第133話 一夜明けて

 朝、ティナの部屋にせわしないながらも妙にリズミカルなノックが響く。ちょうど着替えを済ませたティナは、寝不足で重い体を叱咤しながら扉を開けた。


「おはよー! ティナおねえちゃん!」

「おはよう、エイダちゃん」


 そこにいたのは、予想した通りの人物だった。エイダは挨拶と同時に、小さな体で勢いよく抱きついてきた。寝不足の体に至近距離タックルは中々に効く。


 ひとしきりすりすりゴロゴロと甘えたエイダは、ティナの顔を見上げるなり不思議そうに首を傾げた。どうやらティナが寝不足で元気がないことに気が付いたらしい。ジッと見つめてくるまん丸の目が「どうしたの?」と問いかけてくる。


「何でもないよ。エイダちゃんは昨日よく眠れた?」

「よるごはんたべてない…」

「ぐっすり寝てたもんね。その分、今日の朝ご飯をいっぱい食べようか」

「うん!」


 元気に返事をしたエイダは、部屋の中へすっ飛んでいった。着替えのためにクローゼットを漁り、「これちがう」「これじゃない」と服を選び始める。


 そんな可愛いらしい後ろ姿を眺めながら、こっそりあくびをかみ殺す。一睡も出来なかった原因──それは昨夜の出来事だ。


『ティナ、俺と結婚しよう』


 あの時のクライブの真剣な声が頭から離れない。抱きしめられていたので顔は見えなかったが、背中越しに早鐘のような鼓動が伝わってきた。今でも思い出すだけで顔が熱くなる。


 とても嬉しかった──嬉しかったのだが、「はい」という言葉がどうしても出てこなかった。


「……はぁ」


 肺の中の空気を全て出し切るような深い溜息が自然ともれる。


 クライヴは獣人貴族の次期当主となる人物だ。対してティナはただの庶民。いくら番いだといっても、身分の差が大きすぎて、結婚するにはそこそこの覚悟がいる。そのせいで、咄嗟に口から出たのは「まだそういうことは考えていない」というなんとも煮え切らない言葉。


 あれはない。酷すぎする。なぜあんなことを言ってしまったのか。


 クライヴが息を吞む気配がして、慌てて「いつかはそうなれたらいい」とフォローしたが、きっとクライヴを傷付けてしまったに違いない。思わず逃げ出してしまった自分が情けない。


「……はぁ」

「なんだ、随分と深い溜息だな」

「ア、アグネスさん!? い、いつからそこにっ!?」

「うむ、一度目の溜息のあたりからだ」


 それなら早く声をかけてほしい。こんなに大きな体なのに、足音も気配も感じないなんて。さすがはネコ科最大の肉食獣だ。


 アグネスは目を丸くして驚くティナの顔を見て、ニヤリと口角を上げた。


「眠そうだな。昨夜なにかあったのか?」

「いえ、ちょっと……」

「盛りのついたオオカミにでも襲われたか?」

「襲っ……ち、違いますよっ!」

「顔が赤いぞ。当たらずとも遠からずというところか」


 勝手に納得したアグネスがニヤニヤと面白げに笑う。


 再度否定しようとしたが、その前にアグネスがグイっと体を押し付けてきた。よろけそうになるのを堪えてよく見れば、その背に見覚えのある服が乗っかっていた。これを渡そうとしているのだと分かり、その服を手に取り広げてみる。


「これってアレクの上着?」

「すまんな。よだれまみれにしてしまった」


 これは昨日エイダがアレクから剥ぎ取った上着だ。上質な肌触りの服だが、すっかりシワになり、肩のあたりがやけにゴワゴワしている。多分ここがよだれ染みだ。


「エイダはその肌触りが気に入ったらしく、一晩中離さなくてな。おかげでジスが顔をしかめていた」


 愛娘が見知らぬ男の上着を抱きしめていれば、いい気はしないだろう。ジスランがぎりぎりと歯を食いしばっている姿が目に浮かぶ。


「えっと、知り合いのものなので洗って返しておきますね」

「うむ、よろしく頼む」


 そう言うなり、アグネスは踵を返してどこかへ行ってしまった。


 あの方向は食堂だ。まさか娘を置いて、自分だけ先にご飯を食べに行くつもりなのだろうか。心なしか、尻尾がゆらゆらとご機嫌に揺れている。


 何とも言えない気持ちでアグネスを見送っていると、背後から元気な声が聞こえてきた。


「できたー!」


 いつのまにか着替え終えたエイダが得意気にポーズを決める。頑張ったのは分かるが、服が前後逆だ。


「……エイダちゃん、後ろと前が反対だよ」

「う?」


 とりあえずティナはエイダの服を着せ直す。何でも自分でやりたいお年頃のエイダは、手直しされて不服そうに口を尖らせていた。


 その後、ご飯を食べに行くと聞き、あっさり機嫌を直したエイダと食堂へ向かう。「ごっはん、ごっはん~」というエイダの自作の歌が響く。賑やかな声が耳に届いたのは、ちょうど廊下の角を曲がったあたりだった。


「なんか食堂が賑やかだね」

「ね~」


 相槌を打ってはいるが、エイダは興味なさそうな顔をしている。きっと朝ご飯のこと以外どうでもいいのだろう。苦笑しながら、食堂の中へと入る。


「あっ、お姉ちゃん! 見てみて~。ボクの魔道具!」

「リュカ! 毛が舞うから食堂で獣化しない!」

「すごい、すごいわ! これを待ってたのよ!」

「そこ! レオノーラも獣化しない!」

「……これ、おいしい……」

「ふむ、これは実に画期的だ」


 てけてけとティナのもとに駆けてきたのは、冬毛でもっふもふの愛らしいキツネ。よく見れば、スラリとした四肢が美しいサーバルキャットもいる。何やらはしゃぐ二人を、キャロルがキッチンから身を乗り出して叱りつける。ダンは我関せずで食事をし、ルークは手に持つ何かをジッと見つめている。アグネスに至っては、空の皿を咥えておかわりを要求していた。


 まったく状況が分からない。ダンとアグネスが食事中なのは分かるが、なぜリュカとレオノーラは食堂で獣化しているのだろうか。


「あ、あの……いったいなにが……」


 誰かに説明を求めようとした時、上から何かが降ってきて、ティナの肩にとまった。ズシリとしたほどよい重みと、頬を撫でる柔らかな羽毛──直角に首を傾けてこちらを覗き込んでくるのはトラフズクだ。


「やほー、番いちゃん。騒がしくてすまんね~」

「テオさん! 帰ってたんですね。おかえりなさい」

「さっき帰ってきたんよ。いやぁ、出来上がった魔道具を渡したらこんな調子で……」


 魔道具と聞いて再度隊員達へ視線を向ける。


 このわずかな間にリュカは人化していた。サーバルキャットも同じだ。そして、ルークが物珍しそうに眺めているのは、足環型の魔道具だった。


「ついに完成したんですね。皆さん嬉しそうです」

「まー、服問題は獣人族の長年の悩みやからね。あっ、エイダの分はテーブルにあるんよ」


 テオが片羽を広げてテーブルを指差す。しかし、肝心のエイダは一人でさっさとキャロルに朝ご飯をねだっていた。この自由さは母親であるアグネスそっくりだ。


「そうやね……エイダは魔道具よりも食い気やね……」

「あははは……」


 存在を無視されたテオの悲しげな声に、何と答えたらいいか分からず笑いを返す。ちょうどその時、背後から誰かの足音が近づいてきた。


「お前ら、騒ぎ過ぎだ。城から苦情が来るから、もう少し静かにしろ」


 現れたのは、眉間にシワを寄せたクライヴだった。手に書類を持っていることから察するに、既に仕事をしていたのだろう。


 そんなクライヴは副隊長としての顔を見せたかと思うと、未だ入り口で立ち尽くしたままのティナに気付くなり動きを止めた。二人の間に微妙に気まずい空気が漂う。


「あ、あの……お、おはようございます」

「…………」


 昨夜のことで気まずい思いを抱きながら、何とか挨拶を口にする。視線が合わせられない──と、思ったが、クライヴの視線はティナの肩へと向いていた。そして、その瞳に険しさが浮かぶ。


「テオ、そこをどけ」

「ぐぇ!」


 完全に表情を消したクライヴが、テオの首を掴んで容赦なく放り投げた。しかも、放り投げた先にいたのは──。


「ぎゃあぁぁぁーー! トラ! トラがぁ!」


 憐れ、テオはおかわりを待つアグネスの目の前に放り投げられた。突如として目の前に現れた獲物に、アグネスがじゅるりとよだれをすする。


 その瞬間、テオは鳥らしからぬ見事な二足歩行で食堂を出て行った。

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