最終話

「なんだこいつ?」

「なんだろうね?」


 花にとまった色鮮やかな蝶を、興味津々といった様子で二対のまん丸な瞳が覗き込む。


 肉食獣特有のイエローゴールドの瞳を持つのは、まだ幼い二匹のオオカミ。一人は茶色混じりのグレーの毛色で、もう一人は純白の毛色をしている。ふわふわの毛に、まん丸の体が幼さを強調していた。


「わっ、とんだ!」

「まてー!」


 ひらひらと空に舞い上がった蝶を、小さなオオカミ達が跳ねるように追いかける。無邪気で愛らしい様子に、離れた位置で見守る使用人たちも自然と笑みを浮かべていた。


「二人とも、そっちは池があるから気を付けてね」


 優しい声が二人に注意を促す。


 庭の一角にあるガゼボにいるのは、双子オオカミの母親だ。ゆったりと結われたはちみつ色の長い髪が、柔らかな風にふわりと揺れる。


 小さなオオカミ達は、母親の声にハッと立ち止まると、きょろきょろ辺りを見回した。そして、母親から離れてしまったことに気付くなり、慌てた様子で戻ってきた。


「かあさま、だっこ~」

「ぼくも! ぼくも~!」

「あらあら」


 まだまだ甘えたい盛りの二人は、母親の元に来るなりぴょんぴょん跳ねて抱っこを要求する。あまりに元気がいいものだから、お互いの体がぶつかって、ころんと転がってしまった。


 揃って仰向けになる子供たちを見て、母親は抱き上げようと手を伸ばす。しかし、大きなお腹が邪魔をして屈むことができなかった。


 そうこうしているうちに、二人はすぐに自力で立ち上がる。だが、抱っこコールは止まらない。どうしたものかと苦笑していると、子どもたちの体がふわりと浮いた。


「フィル、ルイ。母様に無理を言うんじゃない」

「「 あ、とうさま! 」」


 右手にグレーの毛色のオオカミを、左手に白い毛色のオオカミを抱くのは、特務隊の隊服を身にまとった二人の父親だ。子供たちは急に高くなった目線にキャッキャッとはしゃいでいた。


『ティナ──俺の唯一の番い。どうか俺と結婚してほしい』


 城壁の上でクライヴにプロポーズをされ、それを受け入れたのは、もう三年も前のこと。


 あれから結婚に至るまでにはいろいろあった。


 まず、ティナがエヴァンス家の血筋だと知れ渡ったことで、周囲の扱いがガラリと変わった。簡単に言えば「庶民が」などと囁かれていた陰口がピタリとやんだ。


 さらに、なぜか父が準男爵の称号を賜った。どうやら例の魔道具が、獣人族に広く支持されたかららしい。特に四家当主達が直々に推薦したのが大きかったそうだ。その働きかけをアレクがしたのだと知ったのは、かなり後になってのことである。


 これらの出来事のおかげで、ティナとクライヴの仲に文句を言うものはいなくなった。


 だが、すぐ結婚とはいかなかった。否、ティナが口を大にしてクライブを説得した。なにせ従兄のアレクが結婚が決まったばかりなのだ。それより先に結婚するのはちょっと外聞が悪い。


 アレクの式にはもちろんティナも参列した。その際クライヴが祖父に斬りかかられたのは、ちょっとした笑い話となっている。


 そして、アレクの結婚式の翌月にティナとクライヴは結婚した。それからすぐに第一子を授かったのだが、まさか初産で双子を出産するとは思いもしなかった。


 グレーの毛色でやんちゃな方が兄のフィル。雪のように白い毛色で慎重な性格なのが弟のルイだ。今年で二歳になった。


「クライヴ、仕事はどうしたの?」

「大切な妻が心配でな。もちろん隊長の許可は貰ってる」

「だからって、一日に何度も帰ってこなくても……」


 ここ最近、クライヴは日に何度も戻ってくる。ティナの体調を心配してのことだ。心配性にも程がある。何かあれば使用人が呼びに行くのだから、ちゃんと仕事をしてほしい。


 立ち上がろうと腰を浮かしかけたティナをクライヴがやんわりと制する。そうかと思えば、覗き込むように背を屈めて唇を重ねられた。


「~~っ!」

「そう怒るな。体に障るぞ」

「誰のせいだと……」


 結婚してからというもの、クライヴは隙あらばイチャつこうとしてくる。それは子ども達が生まれてからも変わらない。


 人目を気にして使用人達へ視線を向ければ、全員見て見ぬふりをしてくれていた。ウォルフォード家の使用人たちは非常に優秀である。


──ハッ! フィルとルイ!


 しまったという思いで、クライヴに抱かれる息子達を見る。二人は小さな前足でしっかり目を隠していた。「もういいかな?」「まだだめだよ」などと話している。幼児にして何という空気の読める子達か。


「フィル、ルイ。もういいわよ」


 いたたまれない気持ちで声をかければ、小さな前足がそっと退けられる。二人はティナとクライヴを交互に見た後、見つめ合って大きく頷いた。大変いたたまれない。


 その様子に苦笑した後、ティナは大きく息を吐いた。それに気付いたクライヴが気遣わしげな視線を向けくる。


「大丈夫か? そろそろ部屋に戻ったほうがいい」

「大丈夫よ。たまにはこうして外の風に当たらなきゃ」


 心配そうに眉根を下げるクライヴに笑いかけながら、大きなお腹をゆっくりとさすった。


 現在ティナは第三子を妊娠している。予定日はまだほんの少し先だが、先程から赤ちゃんが元気にお腹を蹴るものだから、ちょっと疲れてしまったのだ。


「あかちゃん、うごいた?」

「あかちゃん、げんき?」

「ええ、元気に動いてるわよ。お兄ちゃん達の声が聞こえて嬉しいみたい」


 そう言うと、二人はぱあっと明るい顔になる。二人ともお兄ちゃんになるのが待ち遠しいのだ。興奮してふすふす鼻息が荒くなっているのが可愛いらしい。


 今はぬいぐるみのように愛らしい姿をしているが、二人は少し前まで人化した姿をしていた。


 生まれた時は人化した姿だったのが、離乳食が終わり安定して歩けるようになった頃、二人は突然獣化した。朝起きると子供たちがオオカミ姿になっていたのだから、かなり驚いた。


 隣で目を覚ましたクライヴが「そういえばそんな時期か」などとのんきだったのには少々腹が立った。事前に説明してほしかったと説教をしたのは悪くないはずだ。


 獣人族の子どもというのは人化して生まれてくる。だが、ある程度育つと獣化する。再度人化できるようになるには個人差があるらしく、遅くとも四歳前後には覚えるらしい。こればかりは自分で感覚を掴むしかないそうだ。


 エイダが三歳で人化したのは、割と早いほうだったようだ。息を止めて踏ん張る小さなトラは、今やもう六歳になった。


「そういえば、エイダちゃんが最近レオノーラさんから指導を受けてるって本当ですか?」

「ああ。レオノーラだけでなく、他の奴らからもいろいろ教わってるぞ」

「まだ早い気もしますが……」

「ちゃんと手加減してるから問題ない。エイダもあれで肉食獣だから筋はいいぞ」


 エイダは非常に活発で何にでも挑戦したがる。年下がたくさん増えてからは、お姉さんらしくみんなの面倒も見てくれる。ちなみにその年下というのは、フィルとルイのことだけではない。


 まず、レナードの娘・クローディア。通称ディア。彼女は三歳になる。実はエイダが初めて人化できた頃に、レナードの奥様はすでに妊娠中だったらしい。彼がエイダをやたら可愛がっていたのは、もうじき父になる父性からだったのか。


 同じく三歳になるのが、フィズとアルヴィンの娘・リアーナだ。リアーナは三歳にして既に毒物実験に興味を持っている。フィズと共に薬を作る実験が大好きな女の子だ。アルヴィンが嘆いているのは言うまでもない。


 そして半年程前には、小さなトラ──エイダの弟が生まれた。名前はノアだ。不思議なことにノアは獣化した姿で生まれてきた。「こいつらはただの野生のトラだから」と全員が口を揃えて言ったのは、ジスランとアグネスが人化した姿を未だ誰も見たことがないからだろう。


 そんなわけで、特務隊の庭では時々ベビーアニマル達が大集合して元気に走り回っている。このほっこりする光景は、特務隊名物として城内でも大人気だ。


「ふふっ」

「どうかしたか?」


 クライヴと初めて出会ったあの日。あの最低ともいえる出会いから、こんな穏やかな日々を過ごすなど、誰が想像できただろうか。口には出さず心の中で思い出を辿る。


「そういえば昔、得意げな顔で『妻にも子供にも優しい夫になる』って言ってたわよね」

「懐かしいな。でも、本当だっただろ?」


 クライヴが子供たちを地面へおろすと、元気が有り余る二人は、また庭へと駆けて行った。それを見送りながら、クライヴがティナの隣へと腰を下ろす。


「無事生まれてくるといいな」


 お腹の子に挨拶するようにポンポンと叩く手は、とても優しい。たくましい体に寄りかかれば、出会ったとき──いや、それ以上に愛されていることを実感する。


「クライヴの番いで──あなたと結婚できて、とても幸せだわ」


 そう返されるとは思わなかったのか、面食らったクライヴが目を丸くした。しかし、その顔はすぐに嬉しそうなものへと変わる。


「ティナ──俺のかわいい奥さん。愛してる」

「私もよ、クライヴ」


 くすくす笑いあうと、どちらからともなく唇を重ねる。


 子供達が「わっ」「わー」と言っているのが聞こえるが仕方ない。だって獣人族というのは、番いを生涯愛するものなのだから。


 オオカミ副隊長は今日も番いを溺愛している。

 

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