第87話 北の砦の大宴会

「よーし、飲め飲め!」


 現在クライヴは大宴会の真っ只中にいた。こうして酒を勧められるのは何度目になるだろうか。クライブは内心で溜息をつきながら、並々と注がれたグラスへと口を付けた。


 ティナの生まれ育ちを知った後、クライヴはアレクに砦の中を連れ回されていた。本来の目的である砦の視察をするためだったのだが、正直それどころではなかった。


──まさか、ティナがエヴァンス家の血筋とはな……。


 この国で唯一の辺境伯であるエヴァンス家。その功績は計り知れない。


 幾度となく敵国の侵略からこの北の大地を守り抜いてきたのだ。エヴァンス家がいなければ、このエルトーラ王国の領土はもっと狭くなっていただろう。


 そして、エヴァンス家と言えば武に優れた一族としても名を馳せていた。その強さも然る事ながら、人望・戦略などにも秀でているというから恐ろしい。


──獣人族おれらでさえ、エヴァンス家の奴とは闘いたくないからな。


 隣に座るアレクへと視線を向ければ、ちょうど酒を勧められていたところであった。その様子を見るだけでも仲間から信頼されているのがよく分かる。強い酒を涼しい顔で飲み干しているあたり、酒にも強いのだろう。


 そんな事を考えていると、視線に気付いたアレクがこちらを向いた。


「どうした? 飲み足りないのか?」

「いや、酒は十分だ」


 決して酒の催促ではない。むしろ今すぐ解放してほしい。


 この歓迎会が北の砦と特務隊の大切な交流の場であることは百も承知している。だが、いくら仕事の付き合いといっても、ここの奴らは酒に強い奴が多い。そのうえ無駄にフレンドリーで毎回相手をするのが面倒くさい。頭の痛いことに、歓迎会という名のどんちゃん騒ぎは深夜にまで及ぶのだ。


──どうせなら、こんなむさ苦しい奴らよりティナと二人きりで飲みたい。


 そういえば、ティナは酒を飲めるのだろうか。何となくだが、あまり酒に強そうなイメージはない。酔って頬が赤く染まる様が容易に想像できる。最高に可愛い。


 ティナのことを考えていると、荒んだ心が一気に上向きになる。


「そうだ、クライヴ。お前、番いが見つかったそうだな」


 一瞬飲みかけた酒を吹きそうになる。


 まさか自分は思っていた事を口に出していたのだろうか。いや、そんなヘマはしていないはずだ。むしろ「お前の従妹が番いだ」と言ってやりたいが、ティナはあまり番いである事を知られたくないらしい。ここはティナを尊重してポーカーフェイスを決め込むことにした。


「いきなり何だ? お前には関係ないことだろ」

「いや~、ちょっと気になる噂を聞いてな」


 アレクが口の端を上げて意味深に笑う。それに嫌な予感を覚えた。


「ほら、うちエヴァンス家って俺がジジイの跡を継ぐ予定だろ。だから少しずつジジイの仕事を引き継いでるんだ。情報収集に至っては、もう俺が主体で動いててな」

「へぇ。お前にそういう細かい事が出来たのか」


 エヴァンス家が独自の情報網を持っているのはクライヴも知っていた。どういった情報網なのかは不明だが、主に国外の情勢を監視するものだと聞いた事がある。


「情報収集は国内でもやってるんだが……たまたま王都から拾った情報が、お前に番いが見つかったって話しだったんだ」


 クライヴは返事をせずにグラスに残っていた酒を口に運ぶ。


 番いが見つかった事を知られたからとて、相手がティナとは知られていないはずだ。ようやくティナとの仲が進展しそうな今、横やりを入れられるような事は絶対に避けたい。


 アレクは、そんなクライヴを嘲笑うかのようにニヤリと笑みを浮かべた。


「何でもお前の番いは、はちみつ色の髪の小柄な女性だそうだな」

「──っ!!」


 クライヴは今度こそ酒を思い切り吹いた。度数の高いアルコールが気管に入り咳が出る。


「っ……ごほっ……げほっ!」

「おーおー、分かりやすい反応だな。やっばりお前の番いはティナか」

「なっ……なぜそれをっ!」

「集まった情報だけでは半信半疑だったんだが、今日のお前の態度を見て確信した。お前、ずっとティナの事ばっかり見てたしな」


 クライヴは「うぐっ」と言葉を詰まらせた。自分でもいつもティナを目で追っている自覚はある。一応今日は気を付けたつもりだったのだが。剣術バカで、やや脳筋な奴だと思っていたが中々に鋭い観察眼をしているようだ。


「ティナがお前の番いか。なるほどな~」

「随分あっさりしてるな?」

「だって、今のところお前の片思いだろ?」


 アレクがしたり顔でこちらを見る。痛いところを突かれたクライヴは、見栄を張ることも出来ず口を引き結んだ。それを見たアレクがさらに口の端を上げる。


「モテモテの副隊長殿でも意中の女には見向きもされないとはな」

「……今はまだアプローチ中なんだよ」

「ほぉ~。見込みはあるのか?」


 まるで無理だと言わんばかり言い方にムッとする。ティナがクライヴの手を取ってくれる可能性はある。そうなるように焦らず距離を縮めてきたのだ。


「ティナが俺を選んだのならお前は反対しないのか?」


 クライヴの問いにアレクは顎に手をあてて「そうだなぁ」と呟いた。もったいぶるような間がしばらく続く。


「可愛い妹分が離れていくのは寂しいが、ティナが本気なら俺は反対しないさ。お前の人となりも知っているつもりだからな」


 アレクがニヤリと笑う。予想外の答えにクライヴは面を食らった。


「俺と結婚するって噂でブチ切れてた奴のセリフとは思えないな。一体何を企んでいる?」

「あれはちょっとしたジョークだろ」

「ジョークで斬りかかってくる奴がいるか。本気だっただろ!」

「いやぁ、クライヴと実戦形式で闘えるなんて久々二年だったからなぁ」


 まんま脳筋のセリフにクライヴの口元がヒクリと動く。あの鬼気迫る斬り合いをジョークの一言で片付けられてしまうとは。


 いや、あの時はまだティナがクライヴの番いだと気付いていないはずだ。なにせロクな話もしないで斬りかかってきたのだから。


 アレクが本気で斬りかかってきたせいで、フィズの劇薬をくらうハメになったというのに。あれはキツかった。軽く吸い込んだだけで全身に痺れが走り、立ってさえいられなくなるのだ。本当にフィズはなんていう物をティナに渡してくれたのだ。帰ったらいの一番に抗議せねば。


 そんな事を考えていると、隣のアレクが恐ろしい事を口にした。


「まっ、俺と違ってジジイは大反対だろうけどな」

「……今夜暗殺とかされないよな?」


 クライヴの脳裏に突然斬りかかってきたエヴァンスおうの憤怒の形相が思い起こされる。あれは結構──いや、かなり怖かった。痺れが多少抜けていなければ、確実にやられていた。


 ティナと幸せな家庭を築くまでは死ぬわけにいかない。可愛い妻と可愛い子供達に囲まれて幸せに暮らすんだ。そう決意した矢先、食堂に一人の老人がやってきた。その人物は真っ直ぐにこちらに向かって歩いてくる。


「まぁ、なんだ。頑張れよ、クライヴ」


 クライヴがエヴァンスおうに酔い潰されるまで、あと少し。

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