第78話 緊張の一夜
──なんという事だ……自分の間抜けさに嫌気がする。
現在ティナは大きな問題へ直面していた。
目の前にはベッドがひとつ。どう見ても一人用のサイズだ。なんなら一般的なサイズよりも少し小さい。
道理でクライヴが気まずそうにしていたわけだ。なぜ自分は気付かなかったのか。シャワーを浴びれることに浮かれまくっていた。
「あー……ティナ。俺は外で寝るから安心してくれ」
ティナの緊張を感じ取ったのか、クライヴが苦笑気味に声をかけてくる。
確かに野宿を想定して寝袋も持参してきてはいる。だが、庶民の自分が宿に泊まってクライヴを野宿させるだなんて言語道断だ。
ティナは部屋を出ていこうとするクライヴを慌てて引き止めた。
「ま、待って下さい! クライヴ様を野宿させる訳にはいきません! 私が外で寝ます!」
「いや、それはダメだ。ティナを野宿させて俺が宿で寝るなんておかしいだろ」
「いえ、私は田舎育ちなので野宿くらい平気です」
「俺も野宿くらい問題ない。獣化して森で寝てもいいしな」
押し問答が続き、ムムムッと口を引き結ぶ。
番いを大事にする獣人族のことだ。決してティナを一人で野宿させることはしないだろう。だが、こちらだって引くわけにはいかない。
「そ、それなら部屋で寝袋で寝ます。ベッドはクライヴ様が使って下さい」
そう提案すれば、クライヴの目が僅かに見開かれた。だが、それも一瞬でジトリとした視線に変わる。
「俺がティナを床で寝かせるとでも?」
「うっ……で、でも次期当主様を床に寝かせる訳には……」
「身分は関係ない。俺は大切な番いであるティナを優先する」
クライヴが真っ直ぐにティナを見つめる。
こういう時にキリッとするのはズルイ。これでは強く言い返せない。
何かいい案はないかと知恵を絞り出していると、ふと名案が思い浮かんだ。
「…………クライヴ様。オオカミ姿で寝ると疲れますか?」
「いや、特にそういうのはないが?」
それを聞いたティナは、一人納得するように頷いた。そして、意を決して一つの提案を口にする。
「あの……い、い、一緒にベッドを使いましょうっ!」
勇気を振り絞って口にした言葉だが、動揺から大分どもってしまった。しかも、言い方も失敗した。案の定、クライヴがポカンとしている。
「あ、あの、変な意味ではありません! ベッドを半分ずつ使えば、お互い納得するのではないかと思いまして」
あわあわしながら早口にまくし立てる。口にする前はいい案だと思ったが、クライヴの反応を見ると自信がなくなってきた。
気まずくなって俯いてしまうと、衣擦れの音が聞こえた。なにやらカシカシという音まで聞こえてくる。
おそるおそる顔を上げると、そこには自分の服を器用に片付けるオオカミがいた。前脚と口で服を畳んでまでいる。
「あ、あの……」
「これでいいか? エイダほどコンパクトではないが。それと、毛が付くのは我慢してくれよ」
オオカミがおどけたように首を傾げる。その姿がおかしくて、つい小さく吹き出してしまった。
「分かりました。それじゃ、明日も早いしもう寝ましょう」
「そうだな。辺境まで先は長い」
ティナが布団に入ると、クライヴがぴょんとベッドへ飛び乗ってくる。それから、くるんと丸くなった。そんなクライヴへ布団をかけ、ベッドサイドの灯りを消す。
お互い詰めてはいるものの、やはり狭い。どうしても背中が触れてしまう。獣化してもらってこれなのだから、二人で寝るのは絶対に無理だっただろう。それこそ抱き合うほどに密着しなければ……。
余計な事を考えてしまい、急いで思考を止める。変な想像をしてしまっては寝れなくなる。明日の移動に支障が出たら大変だ。
「おやすみ、ティナ」
「おやすみなさい、クライヴ様」
クワッとあくびをしたような音が聞こえる。立派な牙があるのは別として、きっと犬と同じような仕草なんだろうな。そう思うと自然と笑みになる。
そんな犬らしいクライヴのおかげか、はたまた背中から伝わってくるぬくもりのせいか、ティナの瞼が次第に重くなっていく。
──やっぱり……動物っていいなぁ……。
そのまま眠気に委ねるように目を閉じた。
◆◆◆◆◆◆
──複雑だ……。
クライヴは耳をピンと立ててティナの様子を伺った。聞こえてくるのは規則的な寝息。どうやらティナは眠ったようだ。
──あんなに緊張していたのに、寝付くの早くないか?
自分だってこの状況に緊張しているというのに。疲れているのは分かるが、男として意識されている気がしない。泣けてくる。
自分はティナに求婚している身だ。初対面で感極まってキスもしてしまった。そんな男と布団を共にして早々に寝付くなど……。
複雑な思いを抱きながら、ティナを起こさぬよう身を起こす。そして静かに人化した。ティナが起きる気配はない。
「犬扱いされてるんだろうな……」
愛らしい寝顔につい不満がもれる。
オオカミ姿であればこのベッドも何とか二人で使える。ティナの提案には驚いたが、最善の案なのは確かだった。
それは分かっているが、自分としては同衾を提案されて喜んだというのに。そりゃ、少しはやましい想像もした。健全な男なんだから当たり前だ。
「……襲われても文句は言えないぞ」
見下ろすのは可愛い寝顔。健康的な肌にふっくらした色艶のいい唇。自分とは違う華奢な体は、柔らかくていい匂いがする。
見れば見るほど、やはりティナは可愛い。ティナが自分を選んでくれたのなら絶対一日中離さない自信がある。ティナの初めての相手が自分だと思うだけではやる気持ちを抑えられない。
「はぁ……」
危ない思考になりかけて小さく息を吐く。こんな衝動的にうっかり襲ったらそれこそ嫌われてしまう。
クライヴの祖はオオカミだ。動物的に衝動的な行動を取ってしまう事もあるが、本来オオカミは賢い生き物だ。ティナを確実に手に入れるためには我慢と忍耐が必要なことくらい分かっている。
クライヴは襲いたくなる気持ちをグッと堪えながらティナの耳元へ顔を寄せた。
「……ティナ、早く俺のモノになれ」
そういってクライヴは眠っているティナの柔らかな頬へと唇を落とした。もちろん寝ているティナからの反応はない。
クライヴはフッと寂しげな笑みを浮かべると、またオオカミの姿へと戻った。
その様子を見ていたのは、窓の外で静かに輝くまん丸の満月だけであった。
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