第100話 犬 or オオカミ

 晴れてクライヴと付き合う事となった翌朝。ティナは、ぬくぬくとした心地良い温かさで目を覚ました。


──ん……温かい……。


 季節はすっかり秋。さらに森の中ということもあり、空気はひんやりしている。ついつい手近な温もりを求めてすり寄った。


──……ん?


 そこで違和感に気付く。温かいといえば、いつも一緒に寝ているエイダだが、ここにエイダがいるはずがない。


 眠気を堪えながらゆっくりと目を開けると、木々の隙間から差し込んだ朝日が目に眩しかった。目を細めながらも何度か瞬きをすれば、段々と視界がハッキリとしてくる。


「おはよう、ティナ。今日も最高に可愛いな」

「~~っ!」


 目の前には、朝日に負けず劣らず眩い笑顔を浮かべるクライヴがいた。あまりの至近距離に、うっかり叫びそうになる。


 そこでようやく今に至る経緯を思い出した。


 それは昨夜クライヴへ想いを告げた後のこと。二人で笑いあい、見つめあい、お互いの気持ちを口にした。恋愛経験の乏しいティナでも、この後キスをされるのだと分かった。そういう雰囲気だった。


 それなのにクライヴは「明日は早いからもう寝よう」と言ってきたのだ。別に期待していたわけではない。今までのクライヴが積極的だったからそう思ってしまっただけだ。


『ティナ、今日は一緒に寝てもいいか?』


 ティナがよほど残念そうにしていたのか、そう尋ねてきた。遠慮がちな様子に、耳をペタンとし「キューン」と鳴く犬の姿が重なって見えた。ティナとしても、もう少しクライヴのそばにいたいという気持ちが強かったのでこくりと頷いてしまった。


『やっとティナが俺のことを好きになってくれたんだ。まだ我慢するさ』


 ふわりと抱きしめながら満面の笑顔でそんな事を言われたのには引っかかりを覚えた。「今は」とはどういうことだ。何を我慢するのかは考えないでおくことにした。そのまま、ぐっすり熟睡した自分は大分神経が図太いのかもしれない。


「はぁ、幸せだ……」


 ティナが回想に耽っている間にも、クライヴはスリスリと頭に頬ずりしてくる。まるで大型犬がじゃれついてくるようだ。若干邪魔だが、恋人同士になったのだからこのくらいはいいのかもしれない。


 そう思った時、首筋に温かな吐息がかかった。素肌に触れるクライヴの唇の感触。すぐそばで聞こえる息づかいは妙に色っぽい。


「ひぇっ! は、は、離して下さいっ!」

「いやだ。俺達は恋人なんだからこのくらいは許されると思うんだ」

「ダ、ダメです! 許されませんっ!」


 クライヴの腕から抜け出そうとジタバタするもビクともしない。お腹に回された腕ががっちり押さえ込んでくる。


「ティナは良い匂いがする」

「っ……!」


 ぞわりとするほどセクシーな低音ボイスで囁かれドキリと心臓が跳ね上がる。その直後、首筋に何かが這うような感触がした。それから、チュッというリップ音が耳に届く。


──い、い、今……な、な舐めっ! しかも、チュッて……!


 動揺しすぎ動きが止まる。そこにクライヴが追い打ちをかけてきた。


「よし、これで少しは俺の匂いがついたな。本当は全身に染みつかせたいところだが……ここじゃちょっとな」


 そう言って、ニヤリと笑いながら舌なめずりをするのだ。その破壊力たるは威力抜群である。壮絶な色気に当てられたティナは、ボンッと音がするくらい一瞬でゆで上がった。


 気絶寸前のティナをクライヴは満足そうな顔で抱きしめた。可愛い、可愛いと連呼され、もうどうしたらいいか分からない。


 そこへ気まずそうな声が割って入った。


「あー……お楽しみのところ悪いが、そろそろいいか?」


 声の主はアグネスだ。視線を向けると二人揃って気まずげな顔をしていた。


「……ちっ、空気の読めない奴らめ」

「いちゃついてないでさっさと出発するぞ」

「まだ朝早い。出発はもう少しイチャついてからだ」

「奥方が起きるまで待てと言ったのはお前だぞ」

「起きてすぐ来るアホがいるか」


 クライヴとジスランのやりとりに、ティナは軽い目眩を覚えた。もうどこからツッコめばいいのか分からない。クライヴがイチャつく気満々なこと? ジスランがナチュラルに奥方と言ったこと?


 事情を知っているアグネスにいたっては、静かにくすぶるたき火のあとに土をかけていた。口にはしないがアグネスも早く出発したいのだろう。


「クライヴ様、お二人の言う通りです。早く出発しないと到着が遅れちゃいます」


 そうティナが取り成せば、クライヴは渋々ながらティナを離してくれた。「あと一時間遅くたって……」などとぶつぶつ言っているのが、聞こえないふりをしておく。


 また話を蒸し返されてはたまったものではないので、そそくさとクライヴから離れ水で顔を洗う。ティナが起きる間にトラ夫婦が汲んできてくれたらしい。ひんやりする水がとてもさっぱりする。隣では、たき火の鎮火作業を終えたアグネスがタオルを咥えて待っていてくれる。


「上手くいったようで良かったな。奴の態度が浮かれきっている」

「す、すみません、お恥ずかしいところを……。アグネスさん達は大丈夫でしたか?」

「うむ、睦言を聞くのも悪いからな。少し離れたところで寝た」

「……ご配慮ありがとうございます」


 アグネスの気遣いがありがたいようなありがたくないような複雑な気持ちだ。とりあえず、撫でろとばかりに頭を押しつけてくるアグネスの耳裏をわしゃわしゃ撫でてやった。


 それから出発の準備を終え、王都を目指して出発した。


「ティナ、大丈夫か? やはり俺と相乗りした方が……」

「だ、大丈夫です」


 相変わらず森の中を迂回しているため、足場は決して良いとは言えない。ローズの背にいても上下左右揺れがひどい。


 ティナから少し先では、大きな体をものともせず、軽快な足取りで木の根を避けるトラ夫婦がいた。彼らを見るとつくづく思う。


「やっぱり獣人族は運動神経がいいですね」

「あのトラ達は、ほぼ野生化しているからな。まぁ、人族より体力はあると思うが」


 確かにと頷く。ローズの背に乗っているのにぜぇぜぇ息を切らすティナに対して、クライヴは涼しい顔をしている。


 ティナとて体力が全くない訳ではない。ノルド村にいた頃は、動物観察で森へ入り、木に登ったりもしていたので、一般女性よりも体力があるはずだ。だが、これからも特務隊で働き続けるなら、もう少し運動をしたほうがいいのかもしれない。


「私も鍛えようかな……」

「こういうことはそう頻繁にない。そのままで大丈夫だ」

「そうかもしれませんが……」

「疲れたら俺が抱きかかえるさ」


 屈託なく笑うクライヴにドキリとする。つい直視できなくてクライヴから目を逸らしてしまった。


──うぅ……私の心臓が持たない……。


 チラリとこちらを振り返ったアグネスが、ニヤリと笑った気がした。


 『恋人』というクライヴの特別な位置になれたのは嬉しい。だがその反面、自分へ惜しみなく向けられた愛情がむず痒く思う。


 これは自分の恋愛経験のなさ故なのか。果たして、こんな状態でこれから大丈夫なのか。そこで、ふとあることに気付く。


──クライヴ様って女性慣れしてるよね……。


 髪を撫でる仕草も、さらりと紡がれる甘い言葉の数々も、どう見ても女性慣れしている。獣人族は番い以外愛さないというから、てっきりクライヴはお付き合いの経験はないものだと思っていた。


 もしや遊びであれば別なのだろうか。そういえば、キャロルは女性と見れば口説きまくっている。


 悶々とそんな事を考えていると、急に背筋が寒くなった。慌てて周りを見渡せば、いつの間にかトラ夫婦がいなくなっていた。


「ティナ? 考えていることが全て顔に出ているぞ」

「へ?」


 クライヴの声がいつもよりワントーン低い。思わず「ひぇ」と小さな悲鳴をもらす。


「ティナには俺の愛を存分に知ってもらう必要がありそうだ。帰ったら覚悟しておけ」


 そう言って笑ったクライヴは、獰猛なオオカミの顔をしていた。

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