厄介な第三勢力 前編

 エルトーラ王国の王都のすぐ隣には広大な森が広がっている。本日ここでは、特務隊と警備隊が初の合同野外演習を開催していた。


「なんで僕まで……」


 不服そうに愚痴をこぼしたのは、特務隊専属料理人のキャロルだ。


 本来キャロルは非戦闘員のため、こういった行事には参加しない。だが、今回は山の中で昼食を摂るため、訓練兼炊き出し係として参加を命じられていた。


 愚痴をこぼすのはキャロルだけではない。


「うぐぐ……わざわざ歩く必要ないやんか。空を飛べばひとっとびやのに~」


 普段から移動は「飛ぶ」という手段をとっているテオも不満タラタラだった。そんなテオを見て、レオノーラが鋭い視線を向ける。


「うっさいわねー。フクロウの姿じゃ荷物が背負えないでしょ。うだうだ言ってないで歩きなさいよ」

「ぬおぉぉー! フクロウちゃうーーっ!」


 相変わらずのフクロウネタにテオが憤慨する。これにはレオノーラだけではなく、二人のすぐ後ろを歩いていたリュカとルークもうるさそうに顔をしかめていた。


 そんな彼らの背には、大きなリュックがあった。


 今回初めて野外で行われる演習は、道中も訓練の一貫としている。筋力と体力を鍛えるという名目で、重し入りのリュックが支給されていた。


「一番軽い僕のでこんだけ重いって……あの二人はどんだけ重いんだろう」

「分かる、それ。もうあの二人は別次元だよね」

「さすがは隊長と副隊長だ」


 リュックの重さは各自によって違う。非戦闘員のキャロルが一番軽く、役職持ちのレナードとクライヴが一番重いといった具合だ。だというのに、当の二人は重さをまるで感じさせない足取りで先頭を歩いていた。


 しかし、なぜか顔色は悪い。


「…………なぁ、隊長」

「なんですか?」

「すごく言いにくいんだが、言ってもいいか?」


 この問いにレナードの顔から表情が抜け落ちる。


「…………聞きたくはないですが、一応聞いておきましょう」

「現実逃避はよくないから言うぞ。隊長のリュックから尻尾がはみ出てる」


 レナードは一瞬背後を気にする素振りをしたが、すぐにクライヴのリュックへと視線を向けた。


「そういうお前こそ、さっきからリュックが元気に動いてますよ」

「…………」

「…………」


 無言になる二人をよそに、レナードのリュックからはみ出た小さな尻尾がピコピコと揺れ、クライヴのリュックがもぞもぞと動く。


「…………これはいるよな?」

「…………いますね」

「何で気付かないんだよ」

「お前こそ自慢の鼻はどうしたんですか」


 不毛な言い合いになりかけて、二人は揃って深い溜息をついた。どちらも出発時点で気付かなかったので同罪である。


 なにせ、リュックの中にいるのは獣化した自分の子供たちだ。もちろん入れた覚えなどない。なぜついてきたのか。そして、どうやって入り込んだのか。


 遠い目で現実逃避をする二人のやや後方では、リュックを背負ったトラが子供を乗せていた。獣化したジスランに騎乗する人化したエイダだ。こちらも出発時にはいなかったはずだ。いったいどこで拾ってきたのか。


「この調子ですと、アルヴィンのところにはリアーナもいるでしょうね」

「間違いなくいるだろうな。しかも、多分獣化している気がする」

「アルヴィンの悲鳴が聞こえてきそうですね……」


 アルヴィンはヘビにトラウマがある。ヘビ獣人である妻と娘の獣化には慣れたと言っていたが、フィズいわく「まだたまに顔が引きつっているわよぉ」とのことだ。トラウマはそう簡単に治らないらしい。


 娘のリアーナは、そんなアルヴィンの反応が楽しくて、度々ドッキリを仕掛けているそうだ。子供とは無邪気で恐ろしい。


 ちなみに、今回フィズは第二子を宿しているため参加していない。


「まぁ、さすがにノアとアリアは来ていないでしょう」

「だな。二人はまだ人化できないし――」

「ノアなら連れてきてるぞ。リュックに入れてある」


 クライヴ達の会話に割って入ってきたのは、今日も今日とて獣化しているアグネスだ。けろっとした顔で答えると、大きな石を軽々と飛び越えた。


 リュックの中に幼子がいるというのに、なぜわざわざ飛ぶ。最短距離を行かずに石を避けて通れ。それに、入れてあるという表現はどうなんだ。


 クライヴとレナードはそうツッコみたかったが、このトラには言っても無駄だと思い諦めた。


「トラ一家は家族総出での参加ですか……」

「アリアは……うちのアリアはいないと信じたい!」


 クライヴが半狂乱気味で頭を抱えた。


 アリアはクライヴとティナの子供で、リュックの中にいる双子兄弟の妹だ。二歳になったばかりのアリアは、現在獣化期の真っ最中である。小さくてか弱い娘までもがついてきているだなんて、恐ろしくて考えたくもない。


「あーちゃんはおうちにいるよ」

「母上とおるすばんだよー」

「そうか……それは良かった」


 可愛い声はクライヴのリュックの中から聞こえてきた。クライヴが思うのはただ一つ。二人にも留守番をしていてほしかった。


 父親としての責任、リュックの重さ+子供たちの重さ――二人の父親が暗い顔で歩みを進めていると、ニヤニヤした顔のルドラが近付いてきた。


「まーまー、ついてきたんなら仕方ないっしょ」


 この言葉にレナードがすべてを察した。元凶と言えるルドラに絶対零度の視線を向ける。


「さては、お前が手を貸しましたね」

「んー、何のことやら」

「少し前に新薬を開発していると言っていましたよね?」


 レナードは隊長としてそのことを把握している。以前フィズが無断で劇薬を作ったことがあり、それ以来薬の開発および研究は書面にて逐一報告することが義務付けられているからだ。


 ルドラが開発を始めた新薬。それは──。


「確か獣人族の鼻を欺く薬、でしたか?」

「バレたか~。いやぁ、薬の効果を検証してみたくてね」


 まったく悪びれることのないルドラに、クライヴの頬がヒクリと引きつった。


「てめぇ! うちの可愛い息子たちで実験するんじゃねぇ!」

「言っとくけど、薬を貸してって言ってきたのはちびっ子共だからな。はっ、犬っころの鼻もたいしたことないな」

「あ゛? やんのか、ヘビ野郎」

「おう、受けて立とうじゃねーか」


 睨み合いとなったクライヴとルドラは、そのまま器用に山を登っていく。しかも、競い合うような速さだ。


「はぁ、本当にあのバカ共は」

「隊長……子供たち……どうする?」

「付いてきてしまったものは仕方ありません。交代で子供たちの面倒を見ることにしましょう」


 ダンがピコピコと動く尻尾を見ながらコクリと頷いた。無表情だが、どことなく嬉しそうだ。


 獰猛なヒグマを祖に持つダンだが、彼は温厚で子供好きだ。隊の訓練よりも子供たちと遊ぶ方を好む。他の隊員達より圧倒的に頼りにはなるが、果たしてやんちゃ盛りの子供たちが大人しくしているかどうか。


「何もないまま終わるといいのですが」


 レナードは木々の合間から覗く青空を見上げた。どこからかアルヴィンの絶叫が聞こえた気がした。




◇◇◇◇◇◇




 野外演習の拠点となるのは、山の中腹にあるひらけた河原。そこに今、特務隊と警備隊が隊ごとに整列していた。


「では、班分けは以上です。今回はより実践形式に近い演習ですので、各々気を引き締めるように」


 レナードの言葉に全員が短い返事を返す。その中には子供たちの声も交じっていた。いっちょまえに整列しているところを見ると、自分たちも隊の一員のつもりなのだろう。


 ルドラの手引きにより付いてきてしまったのは全部で六人。年齢順に、エイダ・クローディア・リアーナ・フィル・ルイ・ノアだ。荷物に紛れ込むために獣化していた子供たちだが、今は人化していた。唯一まだ人化が出来ないノアだけが小さなトラの姿で整列している。


 今回の野外演習は、複数対複数で行われる団体戦だ。腰に付けた粉袋が破れた時点で戦線離脱。制限時間終了時に多く生き残っていた方が勝ちとなる。武器の使用はありだが、薬品の使用は不可というルールだ。


 警備隊側は事前に選抜された者が計三十名。午前と午後で十五人ずつに分かれて演習に臨む。対する特務隊は、五名ずつのチーム分けだ。午前チームのリーダーがクライヴ。メンバーはレオノーラ・ジスラン・テオ・リュカ。


 午後はレナードがリーダーで、ルドラ・ダン・ルーク・アグネスというチーム編成だ。キャロルは料理担当のためチームには含まれていない。


「相手は獣人族だ。遠慮はいらん。全力で叩きつぶせ!」

「「 おぉぉー!! 」」


 この演習は警備隊の昇級試験も兼ねている。そのため、気合いの入り方が半端ない。


 特務隊は特段何もないが、もとより負けず嫌いの集まりだ。やるからには負けるつもりはない。クライヴもチームメンバーとしっかり作戦会議を行っていた。


 チームメンバーとの話し合いを終えると、石拾いに熱中している息子たちの元へと向かう。


 可愛い息子たちは、やんちゃ盛りの四歳。親の欲目を引いても聞き分けの良いいい子だと思うが、しっかり言い聞かせておくことに越したことはない。なにせ子供とは、多人数になればなるほど何かしでかすのだ。


「フィル、ルイ」

「あっ、父様!」

「なーに、父様?」


 両手に石を持ったまま、フィルとルイが顔を上げる。


「父様達は森で演習をするから入っちゃダメだぞ。あと川で遊ぶのはいいが、必ず大人と一緒に入ること。いいな?」

「「 はーい! 」」


 フィルとルイが全く同じタイミングで返事をする。手を上げる仕草までシンクロしている。さすがは双子だ。


「よし、十五分経ったな。行くぞ」


 息子たちの声援を背に受け、クライヴはチームメンバーと共に森へと足を踏み入れた。


 ベースの身体能力を考慮して、先へ森へ入るのは警備隊チームとなっている。この時間の間に、地の利を把握し、罠を張っている可能性はおおいにある。


 それらを踏まえた上で立てた作戦は、至極簡単なものだった。


 まずは獣化したテオが上空から広範囲を索敵する。森を出るのはルール違反だが、上空はその範囲に含まれない。


 そして、地上ではクライヴが嗅覚で、レオノーラが聴覚で警戒・索敵をする。リュカは小回りの良さと素早さを活かして、奇襲に備えるという寸法だ。


 ちなみにデカいトラ──もといジスランには特に役割を与えていない。このトラは戦力的には十分なのだが、いっさい人化する気がない。それゆえデカくて目立つ。いっそのこと囮に使ってやろうかとさえ思ってしまうほどだ。


 森の中は葉が揺れる音と鳥の声くらいしか聞こえない。相手もこちらの聴覚を十分に警戒しているようだ。


 しばらく森の中を歩いたところで、クライヴの嗅覚が何かを察知した。スッと手を出し、みんなに止まるよう合図を出す。


「──いたぞ。南東におよそ一キロ。数は三人」

「私が行くわ」


 いち早くうごいたレオノーラは、獣化すると足音もなく森の中へと消えていった。


 こうして獣化と人化を人前でもできるようになったのは、ティナの父が開発した魔道具のおかげだ。今やこの魔道具は、この国の獣人族なら誰もが持っている必需品となっていた。


 ほどなくして、遠くから悲鳴のような声が聞こえてくる。レオノーラが敵チームと相対したようだ。勝敗はホクホク顔で戻ってきたレオノーラを見れば一目瞭然だった。


 その後、クライヴたちはさらに森の奥へと進んだ。途中、罠が仕掛けられていたり、警備隊チームに奇襲をかけられたりしたが、特務隊チームは誰一人欠けることなく乗りきった。


 今のところ倒した相手は六人。三人ずつに分かれていると仮定すれば、残りは三グループ。


「少し匂いが分かりにくくなってきたな」

「風向きが変わったみたいだね。河原の匂いが流れて来ちゃってる」

「……ふむ、今日の昼は干し肉のスープか」


 少年の面影が消えつつあるリュカは、以前より遙かに強くなった。こうして場の状況を冷静に判断することも出来る。


 対して戦闘力だけはやたら高いトラは、相変わらず食欲に忠実だ。演習中にもかかわらず、鼻をヒクヒクさせて昼食に思いを馳せている。まじめにやれと言いたいが、一応成果は出しているので黙っておく。


「ふふん、このままなら私たちの圧勝ね」

「油断はするな。何が起こるかは分からないぞ」


 クライヴの言葉が現実のものとなったのは、この直後のことだった。

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