第101話 秘密の通路
エルトーラ王国の王都は、外壁と呼ばれる高い壁にぐるりと囲まれている。これは大昔、他国からの侵略を防ぐために造られたものだ。
そのため、王都へ入るには必ず外壁をくぐることとなる。その際には簡単な検問を受ける必要があった。有事の際には閉門することもあるが、現在では24時間往き来が可能となっていた。
現在ティナ達がいるのは、この外壁の外。門へと続く街道から逸れた林の中だ。
時刻は日付が変わる数時間前。既に人の往来はまばらになっているが、門からは王都の灯りが煌々と漏れ出ていた。本来であれば、日付が変わってからの到着予定だった。ローズとブルーノが頑張ってくれたおかげで、こんなに早く到着することが出来たのだ。
そのローズとブルーノは、クライヴが貸し馬屋へ返却しにいっている。二頭とも別れを惜しむかのようにすり寄ってきてくれて、離れるのがとても名残惜しかった。なお、クライヴがジトリとした目でこちらを見ていたが、知らないふりをしておいた。
──そういえば、ここで待ってろとは言われたけど……二人は獣化したままでいいのかな?
特務隊の隊舎があるのは王城の敷地内。そこへ辿りつくには、どうやっても街の中を通過しなければならない。ここには獣人族が多く暮らしているとはいえ、さすがにトラが街中を歩いていては騒ぎになるどころではない。
ちらりと視線を向けた先では、トラ夫婦が何やら鼻をヒクヒクさせていた。きっと、この先にいる愛娘の匂いを探しているのかもしれない。王都から流れてくる美味しそうな匂いに反応しているのではないはずだ。多分。
しばらくトラ観察をしていると、クライヴが戻ってきた。
「ティナ、待たせたな。何もなかったか?」
「はい、大丈夫です」
「ちょうどキャロルを見かけてな。今から戻ると伝えてもらった」
普段は食堂にいることの多いキャロルが街中に──おそらくキャロルは夜遊びに出ていたのだろう。年中発情期と言われるウサギなだけある。あの軽薄な性格はどうにかならないのだろうか。
ティナの考えを読んだようにクライヴが乾いた笑みを浮かべる。
「あー……エイダもまだ起きているかもしれないそうだ。早めに行くとしよう」
そう言ってクライヴはティナの手を引いて歩き始めた。トラ夫婦が後に続く。
「エイダちゃんがこの時間に起きているなんて珍しいですね」
「今日は夕方まで昼寝をしていたそうだ。そのせいで、走り回っていて捕か――寝かしつけるのに苦労しているらしい」
今、捕獲と言おうとしなかっただろうか。おそらく今頃、面倒見のよいダンあたりが頑張っているのかもしれない。
しばらく外壁に沿って林の中を歩く。外壁の門はもう見えなくなっていた。不安になったティナは、おそるおそるクライヴへ声をかけた。
「あの……門からは大分離れてしまいましたが……」
「離れた方がいいからな」
「えっ?」
クライヴは何やら頭上を見上げている。そこには大きな木があるだけだ。
「もしや、秘密の通路があるとかですか?」
「……ある意味、秘密の通路だな」
「ある意味?」
「大丈夫だ。ティナは絶対に落とさないから」
「落と……ひゃあっ!」
さらに尋ねようとしたところで、クライヴに抱き上げられた。
「お前らもちゃんと付いて来いよ。間違っても屋根から落ちるんじゃないぞ」
「ふん、このくらい楽勝だ」
「トラは跳躍力に優れているんだぞ」
なぜだかクライヴとトラ夫婦は話が通じている。
屋根? 落ちる? 跳躍力?
何のことかと尋ねる間もなく、ティナを抱えるクライヴの手に力がこもった。咄嗟にしがみつくのとクライヴが飛びあがるのはほぼ同時だった。
グンとかかる風圧に驚く暇もなく、クライヴが片手で枝を掴む。そしてそのまま反動を利用して別の木の枝へと着地する。ティナを抱えているとは思えない軽やかな動きだ。
それを何度か繰り返し、外壁を見下ろす高さまで登ったところで、ようやくクライヴの動きが止まる。その視線が見据える先にあるのは外壁だ。
──う、うそ……ま、まさか……!
ここまでくれば次にする行動が予測できた。だが、あり得ない行動過ぎて脳内がついていかない。
「ク、クライヴ様……」
「怖いだろうが叫ぶのは我慢してくれ」
「そ、そうではなく……ま、ま、まさか……」
「なに、ちょっとした空中散歩だ」
笑顔で何でもないことのように言わないでほしい。泣きたくなる気持ちをグッと堪えたティナは、なりふり構っていられずクライヴにしっかりしがみついた。
「いい子だ。このまま一気に行くぞ」
そう言うと、クライヴが勢いよく枝を蹴った。ふわりとした浮遊感に襲われ、急いで目をつむる。
すぐにダンッという音と共に着地したような振動が伝わってきた。おそるおそる目を開けると、そこはもう外壁の上であった。一拍遅れてジスランとアグネスもやってくる。
「よし、あとは屋根づたいに城まで行って、一気に城壁を越えれば到着だ」
「ふむ、これは確かに秘密の通路だな」
「人族には真似できんな」
それからわずか数分後、ティナはヘロヘロの状態で特務隊の隊舎前にいた。
「だ、大丈夫か?」
「……こ、この方法は二度と……もう絶対に御免です……」
「このくらいで大げさだな。我は中々楽しかっ──ぐっ!」
げっそりするティナとは対照的で、楽しそうにしているのはジスランだ。さすがに空気を読まない発言すぎて、アグネスから強烈な猫パンチを食らっていた。
まさか外壁を飛び越え、屋根をぴょんぴょん飛び移って移動し、城壁をひとっ飛びするなんて誰が想像できただろうか。不法侵入どころではない。下手したら捕まってしまう。トラ夫婦には悪いが、人化してもらって街の中を移動した方がよっぽど安全で合理的だ。屋台の肉料理を買うと言えば、すんなり人化してくれたかもしれない。これについては後日、クライヴに徹底的に抗議をしようと心に決めた。
そんな恨み辛みを胸に抱いていると、ドタバタという複数の足音が聞こえてきた。それと同時に賑やかな声も聞こえてくる。
「帰ってきたわ!」
「エイダがいっちばーん」
「ちょっ……エイダ、突進しちゃダメだってば」
「……聞いてない……」
バンっと玄関のドアが勢いよく開く。一番最初に飛び出してきたのはエイダであった。パジャマ姿のエイダは、ティナを見るなり弾けんばかりの笑顔を見せた。
「ティナおねーちゃーん! おかえりなさーい!!」
一直線にティナの元まで駆けて来たエイダは、そのままの勢いでティナに抱きついた。体力底なし幼児のお出迎えは中々に痛い。よろけかけたティナをクライヴがさりげなく支えてくれた。
「ただいま、エイダちゃん。お留守番ありがとね」
「うん! エイダ、いいこにしてたよ!」
すりすりと甘えてくるエイダの後ろで、レオノーラ達が揃って首を振る。いい子にしていたというのは本人談らしい。
小さな頭を撫でれば、嬉しそうにエイダが目を細めた。
「あのね、エイダちゃん。出かけた先でエイダちゃんのお父さんとお母さんに会ったんだ」
「う?」
「エイダちゃんのことをずっと探してたんだって。ほら、あそこ」
エイダがきょとんと目を丸くする。それから、ずっとティナだけを見ていた大きな目がティナの後ろへと向いた。
「エ、エイダ……」
聞こえてきたのは、僅かに戸惑いを含んだジスランの声。なぜかジスランとアグネスは驚いた顔をしていた。
不思議に思っていると、クライヴが二人に声をかけた。
「エイダは、ここに来てから言葉も話せるし人化も出来るようになったんだ」
そうだった。エイダと出会った時はまだ獣化した姿でガウガウとしか話せなかった。ようやく再会した娘が一気に成長していたのだから、驚くのも無理はない。
感動の再開かと思いきや、エイダはティナにくっついたままのんきな声を上げた。
「あっ、ちちうえとははうえだ! げんきだったー?」
親の心子知らずとは、こういうことを言うのだろう。
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