第92話 エイダの両親

「こ、この声は……!」

「間違いない、我らの愛娘の声だ!」


 ティナのポーチから転がり落ちたのは魔道具の玉。これはつい先日、トラフズクによる速達便で届けられたものだ。


『いいこにしてるからはやくかえってきてねー』


 録音されたエイダのお肉報告が終わり、場がしんと静まりかえる。


 先程まで牙をむき出しにしていた二頭のトラは、魔道具の玉にすり寄っていた。まるで本当の愛娘に接するように……。


 その姿を見たティナはポカンと口を開けた。


「トラが……喋った?」

「ああ、あの姿じゃ分からないか。こいつらは獣人族だ」

「じゅ、獣人族っ!?」

「あの様子だと、エイダの親だろうな」

「エ、エイダちゃんの親っ!?」


 いきなりの情報過多にティナは目を見張った。それから段々と先程までの状況が頭に甦る。


「わ、私……本物のトラだと……追い詰められた時は、もう無理だって……」


 そう口にした瞬間、視界がじわりと歪む。トラの牙、もしくは爪に切り裂かれて死んでしまうと思ったのだ。今になってあの時の恐怖が込み上げてくる。


「ティナ……」


 緊張の糸が切れてボロボロと泣き出したティナをクライヴがそっと抱きしめてくる。


 クライヴの質の良い服に涙が吸い込まれていき、ティナは慌てて顔を上げた。すると、クライヴが優しく微笑んで再度ティナをその胸に抱きしめた。


 宥めるように優しく頭を撫でる手、温かな体温とクライヴの少し早い鼓動が何だかホッとする。


「貴様らっ! 娘をここから出せ!」

「この誘拐犯め………ぐふっ!」


 二頭のトラが再度唸り声を上げてこちらを威嚇し始める。さらに一頭が飛びかかってきたのだが──クライヴの一蹴りであっさり地へ沈んだ。


──い、いま、すごい音が聞こえたけど……。


 偶然か意図的か。クライヴに抱きしめられていたティナは、その現場を一切見ていない。何かが殴られたような鈍い音と、悲痛な悲鳴が聞こえただけだ。


「懲りないクソネコ共が。俺のティナに指一本触れてみろ……ミンチにしてやる」

「「  ギャイン!  」」


 気のせいではなかった。


 何とか顔を上げれば、トラ達はそれはもう物凄く怯えていた。大きな体を寄せ合ってぷるぷる震えている。


 ティナはトラ達を射殺しそうなほど睨んでいるクライヴを見上げた。


 ずっと探していたエイダの両親がやっと見つかったのだ。こんな所でミンチにされてしまっては困る。


「ク、クライヴ様、ミンチはダメです! この方達がエイダちゃんのご両親ならなおさらです!」


 抱きしめられたままの至近距離で見つめ合うことしばし。クライヴのイエローゴールドの瞳が悩むように揺れる。


「……お前ら、ティナの半径2メートル以内には近寄るなよ」


 ティナの必死の視線に負けたのか、クライヴは渋々ながら納得してくれた。渋々というのが引っ掛かるが、とりあえず凄惨な事件にはならなそうで一安心だ。


 そうして、双方落ち着いたところで、事のいきさつを説明することとなった。


 誘拐犯を捕らえる際にエイダを保護した事。今は特務隊で保護していること。今までずっとエイダの親を探していた事。


「──と、いう訳だ。お前らの娘は今は王都にいる。それは声を録音したただの魔道具だ」


 一連の説明が終わると、二頭のトラは大事そうに抱えていた魔道具の玉をジッと見下ろした。どうやら、この中にエイダが閉じ込められていると思っていたようだ。


「魔道具……?」

「声を録音……?」

「ああ。エイダがティナに報告したいと騒ぐから作られたものだ。エイダはティナが大好きだからな」


 二頭の視線がティナへと向けられる。


「……で、では、貴様らは本当に誘拐犯ではないのだな?」


 おそるおそる問いかけてきたのは男性の声のトラ。大きい方のこのトラがエイダの父親なのだろう。


 その問いに、愚問だと言わんばかりにクライヴが睨みを利かせた。


「そう説明しただろう。まだ疑うつもりか?」

「い、いや納得した……」


 気のせいだろうか。トラ達が完全にクライヴを恐れている。


「そういえば、この近くの川にあった足跡はお前らのものか?」

「川?」

「ああ、水を飲みに立ち寄ったな」

「はぁ……後でアレクに報告するか」


 そういえば、クロエが言っていた。沢で大型動物の足跡が見つかったとか。あれは彼らだったのか。


「それで? なぜティナを襲った?」

「それは……たまたま見かけたその娘から、我らが娘の匂いがしたから……」

「誘拐犯──しかもひ弱そうな奴なら、少し脅せばすぐ娘の居所を吐くかと……」

「ほぉ?」


 クライヴの声がワントーン低くなる。剣呑な雰囲気を察してか、二頭がピキリと固まってしまった。


 これでは話が進まない上に、トラ達が不憫でならない。少し脅すというレベルではなかった気もするが、彼らは自分の子供を取り戻そうと必死だっただけだ。


「あの、私なら気にしてませんので」


 そう取りなせば、トラ達の目に生気が満ちる。すかさずクライヴが睨むと、気まずそうに明後日の方向を向いてしまった。


 仕方ないので、ティナは話しを変えるべくトラ達へある質問をした。


「えっと……エイダちゃんはどうして攫われたのですか?」


 少々不謹慎な質問ではあるが、未だ捕まっていない数名の犯人を捕らえる糸口になるかもしれない。そう思っての問いだった。


「うむ、我らはエイダが人化じんか出来るまで人里を離れて森で暮らしていたのだ」

「居場所を特定されないよう、定期的に住処も変えていた」

「あの日は、川辺の住処に居た。まぁ、なんだ……我らが愛娘は元気いっぱいでな」

「魚を追いかけるのに夢中で、うっかり川に流されたんだ」

「ええっ!」


 誘拐された経緯を聞いたはずが、なぜか水辺での事故話へと化している。ツッコミどころ満載だが、今はあえて口を閉じて話しの続きを待った。


「助けを求め、鳴き続ける我が子がどんどん遠ざかっていく悲しさ……」

「必死になって追いかけたが、ついにエイダの姿を見失ってしまった……」

「それから我らは川沿いをくまなく探した」

「だが、エイダはおろか、何の痕跡すら見つけられなかったのだ」


 うなだれる二頭からは深い悲しみが溢れ出ている。ティナもその場面を想像してしまい胸が痛んだ。


 そこにクライヴが呆れたように口を挟んだ。


「つまり、誘拐された経緯は分からないという事だな?」

「「 その通りだ 」」


 あっけらかんと答える二頭にクライヴが大きな溜息をつく。


「おそらく岸に流れ着いたところを捕まったんだろう。トラの子供は珍しいからな」

「おのれ、我らの愛娘をっ!」

「許せん!」

「………」


 クライヴが物言いたげな視線を向ける。


 誘拐というか事故というか。まさかエイダがそんな事故に合っていたとは。


 だが、エイダは以前『かわのおうちがすき!』と言っていなかったか。水辺の恐ろしさを学習しているのか少々不安になる。


「えーと……では、私達が王都に戻る時に一緒に来て頂けますか?」

「もちろんだ!」

「やっと……やっと娘に会える!」


 トラ達は歓喜に目を輝かせた。探し続けた娘に会えるのだから当然だろう。だが、クライヴが悪気のない一言を発する。


「俺の仕事が終わってからだから、出発は2、3日後になるからな」

「なんだとっ!?」

「そんなに待たねばならぬのかっ!? 今すぐ娘の元へ──」

「あ゛?」

「「  ま、待ちます……  」」


 トラ達は、またしてもクライヴに睨まれて固まってしまった。


 完全に上下関係が出来上がっている。トラに勝つオオカミ。さすがは特務隊の副隊長といったところか。


「そ、それでは、その間お二人はウチに滞在して──」

「却下だ」

「えっ、でも泊まるところがないのは不便ですよ」


 そう答えれば、なぜかクライヴがむすりとした表情でこちらを見てくる。訳がわからないティナは小さく首を傾げた。


「そ、そうか。あの娘は奴の番いか……」

「そのようだ。触らぬ神にたたり無しだ」


 トラ夫婦がこそこそ何か言っている。人を爆弾のように言わないでほしい。


──でも、そういう事か……。私を襲おうとしたトラを傍に置いておきたくないとか?


 トラ達はもうこちらを襲う気配はない。半径2メートル以内に近寄るなというのも律儀に守っている。それでも前科が出来てしまった分、クライヴは心配してくれているのだろう。


 こうして頑固な面もあるが、クライヴはいつだってティナを優先させる。心配性が過ぎるのはいかがなものかと思うが、大切にされているのが伝わってくる。


「クライヴ様にはいつも心配をかけてばかりですね」

「心配するのは当然だ。ティナは俺の大切な番いだからな」


 大切な番い──その一言がやけに胸に刺さる。クライヴから何度も言われた言葉なのに、なぜこうもむず痒く感じるのか。


 ティナはその気持ちが何というのか、まだ気付けないでいた。

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