第107話 青い髪の男
獣人族御用達の店──王都の路地裏でひっそりと営業しているこの店には、他では手に入らない獣人族用の商品がずらりと並んでいる。そのため、他国から獣人族がやってくることも珍しくはなかった。
クライヴとティナがこの店を訪れた日の夕方。チリリンと来客を告げるベルの音が店内に響いた。うたた寝をしていた店主は、ゆるゆるとまぶたを開ける。天窓の下のロッキングチェアが彼の定位置だ。
チャド爺さんと呼ばれるこの店主は、カメの獣人族でとても長生きだ。王都に住む獣人族で彼のことを知らない者はいない。周囲からは「120歳を越えている」と言われているが、実際のところはもっと年上だったりする。
そして、チャドは獣人貴族である四家のうちの一つ、トルトゥーガ家の元当主でもあった。トルトゥーガ家は、さまざまな知識に秀でた一族で、今も昔もご意見番のような立ち位置にいる。現在はチャドの孫が家を継いでいるので、今は気ままな隠居爺さんとして日々まったりと過ごしていた。
「おやおや、ご新規さんかのぅ。ゆっくり見ておいき」
店内へ入ってきたのは青い短髪が目を引く獣人族の男であった。少し鋭い目つきをしているが非常に整った顔をしている。全身をすっぽり覆う旅用のマントは、かなりくたびれて見える。それほど長い旅をしてきたのだろう。
青年は興味深そうに店内を
「じいさん、ここにティナが来たな?」
威圧的な態度で青年がチャドを見下ろす。その瞳は酷く冷えているのに、瞳の奥には激しい熱を感じさせた。
そんな青年をチャドは片眉を上げて見上げた。
初対面の相手にもかかわらず「ティナ」と自分の探し人の名前を口にするなど不自然極まりない。まるで、チャドが「ティナ」を知っているといわんばかりだ。
「はて? 誰のことかのぅ?」
そう答えれば、青年の眉間にくっきりシワが浮かぶ。
チャドはあえて知らぬふりをしたが、もちろんティナが誰なのかハッキリ覚えている。四家のうちの一つ、オオカミ獣人のウォルフォード家の倅・クライヴが連れてきた小柄な人族の娘だ。
あの倅は彼女のことを自らの番いだと言っていた。温和で優しそうな雰囲気の娘だった。そういえば、クロヒョウの倅が連れてきた幼子も、彼女の名を何度か口にしていた。どうやらあの娘は周囲から相当好かれているらしい。
──さて、こやつはなぜあのお嬢さんを探しているのかのぅ。
あの娘がこやつの番いという訳ではないだろう。番いが被るんなんてことは絶対にありえない。かといって、友人であるのならこんなところで聞き込みをするのもおかしな話だ。
お互いの腹の内を探るように、青年とチャドが静かに見つめ合う。室内が緊張感で張り詰める中、青年が乾きを潤すかのようにペロリと唇を舐めた。
「……ティナと一緒にいたのはオオカミだな? 犬臭さが残っている。そいつとティナの関係はなんだ?」
「ここは獣人族が多く訪れる店じゃて。オオカミ獣人も来ていて当然じゃ」
平静を装うも、的確に言い当てた青年に少々驚く。匂いで判別したのだろうか。そうなると、この青年の祖は中々に鼻が利くらしい。
「お前さんこそなぜその子を探しておるんじゃ? 友人かい?」
「……あんたには関係ない」
「ふむ。人には尋ねておいて、それはちと不公平じゃのぅ」
「はっ、よく言うぜ」
鋭い目つきで睨んできた青年に、チャドは明るい笑い声をもらす。
チャドが絶対に口を割りそうにないと見たのか、青年はこれ見よがしに大きな舌打ちをした。それから踵を返し、荒々しい足音で店を出て行ってしまった。
「──と、いうことがあったんじゃよ」
一連の出来事を語り終えたチャドは、ほどよく冷めたお茶へと手を伸ばし、ゆっくりとすすった。
ここは特務隊の執務室。チャドの話を聞いていたのは、レナードとクライヴ、そしてティナだ。いつものように仕事をしていたところ、ひょっこりとチャドが現れ「話があるんじゃが」といってこの話を切り出したのだ。
ティナは退出しようとしたのだが、チャドに呼び止められてここにいる。なぜ呼び止められたのかと思ったが、まさか自分が関係していたとは。
「チャド爺さん、それはいつのことだ?」
「お前さん達が帰った日の夕方のことじゃ」
「数日前のことじゃないか!? もっと早く教えてくれっ!」
クライヴが勢いよく立ち上がる。焦りをあらわにするクライヴに、チャドは「すまんのぅ」とのんびりした声で返した。
店を訪れたときにも思ったが、どうやらチャドはかなりマイペースな性格らしい。カメ獣人だからだろうか。チャドののんびりした様子に毒気を抜かれたのか、クライヴは溜息を一つつくと再びソファへと腰を下ろした。
「それで、お嬢さんは心当たりがあるかのぅ?」
「えっと……特には。特務隊の皆さん以外に獣人族の知り合いはいないですし」
ティナが獣人族を見たのは、使用人募集で特務隊を訪れた時が初めてだ。特務隊以外だと、馬獣人である貸し馬屋の主人とは顔を合わせたことがあるが、彼の髪は青ではなかった。
もしかすると、獣人族とは知らずに人化した獣人族と会っている可能性もなくはない。
──まさか、エヴァンス家に関わること? でも私がおじいちゃんの孫だって知っている人は限られているし……。
時期的に里帰りした時のことを思い出す。だが、それにも心当たりはない。
もしや、獣人族と間違われて誘拐されたときのことだろうか。他国にいる犯人の一部は、今なお逃走中なのだ。
一気に不安が押し寄せ、ギュッと拳を握る。すると、その手に大きな手が重ねられた。
「ティナ、大丈夫だ。俺が必ず守る」
「クライヴ様……」
じんわりと伝わってくる温もりに、少し落ち着きを取り戻す。不安は残るが、クライヴがいるなら安心だ。
「それにしても、チャド爺さんでも見覚えがないとなると、他国から来た者でしょうか」
「おお、そういえば旅装をしておったな。旅用のマントも大分くたびれておったで。長旅でもしておったのかのぅ」
「旅人、ですか……」
レナードの表情がほんの少し曇ったように見えた。もしかするとレナードも逃走中の誘拐犯一味を思い浮かべたのかもしれない。
「青い髪の色は随分目を引いたのぅ」
「確かにかなり目立ちそうですよね」
うんうんとティナも頷く。ダークブルーの髪なら稀にいるが、青い髪はお目にかかったことがない。
獣人族の髪は、獣化した際の毛色に近い色をしているが、青い色の生き物というのはほとんどいない。動物好きのティナでさえ、すぐに思いつくのは鳥とヘビくらいだ。
鳥であればカワセミやオウギバト、オオルリが挙げられる。ヘビだと突然変異もあるが、何種類かいたはずだ。
そこまで考えた時、子供の頃の記憶がよみがえった。庭によく遊びに来た小さなヘビ──あの子は真夏の青空のようにキレイな青い色をしていた。
まさかあのヘビが獣人族だったりするのだろうか。いや、もしそうだとしても今さらティナを探す意味が分からない。あのヘビと過ごしたのはもう十年近く前のことなのだ。
「しばらくの間、ティナ嬢には護衛を付けたほうが良さそうですね」
「俺がやる」
「許可しましょう。まぁ、クライヴが不在でも他がいますが……」
レナードがちらりと窓の外へと視線を向ける。そこでは三匹のトラが楽しそうにボール遊びをしていた。
「ほっほっほっ、随分好かれとるんじゃのぅ」
「ええ、うちの気難しい奴らがティナ嬢には心を開いているんですよ」
「ほぅ? リュカ坊など警戒心が強かろうに。サーバルキャットの娘っ子も一癖あるし……お嬢さん、中々にやるのぅ」
チャドの誉め言葉にとりあえず微笑んでおく。
リュカは警戒心が強いとのことだが、割と初めから好意的だったよう気がする。それに、レオノーラも一癖あるとは思えない。最初から優しいお姉様だった。
「俺のティナに手を出そうだなんて……」
物騒な気配を漂わせるクライヴの方が、よほど癖があるのではと思ってしまうのだった。
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