第70話 狂宴
「なんでだっ! 一向にティナとの距離が縮まる気がしない!」
とある屋敷の一室。悲鳴に近い声で嘆いたのはクライヴであった。
ここは獣人貴族である四家の内の一つ、オルセン家の屋敷──つまり、レナードの家だ。
「一大事っつーから来てみたら……そんな事かよ」
頬杖をつきながら呆れたような声を出したのはアルヴィンだ。非番のところをクライヴに呼び出されていた。ちなみに、ここ最近ヘビ獣人のフィズと婚約したばかりだ。
この屋敷の主であるレナードはというと、グラスに注がれた琥珀色のブランデーを優雅な手つきで口へと運んでいた。酒の味をゆっくり味わった後、心底どうでもいいという視線をクライヴへ向ける。
「本当にくだらないですね。そんなことで人の家を酒場代わりにしないでくれますか」
「だって事前に言ったら入れてくれないだろ」
「当たり前です。妻との時間を邪魔されてたまるもんですか」
現在の時刻は夜の8時を過ぎたころ。言うまでもなく勤務時間外だ。レナードが最愛の妻と夕食を摂り、のんびり過ごしていたところにクライヴ達が押しかけて来たのだ。
「そういや、レナード。俺、お前の嫁さんに会った事ねぇんだよな」
「アルヴィンと同じ人族だぞ」
「へぇ~。クライヴは会ったことあるんだな」
「ああ、数回だが会った事ある」
「急に邪魔した詫びも兼ねて挨拶でも──」
「いえ、お構いなく」
レナードがニコリと柔和な笑みを浮かべる。
「いや、一応お前の友人とし──」
「結構です」
アルヴィンに最後まで喋らせずにレナードが言葉強めに即答する。こころなしか笑みを浮かべているが、レナードの目が笑っていない。
アルヴィンは、ただ友人として挨拶をしようとしただけだったのだが、レナードはそれすら嫌らしい。
ここでアルヴィンがポンと手を叩いた。
「あー、そっか。そうだよなぁ、
「言い方を変えればそうですね。どちらかと言えば、一途で愛情深いと言って頂きたいですが」
「んなこと言って、要は嫁さんを俺に会わせたくないんだろ」
「ええ、私以外の男の目に映るなど許しがたいです」
「いや、それ、めちゃくちゃ独占欲強いじゃねぇかよ」
「何か問題でも?」
背筋が凍るほど威圧感のあるレナードの笑顔に、アルヴィンが引きつった笑みを浮かべる。そして、この話は終わりだとばかりにレナードはクライヴへと視線を向けた。
「それで、お前はまた何かやらかしたのですか?」
「またって……別にそこまでやらかしてない」
「自覚がないのはマズいですよ」
「だな。お前の言動は結構ヤバイぞ」
二人からの視線を受けてクライヴは先日の出来事を思い浮かべた。
ティナから『結婚なんて考えてませんから』と言われたのは、未だに尾を引いている。あれも結婚を迫りすぎたせいだったのだろうか。あそこまで力一杯言われると正直凹む。
「くそっ……どうやったらティナは俺と結婚してくれるんだ」
「いや、結婚の前にまずは付き合うことを目標にしろよ」
アルヴィンのツッコミにクライヴが「だって…」と子供のように口を尖らせる。いい大人が気色悪い。
そもそも獣人族には「お付き合い」という概念がないのだ。その点では、この三人の中でティナ寄りの考えを持つのは、人族であるアルヴィンだけだろう。だが、そうはいってもアルヴィンも仕事優先でこの年まできたので恋愛ごとには疎い。
「レナード。お前の嫁さんは人族だろ。なんかこいつに助言でもしてやれよ」
「そうですね……やはり、アルヴィンの言う通り、人族が相手なら結婚よりもお付き合いが先でしょうか」
レナードも妻と恋仲になるまでには紆余曲折があった。それはクライヴも知っている。
一応参考にはなるかもしれない。そんな思いでクライヴは真剣な問いを投げ掛けた。
「付き合ってから結婚するまではどのくらいかかる?」
「それは人それぞれです」
秒でバッサリと斬って捨てられる。
何と適当でいい加減な事か。あの冷めた目が「興味ない」と雄弁に語っている。こちらは一日でも──いや、一秒でも早くティナと結婚したいというのに。
「ちなみにお前の場合はどうだったんだ?」
この問いにレナードの笑顔が深みを増した。
「お、おい……こえーって」
「私の事はさておき。とりあえず、突然襲うような事でもしたらアウトですよ」
「……俺、襲われたけど?」
「フィズは特殊な例です」
バッサリと切られるとアルヴィンとしては何とも言えない気持ちになる。
それは合同演習会が終わって、運営側の数人と話しをしていた時の事だ。突然現れたフィズは、一直線にアルヴィンの元までやって来ると、周りの目など気にせず抱きついてきた。何やかんやで最終的には連れ込まれてしまったのだが……あの衝撃的な出会いを「特殊な例」で片付けられてしまうとは。
「つーか、クライヴ。お前よく我慢してんのな。フィズを見てるせいか、お前は大人しい方っつーか何つーか」
「襲っていいならとっくに襲ってるっての! 俺だってティナとイチャつきたい!」
クライヴの清々しいまでのエロ発言にアルヴィンが気圧される。
見た目もキリリと整っているクライヴは、ハッキリ言ってかなりモテる。レナードが独身の頃は、二人揃ってキャーキャー言われていた。女性に興味なさそうにしていたクライヴが、ここまで変わるとは思ってもいなかった。
友としてはその恋を応援してやりたいが、いかんせん獣人族は積極的過ぎる。レナードの言う通り、押し倒しでもしたら絶対嫌われるだろう。
「あー……俺としては、嬢ちゃんはお前のこと嫌ってないと思うぞ」
「好かれてると思うか?」
「そこは……まともに話した事ねぇからな。確実な事は分からねぇっつーの」
実はアルヴィンはティナと話した事がない。フィズの番いとなって特務隊の隊舎内へ入ることも増えたが、ティナを見かける機会があまりないのだ。
正論を述べたはずなのだが、クライヴが大きな舌打ちをする。
「お前なぁ……ひとがせっかくフォローしてやってんのに」
「俺が欲しいのはフォローよりもティナだ」
「っとに、獣人族は……」
アルヴィンは呆れながら注がれていたブランデーを口にした。同じくクライヴも一気にグラスを空にする。
「まぁ、最初の頃から比較すればティナ嬢もクライヴに心を開いていると思いますよ」
「だからフォローならいらない……」
「ティナ嬢と結ばれたいのなら、愚痴など言っていないでもっと努力しなさい」
「しゃーねぇなぁ。ほら、飲め飲め!」
「……まだ飲む気ですか?」
「せっかく集まったんだ。今日は飲み明かそうぜ」
それを聞いたレナードの雰囲気が突然変わる。もちろん笑みは浮かべたままだ。
「レナード? どうした?」
「いえ、いい加減にそろそろお帰り頂きたいと思いまして。私とフェリシアの時間をこれ以上邪魔されては困ります」
「あー……そうだよな、すまん。つーか、お前の嫁、フェリシアって言うのな」
アルヴィンが「フェリシア」と口にした瞬間、レナードからとてつもない殺気が放たれた。
それと同時にクライヴが動き出す。
「アルヴィン、マズい! か、帰るぞ!」
「あ?」
「人の妻をなれなれしく呼ばないで頂けますか?」
レナードがゆっくりとした動作で席を立つ。微笑みながら壁に掛けてある剣を手にしたレナードに、クライヴとアルヴィンが血相を変えた。
「うぇ! ちょっ……レナード? うぉい! 何で剣を握ってやがる!」
「アルヴィン、こっちだ! 逃げるぞ!」
二人はレナードの背後にあるドアよりもテラスへ出る方を選択した。
「はぁっ!? 飛び降りろってか!」
「死にたくなければ逃げるぞっ」
「くそっ! 俺はお前に呼び出されただけだぞ!」
「隊長の地雷を踏んだのはアルヴィンだろうが!」
背後からは好青年の皮がすっかり剥がれ落ちたクロヒョウが迫りくる。「ひっ!」と小さな悲鳴を漏らしたのはどちらだったか。二人は躊躇いなく二階から飛び降りた。
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