第95話 似たもの親子

『エヴァンスおうにティナが自分の番いであることを打ち明ける』。そう決めたクライヴは、かつてない緊張感に襲われていた。


 目の前に座るのは白髪交じりの老人。彼は、この北の砦の総司令官にしてこの国唯一の辺境伯・エヴァンス家の現当主。そして、ティナの祖父でもある。


「ふむ、お前の番いがティナちゃんだと。……それは間違いないんだな?」

「はい、間違いありません。今はまだ私からアプローチ中ですが、祖父であるエヴァンス翁にはお伝えしておくべきかと思いまして」


 かしこまった場のため口調は丁寧を心がける。でなくというのも場の雰囲気を読んでのことだ。


 意外にもエヴァンス翁は、終始落ち着いた様子を見せている。てっきり、ティナが自分の番いだと言った瞬間に斬りかかってくるかと思ったが、杞憂で終わりそうだ。


「……アプローチ中、とな」


 突如として室内の空気が凍りつく。ゾクリとした悪寒と肌を突き刺すような鋭いプレッシャーにクライヴは息をのんだ。


 この老人は人族でありながら獣人族と渡り合える実力を持っている。衰えを全く感じさせない気迫は、彼が今なお最前線で戦う武人だと物語っていた。


「ティナの気持ちが私に向いてくれるよう努力しているところです」

「無理強いはしないということか? 獣人族おまえが?」


 鋭い指摘に内心ギクリとする。


 獣人族が番いに対して積極的なのは、エヴァンス爺も知っているようだ。一応無理強いしないように気をつけてはいる。だが、ティナを前にすると自制が効かないことがあるのも事実。やはりこれは獣人族の性ゆえなのか。


 クライヴは探るようなエヴァンス翁の瞳を正面から受け止めた。


「人族と獣人族では恋愛観が違うのは承知しています。その上でティナの気持ちを尊重したいと思っております。その……時々ティナへ触れることはありますが……」


 髪に触れたり、膝抱っこをしたり――心のうちで自らの行動を顧みたクライヴは、「あ、ヤバいかも」と目を泳がせた。こんなこと口にしたら最後、首と胴体がさよならしかねない。そこは突っ込まれない限り口にしないでおこうと決める。


 だが、時すでに遅し。孫を溺愛するエヴァンス爺の眉間に青筋が浮かぶ。それと同時にずしりとした威圧感が襲ってきた。息苦しく全身を押さえつけられるような強烈なプレッシャーだ。


──くっ……なんつープレッシャーだよ。


 特務隊副隊長としてそれなりの修羅場を経験してきたクライヴでも冷や汗がにじむ。


「この場で八つ裂きにしてやりたいところだが……ティナちゃんに注意されとるからな」

「ティナに……?」

「『クライヴ様をいじめちゃダメ』だそうだ。お前に斬りかかったあとに叱られたわい」


 怒りを押し殺すようにエヴァンス翁が盛大に舌打ちをすると、幾分か空気が和らいだ。


 それにほんの少しだけホッとしたが、守るべき番いに『いじめちゃダメ』と言わせてしまうとは。若干男してのプライドが傷付く。


「ご厚情傷み入り──」

「お前を気遣ったわけではないわっ!」


 腹の底に響くような声で一喝される。鬼気迫るとはまさにこのことか。


「そうさな……ティナちゃんは剣を抜いてはダメだと言われたが、殴ってダメとは言われとらん」

「えっ!? い、いや、それ……屁理屈じゃ……」

「問答無用っ! クライヴ、歯を食いしばれっ!!」


 そうしてクライヴはエヴァンス爺の鉄拳をもろにくらうことになった。




◆◆◆◆◆




 翌朝、砦での仕事を終えたクライヴは、ティナの待つノルド村へと向かっていた。昨夜エヴァンス爺に殴られた腹がズキズキと痛む。おかげで今朝の食事は食べる気もおきなかった。


『おー、生きてたか。んっ? 腹に一発もらった? 骨が折れてないだけマシだろ』


 そう言って笑いを堪えながら見送ってくれたのはアレクだ。エヴァンス翁もだが、こいつと親戚になるのだけは本当に嫌だ。


──あとはティナのご両親にも話さないとな。


 先にエヴァンス翁へ話してしまったが、ティナの両親である二人にもきちんと話しをしないといけない。ヨハン殿は武闘派のエヴァンス家にしては珍しく、運動はからっきしらしい。一応殴られる覚悟はしているが、エヴァンス爺ほどダメージはないだろう。


 そんな安直な考えを抱きながらティナの家へとたどり着く。


「クライヴ様、おかえりなさい。お仕事お疲れさまでした」


 出迎えてくれたのは数日ぶりに会う愛しい番い。笑顔のティナにクライヴのテンションが一気に上がる。


──くっ、笑顔が天使すぎだろ。おかえりなさいって……このシチュエーション、マジ最高。あー、もう今すぐ結婚したい。


 うっかり口元が緩み、急いで手で隠す。それをティナが不思議そうな顔で見つめてくる。そんな表情もたまらなく可愛い。


 ティナの両親は魔道具工房に籠っているのだろうか。それなら少しくらい抱きしめてもバレないかもしれない。


 そう思って手を伸ばしかけた時、家の奥からバタバタと慌ただしい足音が聞こえてきた。


「ああ! クライヴさん、いいところに!」

「やっと戻ってきたか! 例の魔道具の件だが、ちょっと来てくれ!」

「はっ!? えっ、ちょっ……!!」


 そう言ってクライヴはティナの両親に工房へと引っ張って行かれた。


 工房の入り口、犬型魔道具に「わんっ!」と一声かけられたが、「頑張れ!」と言われたような気がしたのは気のせいだろうか。


「試作品が出来たんだ。ちゃんと起動するかテストしたくてな」


 そういえば、服の自動着脱ができる魔道具を注文していた。色々なことがありすぎてうっかり忘れていた。


 その間にもティナの両親は試してくれと迫ってくる。


 正直なところ人前で人化したくない。あられもない姿になるのだから当然だ。だが、この二人の様子――これだけ自信満々ならば、大丈夫かもしれない。


 念のためティナの母・リンジー殿には席を外してもらい、オオカミの姿になる。それから、渡されたブレスレットのような魔道具を前足に付けて人化した。


「む? 失敗か……うーむ、核石への回路が違うのか。いや、でも……」


 クライヴは慌ててオオカミの姿へと戻った。


 なんてことだ。背を向けていたとはいえ、未来の義父に全裸を晒すとは。心のダメージが大きすぎて、ティナとの関係を打ち明けるどころではない。


 結局クライヴがヨハン達と話せたのは、ティナが寝静まった深夜になってからだった。


「──と、いう訳でお嬢さんは私の番いであることが分かりました。彼女の気持ち次第ですが、ゆくゆくは結婚をと考えております」


 全てを話し終えると、リンジーは「あらあら」と嬉しそうな反応を見せた。それと正反対にヨハンは腕を組んでこちらを睨んでいる。


「突然のことで認めて頂けるとは思っていません。ですが、私が真剣にお嬢さん──ティナを想っていることを知っていてほしかったのです」

「あら、私は賛成よ。ねぇ、あなた?」

「………」


 ヨハンの視線は人を殺せそうなレベルだ。目つきがエヴァンス翁と瓜二つである。流石は親子。


「もう、あなたってば。ごめんなさいね、この人素直じゃないから」

「……ふん」

「うふふ、こう見えて貴方の事は認めているのよ」


 予想外の言葉にクライヴは目を白黒させた。認められている割には、えらい睨まれているのだが。


「ほら、うちに来てすぐ貴方がティナのことを話したじゃない。あの時にピンと来たの。ああ、この人はティナのことが好きなのねって。私は──私達はティナが幸せなら言うことはないわ」


 まさかこうもあっさり認めてもらえるとは。というか、自己紹介の時からバレていたとは。一応ティナのお願いもあって上司として振る舞ったつもりだったのだが。


「あ、ありがとうございます。ティナに心を向けてもらえるよう努力し──」

「ひとついいか……?」


 それまでずっと厳しい表情をしていたヨハン殿が口を開く。クライヴは自然と背を伸ばした。


「はい、なんでしょうか?」

「……とりあえず、一発殴らせろ」

「…………は?」

「歯を食いしばれっ!!」


 昨日も聞いた言葉と共に、クライヴは強烈な一発をくらうこととなった。


 

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