第85話 ティナの血筋

「まだ全身が痺れてる……」

「くそ……フィズめ……物騒なものをティナに渡しやがって」

「す、すみません……」


 砦の一室では二人の男がぐったりしていた。その姿にティナの罪悪感が募る。


 だがこちらとしても、激しく剣を交える二人を止めるためには仕方がなかったのだ。そこは理解してほしい。それにティナだってどんな効果があるのかは知らなかった。


 ちなみに、恐ろしいまでの即効性で動けなくなった二人を、ここまで運んでくれたのは砦の人達だ。どうやら城壁から二人の闘いをこっそり見ていたらしい。二次被害を恐れて布で口を覆いながらもクライヴ達を運んでくれた。


「クライヴ様、これは自然と治りますか? フィズさんからは解毒薬など貰ってませんが」

「あー……多分大丈夫だと思うぞ。指先の感覚は戻ってきたし」

「どんだけ回復が早いんだよっ!? 俺なんてまだ手足の感覚がないぞ!」


 ぎこちなくも指を動かすクライヴを見て、アレクが怪訝そうな声を上げる。獣人族は回復力も高いらしい。


「ちっ! だいたいお前が紛らわしい噂を立てられるのが悪い。妹はやらんからな!」

「妹じゃなくて従妹だろ。マジでなんでこんなのがティナの親戚なんだ」

「羨ましいか? 小さい頃のティナはそれはもう可愛かったんだぞ。『アレク兄ちゃん』って俺の後ろをちょこまかと──っ!」


 ティナは無言でアレクの足を踏みつけた。痺れのせいでアレクが悶絶しているが、自業自得である。


「ところで、おじいちゃんもこの噂は知ってたりするの?」

「さぁ、どうだろうな? 外に見回りに出てたから知らないんじゃないか」

「それならいいんだけど……」


 ティナの祖父もアレク同様ティナを可愛がってくれている。それはもう。ヘタをすればアレク以上に過激な行動に出かねないのだ。


「なぁ、ティナのじいさんもこの砦で働いているのか?」


 クライヴの質問にティナとアレクが動きを止める。アレクが視線で問うてきたので、「まだ話していない」という意味を込めて、ティナは静かに首を振った。


「お前が知ってるやつだよ」

「ティナのじいさんってことはお前のじいさんでもあるんだよな? そんな高齢なやつここにいたか?」

「いるんだなー、それが」

「あ、あの……おじいちゃんっていうのは――」

「おっ、ちょうどいい。本人が来たみたいだぞ」

「えっ?」


 ティナが状況を把握するよりも先にクライヴが身を起こす。


 すると、突如として部屋のドアが勢いよく開いた。バーンというけたたましい音にビクリと肩を揺らす。


 現れたのは、濃紺の軍服を来た白髪交じりの老人であった。とはいっても、背筋はしゃんと伸び、鋭い目つきは彼が現役の軍人だと物語っている。


 老人はクライヴを視界に捉えるなりいきなり剣を抜いた。


「クライヴ! 貴様かっ!」

「はっ? えっ!? ちょっ──うおっ!」


 現れたのはティナの祖父なのだが、クライヴは衝撃的だったのか言葉が出ないでいた。そこを容赦なく抜き身の剣が襲う。


 突然として始まった斬り合いに、ティナはおろおろと視線を彷徨わせた。アレクと目が合ったので視線のみで助けを乞う。それに気付いたアレクが力強く頷き返してくれた。


「おーい、ジジイ。狭い室内で剣なんて振り回したらティナにも当たるぞー」

「うるさいわっ! 儂がそんなヘマをするもんかっ!」


 アレクが仲裁をしてくれるも祖父はまったく聞く耳持たずであった。まるで先ほどのアレクを見ているようだ。


「いやー、これはどこぞで噂を聞いちまったな。クライヴ、死ぬなよ~」

「てっめ、アレク……早々に諦めんな! 何とかしろ!」

「何をごちゃごちゃと! 儂の可愛い孫を誑かしおって!」


 言っている事までアレクとほぼ同じだ。流石血が繋がっているだけはある。


 そんな風に軽く現実逃避をしている隙にもクライヴには重い剣戟が襲いかかる。苦しげなクライヴの声でティナは我に返った。


「お、おじいちゃん! やめて!」

「おお、ティナちゃん。よく来たなぁ。今じぃじが害獣を退治してやるからの」


 老人はティナを視界に捉えるなり目尻を下げてデレッと表情を緩めた。その顔は孫を溺愛する好々爺そのものだ。だが、クライヴと斬り結ぶ手には一切の躊躇がない。


「おじいちゃん、村での噂は間違いなの。クライヴ様は特務隊で一緒に働いてるだけだから」

「む?」


 老人の動きがわずかに鈍る。


 今ここで祖父を止めなければクライヴが大怪我をするかもしれない。ティナは、どうすべきか一生懸命頭を働かせた。そして――。


「え、えっと……砦の視察があるっていうから里帰りを勧められたの。それで一緒に村まで来て……ほら、おじいちゃんにも久しぶりに会いたいなぁって」


 アレクの件がなければ砦に来ることはなかったが嘘も方便だ。もちろん祖父に会えるのは素直に嬉しい。


「今は時間ある? せっかくだし皆でお茶でもしない?」


 場にそぐわぬ提案に、視界の端でアレクが苦笑いをするのが見えた。これしか良い手が思い浮かばなかったのだから仕方ない。


 反応を伺っていると、祖父は静かに剣を収めた。何とかなったのかと内心ドキドキしていると、祖父がいきなり大声を上げた。


「誰かっ! 今すぐお茶を持ってこーい! 茶菓子も忘れるなっ!」


 そう言って祖父はドカリとソファへ腰を下ろした。ドアの外では祖父の命を聞いたであろう者が走り去る音が聞こえる。


「さぁ、すぐにお茶とお菓子が来るから座って待っとれ。ティナちゃんの話しをじぃじにたんと聞かせておくれ」

「う、うん」


 ティナからすればこの優しい姿がよく知る祖父の姿だ。だが、軍人としての祖父を知るクライヴとアレクは微妙な顔をしていた。


 そうして四人が腰を下ろす頃には、良い香りの紅茶とお茶菓子が運ばれてきた。砦の殺伐とした一室が一気にカフェのような雰囲気に変わる。


「えーと……まずは改めて紹介しますね。祖父と従兄です」


 隣に座るクライヴにティナの家の事情を話すため二人を紹介する。イエローゴールドの瞳が「嘘だろ?」と語りかけてくる。


「私の父とアレクのお父さんは兄弟なんです」

「ティナの親父さんが兄でうちの親父が弟。二人兄弟な。んで、その二人の父親がこれ」

「これとはなんじゃ。指を指すんじゃない」


 再度クライヴが真偽を問うようにこちらを見てくる。驚くのも無理はないが、事実なので頷いておく。


「……ティナは自分のことを庶民とか言ってなかったか?」


 やはりクライヴは祖父とアレクと面識があるだけに、二人が貴族だと知っているらしい。ティナの生まれに違和感を感じるのも無理はない。


 目の前に座るこの祖父は北の砦の総司令官にして、この国唯一の辺境伯の位を賜っている。人族の貴族の中でも長い歴史と格式高い家柄だ。ティナの父であるヨハンは、その辺境伯・エヴァンス家の長男だった。


「父はエヴァンス家を出たので貴族籍からは除名されています。なので私は庶民で合っています」


 クライヴが訳が分からないという表情になる。説明順を誤ったかもしれない。


「ティナの親父さんは結婚のために家督をうちの親父に譲ったんだ。ティナのおふくろさんは貴族じゃでなかったからな」

「あやつは剣よりも魔道具の方が好きじゃったからな。向こうの家に婿入りという形で家を出たんじゃ」


 さすがは総司令官とその跡継ぎだ。説明が上手い。クライヴも納得──は、していなそうであった。


「ティナがアレクと従兄ってだけでもショックなのに……エヴァンスおうが祖父だと。嘘だろっ!?」

「いえ、本当です」

「まてまてまてまて! 俺の耳がおかしいのかっ!?」


 ついにクライヴが頭を抱えてしまう。戸籍上は他人でも、実際は血がつながっているのだ。驚くのは無理はない。


「ふん、オオカミ獣人のくせに難聴とは。情けない」

「そんなに驚くもんかね~。まぁ、本来ならティナは辺境伯家のご令嬢だからな」


 それはない。動物観察が趣味で平気で山に籠もるご令嬢などいるはずがない。そもそも、ご令嬢なんて柄ではない。


「ティナが……エヴァンス家のご令嬢……」


 呆然とするクライヴに、ティナは説明を諦めた。

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