第113話 愛があれば問題なし

「オレはティナがあいつの番いってのが嫌だなぁ」

 

 聞き慣れぬ声がした瞬間、アグネスが素早くティナを背に庇った。愛娘と追いかけっこをして遊んでいたジスランも臨戦態勢へと変わる。二人にやや遅れて、エイダも小さな体で毛を逆立てた。


「ははっ、ちっこいのまでいっちょ前に威嚇してやがんの」

「ルドラ!?」

「や、ティナ。遊びに来たよ」


 木の上からひらひら手を振るのはルドラであった。獣化したルークがよくいる場所──この庭を一望できる大きな木の枝に座っていた。


 鮮やかな青い髪に真っ赤な瞳。鼻筋は高く、どこか異国風の顔立ち。日の光の下で見るルドラは、人当たりの良さを感じさせる青年だった。今日は、くたびれた旅装ではなくラフな庶民服を着ている。


「ティナおねえちゃんにちかづくな!」

「おーおー、さすがはティナ。猛獣のトラまで手懐けてるのか」

「おりてこい! かみついてやる!」

「あははは、やーだよ~」


 木の上で笑うルドラを見て、エイダが悔しげに地団駄を踏む。エイダはまだ木登りができないのだ。


 そこを差し引いても、エイダの威嚇はさほど怖くはない。ムキーっと怒っていても、可愛さの方が勝っている。もちろん、エイダの自尊心を傷つけないために口にはしないが。


「エイダ、母のところまで下がっていろ。あとはこの父がやろうぞ」


 そう言ってジスランが一歩前に出た。


 グルルルと低い唸り声を上げながらルドラを睨みつける様は、猛獣という名にふさわしい。幼獣のエイダとは迫力が全く違う。


 敵意をむき出しにする父親の姿に、エイダが軽くビビっていた。そそっと後ずさりをしたかと思えば、一目散にこちらへやってきて、アグネスの前足の間に逃げ込んだ。


「う~ん、大人のトラとやり合うのは嫌だなぁ」

「喉元咥えて引きずり下ろしてやる」

「いやいや、トラに喉元咥えられたら死ぬって」

「問答無用。覚ご──っ!」


 走りだそうとしたジスランに向かって、ルドラが何かを投げつけた。小袋のようなそれから、さらさらとした粉のようなものが散らばる。


──まさかっ、また眠り薬!?


 ティナの考え気づいたかのようにルドラがニコリと笑う。


「眠り薬じゃないよ。これは『マタタビ』って言うんだ。なんでも、猫が酔っ払うらしいよ」


 マタタビ──それはティナも聞いた事がある。遠い異国にあるとされる木で、その実や枝には、猫の神経を麻痺させる成分が含まれているらしい。匂いを嗅ぐだけでも酩酊状態になるそうだ。


 そこまで思い出してハッとした。トラはネコ科だ。


 慌ててジスランへと視線を向ける。至近距離でマタタビを吸い込むことになったジスランは、咳とくしゃみを繰り返していた。


 やがてそれが治まると、足の力が抜けたかのようにへにゃりと倒れ込んだ。それから、ご機嫌な様子で喉を鳴らし、地面にごろんごろんと転がりだす。前足で顔を洗う仕草をし、まさに酔っ払ったような状態だ。


 しかも、風に乗ったまたたびを嗅いだのか、アグネスとエイダまでもが同じ状態になっていた。


「お~。結構使えそうだな、これ」


 酔っ払うトラ一家を見て、ルドラが感心したような声を上げる。


 この間の眠り薬といい、今回といい、ひょいひょい薬を使うのは如何なものか。ルドラにはしっかり抗議せねばならない。そう思った時、何か大きなものがティナの真横を走り抜けた。


 その直後、ドンッという鈍い音が響き渡る。


「うおっ! びっくりした~!」

「む……」


 ルドラのいる木に体当たりをしたのは、獣化したダンであった。大きなヒグマの渾身の体当たりに、木がミシミシと悲鳴を上げる。ルドラは驚きこそすれ、落ちることはなかった。


「よーし、次はボクの出番」


 間髪入れずにルドラの上から飛びかかったのはリュカだ。どうやらダンが突進している隙に、ルドラの頭上を取ったらしい。見事な連係プレーだ。


「残念、惜しい」


 ルドラは振り向きもせず、リュカの足を掴んだ。そしてそのまま受け流すようにリュカを木の下に投げつけた。


「うわっ!」


 ダンが身を挺して受け止めたので、リュカは地面への激突を免れた。


「気配でバレバレだよ。まだまだ若いね~」

「くっそ~……!」

「あははは。精進あるのみだ、少年よ。……おっ?」


 ルドラが何かに気付く。その視線の先にはレオノーラがいた。


 素早く接近すると、見事な跳躍で樹上のルドラへと肉薄する。憐れ、踏み台にされたリュカ達が小さなうめき声を上げる。


「っとと! 危ないな~」


 しなやかで長い足から繰り出される蹴りを、ルドラがギリギリのところでかわす。それを見たレオノーラが忌々しげに舌打ちをする。


「ちっ、避けてんじゃないわよ!」

「無茶言うなぁ。そんなん食らったら絶対怪我すんじゃん」


 ほら、とルドラが指さした先──先程までルドラがいた場所は見事に木が抉られていた。


「つーかさ、何でみんなして問答無用で攻撃してくるわけ?」

「侵入者がなに言ってるのよ」

「え~、オレはただティナに会いに来た……おっと」

「大人しく捕まりなさい!」

「……うーん、この喧嘩っ早さ。これは絶対ネコ科だな」


 容赦なく攻撃を繰り出すレオノーラだが、ルドラはそれら全てを躱していく。レオノーラの素早い蹴りですら、ものともしていない。ティナの目にも、ルドラが全力を出していないのはよく分かった。


 そんなルドラが懐から何かを取り出す。


「さっきのマタタビ、実はまだあるんだよね」

「ちっ!」

「さて、あんたには効くかな?」


 レオノーラが危険を察して距離を取ろうとする。しかし、ルドラがマタタビを投げる方が早かった。


 咄嗟に鼻と口をガードしたレオノーラだったが、完全には防ぎきれなかったのか、軽く咳き込んでいた。接近戦は危険と判断したのか、すばやく地面に待避する。


「くっ……!」

「ふぅん、やっぱネコ科だったか~」


 樹上からニヤニヤと笑うルドラを、レオノーラが憎々しげに睨みつける。眼光の鋭さは変わらないが、立っているのがツラそうだ。


「はぁ、こんな手荒い歓迎をされるなら夜に来るべきだったかな」

「そもそも来るんじゃないわよ!」

「嫌だね。オレはティナに会いたいし」 

「……あんた、なんでそんなに子リスちゃんに執着してんのよ?」


 ルドラはレオノーラの問いに不思議そうな顔をした。それからようやく地上へと降りてきた。


「だってオレ、ティナのこと好きだもん」

「……へ?」


 予想外の言葉にティナの口から間の抜けた声が出る。驚くティナとは対照的に、なぜか隊員達は「やっぱり」という顔をしている。


「ティナといると落ち着くっていうか……なんか安らぐんだよね。ヘビも怖がらないし。それにさ、オレのことキレイって言ってくれたし」


 嬉しそうに笑いながらルドラがティナの方へと歩みを進める。レオノーラはそれを止めようとしたが、マタタビのせいで立ち上がれないでいた。


「あちこちの国に行ったけど、ティナほど一緒にいたいと思える人はいなくてさ。こうしてまた出会えるなんて、これってもう運命じゃん?」

「……だそうよ、副隊長」


 ティナの隣にはいつの間にかクライヴが立っていた。


「悪い、遅くなった」

「えっ? い、いつの間に」

「副隊長、おそいわよ」

「仕方ないだろ。さっきまでアルヴィンのとこに行ってたんだ。お前らこそなんて有り様だ」


 スッと目を細めたクライヴに全員が気まずそうな顔になる。いや、トラ一家だけはご機嫌でグルグル言いながら転がっている。


「はぁ、また犬っころの登場か」

「ヘビ野郎が。懲りずにまたティナに近寄りやがって」

「番犬かっての。これだから犬は……」

「犬犬うるさいな。俺はオオカミだ」

「どっちでも同じでしょ」


 クライヴとルドラが静かに火花を散らす。その雰囲気にティナはハラハラしながら見守った。


「オレとティナの邪魔するなよな」

「それは俺のセリフだ。ティナは俺の番いだぞ」


 そう言ってクライヴがティナの肩を抱く。それを見たルドラが不満そうに口を尖らせた。


「番いねぇ…」

「そういうことだ。お前の出る幕はない」

「ふーん、それでオレが引き下がるとでも?」

「……何だと?」

「オレはティナが好きだし、ティナもオレが好き。それで十分じゃん」


 その言葉にクライヴが怒りをあらわにする。肩を抱く手に力がこもったのが分かった。


「番いじゃなくても愛があれば問題なし。ね、ティナ?」


 そう言ってルドラはとびきり人懐っこい笑みを浮かべた。

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