第112話 加速する過保護っぷり
「ティナ、無事かっ!?」
背後から聞こえた声に、ティナは「またか」と心の中で小さな溜息をついた。
エイダと庭で遊んでいるティナの元へやってきたのは、血相を変えたクライヴだ。ルドラがティナの部屋に侵入してからというもの、クライヴの過保護っぷりは加速の一途を辿っていた。
ティナの前までやって来たクライヴは、ペタペタと頬を触り、手を取り、異変がないか入念に確認する。それからホッと一息ついてティナを抱きしめた。
「良かった……」
「クライヴ様、そんなに何回も確認しなくてもいいと思います」
思わず呆れたような口調になってしまう。最初こそ、番いを大切にする獣人族の習性ゆえにしかたがない行動だと思っていた。愛されているのが伝わってきて嬉しくもあった。しかし、一時間おきにやって来られれば、さすがに呆れるというものだ。
「私は大丈夫ですから、ちゃんと仕事をしてください」
「仕事よりティナの方が大切だ」
「そういうのはいいので仕事に戻ってください。私にはジスランさんとアグネスさんが付いていますので」
おざなりな返事をされたクライヴの口がほんの少しだけへの字になる。その視線がティナの隣へと向いた。
ティナのすぐそばには大きなトラ──もとい、獣化したアグネスがいる。もう一頭のトラと小さなトラは、楽しい追いかけっこの真っ最中だ。
不審者がティナの友人と判明してからも、ティナには護衛が付けられていた。その理由は、ルドラの目的が分からないからだそうだ。ルドラは旧友であるティナに会いに来ただけと言っていたが、クライヴをはじめとした特務隊の皆はなぜか納得してくれなかった。
『ティナは動物に好かれすぎだ!』
とは、クライヴの言葉である。それが護衛をつけることと何の関係があるのかよく分からない。
「くっ、何で俺が護衛じゃないんだ。普通は恋人である俺の役割なはずだろう」
「クライヴ様には副隊長としての仕事があるんですから当然です」
「嫌だ。俺はティナのそばにいたい」
「真面目な顔でサボり宣言しないでください。レナード隊長に叱られますよ」
最初の頃はレナードもこの過保護っぷりを見逃してくれていた。だが、クライヴがあまりにも頻繁に席を外すため、最近では冷ややかな視線へと変わりつつある。あの様子だとクライヴが鉄拳制裁される日も近いかもしれない。
それはクライヴも感じているのか、レナードの名前を聞いて迷うそぶりを見せた。これならクライヴも大人しく仕事に戻るだろう。そう思いきや、クライヴはとんでもないことを口にした。
「いっそ仕事なんかなくなれば……」
ボソリと呟かれた一言に嫌な予感を感じる。
「そうだ、仕事なんて辞めてしまえばいんだ。それがいい。そうしよう!」
「よ、よくないです! 何を言い出すんですか!?」
「善は急げだ」
「ま、待ってください! それはダメです!」
ティナの制止を無視してクライヴがくるりと背を向ける。今すぐにでも辞表を出しに行きそうな勢いに、ティナは慌ててクライヴの隊服を掴んだ。
「ティナ、俺がそばで守るから何も心配はない。すぐに手続してくるから待っててくれ」
「い、いえ。仕事を辞めてまで守ってもらいたくないです」
「大丈夫だ。ティナと子供たちを養うくらいの蓄えはある」
無駄にキリッとした顔で見つめられ、不覚にもドキリとする。ついつい絆されそうになったが、変な理由で副隊長を辞められては困る。
というか、子供がいることが前提なのはどういうことだ。まだ結婚すらしていないではないか。頬が勝手に熱くなるのを感じたが、今はそこをスルーしておく。
ティナはクライヴの考えを改めさせるために、フィズから聞いた「効果抜群なお願いの仕方」を実践することにした。第一段階は上目遣いだ。次は――。
「その……私は真面目に働くクライヴ様はカッコいいと思います」
そう言えば、分かりやすくクライヴの顔がぱぁっと明るくなる。第二段階、誉め言葉は成功だ。
「自分の仕事をきちんとできる人って素敵です」
「そ、そうか?」
「はい。強いだけでなく書類仕事もできるなんて……さすがです!」
笑顔でそう言えば、クライヴが照れくさそうに笑う。ここまでくればもう一押しだ。
ティナは背を伸ばして、とっておきの一言を耳打ちした。
「お仕事を頑張ったらご褒美あげますから。ね?」
ご褒美──その一言にクライヴの目の色が変わった。
「よし! 仕事に戻る! アグネス、ティナを頼むぞ!」
そう言ってクライヴは、すごい早さで隊舎へと戻っていった。
チョロいと言うか何というか。とりあえずは、これで辞めるだなどと言い出すことはないだろう。やれやれといった気持ちでクライヴを見送る。
ちなみにご褒美というのは、ほっぺにチューである。一度クライヴが仕事で疲れた時に、「ティナがキスしてくれたら頑張れそうだ」と言われて、してあげたのが始まりだ。頬とはいえ自分からキスをするのはものすごく恥ずかしいが、クライヴがちゃんと仕事をするならやむを得ない。
「何というか……愛されすぎなのも大変だな」
「クライヴ様は過保護すぎなんです」
「諦めろ。獣人族など、こんなものだ」
「そうでしょうか?」
「…………」
分かりやすくアグネスの視線が明後日のほうを向く。これはどう見ても「獣人族」ではなく「クライヴ」個人に問題がある気がする。
ついついジトリとした目を向けると、取り繕うことが下手なアグネスは、さっさと白旗をあげた。
「そ、そうだな。やはり人それぞれだと思うぞ」
「何となくそんな感じはしていました……」
「うむ、オオカミとは愛情深い生き物だからな」
納得できるようなできないような。そもそもティナの周りには、参考になるような番い持ちの獣人族があまりいない。番いを見つけて結婚したばかりのフィズは、お互い仕事が忙しく、二人一緒にいるのをあまり見かけない。人族の妻がいるというレナードに至っては、いつも落ち着いていて仕事とプライベートをきっちり分けている。
そこでふと気が付いた。目の前で尻尾をゆらゆら揺らすこのトラにも番いがいる。
「……アグネスさんとジスランさんって、すごく仲がいいですよね。よくお互いの毛づくろいをしていますし」
「む? まぁ、一応番いだからな」
「ジスランさんに何かあったら、アグネスさんもああなりますか?」
「む? そうだな、ジスなら自分で何とかするんじゃないか」
アグネスがけろっとした顔で答える。あまりにもあっさりしていて、尋ねたティナの方が目を点にする。ここは「心配している」と答えるところではないだろうか。
確かにトラは食物連鎖の頂点だ。そうそう危険な場面には直面しないだろ。だが、それにしたって淡白すぎやしないだろうか。ジスランを信頼しているからこそなのか、アグネスがあっさりしているだけなのか……。
ジスランを見れば、可愛い愛娘に弾丸タックルをされてよろけていた。なんだかトラ一家の力関係を垣間見た気がする。
「そういえば、お二人はトラ獣人ですよね。同じ祖を持つ者同士で番いということもあるんですね」
「ああ、珍しい例ではあるようだが、たまにいるらしいぞ」
「へぇ。じゃあ、例えばトラとオオカミとか、他種族同士が番いになることもあるんですか?」
フィズとアルヴィンもそうだが、今まで番いについて書かれた本も「獣人族と人族」のことばかりであった。ジスランとアグネスのように同じ祖を持つ獣人族同士が番いになるなどは知らなかった。それならば、違う祖を持つ獣人族同士が番いになることもあるのだろうか。
ちょっとした疑問のつもりが、アグネスの顔がくしゃりと歪む。
「……例えが恐ろしいな。他種族が番いになることは決してないと聞いている。私も見たことはない」
「それも不思議ですね。動物だと交雑種は繁殖能力がないといいますが……」
「それなら番いが人族というのもおかしいだろう」
「あ、それもそうですね」
一応だが、獣人族と人族は名前の通り区別されている。ティナの住むエルトーラ王国では種族による差別がないからすっかり忘れていた。
そもそも獣人族の生態というのは未だ謎に包まれた部分が多い。姿かたちを変える獣化能力、動物との意思疎通。
番いについてもそうだ。獣人族からすると、番いかどうかはすぐに分かるらしい。しかし、どういった理由で番いに選ばれるのか──そのメカニズムは分かっていない。
ティナが思わず「うーん」と口にした時、第三者の声が割って入った。
「オレはティナがあいつの番いってのが嫌だなぁ」
その瞬間、トラ一家が一斉に臨戦態勢に入った。
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