第68話 ティナの部屋にて
「なるほど。状況は分かりました」
「はい……すみません……」
ここはティナの部屋。目の前には正座をして小さくなるクライヴがいた。
まるでティナがクライヴを叱りつけているかのような構図である。だが、決してティナが正座させたのではない。
こんな状況になったのは、ほんの数分前の出来事が発端だ。
プリシラとのお喋り会を終えて戻ってきたティナは、エイダを迎えに行くべくクライヴの部屋へと向かっていた。きっと食いしん坊のエイダは、お腹を空かせている頃だろう。クライヴの部屋まであと数メートル──そこで事件は起きた。
バタンと勢いよくクライヴの部屋の扉が開いたと思ったら、見慣れない女の子が飛び出してきたのだ。しかも、全裸である。呆気に取られていると、上半身裸のクライヴまでもが現れた。
男性の裸など見た事のないティナは、一気に顔を真っ赤に染め上げた。うっかり叫ばなかっただけでも偉いと思う。
混乱しながらも笑顔で走り寄ってくる女の子が誰なのかと頭を働かせる。誰かの妹か。それともクライヴの隠し子? はたまた警備隊沙汰の事案!?
とにもかくにも、女の子に服を着せるのが先決だと判断した。急いで女の子を保護(?)すると自室へと駆け込む。この間、僅か数秒ほど。ドアを閉める瞬間、「ティナ、違っ……」というクライヴの声が聞こえたが、それどころではなかった。
『エイダ、じんかできた! あれきるー!』
女の子がこんな事を言わなければ、人化したエイダだとは分からなかったかもしれない。危うくクライヴを変態認定するところであった。
そんな訳でエイダに服を着せた後、改めてクライヴを自室に招き入れたのだが、自主的に正座されて現在に至っている。半裸だったクライヴも今はきちんとシャツを着ていた。
「あの、別に怒っていませんよ。エイダちゃんに服を着せてくれようとしたんですよね」
「はい……」
クライヴが半裸だったのは、エイダに着せようとしたかららしい。自分の着ていた服ではなく、替えの服を着せようとは思いつかなかったのか。そこはクライヴも少なからず混乱していたのかもしれない。
「えっと……クライヴ様もこっちに座って下さい。そのままじゃ足が痺れますよ」
ティナは自分の隣をポンポンと叩いた。いつまでも正座されたままでは、こちらが気まずい。
クライヴはそろそろと立ち上がると、遠慮がちに隣へと座った。それから、叱られた犬のような目でこちらを窺ってくる。
「その……本当に怒ってないか?」
「怒ってませんってば。部屋のドアを閉めたのは着替えをするためです。エイダちゃんはまだ幼いといっても女の子なんですからね」
「クライヴのえっちー」
「人聞きの悪いことを言うな! 俺だってどうせ見るならティナの裸が良かったんだぞ!」
エイダの一言にクライヴが全力で否定する。
弁解のつもりなのだろうか。むしろ余計な一言の気がする。本人を目の前にしてよこしまな願望を口に出さないでほしい。
ティナはクライヴの発言をスルーしてエイダへと向き直った。
「エイダちゃん、今度から裸で出歩いちゃダメだからね」
「はーい」
此度の元凶とも言えるエイダは、威勢よく手を上げた。ちゃんと理解しているのか少し不安になる。
「それにしても突然人化したなんて。今までの訓練の成果でしょうか?」
「エイダ、がんばった!」
「そうだね、偉いね~」
ティナに褒められたエイダは、満足そうにムフンと鼻を鳴らした。獣化している時とやっている事が同じだ。
「いや、多分……」
「多分?」
「あー……エイダが頑張った成果だろうな」
妙にハッキリしないクライヴに、ティナは軽く首を傾げた。
本当はティナの取り合いで言い合った末、感情が高まって変化したという可能性が濃厚なのだが、ティナはそれを知るよしもない。
「キレイな金髪……人化したエイダちゃんも可愛いですね」
「獣化してる時の毛色は黄色だよな……」
そこは確かに謎だ。ティナも黄色の髪、もしくは黒を予想していた。縞模様という奇抜な髪色もちらりと想像した事がある。
だが、人化したエイダは見事な金髪であった。髪の長さは肩にかかるくらいでサラサラだ。ぱっちりお目々に長いまつげ、ぷにぷにのほっぺも触りたくなるほど愛くるしい。例のワンピースもとてもよく似合っていた。
二人の視線を受けたエイダは、にんまりと得意気な笑みを浮かべた。
「むふふふ。エイダ、かわいい?」
「うん、すっごく可愛いよ。もう国で一番可愛い~!」
「きゃー!」
ティナがギュッと抱きしめると、エイダが嬉しそうな笑い声を上げる。
まるで姉妹のようにじゃれ合う二人に、クライヴはうらやましそうな視線を向けた。
「……くそっ、なんてうらやましいんだ」
「クライヴ様もギューってしますか?」
無意識に出ていたらしいクライヴの心の声にティナが顔を上げる。
ティナの予想外の言葉にクライヴは目を丸くした。あのティナが「ギューッてしますか?」と聞いてきたのだ。
夢でも見ているのだろうかと自分自身を疑ってしまう。いや、夢だろうと現実だろうと答えはイエス一択しかない。据え膳を食わぬは男の恥だ!
「ティ──」
「エイダちゃん、クライヴ様にもギュ~」
「ぎゅー!」
喜び勇んでティナを抱きしめようとしたクライヴにエイダが勢いよく抱きつく。クライヴが受け止めてくれると分かっているのか、力加減に容赦がない。
堂々とティナを抱きしめられると思ったクライヴは、そこそこの衝撃を受け止めつつフリーズした。抱きしめるはずのティナは、微笑ましそうにこちらを見ている。自分の腕の中にはいない。
「クライヴ? ぎゅーしない?」
「……いや、そうだよな……淡い期待だった……うん……」
「う?」
哀愁を漂わせるクライヴにエイダがきょとんとする。
ティナもエイダも悪くない。悪いのは下心を持った自分だろう。クライヴは一抹のむなしさを覚えながらエイダの背をポンポンと叩いた。
「世の父親の気分が少し分かった気がする……」
父親ともなると愛しい妻と触れあう時間はめっきり減るときく。もちろん子供との触れ合いが大切なのは十分分かっている。
「そういえば、ティナは子供の扱いが上手いよな。兄弟がいるのか?」
「いえ、一人っ子です。故郷でもご近所さんは年上ばかりでしたよ」
意外だな、とクライヴが呟く。
だが、そこでふと気になる事を思い出した。聞きたくはないが知りたい気持ちが勝る。
「………元カレの幼馴染みとやらも年上だったのか?」
クライヴからの問いにティナはドキリとした。以前恋人と手を繋いだからといって、指を舐めて消毒された記憶が甦る。
「えっと……はい……年上でした」
「ちなみにもう一人の元カレは?」
「年上でした……」
ティナが慎重に答えると、クライヴが何かを納得するように頷いた。「ティナは年上好き……よし!」などと呟いている。そういえば、クライヴも年上だった気がする。
「あの、年上好きというよりも一緒にいて安心する人であれば……頼れる人も素敵だと思います」
「じゃあクライヴはー?」
「…………へ?」
エイダがとんでもない質問をしてきた。うっかり言葉の意味を理解するのに時間を要してしまう。
エイダが言っているのは、おそらく純粋に好きかどうかだろう。恋愛関係の事ではないはずだ。そう分かっていても激しい動揺に駆られる。
「えっ……えっと……」
「クライヴ、つよい。たよれるよ?」
クライヴの膝の上に座り直したエイダがこてんと首を傾げる。エイダに悪気がないのは一目瞭然だ。だが、悪気がない分たちが悪い。
ちらりとクライヴに視線を向ければ、やけに期待に満ちた目でこちらを見ている。逃げ場がない。
「えっと……クライヴ様も素敵だと思います」
「すてき?」
「うっ……」
上手く濁したつもりが、エイダは『素敵』という言葉の意味が分からなかったらしい。
そんなティナに、クライヴが意地悪な笑みを浮かべた。
「つまり、俺もティナの好みに当てはまるって事だよな?」
「なっ……そ、それは……!」
「年上で強くて頼れる素敵な旦那はどうだ? 永遠に妻だけを愛する一途な旦那だぞ」
クライヴがティナの手を取り、その甲へと唇を落とす。あまりにも流れるような行動に否やを唱える暇はなかった。
「なっ……な、なっ!」
「そんな顔をされると自制が出来なくなりそうだ。せっかく最近は我慢していたのに……」
クライヴのイエローゴールドの瞳がうっとりと潤む。色気たっぷりの視線は破壊力抜群だ。
「が、我慢って……も、もしかして、最近変だったのは……」
「ティナに嫌われたくないからスキンシップは少し控えていたんだ。もしや、俺に触ってほしかったとか?」
「ち、違っ!」
「そうか……寂しい思いをさせていたのなら穴埋めをしなきゃな」
「ひっ……!」
情熱的な瞳に見つめられ、ティナは思わず小さな悲鳴を上げた。いつの間にか距離が近い。
「ティナがそう言うなら、これからは遠慮なく口説くとしよう。ティナが俺を好きになるまで、な」
そう言ってクライヴは、再度手の甲へと唇を落とした。それはまるで、騎士が忠誠を誓うかのように優雅な仕草であった。
クライヴの唇の感触に全神経が集中する。恥ずかしいのに体が動かない。
「必ずティナを俺のモノにしてみせる。覚悟しておけ」
ニッと笑ったクライヴに胸が高鳴ったのは気のせいではないはずだ。
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