ掛かって困っていたウィステリアちゃんを見つけ、木から髪を外したこと、そのせいで髪が乱れ、そのまま戻ると大変になるだろうから髪をまとめ直したこと、それから迷子になったらいけないから連れてきたことを伝える。決して、やましいことはないという表情で堂々とした態度で伝える。こういう時は堂々した態度でないと、信憑性がなくなってしまう。

 ウィステリアちゃんも俺の説明に全て頷いてくれたのも、更に信憑性が上がる。


「そうだったのですね……。殿下が娘を助けて下さったのですね。ありがとうございます。おかげで、面倒な噂が広まらなくて済みました」


 ヘリオトロープ公爵が頭を下げて感謝する言葉に、内心、溜め息を吐く。ウィステリアちゃんが会場にいないのは何処ぞの貴族にいじめられたのではとか、襲われたのではないかとか根も葉もない噂を既に流そうと思っている輩がやっぱりいるようだ。どうして貴族はお互いの足を引っ張るようなことが好きなのだろうか。

 ウィステリアちゃんを助けるためになるのなら、俺も少しヘリオトロープ公爵の言葉に乗っかってみよう。もちろん、四歳の王子であることを忘れずに。


「ヘリオトロープ公爵、ありがとうございます。僕が具合が悪いのをご令嬢が気付いてくれて、少し離れたところに連れて行って介抱して下さいました。ご令嬢はとてもお優しいですね」


 俺は周りに聞こえるように少し声を張り、ヘリオトロープ公爵に笑顔でお礼を述べる。彼は一瞬、固まったが、流石は国の宰相。すぐに意図が分かったようで、俺の話に乗ってくれた。俺が原因になれば、誰もウィステリアちゃんのことを悪く言えない。ついでに王族にしては俺の腰が低い姿を見せておけば、野心のある貴族達は色々油断してくれるだろう。


「恐れ入ります、殿下。殿下もお加減はもう宜しいのですか?」


「はい、公爵。ご令嬢のおかげで、大丈夫です。ヘリオトロープ公爵令嬢、ありがとうございました」


「いえ……」


「父と母が心配するので僕は戻りますね。それでは、また後で」


 と言って、俺はヘリオトロープ公爵一家から離れ、ハイドレンジアとミモザの元に戻る。

 一連の状況を見ていた二人が俺を心配する体でやって来る。

 両親がいるテーブルに向かいながら、俺は先程までの出来事を説明する。


「……なるほど。それで我が君はそのような芝居をなさっていたのですね。確かに、そのご判断は正しいかと思います。我が君がいらっしゃらない間、恐らく公爵の敵対している貴族達がいるテーブルの方角から、ヘリオトロープ公爵令嬢がいらっしゃらないことに対する根も葉もない噂を流そうとしてたので。ご令嬢の評価を下げようという魂胆が丸見えでした」


「……本当に面倒臭いなぁ、貴族。兄上が第一王子で良かったよ。面倒臭い貴族を相手にしたくないから、俺は王になりたくない」


 心底そう思うので、ハイドレンジア達にだけ聞こえる声で呟く。すると、二人にはまさかの発言だったようで驚きの声を出す。


「え、ヴァル様は王になるおつもりかと思ってました。王としてのお姿、絶対お似合いだと思います」


「ミモザの言う通りです。私達が忠誠を誓った、あの三歳の我が君のお姿を拝見した身としては、王に相応しいとしか言えませんでした」


「え、二人共、そんなこと思ってたの? あれは俺の方が優位だよって見せるための演技だよ? あんなことずっとしてたら、熱を出して、俺、ずっと寝たきりだよ」


「それはいけませんね。我が君、王になるのはおやめ下さい」


 うんうんとミモザのハイドレンジアの言葉に同意して頷いている。


『相変わらず、リオン命の側仕えとメイドだな。まぁ、我も同意だが』


 息を吐いて、紅が呟いた。俺から見たら皆、過保護だなと思うが。




 そして、両親の元に戻った俺は怒涛の貴族紹介挨拶タイムに入り、人の多さに本当に酔いそうになった。とりあえず、どの貴族も親が子供を俺に気に入ってもらおうと売り込もうと必死過ぎて、俺は終始心の内ではドン引きしていた。一部、子供を売り込もうとしない貴族もいて、共通点を見ると父の側近だったり、ヘリオトロープ公爵についている貴族達、あとはシュヴァインフルト伯爵やセレスティアル伯爵だった。こちらの気持ちが分かる人が少な過ぎる……。

 それから昼過ぎになり、挨拶タイムも終わり、お茶会は終了した。

 貴族達もぞろぞろと帰り、庭園に並べられたテーブルを使用人達が片付けていく。

 俺は右肩に紅、ホルテンシア兄妹を伴って、母のサロンに行く。お茶会が終わったら来るように言われたのだ。

 母のサロンに着くと、既に母が椅子に掛けて紅茶を飲んでいた。流石、カーディナル王国の三大美人の一人。飲む姿が美しく優雅だ。その人が母なのだから、少し自慢だったりする。自慢する相手はいないが。


「母上、お待たせしました。あの、ご用事は何ですか?」


 大体、予測はついているのだが、何も知らない四歳の振りをする。


「今日のお茶会、どなたか気になる人はいまして? 例えば、友人になりたいとか」


 椅子に掛けるよう母に促され、座ると質問された。

 予想通りだったので、一応、友人になりたいと思った子もいたので、考える顔をする。


「うーん……シュヴァインフルト伯爵とセレスティアル伯爵の令息ですかね……。それぞれ剣や魔法が詳しそうなので、色々聞いたりして、友人になりたいです」


 無難そうな答えを俺は言い、母を見る。この二人はゲームの攻略対象キャラだったりする。ゲームの内容と同じなら、彼等は友人兼護衛として俺に就くはずだ。他の貴族で気になる、友人になりたいと思える子がいなかったというのもあるが。正直、その親そっくりな傲慢そうな子ばかりだった。一割しかまともな貴族がいないってどうなんだと思うが、そういうものなのだろうか。

 答えに満足した母は頷き、更に笑みを深めた。


「……流石、ヴァルね。よく見ていますわ。では、気になる女の子はいまして?」


 扇で口元を隠し、笑顔で母が聞く。

 ぶっちゃけウィステリアちゃん! と開口一番に言いたかったが、流石に躊躇った。

 俺が口にすれば、婚約者候補として上がる。ウィステリアちゃんの意思なく決められてしまう。本音は俺の婚約者になって欲しいが、彼女にも選択して欲しい。強制したくない。今日、初めて会って、凄く優しくて良い子で、やっぱりこの子はめちゃくちゃ推せる……! と改めて思うくらいだったが、ウィステリアちゃんには幸せになって欲しい。もちろん、俺を選んでくれたら、絶対に幸せにするけど!

 凄く躊躇ってると、母が何かを察したのか、口を開く。


「挨拶をして離れた後に、しばらくして一緒に現れたヘリオトロープ公爵令嬢のことはどうですの?」


 流石、母。女の勘もあるのだろうけど、よく見てる。テーブルの下の俺の足が動揺で震える。顔や手に出さないだけでも頑張ったと言いたい。


「……とても優しいご令嬢だと思います。人に酔ってしまって具合が悪くなった僕に気付いて、少し離れたところで休憩させて下さったので」


「あら、そうだったの。もし、ヴァルが望むなら、ヘリオトロープ公爵令嬢を婚約者にどうかしら?」


「い、いえ、あの、勝手に話を進めるのはヘリオトロープ公爵令嬢に悪いです。強制したくないです。令嬢にも拒否権があります。令嬢が承諾して下さるなら、僕は構いません」


 政略結婚とはいえ、愛のない結婚は嫌だし、お互いが好き合っての方が良い。政略結婚をした両親は、恋愛結婚かというくらいとっても好き合っている。母がツンデレではあるが。そんな両親を見て育ったのだから、俺も結婚するならお互いが好き合った方が良い。そして、それがウィステリアちゃんなら尚良し!


「ヴァル、貴方は本当に優しい子ね。セヴィもそうですけど、わたくしの自慢の息子達ですわ。婚約者の件はグラナート様やクラーレット――ヘリオトロープ公爵にも聞いてみますわ。もちろん、令嬢にも」


 嬉しそうに微笑み、母との会話は終了した。



 後日、俺の婚約者がウィステリアちゃんに決まり、俺の心は狂喜乱舞した。そして、婚約者と二人だけのお茶会も決まり、動揺するのだった。

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