第115話 悔しさを糧にして

「ティナは無自覚で人をたらしこむ才能があると思うんだ」


 ティナの向かいの席に座るなり、開口一番クライヴはこんなことを言い出した。


 とんでもない言いがかりだが、もはや反論する気はない。そうというのも、このやりとりはすでに嫌というほど何回も繰り返しているからだ。正直もう面倒くさい。


「またその話しですか?」

「ティナには俺だけを見ていてほしい。誰にでも優しいのはティナの良いところだが、ヘビ野郎みたいに勘違いする奴が出てくるのは困る」

「ですから、あの時はルドラのことをただのヘビだと思っていたんです」

「ただのヘビに『大好き』だなんて言うか?」

「だって小さくて可愛かったんですもん」


 クライヴの顔が悔し気に歪む。こうして毎回拗ねるのなら言わなければいいのにと思うが、そこはもう諦めている。「俺には言ってくれないのに……」と不満げな声が聞こえてきたが、そこは聞こえないふりをしておいた。


「ちいさいとかわいい?」


 ティナの膝の上にいたエイダがキラキラした目でこちらを見上げてくる。大人しくしていると思ったら、今のクライヴとの会話をしっかり聞いていたらしい。


「エイダもちいさい。かわいい?」


 期待に満ちた瞳がティナを真っ直ぐに見つめてくる。今日は人化しているので表情がとても分かりやすい。可愛いと言ってもらいたいのがバレバレだ。


「もちろん。エイダちゃんなら大きくなっても可愛いよ」

「むふふふ」


 期待通りの言葉を貰ったエイダが満足げに笑う。笑い方は少々アレだが、無邪気でとても癒される。


 エイダはここ最近グッと成長したが、まだまだ子供特有のぷにぷに感がある。可愛すぎて思わず抱きしめると、向かい側からうらやましそうな視線を感じた。


「……ティナ、俺は?」

「はいはい、クライヴ様もかわいいですねー」

「気持ちがこもってない……」


 気持ちがこもってたらこもってたで、「もう一回言って」とかしつこいではないか。大の大人がしょんぼり肩を落として、本当にこのオオカミは手がかかる。……まぁ、そこも可愛いのだが。


 ティナが内心でこっそりとのろけている間に、エイダがクライヴへ勝ち誇った笑みを向ける。それを見たクライヴがギリギリと歯を食いしばった。


「副隊長ったら大人げないわね」

「レオノーラ、男には譲れないものがあるんだよ」

「エイダもやるなぁ」


 少し離れた場所でティナたちを見物するのは、レオノーラ、キャロル、リュカだ。


 ルドラが二度目の侵入をしてきたあの日以来、レオノーラとリュカは朝から晩まで鍛錬に打ち込むようになった。ルドラに軽くあしらわれたのが、よほど悔しかったらしい。今も二人での組み手を終え、山盛りの昼食を食べている最中であった。


「あーあ、僕もそのヘビ獣人とやらを見てみたかったな。子リスちゃんを巡っての争いなんて面白そう」

「そっか、キャロルはいなかったんだっけ」

「買い出しなんて間が悪い奴ね」

「誰がお前らの食事を作ってると思ってんだよ。はぁ、次はいつ来るのかなぁ」

「……不法侵入ダメ……」

「うわぁっ! ダン、急に背後に立たないでよ!」


 相変わらずの無表情でダンがキャロルの背後にぬぅっと現れた。


「あら、ダン。訓練は終わったの?」

「……昼休憩……午後、また行く……」

「それなら、私も行こうかしら」

「あ、ボクもー!」


 二人の言葉にダンがこくりと頷く。


 ここ最近、ダンは警備隊の訓練に混ざりに行っている。クライヴ曰く、ダンはもともとのんびりした性格なので、自分から訓練に参加しようとするのはかなり珍しいらしい。どうやらダンも、ルドラの侵入を許したことを悔やんでいるようだ。


 席へと着いたダンに、クライヴがそういえばと声をかける。


「ジスランとアグネスはどうした? まだ一緒に行っているのか?」

「……二人とも……人化は嫌だって……」


 予想通りの答えだったのか、クライヴが呆れ混じりに息を吐く。


『我らも訓練とやらに参加してくる』

『エイダのことは頼んだぞ』


 トラ夫婦はダンに付いて警備隊の訓練に参加しにいった──が、問題はその直後であった。城内を大きなトラが歩いていると大騒ぎになったのだ。一応警備隊の制服を着ているダンが一緒だったが、彼は非常に口下手だ。その結果、隊長であるレナードが呼び出される事態となった。


 その後、お咎めはなかったが、トラ夫婦がレナードから「特務隊の敷地を出る際は必ず人化するように」とこっぴどく叱られたのは言うまでもない。しばらく二人は「クロヒョウ怖い、クロヒョウ怖い」とうなされていた。


 どうやら今の話から察すると、彼らは人化が嫌で訓練に行くのをやめたらしい。


「そういえば、二人とも今朝から見かけませんね。どこへ行ったんでしょう?」

「あいつらが昼食に来ないなんてあり得ないだろう」

「エイダちゃん、ジスランさんとアグネスさんはどこにいるか知ってる?」

「う?」


 エイダがきょとんとした顔で首を傾げる。どうやらエイダも知らないらしい。


 クライヴが言うように、彼らがご飯時に姿を見せないのはおかしい。二人はエイダ同様、キャロルの料理に胃袋をガッシリ掴まれているのだ。「こんな美味い飯が食べ放題なんて、特務隊に勤めるのも悪くないな」などと言っているくらいだ。


 そんな食欲旺盛のトラ夫婦の行方に首を傾げていると、ダンの食事を持ったキャロルが戻ってきた。


「あの二人なら夜明け前に出かけていったよ。弁当作ってくれって言われたから、夕飯まで帰って来ないんじゃないかな」

「敷地内なのにお弁当ですか?」

「えっ? 外に行ったんじゃないの?」

「あれ? 特務隊の敷地内を出るなら人化しないとダメなんじゃ……」

「なんか、秘密の通路があるとか言ってたけど」


 聞き覚えのある単語にティナは思わずクライヴの方を見た。


 秘密の通路とは、以前トラ夫婦を連れて帰った際に使った道のことだ。道とは言っても舗装された道のことではない。外壁を飛び越え、屋根を伝い、城門までも飛び越え──つまりは獣人族にしかできない侵入経路のことだ。


 あの時は暗かったから闇に紛れられたが、朝に出かけたということは……。


「……あのバカトラ夫婦っ!」

「た、大変。王都が大騒ぎになってるかも」


 屋根から屋根へと軽快に飛び移る二頭のトラ──大騒ぎになる予感しかしない。


 すぐにレナードへ報告した方がいいだろうか。頭を悩ませていると、今度はルークがやってきた。


「副隊長、あのトラ達なら森の中におりましたぞ」

「森? 何でまた森に」

「空から見ただけですが、何かを追いかけているようでしたぞ」


 それは鍛錬なのだろうか。はたまた、狩りなのだろうか。誰もがそう思ったのか、その場に微妙な静けさが漂う。


「あー……ルーク、昼食はどうする?」

「いや、外で食べてきたので不要だ」

「アンタ、最近随分と忙しそうね」

「テオが不在だからやむを得ない」


 そう言って椅子へと腰を下ろしたルークは、少し疲れて見えた。鳥類コンビは主に偵察が仕事なのだ。


「そういえば、あの時ルークもいなかったよね」

「何の話かね?」

「子リスちゃんにアプローチする不埒な奴が無断侵入してきたのよ」

「例のヘビ獣人のことか」


 ルークの視線がギロリとティナヘ向けられる。オオワシ獣人の鋭い視線にティナは自然と背を正した。


「小娘、お前はまたも副隊長のお心を煩わせおって。いい加減、さっさと結婚すればよかろうに」

「えぇ! け、結婚!?」

「何を驚く。お前がそんなだからそのヘビ獣人がつけあがるのだ。副隊長のことを想うのなら今すぐ結婚したまえ」 


 ド直球な言葉にティナがうろたえる。


 ついクライヴのほうを見ると、同意するかのようにうんうんと頷いていた。以前、「俺とティナの事については口出し無用だ」とか言っていたのはどうなったのか。


「そうだな。ティナが正式に俺と結婚すれば、あのヘビ野郎も諦めるだろう」

「ク、クライヴ様っ!?」

「ティナの気持ちは大事だが、俺は今すぐにでも結婚したい」

「えっ……そ、その……」

「ティナは俺との結婚は嫌か?」


 クライヴだけでなく全員の視線がティナへと集まる。


 人生の一大転機をこの場で決めろというのか。そもそも、これがプロポーズなのか。そうだとしたら、情緒もなにもあったものではない。


 もちろんすぐに答えが出せるはずもなく、ただあわあわと取り乱す。あまりにも動揺しすぎて、新たな人物がやってきたことに気が付かなかった。


「おや、ちょうどよく集まってますね」


 その声に、会話の終了を察した面々が残念そうな顔になる。やってきたのはレナードだ。


「何ですか、その視線は?」

「もう、いいとこだったのに」

「副隊長がフラれるかどうか面白いとこだったんだよ~」

「人がフラれること前提にすんなっ!」


 この短い会話だけで何があったのか察したレナードは呆れたようにため息をついた。流石は特務隊の隊長、状況把握力が半端ない。


「クライヴがティナ嬢にフラれたとしても自業自得でしょう。それよりも、今日は全員に報告があります。……先に言っておきますが、これは決定事項です。不平不満は受け付けません」

「えっ? なにそれ?」

「何でそんなに念押しするの?」


 妙に圧を感じるレナードの言い方に隊員達が身構える。そんな隊員達に、レナードはいつものように穏やかに微笑んだ。


「本日付で特務隊に新しい隊員が入ります。自己紹介は本人にしてもらったほうが早いですね。どうぞ」


 そう言われて現れた人物に、全員が絶句した。

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