第124話 絶叫懐妊報告
「私ね赤ちゃんができたのぉ。だから、産休に入ることにしたわぁ」
「「「 はあぁぁっ!? 」」」
驚愕の悲鳴が隊舎内に響き渡ったのは、肌寒い風が吹く日の午後のことだった。
遡るのは大絶叫が起こるよりも少し前。ティナは食堂で夕食の下準備を手伝っていた。人化したエイダもティナの膝の上でせっせとお手伝いに勤しんでいる。
先日クライヴが言ったように、ここ最近特務隊の仕事はかなり落ち着いている。ティナが食堂を手伝っているのもそのせいだ。ちょうど居合わせたレオノーラとリュカも一緒に作業をしていた。
「……ああ、もう! ちまちま面倒くさいわね!」
レオノーラがイラついた様子でバンッとテーブルを叩く。
お手伝いの内容は収穫したてのサヤエンドウの筋取りだ。非常に簡単ではあるが、だいぶ地道な作業になる。ティナはこういった作業は嫌いではないのだが、獣人族には中々の苦行らしい。一緒に作業をしていたリュカも先程から手が止まっていた。
「そもそも、こんなにいらないじゃない!」
「そうそう。誰が食べるんだよ」
「お前らの夕飯だって。文句言ってないで、ちゃっちゃっと手を動かしてよね」
ぴしゃりと言ってのけたのは、この食堂の主にして、大食らいの隊員達の胃袋を管理するキャロルだ。キャロルのザルには筋取り済みの山盛りのサヤエンドウがきれいに積み重なっていた。毎日料理をしているだけあり、手際の良さはさすがである。
「あ~……めんどくさい」
「まったく、エイダを見習いなよ。お前らよりよっぽど真面目にやってるよ」
「エイダ、えらい!」
キャロルに褒められたエイダが「むふん」と得意気に鼻を鳴らす。アヒル口で胸を張る姿はとても愛らしい。
ちなみに、エイダのお手伝いの成果は一番少ない。しかも、少々筋が残ってしまっている。小さな手には難易度が高かったらしい。
「野菜なんて食べなくても生きていけるわ。肉があれば十分よ」
「ね~、毎日ステーキにしようよー」
断然肉派の二人は揃ってテーブルに突っ伏してしまった。完全に集中力が切れてしまったようだ。ティナは苦笑しながらも、新しいサヤエンドウを手に取った。
「これだから肉食獣は……いい? 野菜だって栄養豊富なんだ。好き嫌いしないでまんべんなく食べろ!」
「ちっ、うるさいエロうさぎね」
「エロうさぎのくせに」
野菜の重要性を説くキャロルに、レオノーラとリュカが睨みを入れる。草食獣を祖に持つゆえか、キャロルはビクッと体をこわばらせていた。
「キャロ、えろうさぎ」
「エ、エイダちゃん!」
最近悪口を真似るお年頃のエイダが、二人の真似をしてキャロルを指さす。意味は分かっていないのだろうが、「えろうさぎ」と連呼しながら笑うのは止めてほしい。とりあえず新しいサヤエンドウを渡して気を逸らさせる。
「くっ……ウチの肉食獣共め」
「や、野菜も美味しいですよね。えっと、お肉の付け合わせに必要ですし」
打ちひしがれるキャロルが若干憐れになり、ティナはそっとフォローを入れる。肉食獣がほとんどの特務隊で野菜の美味しさを理解してもらおうというのは難しいだろう。
「子リスちゃん……。僕の気持ちを分かってくれるのは子リスちゃんだけだよ」
「そんな、大袈裟ですよ」
「こいつらときたら人のことを便利な料理人くらいにしか思ってないんだ。それに、エロうさぎエロうさぎ言うけど、うさぎは恋多き種族だからしかたないのに」
「えっと……そう、なんですかね?」
「そうそう。というわけで、今夜僕と二人きりで──」
「お断りします」
キャロルがすべてを言い終える前にスパッと一刀両断する。そんなぁ、とか言っているキャロルに、外野からは再び「エロうさぎ」コールが巻き起こっていた。
そんな時、カツンというヒールの音が聞こえてきた。
「あらぁ、随分にぎやかねぇ」
甘ったるい声に色気のある話し方。聞き覚えのある声に振り返れば、フィズとアルヴィンが食堂の入り口をくぐるところだった。
「フィズさん! お久しぶりです。アルヴィンさんもいらっしゃい」
そう挨拶をすれば、フィズは微笑み、アルヴィンは「よっ」と気軽に手を挙げて挨拶を返してくれた。
──良かった……フィズさん、元気そう。
フィズは最近体調不良で休みを取っていた。顔を見るのは数週間ぶりだ。
ティナが内心ホッとしている間に、二人は近くのテーブルへと腰を下ろす。しかし、その様子を警戒した眼差しでジッと見つめる者がいた。
「…………」
眉間にシワもを寄せながらフィズに視線を向けるのはエイダだ。エイダはフィズに注射を打たれて以来、フィズが大の苦手なのだ。
エイダの視線に気付いたフィズは、赤い紅をさした唇をニィっと持ち上げた。
「随分な挨拶ねぇ、子トラちゃん。衰弱してたあなたを献身的に治療した私のこと、忘れちゃったのかしらぁ」
美しくもどこか狂気さを感じさせるフィズの微笑みに、エイダがびくりと反応する。次の瞬間、ポムッと音を立てる勢いで獣化してしまった。
「エイダ、憐れ……」
「かわいそう……」
キャロルとリュカがエイダに向かって憐憫の目を向ける。獣化してしまったエイダは、服から抜け出そうとはせず、そのまま服の中でぷるぷる震えていた。
「あらぁ、突然変化しちゃうなんて病気かしらぁ。せっかくだし、診さ──」
「ぴぎゃっ!!」
「診察」という単語を聞いて、エイダがティナにしがみつく。恐怖のあまり、しっかり爪を立ててくるので少し痛い。
ガクガクブルブル怯えるエイダとは反対に、フィズはくすくすと楽しげに笑っていた。妻の大人げない行動にアルヴィンががりがりと頭をかく。
「……おい、フィズ。あんまり子供をいじめるな」
「あらぁ、いじめてないわよぉ」
夫からの一言にフィズは心外そうにアルヴィンにしなだれかかった。ねぇ、と同意を求めるように上目遣いをすれば、アルヴィンは分かりやすくうろたえていた。
「えっと、今日はお二人揃ってどうしたんですか?」
「あっ、そうだったわぁ。今日はね、ちょっとみんなに報告があるのぉ」
「報告、ですか?」
「ええ。ほら、私達って結婚したじゃない?」
その言葉に全員が不思議そうに首を傾げる。
フィズが唯一無二の番いを見つけたのは、もうだいぶ前のこと。結婚については、以前報告を受けている。
「それがどうしたのよ?」
「もしかして愛想尽かされたとか?」
興味のなさそうなレオノーラはまだしも、リュカのセリフは中々に酷い。本人達を前にして言うセリフではない。
案の定、フィズは口を尖らせて反論した。
「んもぅ、違うわよぉ。私がそんなヘマすると思う?」
「「「 ………… 」」」
捕らえた獲物は絶対に逃がさない──そう聞こえたのは気のせいだろうか。レオノーラ達が黙っているのを見る限り、ティナと同じことを思っているのかもしれない。
フィズはみんなの反応を無視して、人差し指を唇に当てた。そして、「実はね…」と切り出した。
「私、お腹に赤ちゃんがいるのぉ。だから産休に入ることにしたわぁ」
「…………え?」
「…………は?」
「…………へ?」
「だからぁ、赤ちゃんができたのぉ」
「「「 はああぁぁっ!? 」」」
大絶叫したのは、レオノーラとリュカとキャロルだ。驚く三人とは正反対にティナは、両手を合わせて「わぁ」と喜びの声をあげた。
「おめでとうございます! 生まれるのはいつごろの予定なんですか?」
「夏の終わりくらいかしらぁ。まだまだ先ね」
「うわぁ、今から楽しみですね」
「うふふ、生まれたら抱っこしてあげてねぇ」
嬉しい申し出にティナは笑顔で「ぜひ」と返す。
「フィ、フィズが母親って……大丈夫なの!?」
「まともな子どもが育つ気がしない……」
「む、むしろ……実験体にされるんじゃ……」
「ひぃ」と聞こえたのはティナの膝の上からだ。いつも思うが隊員達からのフィズの信用のなさがすごすぎる。
「もぅ、失礼しちゃうわぁ。私だってその辺の分別はあるわよぉ」
「えっ、分別って言葉知ってたんだ」
「そもそもフィズが子育てって……無理でしょ」
「ちょっと、あんたが頑張りなさいよ」
レオノーラにびしりと指を指されたアルヴィンが、妻の信用度の低さ──いや、信用度皆無の状況に頬を引くつかせる。
おめでたい発表が微妙な空気になりつつあり、ティナはさりげなく別の話題をふった。
「そ、そういえば、獣人族の赤ちゃんってどちらの姿で生まれてくるんですか?」
フィズは獣人族で、アルヴィンは人族だ。不思議なことに、子どもはみな獣人族として生まれてくる。それは知っているのだが、人化した姿で生まれるのか、獣化した姿で生まれるのか──その辺は結構気になるところだ。
だが、何気ない質問のはずが、先程以上に微妙な空気が漂い始めた。
「あ、あの?」
「あらまぁ、副隊長ったらなんにも話してないのねぇ」
「えっ? え、えっと……」
困惑するティナに、フィズは今日一番の妖艶な笑みを浮かべた。
「せっかくだから副隊長に聞いてみるといいわぁ。いっそ実体験してみた方が手っ取り早いかしらぁ」
実体験──それはつまり……。
──ぜ、絶対聞くのはやめておこう……。
男はオオカミ、従兄からの教えを思い出したティナは、そう心に誓った。
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