第138話 あなたと共に

 アレクの家を後にしたティナは、真っ直ぐ帰途へついていた。なんだかんだで、もうすでに日は暮れ始めている。暗くなる前に戻らねば、また誰かが探しに来そうだ。そう、例えばクライヴとか。


 なにせクライヴとは朝に別れたきりだ。逃げるように食堂を飛び出し、そのまま外出している。レナードの許可を貰っているとはいえ、クライヴのことだからワーワー騒いでいそうな気がしないでもない。


 その光景がありありと浮かび、無意識にこめかみを押さえた──その時だった。


「ティ~ナ~!」

「…………」


 気のせいだろうか。後ろからものすごく聞き覚えのある声がする。いや、だが声の主はまだ仕事中のはずだ。きっと気のせいだ。気のせいに違いない。


「ティ~ナ~!!」

「…………っ!」


 勢いよく振り返ると、案の定そこには尻尾を振って駆けてくる犬──ではなく、ニコニコと嬉しそうな笑顔で駆けてくるクライヴがいた。何だか既視感を感じる。


「クライヴ様……また私に見張りを付けてたりしませんよね?」


 クライヴには前科がありまくるので、開口一番そんな疑いの言葉を口にする。すると、クライヴの動きがピタリと止まった。


「そういうのやめて下さいって言いましたよね」

「い、いや……み、見張りはつけてない! 本当だ!」

「ふぅん。それでは仕事はどうしたんですか? まさかサボりではないですよね?」

「し、仕事は……ちょ、ちょっとアレクのとこに用があって……」

「用? アレクに? 私の後をつけていたわけじゃありませんよね?」

「そ、それは……えーと……あっ、ほら! アレクから隊長宛の手紙! 今回はちゃんと仕事だ!」


 クライヴがドヤ顔で懐から何かを取り出す。それは四つ折りにされた紙きれだった。どう見ても手紙には見えない。


「……それ、本当に手紙ですか?」

「ほ、本当だ。間違いなくアレク本人がよこしたものだ。ほら、アレクの匂いがするだろ」

「私には分かりません」


 間髪入れずにそう答えれば、「なんでっ」と焦った声が返ってくる。逆に聞きたい。人族が匂いで判別できると思っているのだろうか。


 胡乱な視線を送り続けていると、クライヴは証拠を探すようにポケットを漁ったり、右往左往したりする。その慌てっぷりときたら、おかしくて思わず苦笑してしまうほどだ


「そ、そうだ! 戻ってアレクに確認を……」

「そこまでしなくてもいいですよ。今回は信じます」


 これは長年動物を観察し続けてきたティナの勘だ。これだけ必死なら本当に仕事だったのだろう。いや、そもそもクライヴは動物ではないのだが。


「じゃあ、一緒に帰りましょうか」


 パッと笑顔になるクライヴを見て、つられるように笑みを浮かべる。


 隊舎に帰れば顔を合わせるのに、わざわざ走って追いかけてくるなんて──まったく、このオオカミはどこまで可愛いのか。面映ゆい気持ちが胸の奥に広がっていく。


『ティナが悩んでること全部クライヴにも話してやれ』


 脳裏にこだましたのは、先程アレクに言われた言葉。


 そうだ。これは話しをするチャンスだ。隊舎に帰れば二人で話をする機会は少ない。それに耳のいい隊員達に聞かれてしまう可能性もある。


 そう思ったら咄嗟にクライヴの腕を掴んでいた。


「あの! 話したいことがあるんです。少し寄り道していきませんか?」



◇◇◇◇◇



 二人がやって来たのは、王都をぐるりと囲む外壁の上──正確に言えば、外壁に作られた物見塔だ。昔は周囲の監視のために使用されていたが、現在では展望台として一般開放されている。


「わぁ、すごくいい眺め!」

「人もいなくて穴場だろ」

「よくこんな場所知っていましたね?」

「子供の頃に何度か来たことがあってな」


 どうやら知る人ぞ知る穴場スポットらしい。通りで素敵な場所なのに人がいないはずだ。


 ポツポツと明かりが灯り始めた街を見て、クライヴが懐かしそうに目を細める。その横顔を西の空に沈みゆく太陽が明るく照らしていた。


 こうして改めてみると、やはりクライヴは整った顔立ちをしている。少し鋭くも凛々しい目元、すっと通った鼻梁──女の子が騒ぐのも頷ける。なぜこんな人が自分を選んでくれたのか。


「それで、話したいことってなんだ?」

「そ、それは……あの……け、結婚についてなんですが」


 予想外の内容だったのか、クライヴが目を見張る。そういえば、ティナの方からこういう話しを切り出すのは初めてかもしれない。


「私は生まれも育ちも庶民です。獣人貴族のクライヴ様とは身分の差があります」

「俺自身が気にしないと言ってもか?」

「はい……」


 その言葉は何度もクライヴから聞いた。嬉しい言葉ではあったが、どうしても不安を捨て去ることはできなかった。


「クライヴ様のことは好きです。でも、私のせいでクライヴ様が悪く言われるのが嫌なんです」


 実際、ティナがクライヴの番いだと判明した時も、口さがない噂がたった。クライヴと二人の時は何も言ってこないが、一人で城内を歩いているといろいろ言われたりもした。


『なんであんなみすぼらしい女が』

『クライヴ殿ともあろう方が庶民などと……』


 悪し様にぶつけられた言葉が脳内に響き渡る。


 迷惑はかけたくない。でもクライヴと離れたくない。相反する想いがこんなにももどかしいだなんて思いもしなかった。


「ティナはいろいろ考えすぎだ。俺が何か言われたところで気にするとでも?」

「でも、迷惑が……」

「迷惑だなんて思っていない。それとも何か。今さら俺にティナを諦めろと?」

「そ、それは……」


 返す言葉が見つからず、唇をグッと引き結ぶ。


 しばらく無言の時間が流れ、先に口を開いたのはクライヴだった。


「俺のことを考えてくれたんだな。正直に言えば、やっかみを言ってくる奴がいないとは言いきれない」


 クライヴがまるで自分事のように苦し気な表情を浮かべる。


「だが、そんな奴らは放っておけ。他者が何と言おうが、俺が妻にしたいのはティナだけだ。ティナ以外はいらない。だから──」


 その先は言葉にしなかったが、代わりに強く抱きしめられた。少し高いクライヴの体温がティナへと伝わってくる。


 この温もりから離れたくない。この人と共に生きていきたい。溢れる愛おしさから、そっとクライヴの背へ腕を回す。


「……本当に私でいいんですか?」

「ティナでなきゃダメなんだ」

「貴族のマナーなんて分かりませんよ?」

「俺が手取り足取り教えてやる」

「あとから後悔しても知りませんよ?」

「後悔なんてする訳がないだろ」


 大真面目に返ってきた答えに、口の形だけを変えて笑う。


「もしティナのことを悪く言うやつがいたら、俺が噛みついてやる」

「何ですかそれ」

「安心しろ。獣化して思い切り噛みついてやる」

「オオカミに噛まれたらケガする程度じゃ済みませんよ」


 堪えきれなくなってくすくす笑いながらクライヴを見上げれば、慈しむような優しい目がこちらを見つめていた。


 美しいイエローゴールドの瞳に映るのは自分の姿。それが段々と近付いてきたかと思えば、唇に柔らかな感触がおりてきた。すぐにその感触は消え、再び美しい黄金の瞳がティナを見つめる。


「ティナ──俺の唯一の番い。どうか俺と結婚してほしい」


 クライヴとなら何があっても一緒に乗り越えられる──ティナにもう迷いはなかった。

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