第125話 密偵ヘビあらわる

 楽しげな話し声と粗野な笑い声が入り混じるのは、下町にある一軒の酒場。店内は仕事終わりに一杯飲もうという輩でごった返していた。


 そんな酒場の隅。木で作られた簡素な丸テーブルを囲うのは、三人の男達だ。


「いやぁ、たまにはこう賑やかなのもいいもんだな」


 そう言ってグイッと酒を喉へと流し込んだのはアルヴィンだ。同席する美形二人よりも年の頃は上だが、その快活な笑みからは少年のような若々しさを感じさせた。


「三人で飲むのも久しぶりだしな」


 ガヤガヤとうるさい店内を気にする様子もなく、運ばれてきた特大の肉に食らいつくのはクライヴだ。日中、警備隊の指導役をさせられていたクライヴは、昼食を食べ損ねていた。


 残る一人──レナードは出された酒にすら手を付けようとしなかった。半ば強引に連れて来られて少々不機嫌になっているのだ。


 ちなみに、帰ろうとしたレナードを引っ張ってきた犯人はアルヴィンである。


「なぜ、わざわざ仕事終わりに集まる必要があるんですか? 私は今すぐにでも帰りたいのですが」

「お前なぁ、たまには男同士で楽しく飲もうとか思わねぇのかよ」

「これっぽっちも思いません。必要性を感じませんので」

「おいおい、随分辛辣だなぁ」

「私は妻の待つ家に一秒でも早く帰りたいのです」


 番いを何よりも大切にするのは獣人族の特性だ。紳士的で常識人のレナードもその例外ではない。それを分かっていながらレナードを引きずってくるあたり、アルヴィンは中々の性格である。


 そんなアルヴィンは早くもグラスを空にし、給仕へおかわりを注文していた。


「まーそうカッカすんなよ。こんなところでもなきゃ気軽に話せねぇだろ。城内じゃ誰がどこで聞いているかわかったもんじゃねぇ」

「それはここでも同じでは?」


 そう言ってレナードがついっと周囲へ視線を走らせる。


 雑多で騒々しい店内。一見すると内密の話をするにはうってつけのようにも見える。


 だが、誰かが聞き耳を立てていないとも言い切れない。なにせ、今ここにいる三人は、この国が誇る軍事力のトップといえる立場なのだ。


 周囲を警戒するレナードに、今まで黙々と肉を食べていたクライヴが口を開いた。


「それらしい奴はいないぞ。しいて言うなら、隊長に熱い視線を送る給仕がこっちを気にしてるくらいだな」

「お、さすがはクライヴ。耳も秀逸だな。まぁ、今日は聞かれて困る話はねぇけどな」


 豪快に笑ったアルヴィンは、褒美とばかりに空になっていたクライヴの皿へ肉を追加で取り分けた。


 クライヴはオオカミの獣人族だ。嗅覚だけではなく、聴覚にも優れている。このくらいの騒がしさでも、個々の会話を判別するくらい朝飯前である。まさに番犬といったところだろうか。


 レナードは「聞かれて困る話ではないのなら、集まる必要はないのでは」と言いたくなった。しかし、何だかんだ言い合うより適当に付き合って、さっさと切り上げたほうが早い。そう判断し、ようやく酒を口にした。


「そういえば、今度辺境伯の跡取りが来るらしいな。陛下へ謁見を希望する手紙が届いたそうだ」

「──ごふっ!」


 アルヴィンの話題にクライヴが盛大にむせる。


 辺境伯の跡取り──それはアレクのことに他ならない。アレクが登城することは、正式な書状として通達されているらしい。そのせいで、王城内はその話題で持ちきりとなっていた。


 しかしながら、その話題の人物がティナの従兄である事実を知る者は少ない。アルヴィンもそうだ。


 むせるクライヴに代わり、レナードはさりげなく別な話題へと切り替えた。


「それよりも、アルヴィン、はクライヴへ話したんですか?」

「ん? ああ、そういやまだだったな。お前、今日隊舎にいなかったもんな」

「何のことだ? また指導役をやれっていうならお断りだぞ」

「いや、そうじゃなくてな。あー……なんだ、その……フィズが妊娠した」


 アルヴィンが照れくさそうに、だが幸せさを隠せないといった様子で頭をかく。その瞬間、クライヴが先程以上にむせ込んだ。


「げほっ……なっ……フィ、フィズが!? あいつに子育てなんて無理だろ!」

「他の奴らと同じようなことを言うんだな……」

「まぁ、フィズですから」

「アルヴィン、子育てはお前がした方がいい。絶対にだ!」

「それは私も同感です。子どものためにもそうした方がいいでしょう」

「いったいフィズは何をしでかしたんだよ……」


 医師なのに隊員達からまったく信用されていないのがフィズである。


 趣味で怪しげな薬を開発したり、定期診断と称して血を採取しようとしたり。特務隊のメンバーなら、なにかしら一度は彼女の餌食となっている。アルヴィンはまだフィズのマッドドクター的な側面を知らないのだ。


「何はともあれ良かったじゃないですか。子供は好きだったでしょう?」

「まぁ、嫌いじゃねぇが……自分が父親になるっつーのは実感わかねぇな」

「それを言うなら、アルヴィンが結婚したのもそうだろ」


 クライヴの言葉にレナードがしみじみと頷く。


 アルヴィンは気さくで部下達からも大層慕われているが、どういうわけか女っ気がまったくなかった。なぜか独身主義者と勘違いされてさえいた。実際は結婚願望が強く、レナードとクライヴが番いを見つけた時も散々愚痴ってきたクチだ。


「懐かしいですね。興味のかけらもない独身男の理想を延々と聞かされて……」

「あー、あったな。確か、豊満な体で大人の魅力のある女性が好みだったか?」

「おや、もしやフィズがあてはまるのでは」


 からかうような二人の言葉にアルヴィンが気まずげに視線を落とす。


 世間では獣人族であるフィズの猛アプローチで結婚したと思われているが、ぶっちゃけフィズはアルヴィンの好みドンピシャであった。妖艶で美しい容姿、女性らしい豊満な体つき、色気のある仕草や甘ったるい話し方──罪深いほど何もかもがアルヴィンの好みだった。


「フィズの獣化した姿はもう見たのか?」

「ああ、何度か見たぞ。緑のヘビを見たのは初めてだ」

「…………あなた、ヘビは苦手じゃなかったでしたか?」


 レナードの何気ない言葉にアルヴィンがぎくりとする。


「に、苦手っつーのは語弊があるぞ。昔ちょっと噛まれて死にかけた、苦い思い出があるだけで……」

「そういうのをトラウマというんですよ」

「へぇー、そうなのか。小動物はニヤニヤしながら触るのにな」

「うっせぇ! 小さくてもふもふした生き物は可愛いだろーが」


 アルヴィンがダンッという大きな音を立ててグラスをテーブルに置く。


 アルヴィンは見た目が少々いかつい。そんな奴がヘビが苦手だとか、小動物が好きだとか、笑われそうなので誰にも言っていなかった。なぜ、この二人はそれを知っているのか。


 わぁわぁうるさい二人を尻目に、レナードは残り少ない酒を仰ぐように飲み干した。しかし、そこでとあるものを見つけてしまう。


「……アルヴィン、今日ここへ来ることはフィズに伝えましたか?」

「あ? もちろん言ってあるぞ。お前らと酒場で飲むから帰りは遅くなるってな」

「そうですか……」


 歯切れの悪い態度のレナードに、アルヴィンが訳が分からないというように顔をしかめる。


 獣人族は番いに異常なまでに執着する。アルヴィンもそれは十二分によく知っていた。そのため、仕事や付き合いで飲みに出かけるときは、必ずフィズに伝えるようにしているのだ。そのおかげもあってか、「早く帰ってきてねぇ」と可愛くお願いされるくらいで、そこまで束縛されたことはない。


「いったい何なんだよ。お前らと飲むのが浮気になるってか?」

「そこは大丈夫でしょう。ですが、今の会話はフィズに伝わるでしょうね」

「は?」


 訝しがるアルヴィンに、レナードはスッと天井を指差した。アルヴィンと共に天井を見上げたクライヴは、一足先にレナードの言わんとすることが分かったらしく、「あ~……」という声を出した。


 酒場の天井は高く、太い梁が何本も張り巡らされている造りとなっていた。経年劣化で飴色になった木材は、この酒場が老舗であることを物語っている。


 その梁へくまなく視線を走らせていたアルヴィンは、ある一カ所に違和感を感じて目を凝らした。


「あれは……ヘビか?」


 そう、それはちょうど三人の席を見下ろすような位置。梁が交差した部分に、細長い何かが巻き付いているのだ。


「ええ、ヘビです」

「ヘビだな」

「どこかから入り込んだんだろ。フィズはあんな色じゃねぇぞ」


 梁と同化していて分かりにくいが、あのヘビは茶色かそれに近い色だ。鮮やかな緑色のフィズとは全く違う。


 しかし、レナードとクライヴはあのヘビが何者なのか察していた。


「アルヴィン、私達は自分の祖である動物限定ですが、多少の意思疎通が可能です」

「ああ、それは知ってるが」

「俺らはそれを利用して情報収集をしたりするんだ」

「へぇ、便利だな……ん? 情報収集?」


 再度アルヴィンが天井を見上げる。するとヘビが手を振るかのように、尻尾をゆらゆらと揺らした。


「ま、まさか……!」

「お察しの通りです。あのヘビはフィズがよこしたものでしょう」

「この会話はすべてフィズに筒抜けということだな」


 その瞬間、アルヴィンの顔色が一気に悪くなる。先程アルヴィンは、ヘビがトラウマだとか小動物が好きだとか、フィズには到底聞かせられないような会話をしていたのだ。


 天井のヘビは、焦るアルヴィンをジッと見つめた後、音もなく移動を始めた。おそらく、フィズのもとへ行くのだろう。


「お、おい! まずい! クライヴ、あいつを捕まえてくれ!」

「……無理だな。ヘビは匂いが薄いから、追うのがめんど──難しいんだ」

「お前、いま面倒って言ったな! 俺がどうなってもいいのか!?」

「──さて、俺はそろそろ帰るかな。ティナが待ってるし」

「私も妻が待っているので帰りますね」


 そう言ってクライヴとレナードが席を立つ。慌てて追いかけるアルヴィンは、もう一度天井を見上げた。先程のヘビはもう既に姿かたちもなかった。

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