第121話 二人きり

 テオが戻ってきた日の夜、ティナはクライヴの部屋を訪れていた。


 というのも、やけに神妙な顔で「話があるから部屋に来てほしい」と言われたのだ。十中八九アレクのことだろう。アレクが何の用で王都に来るのか。また、アレクとティナが親戚だということを周りに言うべきか。きっと、そんな話しをするに違いない。


 そこそこ込み入った話になると思い、エイダはアグネス達に寝かしつけてもらうことにした。夕食をお腹いっぱい食べたおかげで、エイダはううとうとしながら連れられていった──アグネスに咥えられて。子トラを咥えて隊舎内を闊歩するトラ。視覚的インパクトがすごかった。


──そういえば、クライヴ様の部屋に入るのは初めてかも。


 ソファへ腰を下ろしたティナは、物珍しさからついつい周囲を見回した。


 クライヴはもともと王都にあるウォルフォード家の屋敷へ住んでいた。隊舎内のこの部屋は、仕事が忙しい時に泊まるくらいしか使っていなかったそうだ。


 そのためか、室内は随分とサッパリしていた。机の上には仕事用と思われるペンとインク、あとはいくつか本が置いてあるくらいで、私物らしきものはほとんど見当たらない。


 そのクライヴはというと、キャロルにティーセットを用意してもらったらしく、紅茶を煎れてくれていた。四家の次期当主だというのに、その手つきは随分手慣れている。


「砂糖はいるか?」

「いえ、ストレートでお願いします」


 ティナへとマグカップを差し出した後、クライヴは自身のマグカップに砂糖を二つ入れた。その行動にちょっとした違和感を抱く。


「クライヴ様、甘いものは苦手って言ってませんでしたっけ?」


 それは以前に二人で出かけた時のことだ。クレープを食べた際、「甘いものはそこまで好きではない」と言っていた。まぁ、嫌いとは言っていないから、今日はたまたま甘いものを飲みたい気分だったのかもしれない。


 しかし、クライヴはなぜかばつの悪そうな顔で視線を逸らす。


「クライヴ様?」

「…………なんだ」

「え?」

「……紅茶は苦味というか……甘い方が飲みやすいんだ」


 子供のようなことを言ったクライヴは、気まずさをごまかすかのようにティースプーンで紅茶をぐるぐるとかき混ぜた。


 そういえば、犬は珈琲など苦味のあるものが苦手だ。オオカミ獣人であるクライヴも味覚が近いのだろう。紅茶は苦いというより渋みだとは思うが、そこは突っ込まないでおく。


──ふふっ、なんか可愛い。


 まさかこんなところでクライヴの新たな一面を知れるとは思わなかった。ティナはクライヴを尊重してさりげなく話題を変えることにした。


「魔道具の形は何にするか決めましたか?」

「ああ、ピアスにしようかと思ってる」


 特務隊全員の悲願とも言える、変化時の洋服の自動着脱。それを可能とした今回の魔道具は、常に身につけておく必要があるらしい。


 テオからその説明を受けた隊員達は、真剣にどんな形にするか考えていた。非戦闘員のキャロルは、おしゃれ重視でネックレスに、ルークは獣化することも多いのでテオと同じく足環にするらしい。

 

「レオノーラさんもピアスにするって言ってましたよ」

「レオノーラは真っ先に前線に突っ込んでいくタイプだからな。ピアスなら邪魔にならないんだろう」

「前線……」


 特務隊は国を守護するために作られたのだ始まりだ。今は国同士のいさかいはないが、今後情勢が変われば……。


 嫌な考えが頭をよぎる。人族より遙かに身体能力が優れているといっても、戦いの場において、絶対に安全ということはないはずだ。


 グッと唇を引き結んだ時、ふいに、頬に何かが当たる感触がした。


 ほんのり温かさを感じるそれは、すぐに離れていく。ハッとして顔を上げれば、すぐそばにクライヴの顔があった。


──へ……? い、いま、キスした……?


 そう理解した瞬間、一気にかぁっと顔が熱くなる。そんなティナを見て、クライヴがニヤリと笑う。


「大丈夫だ。俺にはティナと結婚して、可愛い子供達に囲まれて、チャド爺さん並みに長生きするという人生設計があるんだ」

「……何ですかそれ」


 クライヴがおどけながら話すせいで、つい吹き出してしまう。ティナが不安になっていたのを察して気遣ってくれたのだろう。


 クライヴはどや顔で言葉を続けた。


「俺は妻にも子供にも優しい夫になるぞ」


 なんだかどこかで聞いた事のあるセリフである。それにまたクスクスと笑ってしまった。


 以前ならクライヴと付き合うということすら考えられなかった。だが、今はクライヴとの未来を真剣に考えたいと思っている。真っ直ぐで優しいクライヴとなら、素敵な家庭を築けるだろう。


 そこまで考えて、ふと大事なことを思い出した。


「あの、アレクが来たら……クライヴ様とお付き合いしてるって言った方がいいですよね?」


 帰省の際に起こった結婚騒ぎで、クライヴがアレクと祖父に襲いかかられたのは記憶に新しい。あの時は付き合っていなかったから噂を否定したが、「付き合うことになりました」なんて言ったらどうなるか……。


「迷惑をかける想像しかつかないですが、後からバレたときの方が怖いというか……アレクは結構勘が鋭いので」

「…………既に知っていそうな気もするがな」


 クライヴがボソリと何かを呟く。隣に座っているというのに、あまりにも小さな声で聞き取れなかった。すぐに聞き返そうとしたが、笑顔でごまかされてしまう。


「まぁ、さすがのアレクも城内では剣を抜かないだろう。それより──」


 突然クライヴが真面目な顔つきになる。雰囲気から本題に入るのだと分かった。


「どうしても納得がいかないことがあるんだ」


 確かに、アレクがこの次期にわざわざ王都に来るなんておかしい。これから冬本番を迎える北の地は、豪雪地帯ではないが、そこそこ雪が降る。普通に考えれば移動は控える次期だ。


 それに、アレクはああ見えても次期辺境伯だ。現辺境伯の祖父が高齢な分、よほどの理由がなければ自領を出ることはあまりない。


 ゴクリと唾を飲み込む。しかし、クライヴの口から出たのは全く予想外の言葉であった。


「何で俺のことは『クライヴ様』なのに、ヘビ野郎のことは呼び捨てなんだ?」

「…………へ?」

「何であいつだけ呼び捨てで呼ぶんだ?」


 二度言った。


 すぐに理解できなかったティナは、もう一度頭の中でクライヴの言葉を繰り返す。「何であいつだけ呼び捨てで呼ぶんだ?」──確かにそう言った。聞き間違いではなさそうだ。


「まさかと思いますが、呼び出した理由ってそれですか?」

「そうだ」

「アレクのことじゃなくて?」

「そうだ」


 まさかの即答である。


 ティナは頭を抱えたくなった。これはあれだ。いつものヤキモチだ。


「別に深い意味はないです。ルドラはただの友達ですし」

「友達か。でも、ティナが呼び捨てで呼ぶのはアイツだけだよな?」

「そういえば……そうかも?」


 言われてみて初めて気付く。確かにルドラ以外は呼び捨てで呼んでいない。ルドラが話しやすいからか、完全に無意識で呼び捨てをしていた。


「あいつだけ呼び捨てなんてズルい」

「ズルいって……」

「俺だって呼び捨てで呼ばれたい。「様」付けなんて距離を感じる」

「そ、それは……」

「ダメか?」


 「うぐっ」と言いたくなるのをすんでの所で飲み込む。


 クライヴの言う通り、恋人なら呼び捨てで呼んでも変ではない。しかし、今さら呼び捨てで呼ぶとなると正直恥ずかしい。

 

「えっと、急に呼び方を変えるのも変かなぁと」

「それなら二人きりの時だけでも「クライヴ」と呼んでほしい」


 クライヴがずいっと距離を詰めてくる。その目は絶対に引き下がるつもりはないと語っていた。


 迫力に押されて後退れば、その分また距離を詰められる。普段は犬のようなのに、なぜこういう時に限ってオオカミっぽいのだろうか。


 見つめ合うことしばし。


「……わ、分かりました」


 ティナはクライヴの熱意に負けた。というか、押し倒さんばかりの距離に負けた。


「ふ、二人の時だけですよ。人前では今まで通りですからね」

「まぁ、今はそれで我慢するか。……そうだ、今は二人きりだな?」


 にこーっと笑うクライヴは、未だに離れる気配はない。それに嫌な予感を感じた。


「ク、クライヴ様?」

「クライヴ、だろう。今は二人きりなんだから」

「い、いえ……まだ心の準備が……」

「大丈夫だ、いくらでも待つ」


 そう言って笑みを浮かべたクライヴは完全に猛獣だった。獲物を逃すつもりなどない、そういう圧があった。


「うぅ……」


 ティナは覚悟を決めた。


「…………クライヴ」


 この後、喜びのあまり抱き着いてきたクライヴを引き離すのに苦労したのは言うまでもない。

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