第104話 おじゃま虫
ノルド村から戻ってきて一週間ほどが経った。すっかり旅の疲れも癒え──とはいえ、もともとそんなに疲れていないが──ティナは以前通りの日々を過ごしていた。
新しく特務隊へ仲間入りしたジスランとアグネスも、大分ここでの生活に慣れてきていた。何より、エイダ同様キャロルのご飯に胃袋を掴まれていた。
そんなのんびりとした日常にちょっとした騒ぎが起こったのは、とあるランチのときだ。
「おかしい! 思っていたのと違う!」
突如としてクライヴがこんなことを言い出した。
いつもであれば各自好きな時間にお昼をとるのだが、この日はたまたま全員が揃っていた。未だティナの実家で、実験体任務を遂行中のテオだけが不在である。
クライヴの言葉に誰よりも早く反応したのはエイダだった。
「キャロのごはんおいしいよ? おにくもいっぱい!」
今日も今日とて獣化しているエイダは、当たり前のようにティナの膝の上を陣取っている。前脚で器用に持っているのは、キャロル特製ローストビーフサンドだ。
口の周りにパンくずをたくさんつけながらキョトンとする可愛い子トラに、親であるジスランとアグネスだけでなく、この場の全員がほんわかとなる。自分の料理を褒められたキャロルなど、見るからに機嫌がいい。おまけに、自分のローストビーフを一枚あげようとしている。ティナが止めようとしたが、ものすごい速さでエイダが喰らいついていた。
そんな一幕を横目にしたクライヴが小さく息を吐く。
「いや、そうではなくて……」
クライヴの視線がティナへと向けられる。その視線に気付いたティナは、口にしたばかりのローストビーフサンドを急いで咀嚼し、ゴクリと飲み込んだ。
「なにかあったんですか?」
「どうせたいしたことではないでしょうから、無視して構いませんよ」
クライヴが言葉を発するより先にバッサリ切って捨てたのはレナードだ。優しげな笑みで毒舌を吐いているが、ローストビーフサンドを口に運ぶ様は上品でとても絵になる。一人だけ別メニューを食べているかのようだ。
ついうっかり見惚れてしまうと、クライヴが勢いよく立ち上がった。
「大問題だっ! 俺とティナに関することだぞ」
「えっ? 私も?」
自分にも関わることと聞き、ティナが驚きの声をあげる。
「俺とティナは、恋人同士になった。付き合っている。それなのに……それなのにっ! 今までと全然変わってない! 普通恋人同士ならもっとイチャイチャするもんだろ」
「…………」
一瞬でも驚いてしまった時間を返して欲しい。というか、ここで声を大にして言う必要はないではないか。みんなの視線がいたたまれない。
しかし、クライヴの訴えは止まらない。
「もっとティナと一緒に過ごせると思ったのに……お前らと来たらっ!」
「私はブラッシングしてもらっただけよ。ネコ科だって必要なんだから」
「ボクもー。自分ではできないしね」
しれっと答えたレオノーラとリュカをクライヴが睨みつける。そのそばでは、ルークとダンも僅かに反応していた。
確かにレオノーラとリュカのブラッシングはした。美しいサーバルキャットと愛らしいキットギツネに「ブラッシングして~」などと言われたら断れるはずもない。
ついでに言えば、ダンはエイダと遊んで泥だらけになったので、丸洗いついでにブラッシングをした。ルークはブラッシングではないが、爪が引っ掛かると愚痴をこぼしていたので爪切りをした。
だが、別にこのくらいのことは以前からしていた。いまさら言われることでもない。
「そういえば、僕は子リスちゃんと一緒にお菓子作りしたなぁ」
「エイダもしたー。こねこねしたのたのしかった」
「皆で楽しかったよね~」
「ねー」
まるで自慢するかのようなキャロルに、エイダが追従する。
キャロルが「一緒に」と強調しているが、実際はエイダとトラ夫婦もいた。エイダが「ティナおねえちゃんのつくったクッキーがたべたい」と言い出したので、キッチンを借りたのだ。キャロルはそれを手伝ってくれただけで、別に何かあったわけではない。ちなみにエイダは人化してお手伝いをしたが、ジスランとアグネスは味見係だである。
次に言葉を発したのはフィズだった。
「私は愛しのダーリンがいるものぉ。二人の邪魔なんてしてないわよぉ」
「……お前、脱皮直後だからってティナに手入れしてもらってただろ」
「あらぁ、それもそうだったわねぇ」
紅をさした赤い唇が意地悪く笑う。
ヘビ獣人であるフィズは獣化した際、定期的に脱皮をする。ヘビの脱皮というのは命がけだったりする。脱皮不全になれば、壊死してしまうこともあるからだ。本来であれば番いの出番なのだが、アルヴィンはヘビの生態に詳しくない。フィズいわく「彼は力加減が下手なんですものぉ」とのことだ。そのため、ティナがお手伝いをすることとなった。
とにかく、意図的にせよそうでないにせよ、クライヴにとっては全員が自分の邪魔をしていると言いたいらしい。
「どいつもこいつも俺とティナの仲を邪魔しやがって」
「クライヴ、ティナおねえちゃんとずっといっしょだった。エイダはおるすばんしてたのに。ずるい」
いつの間にか食事を終えたエイダが抗議の声を上げる。それにリュカやレオノーラが深く頷いていた。
「ずるいも何も、お前は帰ってきてからずっとティナと一緒にいるだろ。親がいるんだからいつまでもティナに甘えるな」
「べつにいいじゃん」
「よくない。それにいつまで獣化しているつもりだ。いい加減にティナから離れろ」
「やだ。ティナおねえちゃんにだっこしてもらうんだもん」
ふんすと鼻を鳴らしたエイダに、クライヴの口元がヒクリと引き攣る。副隊長ともあろう者が、幼児と同レベルの言い争いなどしないでほしい。
「クライヴ様、エイダちゃんはまだ小さいんですからいじめないで下さい」
「うぐっ。べ、べつにいじめてる訳じゃ……」
よしよしとエイダの背を撫でて宥めながら、大人であるクライヴを諫める。この時、エイダが勝ち誇った顔をしていたのだが、ティナからは見えなかった。
いつもならこれでクライヴも引いてくれるのだが、今回はまだ納得いかない顔をしていた。る
──確かに、帰ってきてからクライヴ様と二人きりになることはなかったかもなぁ。
ティナはエイダの面倒を、クライヴは副隊長としての仕事を。毎日顔を合わせてはいるが、クライヴの言う通り、恋人らしいことは何もしていない。
「うーん……それなら、今度一緒に出掛けますか?」
何気なく提案してみれば、クライヴだけでなく他の皆も意外という表情に変わる。
ティナだってクライヴのことが好きだから付き合うことにしたのだ。恋人らしく過ごしたいという気持ちは一応ある。
「ほ、本当に副隊長と付き合ってるのね」
「ボク、副隊長の妄想だと思ってた~」
「あっ、それ僕もちょっと思った」
ひそひそ話が始まるが全部聞こえている。あんなに根掘り葉掘り聞いてきたのは何だったのか。
気恥ずかしくなりかけたところで、隣から熱い視線を感じた。クライヴだ。
「行く! もちろん行く! デートだな!」
「えっと……そうなりますかね」
それはもう嬉しそうにクライヴが満面の笑みを浮かべる。しかし、そこに待ったの声がかかった。
「エイダもいく!」
「ダメだ、お前は留守番だ。絶対に連れて行かん」
「やーだー! いく!」
エイダが牙を見せて駄々をこねる。そこへ大きなもふもふがのそりと近寄ってきた。
「エイダ、良い子だから今回は母と留守番をするぞ」
アグネスが駄々をこねるエイダの顔に鼻を寄せる。それでもエイダは納得できないとばかりに口をへの字に曲げていた。
アグネスはやれやれという様子でエイダを咥えてティナから引き離した。うるうると目を潤ませる子トラを見ると罪悪感が半端ない。してやったりの顔をしているクライヴはちょっと大人げない。
「よし、隊長。午後から休暇をくれ。たったいま仕事より大事な用事が出来た」
「えっ、午後!?」
「はぁ……今回だけですよ。それと、街中で騒ぎになるようなことは決してしないように」
そうしてクライヴとティナの初デートは電光石火のごとく決定した。
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