第123話 トラウマ

「ティナ、ティナ」

「…………」


 ティナの目の前には、期待に満ちあふれたキラキラとした目で、尻尾をぶんぶん振る大きな犬──もとい、クライヴがいた。その姿は「お散歩」と言った直後の犬の反応にとてもよく似ている。ないはずの尻尾が見えるなんて、自分の目はいよいよおかしいのかもしれない。


 そんな犬っぽさ全開のクライヴをほんの少しだけ可愛いと思いつつも、ティナは努めて冷静に返事を返した。


「なんですか?」

「今は誰もいないな」

「ええ、そうですね」


 そう答えるなりクライヴがずいっと距離を詰めてくる。切れ長の瞳、整った目鼻立ち──文句なしにかっこいい。普段ならばドキリとするところだが、ティナはグッと眉間にシワを寄せた。


──またか……。


 この後クライヴが何と言ってくるかは予想がついている。ティナは半ばげんなりしながらクライヴを押し戻した。


「とりあえず、どいてくれますか?」

「名前を呼んでくれたらな」

「…………」


 やっぱりなと半眼になる。しかも、いつの間にか手が腰に回されている。この手慣れた感じは何のだ。


 ここ最近のクライヴはずっとこんな調子だ。二人きりになるや否や、名前を呼んでくれと迫ってくる。正直ちょっと面倒くさい。


 はぁ、と溜息まじりの息を吐いたティナは、まっすぐにクライヴを見上げた。


「クライヴ、どいてください」

「敬語もなしだ」

「~~っ。クライヴ、邪魔!」


 この期に及んで要望が追加され、ちょっとだけカチンとくる。そのせいで強めの口調で言ってしまった。


 ちょっと言い過ぎたかなと罪悪感にかられたが、クライヴを見てそんな気は一気に吹き飛んだ。


「いい。すっごくいい……」


 クライヴが感動にひたるように目を伏せ、グッと拳を握っているのだ。「命令されるのもありだな」とか訳の分からないことまで言っている。暴言を気にしていないのはありがたいが、そのセリフでその行動は変態っぽいから止めてほしい。


 とりあえず突っ込みどころに困るので、クライヴの奇行は見なかったことにした。


「仕事はどうしたんですか? お忙しいのでは?」

「今は休憩中だ」


 堂々と告げられた言葉に、ついつい疑いの目を向けてしまう。クライヴは仕事中だろうとティナを見つければ走ってくるのだ。本当に休憩中なのか実に怪しいところである。


 そんな視線に気づいたクライヴが慌てたように手を振る。


「本当に休憩中だぞ。アレクが来るにあたっての準備も終わったし、ここ最近は特務隊うちにくる仕事も少ないし」


 そう言われてみて、ふと思い出す。


 確かに最近の特務隊は比較的静かだ。レナードのもとにくる書類もいつもより少ないし、隊員達も隊舎でまったりしていることが多い。クライヴの言うように本当に落ち着いているのだろう。


「まぁ、それならいいですけど。アレクが来る準備ということは、ここにも来るんですか?」

「あ~……一応その予定だ」


 今度はクライヴの眉間にシワが寄る。分かりやすい反応にティナは苦笑した。


 獣人族は総じて警戒心が強く、自分たちのテリトリーに他者が入るのを極端に嫌がる。以前リュカが警備隊の人を隊舎内に入れようとしなかったのもそのせいだ。レナードやクライヴが警備隊へよく出向いているのも、隊舎内に他人を入れたくないからだそうだ。


 そんな彼らからすれば、アレクが隊舎内に来るのはあまり気分が良いものではないのだろう。


「みんなも嫌がりますよね……」


 ティナとしては、従兄のアレクをみんなに紹介したい気持ちもある。しかし、ティナは戸籍上では庶民となっている。辺境伯のエヴァンス家と血縁関係にあることはあまり公にするべきではない。この件はレナードとも話して、みんなには伏せておくと決めてある。


 アレクは少々……いや、かなり過保護だが、ティナにとってはいい兄貴分だ。そんなアレクがみんなから警戒されるというのもなんだか悲しい。


 そう思っていると、クライヴが不思議そうに顔を覗き込んできた。


「ティナ、うちの奴らはアレクと顔見知りの奴がほとんどだぞ」

「……へっ?」

「昔、エヴァンス翁とアレクが王都に来たんだ。その時に顔を合わせたことがある」

「えっ? おじいちゃんたち王都に来たことがあるんですか?」


 ティナの祖父、エヴァンス翁は辺境伯だ。国境が近いということもあり、あまり領地から離れられないと聞いた事がある。


「かなり前だがな。アレクを跡取りとして紹介するために登城したらしい」

「知らなかった……」

「あの時はすごかったぞ。滅多に王都に来ないエヴァンス翁が登城したって大騒ぎになってな」

「へぇ、おじいちゃん大人気ですね」

「まぁ、エヴァンス翁は生ける伝説のようなもんだからな」

「そういえば、砦の人からそんなこと聞いたことがあります。なんでも、他国からの進軍を少数で追い返したとか」


 それはまだティナが生まれる前のことだ。地の利を生かした軍略で国境線を防衛したという話は、今なお語り継がれている。砦に遊びに行くと、顔なじみのおじ様たちがよく祖父の武勇伝を聞かせてくれたものだ。当時はそれが冒険物語のようでとても好きだったのを覚えている。


「その話は有名だな。その他にも崖から落ちても無傷だったとか、山賊の一味を一人で捕らえたとか……とにかくいろんな逸話があるんだ」

「さ、さすがにそれは誇張し過ぎでは……」


 山賊の規模は分からないので真偽については何とも言えないが、普通崖から落ちて無傷な人はいない。身体能力に長けた獣人族ならあり得るかもしれないが、祖父は人族なのだ。


「まぁ、そんなだから稽古をつけてほしい奴が列をなしたんだ。アレクもエヴァンス翁の跡取りということで大注目だったぞ」

「もしや、クライヴ様も手合わせしたんですか?」

「……あの頃は俺も若かったから」


 そう言ってクライヴは言葉を濁した。気のせいだろか、顔色が悪い気がしなくもない。深く聞いてはいけない気がして、曖昧に相槌を打っておくに止めた。


「あれ? でも、テオさんはおじいちゃんと面識がないって言ってたような」

「ああ、そういえばテオは見学だけだったな。あいつはもともと訓練とか面倒くさがるから」


 そういうことかと納得する。


 白熱する場でものんびりと観戦するテオ。分かりやすいくらい簡単に想像できる。だが、そこでクライヴの言葉を思い出して「ん?」と声をあげた。


「あ、あの……まさかキャロルさんやフィズさんも参加したんですか?」

「フィズは怪我人の手当で不参加だったが、キャロルは参加したぞ。当時の隊長に放り投げられてたな」

「そ、そうなんですね」


 料理人であるキャロルも参加したとは。ちょっとその辺を詳しく聞いてみたいと思ったが、次の一言でその気は失せることとなる。


「まぁ、そんなわけでアレクが来ても追い払うようなことはしないさ。ただ、トラウマがあって逃げるかもしれないけどな」

「トラウマ……」


 その物騒な言葉にくらりと気が遠くなる。いったい祖父とアレクは何をしたのだろうか。


「心配ない。逃げるくらいが大人しくてちょうどいいからな」

「……あの、それは怯えているわけではないですよね?」


 クライヴがそっと視線を逸らす。それとともにティナの脳裏に「弱肉強食」という自然界の摂理が思い浮かんだ。


 どうやら祖父と従兄は獣人族に一目置かれているらしい。道理でレナードやテオがあんな反応をするわけだ。


「ちなみにですが、アレクが来ることはみんなに伝えてあるんでしょうか?」


 ティナの問いに、またしてもクライヴが視線を逸らす。


 アレクが来ることはレナードには報告済みだ。ティナはてっきり隊員達にも伝わっていると思い込んでいた。


 だがこの様子からすると、隊員達には黙っておいているらしい。忘れているのか意図的なのか。


「アレクが突然来て大丈夫でしょうか……」

「ここ最近の訓練の成果を披露できると思えば問題ない。隊長もそう言っていたからな」


 しらっと言い切ったクライヴに胡乱な目を向ける。手合わせすることが前提なのもいろいろおかしい。


「でも、お付き合いしていることを言ったら、一番絡まれるのはクライヴ様だと思います」

「うぐっ……」

「頑張ってくださいね。アレクはとっても強いですから」


 笑顔で応援してると伝えれば、クライヴは心の底から絶望したような顔をしていた。

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