第135話 女子は恋バナが大好き
「まぁ、そんなことがあったの」
口に手を当て、長いまつげを瞬かせるのは、淡い緑色のドレスを身に纏ったプリシラだ。驚く姿でさえ品がある。さすがは貴族のお嬢様だ。
そんなプリシラの向かい側には、ティナが居心地悪そうに座っていた。
ここは王城内のとある部屋。プリシラの父親が働く部署の応接室だそうだ。普段あまり使用されていないという事で、プリシラが本を読むのによく利用しているらしい。
応接室と言えども、ここはお城の中。家具やインテリアに至るまですべてが一級品。庶民のティナでは、どうにも場違い感がある。
なぜここでこうしてプリシラとお茶をしているかというと、話は少し前までさかのぼる。
クライヴの過剰なスキンシップから逃げるように食堂を後にしたティナは、仕事が始まる時間までまだ少し余裕があったため、アレクの上着を洗濯しようと思いついた。そしてそこで、出勤してきたレナードと鉢合わせた。
『おや、それはアレクの上着ですか?』
『はい。昨日エイダちゃんが剥ぎ取っ──アレクが貸してくれて。なるべく早く返しに行った方がいいかと思いまして』
『それもそうですね。では、今日はそちらを優先して下さい。洗濯をしたらそのままアレクのところへ行っていただいて構いませんよ』
それもどうかと遠慮が先だったが、「アレクも上着がなくて困っているかもしれませんしね」と言われれば了承するしかない。だが、上司公認なら後ろめたさもなく外出できるのはありがたかった。
上着はシワとよだれ染みだけでなく、結構毛も付着していた。おそらくエイダが寝ている間に獣化したのだろう。これでは隊舎内よりも、設備の整った王城内のランドリールームを借りるほかない。
プリシラと会ったのは、まさにそんな時だった。
『あら、ティナ。顔が赤い……ハッ! ちょっと話を聞かせてもらうわよ!』
そう言うなり、この応接室まで引っ張って来られた。
やけに熱心に問い詰められ、やむを得なく今朝の出来事を話したのが、つい今しがたのこと。もちろん聞かれて恥ずかしいことは口にしていない。膝に乗せられて餌付けされたということを、かなりオブラートに包んで話しただけだ。いや、それもかなり恥ずかしかったのだが。
「膝に乗せて、手ずから給仕するなんて……よほどティナを離したくないのね」
「うぅ……」
「うふふ、獣人族は番いを溺愛するって言うものね。普段のクライヴ様からは全然想像がつかないわ」
「そ、そんなにですか?」
ティナにとっては、クライヴはかなり喜怒哀楽がはっきりしている。たまにまじめに仕事をしている姿は見かけるが、ティナを見つけるなりパッと笑顔に変わるのだ。
プリシラの思うクライヴ像が思い当たらず、うーんと首を傾げる。
「クライヴ様が女性に笑いかけるなんて見たことがないわ。それに、私なんて『お前を好きになることなど絶対にありえない』とまで言われたんだから」
「そ、それは……」
「すごく怖い顔で家を潰すとまで言われたのよ」
「そ、その節は誠に申し訳ございませんっ!」
ひいぃっ、と恐縮しながらクライヴの代わりに頭を下げる。
すると、くすくすと鈴をころがすような笑い声が聞こえてきた。顔を上げれば、プリシラが口元を押さえておかしそう笑っていた。どうやら冗談だったらしい。心臓に悪いのでやめてほしい。
「要はそれほどクライヴ様がティナを大切にしているって事よ」
「そ、それは嬉しいですが……できれば、もう少し時と場所を選んでほしいというか……」
「そうねぇ、結婚したらクライヴ様も落ち着くのではなくて?」
それはない。断言できる。むしろクライヴのことだから、もっとスキンシップがエスカレートしそうな気がする。想像するだけで今から頭が痛い。
ギュッと眉根を寄せて黙り込んでしまったティナを見て、プリシラが焦れったそうな声をあげた。
「もうっ。いい加減クライヴ様の気持ちを受け止めて結婚しちゃいなさいよ」
「いえ、それは……その……」
「なによ? 結婚するのに引っかかるようなことでもあるの?」
「引っかかると言いますか……」
「はっきりおっしゃい!」
顎をツンとあげて見下ろすようにこちらを見るプリシラは、妙な迫力がある。気圧されたティナは、困ったように眉を八の字に下げた。
「そ、その、私は庶民ですし……クライヴ様は獣人貴族なので、どうしても身分の差を感じるというか……」
ティナがクライヴとの結婚に踏み切れない一番の原因はこれだ。
庶民──しかも、ド田舎で育ったティナが、建国に携わった四家の子孫であるクライヴと結婚するのは容易ではない。クライヴは気にしなくていいと言ってくれるが、周囲の反対は目に見えている。
そうなればクライヴはティナのために奔走するだろう。そうなれば、クライヴまで悪し様に言われる可能性はゼロではない。ティナのせいでクライヴがなにか言われるのは嫌なのだ。
それを正直に話すと、プリシラは不思議そうな顔で首を傾げた。
「庶民って……ティナはエヴァンス家の血を引いているのでしょう?」
血筋だけで言えばそうだ。エヴァンス家はこの国唯一の辺境伯で由緒ある家柄だ。国王陛下からの信頼も厚い。
しかし、既に父がエヴァンス家を出ている以上、子供の自分が都合よくその名を名乗ることはできない。
複雑な気持ちで相槌を打つ。だが、そこでハタと気が付いた。
「あれ……な、なんでそのことを知っているんですか?」
「なんでって……王城の中で噂になっているわよ」
「なんでっ!?」
「それは分からないけど……」
寝耳に水な事態に、口をあんぐりと開けて絶句する。
そういえば、さっき城内を歩いていた時も、やけに視線を感じた気がする。てっきり、いつものようにクライヴの番いだから、何かしら噂されているのかと思っていた。
──も、もしかして……!
ティナの脳裏に「やっほー」などとのんきに笑う従兄の顔が思い浮かぶ。ヤツは昨日も隊員達の前でティナの出自を暴露していた。
どう考えても犯人は奴しかいない。
ティナは二回ほど深呼吸をしてから、プリシラへと向き直った。その目は完全に据わっている。
「……プリシラ様。アレク・エヴァンスって、今日城に来ているのか分かりますか?」
「え、ええ。来ているそうよ。私はお見かけしていないけど……」
その言葉でアレクが犯人だと確信する。これは今すぐ理由を問い詰めなければならない。
「すみません。ちょっと今すぐ行かなきゃいけないところができまして、今日はこれで失礼してもいいでしょうか?」
「え、ええ。それは構わないけど……」
ティナは戸惑うプリシラに頭を下げ、足早に応接室を後にするのだった。
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