第132話 翻弄されるオオカミ
エヴァンス家の別邸を後にしたクライヴは、その場でレナードと別れて帰路へとついた。
何だかんだで時刻はもう夜。日が沈むと気温は一気に下がり、冷たい空気が肌を刺す。人族なら寒いと感じるだろうが、割と体温が高めのクライヴからすると、この空気は心地よいくらいだった。
アレクが春に辺境伯を継ぐ──驚きはしたが、どこか納得もした。
それは辺境視察へ行った時のアレクが、以前よりもグッと辺境伯としての風格が出ていたからかもしれない。おそらく、あの頃にはもう家を継ぐことが具体的になっていたのだろう。
「それにしても、本気で隣国に乗り込むとは……」
無意識に出た言葉は、暗闇へと吸い込まれ消えていく。
アレクが言うには、クライヴ達が帰った後、婚前旅行という名目で婚約者のクロエと二週間ほど休暇を取ったらしい。海を見たことのない二人は、この機会に海を見てみようということで、隣国の有名な港町を訪れたそうだ。そして、
いったいどうすればそういう流れになるのだろうか。「いやぁ、向こうも困ってたからな。むしろ感謝されたぞ」とはアレクの言葉だ。すべて計算の上だとしても、下手したら国際問題だっただろうに。あの婚約者もなぜ止めなかったのか。まぁ、特務隊としても手が出せず歯がゆい思いをしていたので、正直ありがたいところではあるが。
そんなことをツラツラと考えていると、いつの間にか隊舎の前まで来ていた。自然と見上げるのはティナの部屋の窓。明かりは消えている。もう寝てしまったのだろう。
アレクのせいで精神的に疲れた心を癒したかったが仕方ない。さっさと寝て、明日早起きしてティナを愛でればいい。そう心に決めながら、水でも飲もうと食堂へ向かう。
「あっ、クライヴ様。おかえりなさい」
「……ティナ?」
薄明りの食堂にいたのは、もう寝ていると思ったティナだった。ティナは早足にこちらに駆け寄ってくる。
めちゃくちゃ可愛い──ではなく、なぜここにいるのか。サッと周りに視線を走らせるも、キャロルや他の者はいない。
「……エイダが夜食でもねだったのか?」
「いえ、クライヴさ──クライヴを待っていました。その、アレクが迷惑をかけたのではと……」
「──っ!」
今は二人きりだからか、ティナがわざわざ呼び捨てに言い直す。俺の番いが最高に可愛い。
心配そうにこちらを見上げてくる顔は、眉が八の字に下がっていた。そんな顔もたまらなく可愛いなと思いつつ、頬へそっと手を伸ばす。すると、指先からヒヤリとした冷たさが伝わってきた。
改めてティナの格好を見れば、夜着にガウンを羽織っただけの薄着。これでは体調を崩してしまう。人族は獣人族ほど頑丈ではないのだ。
冷静さをかなぐり捨てたクライヴは、華奢なティナを横抱きに抱き上げた。
「ひゃ! ク、クライヴ様っ!?」
「こんなに体を冷やして……すぐに体を温めなくては。話しはそれからだ」
「だ、だいじょ──」
「大丈夫ではない」
困惑する声が聞こえてくるが、それを無視してクライヴは大股で自室へと向かった。
暖房をつけるために一旦ティナをベッドに下ろす。普段はあまり使うことのない暖房をつけると、少し埃っぽい匂いがした。これでは部屋が暖まるまで時間がかかりそうだ。
他に温めるものはないかと考え、クローゼットから毛布を引っ張り出した。それから、エイダを膝に乗せるときのようにティナを抱き上げる。毛布で包み込むように後ろからしっかりと抱きしめれば、少しは暖かくなるだろう。
「あ、あの……」
「部屋が暖まるまではこのままだ」
返ってきたのは、か細い声の返事。そこでハタと今の状況に気付く。
無理やり自室に連れ込んで超密着しているとか、実においし──ではなく、ちょっとマズい行動だったかもしれない。変態とか思われて嫌われたり……いや、でも今は恋人同士な訳で……。
若干の焦りを胸に、クライヴはそっとティナの横顔を盗み見た。すると、ティナの顔は一目で分かるほど紅潮していた。
──ぐっ……か、可愛すぎるだろっ!!
理性がぐらぐら揺れる。煩悩を封印するべく、クライヴは別の事を考えることにした。
エイダが一匹、エイダが二匹、エイダが三匹……頭の中には元気な子トラがわちゃわちゃ増殖していく。このやり方は眠れないときにすることなのだが、混乱しているクライヴは気付いていない。
「あの……それで、アレクとは何か話しましたか?」
子トラの数が20匹まで増えていたクライヴは、愛しい番いの声で我に返った。
ティナへと視線を戻せば、精一杯首を捻ってこちらを見ようとしていた。抱きしめているから振り返れないのだろう。今は顔を見られたくないので、助かったかもしれない。
「あー……春になったらアレクが辺境伯を継ぐことになったそうだ。今回王都に来たのは、その報告らしい」
「えっ? まさか、おじいちゃんに何かあったんですか?」
「ぎっくり腰になったらしいが、相変わらず元気だそうだ。アレクが辺境伯を継いで砦の総司令官になっても、仕事は続けるつもりらしいぞ」
「おじいちゃんったら……」
呆れまじりの声には、ホッと安堵するような声色も含まれていた。離れて暮らしている分、やはり高齢の祖父の体調は気になるのだろう。まぁ、あのエヴァンス翁が弱るところなんて全くもって想像できないが。
「それと辺境伯を継ぐにあたって、アレクもいよいよ結婚するそうだ。多分そういった手続きもしに来たんだろうな」
「本当ですか!? わぁ、クロエさんの花嫁姿……素敵だろうなぁ」
両手を合わせて嬉しそうにはしゃぐティナは最高に可愛かった。
そういえば、ティナはアレクの婚約者──クロエと仲が良いと言っていた。嬉しそうなのも当然と言えば当然か。
すっかりティナに見惚れていたクライヴは、油断してつい本音を口にする。
「……ティナの花嫁姿もきれいだろうな」
「へっ……?」
「いや、だからティナの花嫁姿も──っ!」
そこまで言いかけて、ようやく自分の発した言葉の重大さに気付く。これはまるでプロポーズではないか。
いや、結婚する気なのだからそれはそれでいい。だが、言うのは今ではない。人族との付き合いに焦りは禁物なのだ。
案の定、ティナは固まって動かなくなってしまった。
おそるおそるティナの反応を確認するように、そっと横顔を盗み見る。すると、ティナは真っ赤になって口をパクパクさせていた。
これは――少しは期待してもいいのだろうか。そう思ったらもう止められなかった。
「ティナは俺との結婚はどう思う?」
求めるように、縋るように、甘えるようにティナを抱きしめる。嫌わないでほしい。頼むからこのまま頷いてくれ。心の中でそう強く願う。
「ク、クライヴと……け、結婚……」
「俺と結婚するのは嫌か?」
「あ、あの……その……」
「ティナ、俺と結婚しよう」
気付けば、そんな言葉が口から出ていた。もっと仲を深めてから言うつもりだったのだが、腕の中のティナが自分の言動に頬を赤らめるさまを見て、理性など一気に吹き飛んでしまった。
「わ、わたし……ま、まだあまり……そういうことは考えてないというか……」
予想はしていたものの、ティナの返答にガクリと項垂れる。ティナはどうにも色恋沙汰に疎い。やはりこういう話しはまだ早かったらしい。
少し残念に思いながらも、どさくさに紛れて柔らかな頬へと口づける。「ひゃう」という驚く声すらも可愛い。
ぎゅっと抱きしめてティナを堪能していると、ティナが上擦ったような声で口を開いた。
「あ、あの……い、いつかはそうなれたらいいなとは思います……」
「…………は?」
「な、なんでもありません! も、もう暖かくなったので失礼しますっ!」
何を言われたか分からずポカンとする間に、ティナが腕の中からするりと抜け出していく。そしてそのまま、逃げるように部屋を出ていってしまった。
一人残されたクライヴは、先程言われた言葉を思い返す。そして、真っ赤になっているであろう顔を隠すように両手で顔を覆った。
「本当、ティナは俺を翻弄するのが上手すぎる……」
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