第83話 ティナの従兄

 工房でレックスをはじめとする魔道具を見学した後、ティナとクライヴは村を見学して周った。


 と言っても、小さな村なので観光するような場所などあるはずもない。村唯一の商店や子供達が遊ぶ小さな広場などを案内したくらいだ。


 困ったのは村の人達の反応だ。並んで歩くティナとクライヴを見るや、次々にお祝いの言葉を投げかけてくるのだ。


 結婚はいつするのか、馴れ初めはどうなだったのか。それはもうグイグイ聞いてくる。結婚なんて誤解で職場の上司だと説明はしたのだが、なぜか誰一人として信じてくれなかった。


「もういっそのこと、この機会に結婚した方がよくないか」

「よくないです。だいたい、お付き合いゼロ日で結婚とかおかしくないですか」

「それなら今すぐ付き合えばいい。どうだ?」


 爽やかな笑顔でクライヴが口説き文句を口にする。うっかり油断していたせいで、不覚にもドキリとしてしまった。油断大敵だ。


 ティナとて客観的に見てクライヴがかっこいことなど十二分に分かっている。久々に会った幼なじみにも「こんなかっこいい人逃しちゃダメよ」だなんて言われもした。逃すも何も逃げているのはティナの方だとは言えなかった。


──そっか……逃げているのは私の方だよね。


 クライヴはいつだってまっすぐに気持ちをぶつけてきた。それに対してティナはどうだったろうか。衝撃的な出会いに流されて、ちゃんと向き合ってこなかったのではないだろうか。


 ふと気づいてしまった自分の不誠実さにピタリと歩みを止める。


「ティナ?」


 クライヴが黙り込んでしまったティナの顔を覗き込んでくる。


 じっと見つめれば、不安そうに眉根が下がってしまった。普段は凛々しいのにティナの前では、こうしてコロコロ表情を変えてくれる。


 凛々しい見た目に反して茶目っ気がある事も、意外にちょっとした事で落ち込む事も……そして、甘く蕩けるような微笑みも。これは番いであるティナだけに許された距離だ。


──うん、やっぱりこのままじゃダメだ。


 これはクライヴとの関係をきちんと考え直す機会なのかもしれない。そう考えると自然と口が動いた。


「……少し考えてみますね」


 クライヴとのお付き合いを真剣に考える――自分で口にしておいて思いがけない一言だったが、心の奥底では確実にクライヴへの気持ちが膨らみ始めている。何度か萎みもしたけれど、いい加減に見て見ぬふりは出来ない。


 クライヴはと言うと、ティナの一言に面食らったように目を大きく見開いていた。しかし、大袈裟に騒ぐ様子はない。すぐにいつものような蕩ける笑みを浮かべる。


「ああ、ゆっくり考えてみてくれ。俺はいつまでも待っているから」

「………」


 そういう言い方はずるい。


 いつも結婚しようだの何だの平気で口にするくせに、ティナが本気で考えようとすると時間を与えてくれる。積極的なようでいて、ティナの気持ちをちゃんと尊重してくれる。


 むずむずする胸の内を隠すようにティナはクライヴの一歩前を歩き出した。嬉しいような恥ずかしいような──きっと今、自分は変な顔をしているに違いない。


「………」

「………」


 しばし無言で歩を進める。


 もう見るところなどないし家に帰ろうか。そう思って前を向いた時、軍服を来た一人の男が目に入った。


「……あれ?」


 手を振ってこちらに近寄ってくる人物にはとても見覚えがあった。


「ヒューゴ?」

「よっ、久しぶりだな。元気だったか?」

「本当久しぶり。それって砦の制服だよね。何でヒューゴが着てるの?」


 濃紺の軍服は砦に勤める兵士の制服だ。よく見れば、ヒューゴは腰にも剣を佩いていた。


「ああ、そうか……俺が砦に勤め始めたのはティナが王都に行った後だったな」

「ま、まさか砦で働いてるの!? ヒューゴがっ!」

「おう!」


 そう言ってヒューゴがどこか得意気にニカッと笑った。


 ヒューゴはティナの幼馴染の一人で、どちらかと言えば優男の風体だ。男の子同士でちゃんばらをしても割と最初に負ける方だった。気が弱い訳ではないが、どこか頼りないというのが子供の時の印象だ。そんなヒューゴが北の防衛の要である砦で働いているとは。


「……ティナ、彼は?」

「あっ、彼は幼なじみの一人です」


 うっかりクライヴを忘れて話し込んでしまった。慌ててヒューゴを紹介するも、なぜかクライヴはヒューゴを探るような目で見ている。


「幼なじみ……」


 まさかとは思うが、ティナの元カレだと疑っているのではないだろうか。確かに以前、幼なじみが元カレだと話した事がある。だが、それはヒューゴではない。


「小さな村なので同世代は全て幼なじみなんです」


 だからヒューゴとは何の関係でもない。そう目で訴えかけると、クライヴの目が僅かに柔らいだ。


「どうも。ヒューゴと言います。やー、ティナが結婚するって本当だったのか~」


 ヒューゴがティナとクライヴを交互に見て、うんうんと頷く。またしても結婚と言われたティナは力一杯否定した。


「違っ……それは誤解だから!」

「ん? 違うのか?」


 本日何度目の説明になるだろうか。そもそも砦に勤めているヒューゴがなぜ知っているのだ。とにもかくにも、結婚は村の人達の勘違いだと懇切丁寧に説明した。


「ふーん、そっか。まぁ、こんなかっこいい人が来たらおばちゃんも勘違いするよな」

「勘違いにも程があるよ……」

「田舎はそういう話しが好きだからな。でも、そっかー……うーん……」


 納得してくれた割にはヒューゴの歯切れが悪い。そんなヒューゴの様子にティナの中に一抹の不安が過る。


──ヒューゴが砦に勤めてて……結婚の噂を聞いてここに来たって事は……。


 ティナには思い当たる節がある。クライヴにバレて困るような事ではないが、ややこしい話しなので事前には伝えていなかったことがあるのだ。


「ヒューゴ、もしかして砦でもその噂が広まってたりする?」

「どうだろ? 俺の場合は野菜の配達に来た親父から聞いたんだ」

「そっか。おじさん、砦に野菜を納品してるもんね」

「そうそう。そんで、たまたまその時にアレクさんもいてな」


 アレク──よく知った名前が出てきて、とても嫌な予感がした。


「ティナが旦那を連れて来たって聞くなり、アレクさんが「今すぐ確認して来い」って言い出してさ~。一応ティナと一緒に連れて来いって言われてるんだけど……誤解ならどうしたもんかなぁ……」


 あはは、と軽い調子で笑うヒューゴにティナは頭を抱えた。とんでもない誤解がとんでもない事態を引き起こしている。


 キリリと痛み出した胃を抑えていると、黙っていたクライヴが口を開いた。


「アレクって……アレク・エヴァンスのことか? なんであいつがティナの結婚に口を挟むんだ?」


 クライヴの素朴な疑問にヒューゴがティナへと視線を向ける。ええ、ノルド村の人ならうちのややこしい事情を知ってますもんね。


 この場であえて隠すことでもないし、クライヴであれば十分に信用に足る。そう考えてティナは口を開いた。


「えーっと……アレクは私の従兄いとこなんです」


 クライヴの動きが一瞬にして止まる。瞬きすらも止まってしまっている。


「クライヴ様?」

「……すまん、俺の耳がおかしくなったようだ」

「聞き間違えではないです。アレクは私の従兄です」


 しばしの間が空いた後、ノルド村に悲鳴のような大声が響き渡った。


 驚くのも無理はない、アレク──アレク・エヴァンスは、砦の総司令官である辺境伯エヴァンス家の跡取り息子なのだから。

 

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