第93話 消えた迷い

「お父さーん、お母さーん! 私、あと三、四日で帰るからー!」


 工房の中、作業台に向かう両親に声をかける。作業用ゴーグルをかけ、火花を散らしながら何らかの作業をしている二人は、全く気付いていない。


 元より両親は、魔道具製作に夢中になると、周りが一切見えなくなる。クライヴの仕事が終わり次第、王都に帰ると伝えたかったが、この調子では無理そうであった。


 仕方ないので諦めて工房を後にする。その際に、今日も今日とて工房の入り口で番犬をするレックス二号の頭を撫でる。嬉しそうに尻尾を振ってくるが、レックス二号は生き物ではない。父が作った番犬型魔道具だ。不審者と見なされれば容赦なく噛みついてくる。


「クライヴ様、レックス二号のことすごく警戒してたなぁ」


 それは魔道具工房を見学した時のこと。


 クライヴはレックス二号を見て眉根を寄せていた。無言で見つめ合う一人と一匹はなんとも言えない光景だった。もしや、噛みつかれる事を恐れていたのだろうか。クライヴの実力であれば、レックス二号など相手にならないと思うのだが。


 そんな事を考えながら、暇を持て余して庭へとやってくる。本当は森へ動物観察をしに行きたいが、それはクライヴに禁止されている。


『ティナ、俺が戻るまで森には入るなよ? 絶対だぞ?』


 ノルド村まで送り届けてくれたクライヴは、そう釘を刺してきたのだ。美形の笑顔はなぜああも迫力があるのだろうか。「はい」以外の答えが許される雰囲気ではなかった。


──森の浅いところなら大丈夫なのに。今回だって野生のトラじゃなかったんだし。


 森でトラに襲われるという超デンジャラスな体験をしたが、そのトラは獣人族であった。しかも、そのトラ達は、ティナが親代わりをしている子供のトラ獣人・エイダの両親だった。


 ちなみに、彼らとは森の中で別れている。


『わ、我らは森で待つ』

『そ、そうだな。元より森で暮らしていたので何の苦もない』


 そう言い残してそそくさと森の奥へ消えていった。どうやら彼らはクライヴが怖いらしい。あれだけ蹴り飛ばされれば無理もない。


──クライヴ様、かっこよかったなぁ……。


 思い出すのは勇ましいクライヴの姿。大きなトラにも臆せず立ち向かい、圧倒的な強さでもって助けてくれた。そんなクライヴの姿を見て、とてもホッとしたのをよく覚えてる。抱きしめられるとすごくドキドキして――。






「えー、それって恋じゃない?」


 友人と夕食の席を囲んでいる際、ティナは自分でもよく分からないこの気持ちを相談してみた。もちろんクライヴの事だとは伏せている。


「傍にいるとドキドキして、触れられると緊張して顔が見れないって………もう決定よねぇ」

「相手があのイケメンじゃ無理もないわよねぇ」


 ティナの向かいでニヤニヤするのは幼なじみ二人。。二人ともティナより年上だが、昔から仲良しで何でも話せる仲だ。


「べ、別にクライヴ様の事とは一言も言ってないでしょ。ただ、ちょっと……気になる人がいるっていうか……」


 なんと言えばいいのか分からず、ごにょごにょと言葉を濁す。


 クライヴの気持ちと向き合うと決めたのはついこの間のこと。常に全力で好きだと伝えてくれるクライヴに、気持ちが揺れていないといえば嘘になる。だが、それが本当に恋なのかは分からない。


「仕方ないか~。ティナは恋愛よりも動物観察の方が好きだったもんね」

「そそう。付き合うっていっても、友達の延長くらいにしか思ってなかったもんね」


 二人が言っているのは幼なじみの元カレのことだ。あの時も手を繋いだだけで赤面するティナを見て「お子様かっ!」とか散々言われた記憶がある。


「でもさ、向こうはティナにベタ惚れじゃない?」

「そうそう。旦那って誤解されてもすごく嬉しそうにしてたわよね」


 この二人も例の結婚騒動を知っている。


 あの時は、村中に旦那ではないと必死になって説明したというのに。まさかこんな相談をするとは思いもしなかった。


「だ、だって……出会いが突然だったし……」


 クライヴがティナを好いてくれるのは番いだからだ。番いでなければ出会うこともなかった。そう思うとティナ自身を好いてくれているのか分からなくなるのだ。


 悩みすぎて眉をハの字にしてしまったティナを見て、友人達は呆れ顔になる。


「突然って……出会いなんてそんなものでしょ。ねぇ?」

「そうよ。私なんて、彼との出会いはナンパよ、ナンパ」

「ナ、ナンパ……?」


 友人の一言にティナが目をぱちくりさせる。


「そう、隣町に行った時なんだけど……そこでナンパされたの」

「えぇー初耳っ! どういうこと、どういうこと?」


 もう一人の友人がその話へ食いつく。ティナも静かに耳を傾けた。


「突然話しかけられてね、「良かったら今からお茶しませんか?」って。最初はなんだこいつって思ったの」


 確かにティナも最初はクライヴに不信感というか、警戒心のようなものを抱いていていた。


「一度は断ったんだけど、隣町に行く度に声をかけられるもんだから一回だけお茶することにしたの。そしたら、前から私のこと好きだったって告白されて」

「きゃー! それって一目惚れってやつ?」

「そうなのかな? その場では断ったんだけど、それからも熱心に口説かれて、結局付き合うことにしたのよ」

「やだ、そんなエピソードがあったなんて。やるじゃーん」


 盛り上がる友人二人をよそに、ティナはクライヴとの出会いを振り返っていた。


 ティナも熱心に口説かれて心が揺れ始めている。同じ時間を過ごすことで、クライヴの優しさを知ったのも大きい。


 でも、その優しさは番いでなければ向けられなかった訳で……。それに自分は庶民だ。四家の次期当主であるクライヴとは身分が違う。


 よほど悩んでいる顔をしていたのか、友人が眉間の皺を容赦なく突ついてきた。


「ティ~ナ~、また難しい顔してる」

「えっ? う、うぅ……」

「ティナは考えすぎなのよ。クライヴさんみたいな超絶イケメンの何が不満なのよ?」

「ふ、不満というか……」


 友人達はクライヴが獣人族であることを知らない。よって、もやもやしている詳細までは口に出せなかった。


「例えばよ! クライヴさんが他の女の子と仲良くしていたらどう思う?」

「えっ……?」

「いいから、とにかく想像してみなさい」


 友人に急かされて、とりあえずその場面を想像してみる。


 クライヴが可愛らしい女の子へ笑みを向ける。愛おしそうに髪を撫で、楽しげに言葉を交わす。そして、甘い言葉で愛を囁く──。


 その瞬間、ドクンと心臓が大きな音を立てた。胸が締め付けられるような感じになり、息をするのさえ苦しくなる。想像だと分かっていても見ていたくない。


「……イヤ、だ」


 他の女性がクライヴの隣にいるなんて絶対に嫌だ。その場所を譲りたくない。


「ほら、もう答えは出てるじゃない」

「……答え?」

「そうそう。自分以外がクライヴさんの隣にいるのが嫌なんでしょ? それはもうクライヴさんのことが好きってことよ」


 クライヴのことが好き──その言葉が胸の奥にゆっくりと染みこんでいく。


 好き──そう心の中で呟くと、やけに心が軽くなった。あんなに悩んでいたのが嘘のように、モヤモヤしていたものが消えていく。


「言ったじゃない。こんなかっこいい人逃がしちゃダメって」

「ちゃんと自分の気持ちを伝えなきゃダメよ」


 全てお見通しと言わんばかりに友人達が笑う。こくんと頷くティナの中にはもう迷いはなかった。


──クライヴ様に好きって伝えよう。

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