第75話 出発の朝
雲一つない秋晴れの中、いよいよ辺境視察への出発日がやって来た。隊舎の前には全員が見送りに来てくれた。
「これお腹が空いたら食べて。僕特製のビスケットだよ」
「子リスちゃん、寒さには気を付けるのよ」
「小娘、副隊長にご迷惑をかけるんじゃないぞ」
「エイダはボクらに任せておいて~」
「……ん……気をつけて……」
「二人とも、無理せんで気ぃつけてな~」
「これ、あげるわぁ。動物にも人にも効くから危ない時に使ってねぇ」
隊員達がそれぞれに見送りの言葉を口にする。
フィズが良い笑顔で怪しげな小瓶をくれたが、何なのかは怖くて聞けなかった。全員見て見ぬフリをしてるところを見るに、危険物なのは間違いなさそうだ。とりあえずキャロルの餞別と合わせて腰のポーチにしまっておく。
「クライヴ、決してティナ嬢に迷惑はかけないように。ティナ嬢、何かあれば遠慮なく先程の薬を使って下さいね」
「え? あ、はい……?」
レナードの爽やかな笑みに反射的に返事をしてしまった。
おそらくレナードが言いたいのは、クライヴのアプローチの事だろう。実家に帰るのだから、道中アプローチが積極的になりそうな気がしないでもない。
だが、ティナがいま一番心配なのは別の事だ。その心配の元は逃走防止にダンに抱っこされている。
「エイダちゃん、行ってくるね。お土産いっぱい買ってくるからね」
「……いってらっしゃい……」
何とか絞り出したような声は明らかに元気がない。留守番に納得してくれたが、やはり心細いのだろう。早く出発せねば今にも泣き出しそうだ。
クライヴもそれに気付いたのか、ティナの肩を叩いてきた。そろそろ行こうという合図だろう。
「それでは、いってきます」
「「「 いってらっしゃーい 」」」
皆に見送られて、クライヴとティナは隊舎を後にした。城の門を出てまだ静かな街の中を並んで歩く。
「まずは馬を借りに行こう」
「はい」
そうしてやってきたのは城壁の門──正確には、そのすぐ近くにある貸し馬屋であった。
「おっ。クライヴ、待ってたぞ」
「ああ、世話になる」
笑顔で出迎えてくれたのは、店員らしき栗毛の青年だった。
青年の隣には青毛の馬が一頭。鞍が付けられているので、この馬を借りるのだろう。
「お前の馬はこいつの予定だ。お前の物騒な威圧にも耐えられる肝の据わった奴だ」
「それなら安心だな」
「で、お前の大切な番いの馬だが……」
青年がちらりとこちらを向いた。目が合ったのでティナはペコリと頭を下げる。
だが、挨拶をするよりも先にクライヴが口を開いた。
「大人しくて、言うことをよく聞いて、臨機応変に動ける穏やかな馬を頼む」
「お前には聞いてねぇよ。しかも注文が多すぎる」
「それと牝馬が絶対条件だ。馬と言えども俺以外の男に跨がるのは許容できない」
「へーへー、そう言うだろうと思ってたよ。んじゃ、ちょっとついてこい」
何だかいかがわしい発言に聞こえるのだが気のせいだろうか。いや、深く考えるのは止めておこう。
ティナは黙って二人の後についていった。
裏口から外へと出る。そこには細長い厩舎があり、開けっ放しの入口から馬達がこちらを覗いていた。そしてその厩舎の前に数頭の馬が並んでいた。
「こいつらがお前の条件に合う馬だ。お前の馬とも仲良くやれる奴を選んである」
「毛並みもいいし、足の筋肉も締まってる……長距離に向いてそうだな」
「当たり前だ。うちの馬は大陸一だぞ」
そんな会話が繰り広げられると、動物好きとしてはいてもたってもいられない。ティナはクライヴの背中からひょっこり顔を覗かせた。
「……わぁ!」
馬を目にしたティナは思わず歓喜の声を上げた。芦毛、鹿毛、栃栗毛……どの馬も艶があり毛並みがいい。
「すごい! このお尻から足にかけての引き締まった筋肉。全体的なバランスもいいし、立ち姿が優美。蹄もキレイに手入れされて……何よりみんな美人さん!」
ティナはたまらず馬の傍まで行き、隅々まで観察した。ここまで健康管理の行き届いた馬は初めて見た。
「近くで見るとしなやかな筋肉なのがよく分かる。背筋も真っ直ぐで申し分ないし、トモのバランスも見事だわ」
「……ブルルッ!」
「わっ……わわっ!」
観察に夢中になっていると、並んでいた内の一頭──栃栗毛の馬が突然ティナに擦り寄ってきた。
頭をグリグリ押し付けてくるが、いかんせん力が強い。何とか受け止めながら撫でてやると気持ち良さそうに目を細めた。
「……マジか。うちで一番の気分屋お転婆娘が、甘えモード全開になってる」
「さすがティナ。つーか、穏やかな馬を集めたんじゃないのかよ」
「いや、あいつは体力はあるんだ。度胸も。ちょっと自由気ままなだけで……」
「おい、目を逸らすな」
クライヴと青年が何やら会話をしているが、ティナは栃栗毛の馬の熱烈アピールにそれどころではない。すでに髪がボサボサになっている。
ようやく大人しくなった馬は、キラキラした目でティナを見つめてきた。まるで自分を選んでくれと言っているようだ。
「あ、あの、それではこの子を──」
「ブルルッ!」
「ひゃっ!」
嬉しそうに鳴いた馬がまたもティナに擦り寄った。先程よりも強い力で擦り寄られて、よろけてしまう。
ふらつくティナを大きな手が受け止める。クライヴだ。ホッとして振り返れば、クライヴは栃栗毛の馬をキツく睨みつけていた。
「やり過ぎだ。
「……ヒ、ヒヒィン……」
栃栗毛の馬が謝るように小さく鳴く。そこに割って入ったのは店員の青年だ。
「いやー、やっぱオオカミの威圧は怖いね。おお、よしよし。怖かったな~」
「ヒィン……」
「あの子が気に入ったって? お前がそこまで言うのは珍しいなー」
「ブルルルッ」
「確かに詳しいよな。見る目もあるし」
青年と栃栗毛の馬は、まるで会話をしているようだ。気のせいでなければ、他の馬も首を振って頷いているような仕草をしている。
「あの、この子達の言っている事が分かるんですか?」
「ん? ああ、そっか言ってなかったね。オレも獣人族なんだ。何の獣人かは……分かるよね?」
青年がニヤリと笑う。
これだけ馬に囲まれていて分からないはずがない。というか馬達までニヤリと笑わないでほしい。似すぎていてちょっと怖い。
「えっと、馬の獣人ですね。だからこの子達の言っている事が分かるんですよね」
「そーいうこと。ちなみにコイツは中々のお転婆で乗る人を選ぶような奴なんだ。お嬢さんはかなり気に入られたようで──」
青年が話していると栃栗毛の馬が高らかに鳴いた。それに対して青年が「はいはい」と返事をする。
「あの、その子は何て……?」
「クライヴみたいな暴力的な男はオススメしないとよ。クライヴ、馬に嫌われたな」
栃栗毛の馬は青年の背後からクライヴに睨みを飛ばしている。肉食獣であるクライヴに怯まないとは、確かにお転婆なのかもしれない。
とりあえず苦笑していると、頬に何かが触れた。
「俺はティナにさえ嫌われなければそれでいい。……ちっ、余計な匂いをつけやがって。ティナは俺の番いだぞ」
すりすりと頬擦りしてくるのは他でもないクライヴであった。ティナが固まっているのをいいことに、馬の匂いを消すかのように頬擦りしてくる。
かと思った瞬間、ぬるりとした感触が頬を撫でた。あろうことかクライヴが頬を舐めたのだ。
「これで良し。ティナ、牝馬とは言え浮気は──」
「ク、クライヴ様のエッチーー!!」
静かな朝にバチーンという鈍い音が響き渡る。
二人きりの辺境視察──まだ出発すらしていない。ティナは猛烈に不安を覚えた。
なお、この件がきっかけで、青年と馬達から一目置かれることとなった。
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