番外編 新たな家族とクライヴの悩み

 色とりどりの花が咲き乱れる春が終わり、緑が青々と茂ってきた頃、ウォルフォード家に新たな家族が誕生した。


 イエローゴールドのぱっちりした目に、母親譲りのはちみつ色の髪。ふくふくとした可愛らしい女の子は、アリアと名付けられた。


「あかちゃん、かわいーね」

「あかちゃん、ちいさいねー」


 ベビーベッドですやすやと眠る小さな妹を見つめるのは、ころんと丸いシルエットが愛らしい双子のオオカミ。お兄ちゃんになったフィルとルイだ。


 二人は毎日飽きもせず、アリアの観察に勤しんでいる。妹が誕生したのがよほど嬉しいらしい。あまりにもアリアにべったりなので、使用人が二人専用のイスを準備してくれたほどだ。獣化中の二人が登りやすいように、子供用の台まで準備されるという手厚さである。


「…………ぅ」

「あっ、あかちゃんおきた」

「かあさま、あかちゃんおきたー」

「あら、ありがとう」


 ティナは教えてくれた二人の頭を撫でた後、ベビーベッドを覗き込んだ。アリアは起きたばかりで眩しいのか、むちむちのおててで目を擦るような仕草をしていた。


「おはよう、アリア」

「うー」

「はいはい、抱っこね」


 もちろんアリアが何と言っているかなど分からない。でも、ひたりと見つめてくるイエローゴールドの瞳が「抱っこ」と言っているような気がする。母の勘だ。


 そっと抱き上げると、小さな手がティナの服を力強く掴んできた。赤子というのはか弱いかと思えば、何かを握る力はなかなかのものだ。うっかり髪を掴まれようものなら、遠慮なく引っ張られるので要注意である。


 ソファへと移動すると、すぐに双子たちもやってくる。こちらにも台が備え付けられているので、上り下りも楽々だ。


 ウォルフォード邸には、このような台が至る所に置いてある。子供たちが快適に暮らせるようにとクライヴが指示したのだ。


 というのも、二歳のフィルとルイは、現在獣化期と呼ばれる時期の真っ最中だ。これは獣人族特有の現象で、離乳食完了後から四歳前後まで獣化するというものだ。再び人化するには訓練が必要となる。一応二人も練習しているが、人化できるにはまだまだ時間が必要そうだった。


 視線の低い二人に見えるように、アリアの顔を少し上げてあげる。


「ほら、アリア。お兄ちゃんたちよ」

「フィルだよ」

「ルイだよー」


 パタパタ尻尾を振るモフモフを、アリアが瞬きせずじっと見つめる。多分じっくり観察しているのだろう。


 やがて、アリアはふにゃりと破顔した。


「あーぅ」

「「 わらった~! 」」


 妹が反応してくれて嬉しいのか、フィルとルイがちぎれんばかりに尻尾を振る。赤子と幼児のふれあい。こちらとしてはどっちも最高に可愛い。


 ほっこりした気持ちに浸っていると、控えめなノックの音が聞こえてきた。


「ティナ、入るぞ」

「あら、クライヴ。おかえりなさい」


 やってきたのはクライヴだった。隊服姿なのは、帰ってくるなり真っ先にここへ来たからだろう。


「とうさまだ!」

「とうさまー!」


 ソファをぴょんと飛び降りたフィルとルイは、勢いそのままにクライヴへと突っ込んでいく。突撃タックルという名の元気な出迎えを、クライヴはしゃがみ込んで受け止めた。あれにビクともしないのはさすがである。


「フィル、ルイ、ただいま。今日は何をして遊んだんだ?」

「あのね、あのね。あかちゃんがわらったの!」

「おにーちゃんだよっていったらわらったのー!」

「そうか、良かったな」


 今日というよりつい先ほどのことを報告する二人に、クライヴが目尻を下げる。そして、二人を抱っこしたままこちらへとやってきた。


「ただいま、ティナ」


 隣へ座ったクライヴが当然のように頬へ口付けてくる。ティナも応えるように頬をすり寄せた。


「今日は随分早かったのね」

「家族団らんの時間は大事だからな。体調はもう大丈夫か?」

「ええ、いつまでも寝ていられないわ」

「無理はするなよ。仕事ならいつでも休むから」


 クライヴの気遣いに言葉は返さず笑顔で応える。


 産後の体を気遣ってくれるのはありがたいが、副隊長ともあろう者が頻繁に休むのは良くない。ただでさえ、出産直後は一週間近くも休みをもらったのだから。


 それに、屋敷には使用人が大勢いる。子供達の世話も手伝ってくれるし、何かあってもすぐ駆けつけてくれる。まぁ、そう言うと盛大に拗ねるので口には出さないが。


「うー」

「おっ、アリアも起きてたのか」

「ええ、さっき起きたところよ」

「アリア、父様だぞ~」


 クライヴが猫なで声でアリアへ声をかける。クライヴとしては可愛い娘の笑顔が見たいのだろう。だが、ティナはこの後の展開を予想して苦笑した。


「……ぅ」

「アリア~」

「…………」


 クライヴが声をかければかけるほど、アリアの顔はどんどん曇っていく。そして、クライヴがアリアを抱き上げようと手を伸ばした瞬間、アリアは弾かれたように泣き出した。


「あらあら」

「……やっぱりダメか」


 予想通りの展開に、ティナはアリアの背を優しく叩いて落ち着かせようとした。


 目の前では、行き場のない手を宙に彷徨わせたまま、クライヴがガックリと肩を落としている。娘に拒否られた憐れな父親を、フィルとルイが小さなおててでポムポムと励ましていた。


「いつになったらアリアは俺に慣れてくれるんだ……」

「今日はまだ無理みたいね」


 生後二日目あたりで分かったことだが、なぜかアリアはクライヴを見ると泣き出してしまう。


 最初は男の人が怖いのかと思ったが、義理の父やティナの父に対しては泣く素振りすらなかった。人見知りをするには時期が早いし、そもそも人を認識するのもまだできていないはずだ。


 そうだというのに、アリアはクライヴが話しかけると体を硬直させ、抱っこしようものならギャン泣きするのだ。


 義理の母いわく、アリアは気配に敏感なのではないかとのことだ。獣人族──特に肉食獣を祖に持つ家系には、たまにそういう子が産まれるらしい。クライヴはウォルフォード一族の中でも飛びぬけて強いそうなので、余計怖がられているのではないかとのことだった。残念なことに解決方法は特になく、自然と落ち着くのを待つしかないらしい。


「俺だって可愛い娘を抱っこしたいのに……」

「そのうち平気になるわよ。ね、アリア?」

「そーだよ。とうさまはこわくないよ」

「とうさまやさしーよ」


 ティナと兄たちの呼びかけにもアリアは泣き止まない。まるでその泣き声は「やだーっ」と言っているようだった。


 このままではクライヴがさらに落ち込んでしまう。ティナはアリアを抱いて窓辺へと移動した。クライヴから離れればアリアも落ち着くだろう。


「ほら、きれいな夕焼けよ。もう少ししたらお庭にも行ってみましょうね」


 二階にあるこの部屋からは、ウォルフォード邸の庭が一望できる。この庭はフィルとルイが生まれてすぐに、子供たちが楽しめるようにと大改築されていた。街並みのずっと奥には、煌々と輝く太陽が地平線の彼方へと沈みゆく。


 ゆっくり揺らしながらあやしていると、アリアは次第に落ち着きを取り戻していった。潤んだ目は興味深そうに窓の外を向いている。


「みんなでお庭を散歩するのが楽しみね」

「その時は俺がアリアを抱っこ──」

「余計嫌われても知らないわよ」

「ぐっ……」


 本気で項垂れるクライヴを見てクスリと笑う。


 なんだかんだ言っても、クライヴがアリアを無理に抱っこしようとすることはない。自分の気持ちよりも子供の気持ちを優先しているのだ。『妻にも子供にも優しい夫になる』という昔の言葉が脳裏に浮かぶ。


「アリア、お父様は強くて優しくて……とってもカッコいいのよ」


 アリアにもクライヴが優しい人だと早く分かってほしい。ひそりと囁くような声に、無垢な赤子は不思議そうな顔をしていた。


「クライヴがあなたを抱っこできる日が待ち遠しいわ」


 なお、この言葉が実現されたのは、半年も後のこととなる。

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