第76話 二人旅の始まり

「ティナ、俺が悪かった。頼むから、そろそろ機嫌を直してくれ」


 眉を八の字に垂らしながら顔を覗き込んでくるのはクライヴだ。


 こちらは大股で歩いているというのに、クライヴの歩調はいつもとあまり変わらない。どうせ自分は小さ──いや、ちょっとだけ小柄だ。今はこんなちょっとした事でさえ腹立たしい。


「ティナ~?」


 オオカミ獣人のくせに猫なで声でこちらの様子を伺ってくる。こうして反省するのなら最初から自制してほしい。ギロリと睨みつけてやれば、「うっ」と気まずげな声をあげた。


 クライヴが手綱を引く青毛の馬──ブルーノというそうだが、なぜか彼もそっと目を逸らす。人の顔を見て目を逸らすとはどういう事だ。


 ティナの馬──ローズなど、素知らぬふりでカッポカッポと蹄を鳴らしている。ローズの方がよほど肝が据わっているではないか。


 現在ティナ達が歩いているのは、隣街へと向かう街道だ。ここはまだ整備されていて、商人や旅人の姿も多い。人の多い場所で馬を走らせるのは迷惑になるため、今はまだ馬には乗らず手綱を引いて歩いていた。


「クライヴ様はもう少し、周囲の状況を見て行動するべきだと思います」


 ティナの気を惹こうと必死のクライヴに怒りを込めてそう言い放つ。


 獣人族が番いを大切にする事も、独占欲が多少強い事も理解はしている。でも、だからといって人前で頬擦りをしたり、挙句の果てに舐めてくるだなんて。犬ではないのだから金輪際やめてほしい。


 それに浮気ってどういう意味だ。馬相手に表現がおかしい。そもそもローズはメスだ。まつげバッサバッサの可愛い女の子だ。


 あの時のニヤニヤした青年と馬の視線ときたら。今思い出してもとてつもなく恥ずかしい。


「いや、そいつの匂いが付いてたから……つい」

「つい?」

「うっ……すみません」


 項垂れるクライヴの様子を見て、少しだけ溜飲が下がる。これだけ反省しているなら、そろそろ許してあげてもいいのかもしれない。旅の初っ端から気まずいのも嫌だ。


 残っていた怒りを静めるように小さく息を吐く。それからクライヴへと視線を向けた。


「次に人前でこんな事したら、しばらく口を聞きませんからね」


 このくらい言えば今度こそ──今度こそ、分かってくれるだろう。クライヴにとって「口を聞かない」というおしおきが効果覿面なのは実証済みだ。


 だが、ティナの予想に反してクライヴは即答しなかった。何かを考え込んでいる。


「……というと、人前じゃなければいいのか?」

「はっ……?」

「いや、人前じゃなければ問題ないのかと……」


 クライヴは本気だ。ふざけている訳ではない。なぜそうなるんだと言ってやりたい。


「そもそもマーキングじゃないんですから……」

「俺の番いだって周囲に分からせる意味ではマーキングだな」

「……それ、獣人族にしか効果はないと思います」


 人族には獣人族のように優れた嗅覚はない。マーキングしたって気付かないだろう。皮肉を込めて返したつもりであったが、とんでもない言葉が返ってくる。


「そうなると、誰の目にも見えて分かるものが必要か。それだと……やっぱり……」


 クライヴの視線がとある一点へと向かう。どう見ても首のあたりを見られている。何だかものすごく嫌な予感しかいない。


 予想通り、クライヴがパッと笑みを浮かべた。イタズラを思いついた犬の顔にそっくりだ。ティナは思わず身構えた。


「うん、悪くない案だな」

「……クライヴ様、それを実行したら警備隊に突き出しますよ」


 クライヴは口に出していないが、何を考えているのかは明白だ。こんな所で行動に移されても非常に困る。


 だが、またも予想の斜め上の言葉が返ってきた。


「俺達はいずれ結婚するんだから多少なら問題ない」

「……いえ、問題ありまくりです」

「優しくするから大丈夫だ」

「あの……色々とツッコミ所満載なのですが……」


 大丈夫の意味が全く分からない。何の迷いもない顔をするクライヴに、一気に力が抜けてしまった。黙っていれば凛々しくてかっこいいのに、時々変態のような考えをするのはどうにかならないものか。


 そりゃ、ティナだって年頃の女の子だ。異性──しかも、かっこいい人が自分だけを一途に想ってくれるのは嬉しい。嬉しいけれども……。


 ティナはうっかり首筋にクライヴがマーキングするのを想像をしてしまい、ボッと顔を赤らめた。


「どうした? もしかして疲れたか? それなら馬に乗って──」

「い、いえ! だ、だ、大丈夫です!」


 突然挙動不審になったティナにクライヴが不思議そうに首を捻る。


 こんな想像をしてしまっただなんて恥ずかしくて言いたくない。ティナは誤魔化すように別な話題へと切り替えた。


「えっと、今日の目的地は二つ先の街ですよね」

「ああ。次の街には昼過ぎには着けるだろ。そこで遅い昼食を食べて、次の街までは馬に乗っての移動だな」

「それなら日が落ちる前には着けそうですかね」

「そうだな。日が暮れるのも早くなってきたし、こいつらに頑張ってもらうしかないな」


 ブルーノとローズが任せろとばかりに鼻を鳴らす。二人――いや、二頭ともやる気は満々のようだ。


 その後、他愛ないお喋りをしながら歩みを進める。クライヴがティナのペースに合わせてくれる上に、ちょうどいいタイミングで休憩を入れてくれるので負担は全くない。こういうさりげない優しさが自然と出来るのはクライヴの長所だと思う。時々言動に問題があるだけで……。


 そうしてほぼ予定通りに次の街へと到着した。王都に程近い街なだけあり、店も多く人ももそこそこ多い。


「よし、昼飯といくか」

「はい!」


 もうお腹はペコペコだ。食堂へと向かう前に、街の入口にある貸し馬屋にブルーノとローズを預かってもらった。ここは王都の貸し馬屋の支店らしく、店の馬であれば無料で預かってくれるそうだ。


 馬達が休憩をしている間に、街の食堂で食事を済ます。適当に入った店ではあったが、早い安い美味いの三拍子揃っていて大満足だ。


 そのまま貸し馬屋へと戻る。ローズ達も休憩出来たのか気力は満タンのようだ。


「ティナ、本当に一人で乗れるか? 何なら俺が抱き上げるぞ」

「いえ、大丈夫です」


 そう言うと、ティナは手頃な石を台座にあぶみに足をかけた。そして、ひらりとローズに跨がった。


 鮮やかに騎乗してみせたティナを、クライヴは呆気に取られたような表情で見ていた。少し得意気になったティナは、どうだとばかりに口角を上げてクライヴを見下ろしてやった。エイダで言うところの「ふふん」といった感じだろうか。


「ヤバい……俺の番いが最高にかっこいい。可愛い上にかっこいいとか……もうヤバい。心臓がキュンとした」


 クライヴが訳の分からないこと言い出す。どこがツボだったのかよく分からない。


「……えっと、それでは行きましょうか」

「ティナ、やっぱり次の街で――いや、今からでもさっきの街に戻って結婚しよう」

「……ローズ、目的地に遅れちゃうから行こうか」

「ブルルッ!」


 とりあえずティナは、クライヴの求婚をまるっと無視する事にした。


 ローズへと語りかけると、「任せろ」と言わんばかりの返事が返ってくる。そして、ティナの意を汲んだように歩き出すから賢い。


「ちょっと待っ……ティナ!」


 置き去りをくらいかけたクライヴが慌ててブルーノへと跨がる。ティナとは違い、台座の石なしでの騎乗だ。何だかちょっと悔しい。


 まさか次の街で予期せぬ事態が待ち受けているとは、この時は思いもしなかった。

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