第94話 最強なのは……
「おーい、クライヴ。そろそろ休憩したらどうだ? 朝からずっと働きづめだろ」
黙々と机にかじりついて仕事をするクライヴの元へやってきたのはアレクだ。
ここは砦の中の一室。クライヴが書類仕事をするのに与えられた部屋だ。普段は小規模の応接室として使用しているのだろう。ソファも置かれていて休憩する分にも申し分ない。
クライヴは顔を上げずに言葉を返す。
「早く終わらせないと、奴らが砦の中にまで入ってきそうだからな。あの、アホ共め……!」」
「あぁ、あのトラ達か。そういえば、さっきも見かけたな」
それを聞いたクライヴの手に力がこもる。ミシリとペンが嫌な音を立てた。
『お前ら……森で待つんじゃなかったのか』
『待ったぞ。仕事とやらはまだなのか?』
『今日こそ終わるんだろうな?』
このやりとりをしたのがトラ夫妻と出会った翌日──一昨日のことだ。いくら何でも督促が早すぎる。とりあえず拳骨して森に帰らせたのだが、それ以降懲りずに何度も現れるようになった。奴らには学習能力というものがないらしい。
砦全体にはトラが獣化した獣人族であること、こちらに危害はないことなど伝えてある。だが、こうも頻繁に現れては見張りも気が気ではないだろう。クライヴとしても、目撃される度に報告されるので、いい加減辟易していた。
──くそっ、あのアホトラ共め。俺だってティナに会いたいのを我慢して仕事してるのに。
クライヴとしても早くエイダに両親を引き合わせてやりたいと思っている。だから、普段なら一週間ほど滞在して仕事をするのを、こうして寝る間も惜しんでこなしているのだ。
元々特務隊の隊長もしくは副隊長が北の砦を訪れるのは、獣人族としての能力を期待されてのことだ。深い森が広がるこの地では、動物に関する事故が少なくはない。そこで行われるようになったのが年に一回の威嚇だ。隊長副隊長クラスともなればいるだけで十分な牽制になる。ここには強い奴がいるぞと知らしめることで、危険な動物が人里に降りてこないようにするのだ。
もちろん、書類仕事もそこそこある。獣人族が関連すると思われる案件を確認するのも大事な仕事だ。一年分の案件ともなると、その数は決して少なくはない。
「そういや、クライヴ。お前本当にジジイに言うつもりなのか?」
アレクが机に寄りかかってくる。邪魔なことこの上ないが、自分にとっては大事な話なので、一度ペンを置くことにした。
「一応俺なりのけじめだ。人づてに耳に入るよりマシだからな」
クライヴは一つの決意をしていた。明日砦を去る前に、エヴァンス
最初はティナが隠したそうにしていたので黙っていることにした。だが、独自の情報網を持つエヴァンス家にかかれば知られるのは時間の問題だ。現に次期跡取りであるアレクにはバレている。
ティナが自分の手を取ってくれてからとも考えたが、それではフェアではない。エヴァンス翁にもティナの両親にも正直に話すつもりであった。
「意外にくそ真面目だなぁ。まぁ、お前が決めたなら止めないが……死ぬなよ?」
「…………善処する」
他人事のように笑うアレクに遠い目になりかけた。
謝った噂だけで殺されかけたのだ。少なく見積もっても骨の一本や二本……いや、全治数ヶ月は覚悟の上である。
「ジジイはティナを溺愛してるからな。ほら、自分の息子であるうちの親父とティナの親父さんも男だし、初孫の俺も男だろ? ティナが生まれた時は、そりゃもうすごい喜びようだったんだから」
「ティナは可愛いからな」
「真顔で即答すんなよ。まぁ、確かに可愛いけどよ」
「そういえば、エヴァンス翁とヨハン殿は絶縁状態とかではないのか?」
ティナの父──ヨハンはエヴァンス翁の長男として生を受けた。本来であれば辺境伯であるエヴァンス家を継ぐのはヨハンであった。だが、彼は剣の才能にあまり恵まれず、最終的には魔道具工房の娘であるリンジーと恋に落ちてエヴァンス家を出たそうだ。貴族籍を除名されていると聞いたので、エヴァンス翁と一悶着があったのではと思ったのだ。
「その辺は色々あったらしいぞ。表向きは勘当したことにせざるを得なかったらしい」
「表向き……?」
「ああ、実際はジジイも伯父さんも納得の上での除籍だ。結婚だって反対しなかったそうだ。ジジイもティナのおふくろさんのことは気に入ってるしな。何でも貴族のあれこれが面倒でそういうことにしたらしいぞ」
そういう理由なら確かに納得だ。一応クライヴも獣人貴族で、貴族の面倒ごとは少なからず理解している。おそらく、名門と言われるエヴァンス家の相続問題や生まれてくる子供のことを考えてのことだろう。
そこまで考えたクライヴは、ふとあることが気になった。
「その割には、エヴァンス翁はティナが孫であることをあまり隠してないよな?」
「ああ、それな。ちゃんと俺もジジイもここら以外では口にしないようにしてるぞ」
それも大切だが、既に知っている者から広まる可能性はないのだろうか。この砦のほぼ全員がティナの素性は知っているようだった。「ティナ様」とか「お孫ちゃん」とか結構あからさまに呼ばれていたので間違いない。
クライヴの表情から言わんとすることを察したのか、アレクが意味深な笑みを浮かべる。その笑みにクライヴの動物的勘が警鐘を鳴らす。
「誰かがティナの出自を外に漏らさないかってことだろ。エヴァンス家を知っている奴らがジジイや俺を敵に回すと思うか?」
「…………」
思わない。エヴァンス家──というかエヴァンス翁とアレクは絶対に敵に回したくない。
「冗談だっての。俺らが脅すわけないだろ」
「……いや、よく分かった。間違いなくお前らが抑止力になってる」
「んー。まぁ、それならそれでもいいけどな」
軽い調子で笑うアレクにクライヴの顔が引きつる。
この男が次期エヴァンス家を継ぐのかと思うと少々恐ろしくなってくる。きっと今までも、従妹であるティナが貴族のもめ事に巻き込まれないよう、手を回してきたに違いない。今までは業務上の付き合いしかしてこなかったため、ここまで厄介な奴とは思ってもいなかった。
アレクへの認識を改めていると、アレクが何かを思い出したように声を上げた。
「あ、そうだ。番い云々をジジイに言うのは構わないが、ティナが誘拐されたことだけは絶対に言うなよ」
その言葉にクライヴは危うく動揺を顔に出しそうになった。
ティナが特務隊で働き始めてすぐの頃、獣人族と間違われて犯罪組織に誘拐されたことがあった。無事ティナは救出されたが、あと少し助けるのが遅かったら隣国へと連れていかれていただろう。
あの誘拐事件は特務隊と警備隊の一部のものしか知らない。ティナからも「家族が心配するから黙っててほしい」と言われている。それをなぜアレクが知っているのだろうか。
「言っただろ? エヴァンス家が持つ情報網は俺の所に集まるようになってんだ。他国をまたいで活動する犯罪組織の検挙──あれは特務隊の隊員が誘拐された事に端を発してる。保護されたのは若い女性と子供のトラ。それがティナとあのトラ達の子供だろう?」
笑みを消したアレクにクライヴは観念するしかなかった。ここまで詳細を把握しているのなら隠し通すことは出来ない。改めてエヴァンス家の恐ろしさを痛感させられる。
「……その通りだ。ティナは獣人族と間違われて誘拐された。奴らは獣人族を捕らえて他国へ売ろうとしていたらしい」
「特務隊に人族がいるなんて思わないもんな。それで? 全員捕まえたのか?」
「誘拐の実行犯と王都に潜伏していた奴らは捕らえてある。だが、他国にいる奴らまでは捕らえきれなかった」
「……ふぅん。まぁ、そこそこ大きい組織みたいだもんな」
トントンと机を叩きながらアレクが何かを考えるように視線を外へ向ける。
「可愛い妹分を怖がらせた報いは、きっちり受けてもらいたいよなぁ」
「おい、いくらエヴァンス家でも隣国で騒ぎを起こしたら国際問題になるぞ」
クライヴとてティナを誘拐した一味は全て根絶やしにしたい。だが、国境を越えることでそう簡単に動けないのが実情であった。
「
そういうとアレクは「俺も仕事してくるわ~」と部屋を出て行ってしまった。シンと静まりかえった部屋にクライヴ一人が残される。
『巻き込まれる』と口にしていたが、あの犯罪組織が今も別な問題を起こしているということだろうか。なぜそれをアレクが知っているのか。
「……俺の番い、もしかして最強なのでは?」
可愛い番いのバックがとんでもない。誰に言うでもなくポツリと呟いた言葉は、夕暮れの闇へと吸い込まれていく。
この数時間後、エヴァンス翁にティナを口説いていることを打ち明けたクライヴは、半死半生の目に合わされることになるのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます