第84話 怒れる従兄

「ティナがアレクと親戚……嘘だ……あの剣術バカと……」

「いやーよく分かんないけど、すげぇ驚きよう」


 ブルーノに乗ったクライヴは、未だ事態を飲み込めないでいた。それを見たヒューゴが他人事のようにカラカラと笑う。


 だが、そんな二人に構っていられるほティナは落ち着いていられなかった。


 従兄であるアレクが村での噂を知っているのなら、祖父の耳にも入っているかもしれない。そうなっては騒ぎがさらに大きくなる。砦に──アレクと会う前までに何か対策を考えなければならない。


「ていうか、クライヴさんって特務隊の副隊長だったんすね。俺、獣人族の人って初めて会いました」


 この場で脳天気に笑うのはヒューゴだけだ。クライヴもティナも各々考えに耽っていて全く聞いていない。


 そうこうしているうちに、頑強な造りの砦が見えて来る。もう逃げ場などない。


「……ヒューゴ。やっぱり先にアレクに伝えてきてくれない?」

「うーん、アレクさんが話しを聞いてくれればいいけど」


 二人揃って渋い顔になる。アレクは剣の腕も立ち人望にも厚い――だが、少々脳筋だ。体育会系の熱血野郎というか何というか。時々、話しが通じない事があるのだ。


「…………そのアレクだが、どうやら出迎えてくれているようだぞ」

「えっ?」

「うっそ!」


 クライヴの一言にティナとヒューゴが目を凝らす。まだはっきりとは視認できない距離だが、確かに砦の入口に人影らしきものが見える。


「クライヴ様、まずは私が説明します。何としてでもアレクの誤解を解きますから」

「……いや、アレクは既に剣を抜いている」


 流石は身体能力に秀でた獣人族、視力も人族とは違う。ではなく、剣を抜いている状態では出迎えとは言えなくないだろうか。待ち構えているというか何というか……。


 憂鬱な足取りで砦の門までやってくると、アレクは抜き身の剣を片手にイライラした様子で待ち構えていた。その目つきはいつになく鋭く厳しい。


 ティナは急いでローズから降りると従兄の元へと駆け寄った。まずは何よりもアレクの誤解を解かねばならない。


「アレク! あのね、村での噂は誤──」

「クライヴ! 俺の可愛い妹を誑かしたのはお前かっ!」


 ティナが結婚騒動の真相について説明をするよりも早く、アレクに抱き寄せられた。アレクの胸板に顔が押し付けられ言葉が続けられない。


「あ、あの……アレク……」

「ティナに結婚はまだ早い!」

「ちょっ……わぷっ!」


 再び厚い胸板に圧迫される。見た目はそこまでムキムキではないのに、この胸板と腕力は何なのだ。説得が失敗──むしろアレクは聞く耳持たずの状態だ。どこぞの頑固親父のようなセリフでクライヴに剣を向けている。


 ティナは慌ててクライヴへと視線を向けた。そこでまさかの事態に直面する。


「アレク、その手を離せ」


──ひっ! クライヴ様、怒ってるっ!


 これはあれだ。誘拐された時に見たブチ切れ状態と同じだ。かなり怒っている。


 クライヴがなぜ怒っているのか分からず、あわあわしている間にもアレクとクライヴの間では激しい火花が散っていた。


「……さっきからティナにベタベタ触りやがって」


 クライヴの怒りに満ちた呟きが風に乗ってティナの耳へと届く。どうやらクライヴは、アレクがティナを抱き抱えているのが気に食わないらしい。


──そ、そっか。獣人族の人ってヤキモチ妬きなんだっけ。


 それならこの状況はよろしくない。穏便にこの場を収めるためにもアレクの腕から脱出しなければならない。


 そう思っていると、突如として腕の力が緩んだ。そして、くしゃりと頭を撫でられる。


「ティナ、ちょっと害虫駆除──いや、害獣駆除をしてくるから少し離れていろ」


 ニコリと笑うアレクの笑顔は昔と変わらない。それなのにどこか恐ろしく感じた。害獣駆除などと――ちょっとした誤解がとんでもない方向へと進んでいる。


「いくら従兄だからってベタベタし過ぎだろ」

「ティナは妹も同然なんだ。兄として再会を喜ぶのは当然だろ。それよりも……俺の可愛い妹に手を出してないだろうな?」


 アレクの言葉にティナがギクリとする。これで初対面でキスをされただなんてバレたら非常にマズい。


「アレク! クライヴ様と結婚っていうのは誤解なんだってば!」

!? お前ティナに様付けで呼ばせてるのかっ!?」


 アレクの目が一層厳しくなる。別に呼び名などどうでもいいではないか。もはや何を言っても火に油状態であった。


「ど、どうしよう。ヒューゴ……って、いないしっ!」


 ヒューゴに助けを求めようとしたが、いつの間にかヒューゴが消えていた。さては、一人でさっさと逃げたに違いない。何て薄情な奴だ。


 唯一ティナの傍にいるのは、ローズとブルーノだけだ。というか、この二頭もクライヴ達の剣呑な雰囲気から避難してきただけかもしれない。


 ティナが右往左往していると、アレクがクライヴへと斬り込んだ。ハッと息をのむと金属と金属がぶつかり合う鈍い音が響き渡る。


 なんと、クライヴは短刀でアレクの剣を受け止めていた。そういえばノルド村への道中で盗賊と対峙した際もあの短刀を使用していた気がする。


 血を見る事態にならなかった事にホッとしたのも束の間、アレクが容赦なく次の一手を繰り出す。


 短刀という明らかに不利な状態なのに、クライヴはまったく押し負けていない。アレクとて辺境伯の跡取り息子として幼い頃から剣の腕を磨いてきたのだ。決して弱くなどない。


──す、すごい……。


 手に汗握る光景が繰り広げられ、ティナは気が気ではない。このままではどちらが怪我をする。どうにかしてこの争いを止める手立てはないものか。


 そこでふとある言葉が頭をよぎった。


『動物にも人にも効くから危ない時に使ってねぇ』


 ティナは慌ててポーチの中をあさった。


──あ、あった!


 壊れないように包んだハンカチをめくれば、手のひらサイズの小瓶が顔を覗かせた。これはフィズが出発前に餞別でくれたものだ。可愛いデザインの小瓶だが中身が赤紫色で不気味なことこの上ない。どんな薬か詳細は聞かなかったが、いま頼れるものはこれしかない。


──よし! これで二人を止める!


 グッと拳を握って意気込んだティナは、二人めがけて小瓶を投げつけた。理想としては二人の足下で割れるのが最適だ。


 だが、小瓶は二人から少し離れたところへ落下した。ガシャンと音を立てて小瓶が割れる。かと思えば、薄紫色の煙が立ち上った。それは、風に乗って二人の方へと流れていく。


「これは……しまった!」


 先に気付いたのはクライヴであった。不気味な色の煙に気が付くと、それから離れるように大きく飛び退いた。


「どうした? この程度かっ! ……ん?」


 少し遅れてアレクも異変に気付く。二人してすぐに鼻を押さえるあたり、危険に対する処理能力が秀でている。


 だが、二人が気付いた時にはもう手遅れであった。


「……ぐっ……これは……フィズの……」

「な……か、体が……痺れ……」


 サァと強い風が吹き抜けると、たちまち薄紫の煙は消えてなくなった。風下を飛んでいた鳥が落ちたように見えたのは気のせいかもしれない。

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