第98話 覗き見
「クライヴ様、わ、私っ──」
意を決して口を開くも、気持ちだけが急いていく。しかも、緊張からくる震えのせいで続きが途切れてしまった。
──ああもうっ! どうしてこうなるの!
伝えたいけど伝えられない。ただ「好き」という一言がこんなにも遠い。歯痒い気持ちに、思わず地団駄を踏みたくなった。
「ティナ? 具合でも悪いのか?」
クライヴの表情が心配そうに歪む。凛々しい瞳がおろおろと困惑する様子に申し訳なくなる。
やるせない気持ちに陥り、ティナは持っていた鍋を強く握った。硬い金属の感触と手に食い込む爪の感触がほんの少し平静さを取り戻してくれる。
──挫けちゃダメ! ちゃんと言葉にしなきゃ!
深く深呼吸をしたティナは再度自分を奮い立たせた。それから心配そうに見つめてくるクライヴを真っ直ぐに見つめる。
「あの……ま、前に話した件なのですが……」
「前?」
「わ、私……」
至近距離で見るクライヴの瞳は、見惚れるほどに美しかった。琥珀のようなトパーズのような、宝石のように深い色合い。オオカミは表情豊かで目で会話をするというのも頷ける。
その瞳に勇気づけられるように、次の言葉を紡ごうと口を開いた。その時であった──。
「「 ………… 」」
熱い視線を感じて横を向けば、トラ夫婦がお座りをしてこちらを見ているではないか。パタリパタリと尻尾を揺らし、「どうぞ続けて」とでも言いたそうな好奇心に満ちた瞳。
いったいいつからそうしていたのか。いや、それよりも二人が咥えているのは──。
「ひっ……ひぎゃあぁぁー!」
ティナが絶叫するとほぼ同時に、クライヴがティナを抱きしめ視界を塞いでくれる。しかし、既にバッチリ見てしまった。ぐったりと息絶えた鳥を……。
「このっ、クソネコ共がっ!」
「「 ぴぎゃっ! 」」
聞こえてきたのはクライヴの怒声とゴスッという鈍い音。見えなくても分かる。クライヴの怒りの鉄槌だ。
「お前ら、鳥を狩ってくるのはいいがティナを怯えさせるんじゃないっ!」
「「 す、すみません…… 」」
バクバクとうるさい心臓を叱咤し、抱きしめられたままで見上げれば、クライヴは厳しい表情でトラ夫婦を睨み付けていた。
これではもう想いを伝えるどころではない。まずは怒れるクライヴを落ち着かせなければ。大きな体でぷるぷる震えるトラ夫婦が可哀想だ。
「あ、あの、私は大丈夫です。少し驚いただけですので」
「ティナ、無理しなくていい。もう二、三発殴ればこいつらも学習するはずだ」
「ほ、本当に大丈夫です。ジスランさん、アグネスさん、獲ってきて下さりありがとうございます。美味しいご飯作りますね」
ティナがこう言えば、クライヴはそれ以上怒る事がない。
そして、これ以上クライヴに怒られる事はないと判断したトラ夫婦は、美味しいご飯と聞いて目を輝かせていた。立ち直りが非常に早い。
「……ちっ、反省しない奴らめ」
小さく舌打ちをするクライヴに苦笑する。
あと少しで想いを伝えられそうだったが、今は夕飯を作るのが先だ。腹ぺこトラ夫婦が涎を垂らさん勢いで待っている。
「クライヴ様、すみませんが鳥を捌いてもらってもいいですか?」
「任せろ。少し離れたところで捌いてくるから何かあったら呼んでくれ」
「はい。よろしくお願いします」
「ジスラン、付いてこい。アグネスはティナのそばから絶対に離れるなよ」
そう言うとクライヴはジスランを連れて森の奥へと消えていった。
生き物を捌くと血のにおいで野生動物が寄ってくる。それを避けるため、そしてティナに捌くシーンを見せないためのクライヴの配慮だ。
「ふぅ。あのオオカミは実に恐ろしいな」
「すみません、私が叫んだから……」
「いや、私達が悪かった。すまなかったな」
近寄ってきたアグネスがぐりっと頭を擦り寄せてくる。お詫びのようだが、力が強くてよろけそうだ。
「番いを大切に扱うのは、私達獣人族の
「そうでしょうか。あれ? 私がクライヴ様の番いって言いましたっけ?」
「む? 奴が何度も『俺の』と言っていたじゃないか。あれだけ独占欲丸出しなんだから分かるだろう」
「そ、そうですか……」
確かにクライヴは『俺の』とよく言っていた。今なら素直に嬉しい言葉だが、他の人から言われると何だか恥ずかしい。
「お前らは結婚していないのか?」
「結婚というか……お付き合いもまだです」
「なぜだ? 奴はどう見てもお前を好いているだろう?」
「それは……私がはっきりしなかったから……」
「そうなのか? でも、お前も奴を好いているのではないか?」
首を傾げるアグネスは可愛らしい。だが、物言いが大分ストレートだ。クライヴへの気持ちを言い当てられたティナは顔を真っ赤にした。
「もしや先程のは愛の告白か? それは悪いことをした。つい面白そうで覗き見してしまった」
「うっ……」
ニヤリと笑うアグネスに耳まで熱くなるのが分かった。さすがは楽しいことが好きな獣人族だ。意図的に覗き見していたらしい。
「……王都に帰る前にクライヴ様と話しをしようと思ったんです」
「うむ。愛の告白だな?」
「…………はい」
もはや素直に頷くしかなかった。
「人族は恥ずかしがりなのだな。実におもしろい」
遊ばれている気がして、ティナはジトリとした目を向けた。それに気付いたアグネスがにんまりと笑う。
「任せておけ。私が奴と二人きりの時間を作ってやろう」
「えっ?」
「邪魔してしまった詫びだ」
どういう意味だと聞き返そうとした時、クライヴ達が戻ってきた。アグネスの言葉は気になるが、クライヴがいる場でこの話しを続ける訳にはいかない。
それから、気になりつつもトラ夫婦に急かされて串焼きと鳥の骨で出汁を取った夕食を作った。ハーブなどが入ったスパイスを肉に揉み込み、クライヴが作ってくれた竈で焼いていく。串焼きもスープも大好評であっという間になくなってしまった。
後片付けが終わる頃には、辺りはすっかり暗闇に包まれていた。煌々と揺らめく焚き火がやけに明るく感じる。
お互いに毛づくろいをし合うトラ夫婦を横目に、ティナは寝る準備を整え始めた。荷物から野宿用に持ってきた寝袋を取り出す。
──そういえば、さっきアグネスさんが言ってたのって……。
二人きりの時間を作ってやると言われたが、いったい何をするつもりなのだろうか。協力してくれるのは嬉しいが、何だかちょっと不安を感じる。
「ティナ。明日の予定だが、ちょっといいか?」
「あ、はい」
呼ばれたティナは、寝袋を置いてクライヴの元へと近寄った。
「このままのペースで行くと明日の夜……というか深夜には王都に着けそうなんだ。俺としては、無理をせず手前の街で一泊したいんだが……」
そこでクライヴはちらりとトラ夫婦を見た。それから気遣うような視線をティナに向ける。何となく言いたい事が分かってしまった。
「遅くても王都に着けるようにしましょう。私なら大丈夫です」
「だが……」
「お二人も早くエイダちゃんに会いたいでしょうし、深夜なら人が少ないのでジスランさん達の負担も減ると思います」
そう、クライヴが心配しているのはティナの事だ。クライヴとトラ夫婦だけなら一日中移動となっても問題はないのだろう。ティナがいることで、クライヴはゆとりのある行程を組みたいのだ。
「こう見えて体力は結構あるんですよ。田舎育ちですから」
大げさに拳を握ってみせる。そんなティナを見たクライヴは吹き出すように破顔した。
「分かった。正直、深夜だと助かるんだ。夜ならトラのままでも気付かれずに入城出来るからな」
「……それって不法侵入では?」
「事後申請するから大丈夫だ」
ふっ、と悪い顔でクライヴが笑う。悪戯っ子のような表情にうっかりドキリとしてしまった。
「おい、ちょっといいか」
そう言って話しかけてきたのは、にんまりとした笑みを浮かべたアグネスだった。
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