第136話 噂の出所
「ここがエヴァンス家の別邸……?」
意気込んで城を出てきたティナは、プリシラから貰った地図と、目の前の家を何度も交互に見比べた。
『エヴァンス家の邸宅は……見ればすぐ分かるわよ』
プリシラはそう言っていた。随分と気まずそうな物言いで目を逸らされたが、あれはこういうことだったのか。
目の前にあるのは赤い屋根がかわいい一軒家。一般的な庶民の家よりは大きいが、貴族のお屋敷には全く見えない。控えめに言って、そこそこ裕福な商家の家といった外観だ。
さあ、どうぞと言わんばかりに開け放たれたままの門。もちろん守衛などの姿は一切見当たらない。門の奥に見える小さな庭は、美しい花々──ではなく、なぜか家庭菜園が作られていた。
「そ、そもそもアレクが家いるとは限らないよね。まだお城にいるのかもしれないし……」
ここまで来たのは、勝手に人の出自を言いふらしたことを一言物申してやろうと思ったからだ。しかしながら、あまりにも庶民派な家を目の当たりにして、入る勇気がなくなってしまった。果たしてここは本当にエヴァンス家の別邸なのか。
どうしたものかとウロウロしていると、突然背後から肩を叩かれた。
「ひいぃぃ! ご、ごめんなさいごめんなさい! 怪しい者では──って、アレク!?」
そこにはティナの挙動不審っぷりに目を見張るアレクがいた。
「よっ、ティナ。こんなとこで何してるんだ?」
「あ、あの……アレクの上着を返しに……」
「上着? ああ、トラの子どもに追いはぎされたアレか。わざわざ悪いな」
「う、うん……」
持っていた上着をアレクへと渡す。これはプリシラとお茶をしている間に、城の使用人がクリーニングしてくれたものだ。自分でやるより数倍キレイになっているからありがたい。
落ち着きを取り戻したティナは、アレクが昨日よりしっかりした身だしなみをしていることに気が付いた。いつもだいたい砦の制服やラフな私服姿を着ているので、こういう貴族らしい格好は初めて見たかもしれない。きっと城から帰ってきたとこなのだろう。
「せっかく来たんだ、入ってけよ」
「えっ……?」
そうして、やや強引に連れて来られたのは応接室と思しき一室だった。
すすめられるがままにソファへと座ると、メイド服を着た女性が紅茶とクッキーを差し出してくれる。白い湯気に乗ってふわりと鼻腔をくすぐる匂いには覚えがあった。
「あっ、これ……」
「おう。懐かしいだろ」
この清涼感のある独特な香りは、辺境の地でよく飲まれる紅茶だ。ティナも幼い頃から親しんでいた。こっちで飲む紅茶よりも味が濃いのが特徴で、砂糖を多めに入れるのが定番だ。
角砂糖を二つ入れて、よくかき混ぜてからそっと口へと運ぶ。子供の頃から慣れ親しんだ懐かしい味に、ホッと肩の力が抜けていくのが分かった。
「それにしても、よくここが分かったな」
「えっと、お友達に聞いて……」
そのお友達が貴族のお嬢様とは黙っておく。アレクのことだからどうやって出会ったのか根掘り葉掘り聞かれそうだからだ。
幸いなことに、アレクはさほど気にしたそぶりもなく「ふーん」とだけ呟いた。
「そ、それよりも! 私がエヴァンス家の血を引いてるってこと、お城で喋ったでしょ!」
「おー、耳が早いな~」
「いったいどういうつもりよ」
「いやぁ、クライヴの番いがティナだって聞いてな。それ俺のいとこだって言っただけなんだが……人の口に戸は立てられないってこういうことを言うんだな」
軽く笑い飛ばすアレクに自然と口がへの字に曲がる。特務隊の皆の前でバラしたときといい、まったく反省の色がない。
だが、すぐに別なことが引っかかった。
アレクは今「クライヴの番いがティナだ」と口にしなかっただろうか。帰省した際、クライヴの番いということは黙っていたはずだ。
「あの……い、いま……番いって言った?」
「言った言った。お前、クライヴの番いなんだろ?」
「な、なんでそれをっ!?」
「あー……知り合いから聞いた。城で働いている奴なら誰でも知ってるらしいぞ」
驚くティナを尻目にアレクがニヤリと笑う。
確かにクライヴの奇行のせいで、王城の人たちは私が番いだと知っている人が多い。それがアレクの耳に入ることは不自然ではない。だが、アレクのことだ。帰省した時のようにクライヴに斬りかかるかもしれない。
激しく動揺するティナだったが、予想に反してアレクは落ち着いた様子であった。むしろ面白がるような口調で踏み込んだことを聞いてきた。
「そんで、ティナはクライヴと結婚するつもりなのか?」
「うええぇぇ!?」
「そんなに驚くことか? だってお前ら付き合ってんだろ」
「な、なななんでそんなことまでっ!?」
「いやぁ、俺って知り合いが多いからな~」
思わず「どんな知り合いよっ」とツッコミを入れる。
アレクにこの情報を吹き込んだ人を心底恨む。これでは間違いなく両親と祖父に話が行ってしまう。
窓辺へと歩いていくアレクを目で追いながらギリギリと歯を食いしばる。
「付き合うくらいだから、結婚くらい考えてるんだろ?」
「うっ……そ、それは……」
「なんだ? なにか引っかかることでもあんのか?」
振り返らずに問うてきたアレクが、窓を少しだけ開けた。
冷気を帯びた風が室内へと流れ込んでくるが、体温が上がってきたティナには心地いい。そのおかげで少しだけ冷静さを取り戻したティナは、クライヴとの結婚に踏み切れない理由を語り始めた。
「クライヴ様は獣人貴族でしょ。エヴァンス家の血筋だって言っても、私は庶民だし……」
「別に庶民だからって、貴族と結婚できないわけじゃないだろ」
「それはそうだけど……」
アレクが言うように、エルトーラ王国では身分差による結婚を禁止する法はない。貴族と村娘が婚姻した事例だってある。
しかしながら、実際のところはそう簡単なものではない。貴族には貴族の矜持があるがゆえに、庶民が己の領域に来ることを快く思わない者は一定数いるのだ。
「……そんじゃ、クライヴと結婚するつもりはないのか?」
「それは──っ!」
アレクの言葉にティナは勢いよく顔を上げた。
クライヴはいつでも優しくて、ティナのことを第一に考えてくれるような人だ。「俺は子供にも妻にも優しい夫になるぞ」と、ふざけてるんだか本気なんだか分からない言葉も、きっと真実だろう。きっとクライヴとなら温かくて楽しい家庭を築けるに違いない。でも――。
クライヴを想う気持ちと身分差の板挟みで黙り込んでしまったティナを見て、アレクはがしがしと頭をかきながら大きな息を吐いた。
「ティナは昔から考えすぎるとこがあっからな~」
「だ、だって……」
「だってじゃない。ああだこうだ悩んでないで、あいつのことが本気で好きなら覚悟を決めろ」
窓辺に寄りかかり、腕を組むアレクの表情はふざけてなどいない。相談に乗ったうえで、本気で喝を入れてくれているのだ。
「……本当に私でいいのかな」
「番いなんだろ。もっと自信持てよ。クライヴの溺愛っぷりは、半日城に行っただけで嫌というほど聞いたぞ」
「ちょっとまって……なにそれ!?」
アレクの発言に慄く。どんな話を聞いたのか、しっかり問い質したい。
「それだけ愛されてるってことだ。とりあえず、ティナが悩んでること、全部クライヴにも話してやれ。理由も分からないまま結婚を拒否られるなんて可哀想だろ」
正論を突かれてハッとする。
クライヴは割とポジティブな思考の持ち主だが、確かにこのままではいけない。ティナだってクライヴのことを傷付けたいわけではないのだ。
「うん……今度クライヴ様に話してみる」
そう決意を口にすれば、アレクはいつものようにニカッと歯を見せて屈託のない笑顔を見せた。
「どうせクライヴのことだから、ティナに手を出したくて毎日悶々としてるはずだからな。結婚したら覚悟しといた方がいいぞ~」
「そ、そんなわけないでしょー!」
従兄のおちゃらけた発言に全力否定しつつも、内心でティナは「ありえそう」と思うのだった。
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