第129話 空気を読まない男
「へぇー、ティナは今ここに住んでんのか」
「うん、ちょっと前に引っ越したの」
ここは特務隊の食堂。いつもなら隊員達の憩いの場となっているここに、今日は見慣れぬ人物が一名紛れ込んでいた。
ティナと親しげに話すその人物──彼の名はアレク・エヴァンス。代々隣国との国境に位置する辺境の地を守り続けてきた、エヴァンス家の次期跡取りだ。
本来、特務隊の敷地に隊員以外が立ち入ることは滅多にない。機密情報云々というよりも、獣人族である隊員達が他人の立ち入りを極端に嫌うからだ。
だというのに、部外者のアレクは当たり前のように寛いでいた。
「せっかくだし俺もここに世話になっかな~。レナード、部屋空いてる?」
「……よくこの状況でそんなことが言えますね。貴方の神経の図太さには呆れます」
そう言ってレナードは、顎をしゃくるように部屋の隅へ視線を向けた。
アレクから距離をとっていてなおガクガク震えているのは、キャロルとルークだ。そのそばではレオノーラが露骨に嫌そうな顔をしている。普段穏やかなダンまでもが怪訝そうに眉根を寄せていた。
──こ、これが、トラウマ……。
隊員達の反応を目の当たりにして、クライヴから聞いた話がようやく理解できた。腕っぷしの強さに定評のある獣人族がこんな反応をするとは……いったいどんな手合わせをしたらこうなるのだろうか。いよいよアレクが本当に人族なのか疑わしくなってくる。
平然としているのは、アレクと初対面のルドラと、当時まだ入隊していなかったというリュカくらいか。
「いやぁ、歓迎してくれてるようで嬉しいね~」
「はぁ……。クライヴ、なぜコレを連れて来たんですか」
「いや、エイダが離れなくてな……」
原因が特務隊のアイドルとなれば、エイダに激甘なレナードはそれ以上何も言えなくなる。
一応ティナとクライヴも城の前でアレクと別れようとした。だが、アレクの背中が心地いいのか、エイダがアレクの服をがっしり掴んで離さなかったのだ。「しかたない、このまま隊舎まで行くか」という感じで今に至る。
なお、エイダは帰ってきてもアレクの服を掴んだままで引き剝がせなかったため、アレクの上着ごとアグネスたちの部屋へ置いてきた。きっとあの上着はよだれにまみれていることだろう。後日クリーニングをして返却せねばとひそかに誓う。
「で、俺もここ泊っていいか?」
「アレク、ちょっと空気読もうよ……」
「ん? 空いてる部屋がないならティナの部屋で構わないぞ」
そういう問題ではない。どう見ても歓迎されていないのだから、もう少し周囲に配慮してほしい。
いや、アレクのことだから気付いていてわざとやっている可能性もある。真意をはかるようにジトリとした視線を向けると、アレクは少年のようにニカッと歯を出して破顔した。
「冗談だって。ちゃんと帰るさ。一応うちも別邸があるからな」
「別邸? そんなものがあるんだ?」
「ほとんど王都には来ないから、空き家も同然だけどな。泊まりにくるか?」
「もぅ、行くわけないでしょ」
「あはは、だよな~。つーか、クライヴ。そう睨むなって」
ハッとして隣を見れば、クライヴが過去最高潮の仏頂面でアレクを睨みつけていた。その顔にはハッキリと嫉妬心のようなものがにじみ出ている。
「ティナは俺のだ。どこにも行かせないし、誰にもやらない」
「クライヴ、しつこい男と束縛する男は嫌われるぞ~」
「うぐっ!」
アレクの口撃にクライヴが一瞬で撃沈する。「最低……最低……」とティナが言い放った言葉を繰り返して、どんよりとした空気を醸し出している。
そんなクライヴを指さして、アレクがげらげらと笑う。ちょっと可哀想だが、人のことを見張っていたのだから助けてやるつもりはない。
「アレク、貴方はこんなところにいていいのですか? 謁見を申請しているのでは?」
「それは明後日だから大丈夫だ。そもそもさっき王都に着いたとこだしな。いや~、久々の長旅で疲れたのなんのって」
「……そうですか。それで
「そうそう。
レナードとアレクがにこやかに言葉を交わす。
二人とも笑顔なのに、背筋がぶるりとする寒々しい雰囲気が漂ってくる。たまたま街で会ったのがそんなにおかしいのだろうか。
そんな中、今まで黙って様子を見ていたルドラが口を開いた。
「なぁ、そもそもアンタはティナのなに?」
その一言でこの場の視線が一気にティナへと集中する。
「ここの奴らと面識があって、謁見をするような身分……推測するところにアンタは貴族なんだろ?」
「へぇ、頭を使える奴が入ったんだな」
「そりゃどうも。で、アンタは何者なわけ?」
ルドラの鋭い考察に、ティナはあわあわと視線を彷徨わせる。
うっかりいつもの調子でアレクと話していたが、隊員達にはアレクとティナの関係を黙っているのだ。庶民のティナが貴族であるアレクと親しげだなんて、怪しまれて当然だ。
どうしようという意味を込めてアレクに視線を向ける。すると、頼れる従兄は任せろとばかりに力強く頷いた。
「俺はアレク──アレク・エヴァンス。辺境伯の家のもんって言えば分かるか」
「確か……辺境伯の跡取りの名前がそんなんだったな」
「おっ、よく知ってんな。で、そっちは?」
「……ルドラ。ルドラ・ナジャだ」
「ああ、四家の。へぇ、今代の特務隊は随分と豪勢なメンツだな」
「それで? なんで、お貴族様がティナと親しげなんだ?」
本題をのらりくらりと交わすアレクに、ルドラが少し語気を強めて問い詰める。だが、アレクは余裕の笑みでニヤリと口角を上げた。
そして──。
「実は……ティナは俺の婚約者なん──」
「ふっざけんなっ! てめぇ、アレク!!」
「あっはっはっ! クライヴ、どうどう。冗談だって」
「冗談でもそんなこと言うなっ!」
アレクのおふざけにクライヴがガチギレする。
よくこんな雰囲気で冗談が言えたものだ。ティナの出自を隠すためなんだろうが、呆れて開いた口が塞がらない。
これはアレクにはお帰り頂いた方がいいかもしれない。口を挟もうとした瞬間、アレクがさらなる爆弾発言を発した。
「いや~、実際のとこは、俺とティナは親戚同士なんだよ」
「ア、アレク!?」
「アンタ、ふざけるのもいい加減にしろよ」
「そうよ。それが本当なら、子リスちゃんもエヴァンス家の人間って事になるじゃない」
さらりと暴露したアレクに慌てたティナだったが、隊員達は胡乱な目をするだけだった。どうやらアレクのおふざけだと思っているらしい。
「まぁ、そこら辺は事情があってな。ティナの親父さんと俺の親父さんが兄弟だから、親戚ってのはマジだぞ」
「「「 ………… 」」」
「うーわー、信用度ゼロの視線。いとこってのはマジなんだけどな。なぁ、ティナ」
「えっと……う、うん……」
「「「 はああぁぁぁ!? 」」」
部屋の隅から沸き上がった絶叫に、ティナは「ひぇ」と小さな悲鳴を上げた。
「お~、すごい反応だな」
「ア、アレク……い、言っちゃってもよかったの?」
「こいつらなら大丈夫だろ」
「それは心配してないけど。その……アレクに迷惑がかかったりは?」
「ないない。俺としてはこの機会に、ティナの守り手を増やしたいところだからな」
アレクが心配しているのは、貴族間の厄介ごとに巻き込まれないかということだろう。だが、生まれてこの方、そういったいざこざに巻き込まれたことなどない。なぜ今まで伏せてきたことを突然口にしたのか、アレクの真意が全く分からない。
一方、部屋の隅では隊員達が激しく動揺していた。
「ど、どういうこと!? 子リスちゃんがアレクと親戚っ!?」
「ということは、エヴァンス翁の孫ということかっ!?」
「……びっくり……」
「あいつの妄言じゃないの!?」
「言っとくけど、これ
スッと笑みを消したアレクに、キャロルたちが声なき悲鳴をあげる。
ティナはいとこの傍若無人っぷりを心の中で謝りつつ、未だ隣で落ち込み続けるクライヴを慰めにかかるのだった。
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