第67話 オオカミと子トラのお留守番

 今日のティナは、夕方からプリシラと会う約束をしていた。


 いつもならティナの後ろをちょこちょこ付いて回るエイダだが、今回は留守番することを選んだ。プリシラとは演習会の時に会っているのだが、やはりヒトと会うのは気が進まないらしい。


 そんなわけでクライヴは、勤務時間の終わりと共にエイダを預かることとなった。

夕食までの時間、外で遊ばせるわけにもいかず、かといって食堂で待たせるとうるさいため、クライヴの部屋で本を読んでやっていた。


 だが、それも早々に飽きてしまい、今は――。


「おかわりー」

「もう終わりだ。夕飯が食べれなくなるぞ」

「けち!」


 咎められてムスリとしたエイダにクライヴが苦笑する。


 お腹が空いたとエイダが騒ぐので、キャロルからおやつを貰ってきていたのだ。キャロル特製ジャーキーは、エイダの大好物の一つだ。既に二回おかわりしているのだが、まだ物足りないらしい。


 特務隊に保護されてからというもの、エイダはすっかり健康的になった。朝ご飯、おやつ、昼ご飯、おやつ、夜ご飯――一日に五食は食べている。


 クライヴは毛づくろいを始めたエイダをじっと観察した。毛艶も良く、まん丸ボディがぬいぐるみのようだ。だが――。


「……エイダ、ちょっとこっち来い」

「なーに?」


 「ん?」と顔を上げたエイダが、ぽてぽてと近寄ってくる。それをクライヴがひょいっと抱き上げる。


「重っ!」

「う?」


 プラーンと抱き上げられたエイダは、きょとんと首を傾げた。


 ぽっこりしたお腹は幼児特有か。はたまた食べ過ぎか。どちらにせよ、以前よりも確実にずっしりとしている。


「お前、ちょっと食べ過ぎじゃないか? 明らかに重くなってるぞ」

「んー……せいちょうき!」

「都合のいい言葉をよく知ってるな」


 しれっと答えたエイダにクライヴが呆れ顔になる。この間までガウガウ言っていた奴が口達者になったものだ。


 とりあえずエイダをソファの上へと下ろす。


 改めてエイダを見てみると、顔つきはまだ幼いが、少しキリッとしただろうか。幼児ながらもがっしりした足は、まだまだ大きくなる証だ。


「まぁ、お前も少しずつ成長してるのか」

「えへん!」

「もうそろそろティナの膝の上も卒業だな」

「えっ!?」


 クライヴの一言にエイダがびょんと飛び上がる。その姿は、まるで猫のようだ。


「なんで! ひざのうえだめ? なんで?」

「何でって、ティナが重くて大変だろ」

「エイダ、まだこども。だからだいじょうぶ」


 どんな理屈だ。そうツッコみたくなるも、エイダの必死具合が半端ない。


 ティナにべったりのエイダは、食事の時はティナの膝の上に乗り、ことある毎に抱っこをせがんでいたりしているのだ。今はまだティナが抱き上げたりする事が出来るが、これ以上大きくなったら華奢なティナでは難しいだろう。


「大人になるとはそういうことだ。俺だってティナに甘えたいのを我慢してるんだぞ」

「クライヴ、がまんしてない」

「うっ……」


 幼児の鋭い指摘にクライヴが言葉を詰まらせる。


 クライヴとしては一応我慢をしているつもりなのだ。特にここ数日は、ティナに触れたいのをグッと我慢している。


──嫌われるのだけは勘弁だからな……。


 それはつい先日。レオノーラからティナの本音を聞いた時の事だ。


 人を使ってティナの本音を探るなど気が引けた。だが、どうしても直接聞くのは出来なかった。面と向かって嫌いと言われたら絶対泣く。そして立ち直れない。


 レオノーラいわく、ティナは『ちゃんと考えたい』と言っていたそうだ。それを聞いて自分の行動を猛省した。


 初対面でキスをしたり、耳を舐めたり、指を舐めたり、膝の上に乗せたり、その他諸々……。


 うっかり思い出して気分が沈んでいると、のしりとした重みを感じた。エイダが前脚を乗せて、こちらを覗き込んできたのだ。


「クライヴ、げんきない?」

「いや、ちょっと考えることがあって……」


 そう答えると、エイダがグリグリ頭を擦りつけてきた。どうやら慰めてくれているようだ。背中を撫でてやれば、ムフンと鼻を鳴らしていた。  


「そういえば、人化の訓練を始めたんだってな。調子はどうだ?」

「じんか、むずかしい」

「だろうな。俺もそうだった」

「う?」

「変化の感覚を掴むのは中々難しいからな」


 獣人族は普段人化した姿で生活している。それゆえ勘違いされやすいが、変化は簡単なものではない。特に子供ともなれば、まだまだ未熟で当然なのだ。


「クライヴもいぬのままだった?」

「おい、何度も言うが俺はオオカミだからな。まぁ、俺もエイダくらいの時はオオカミ姿だったな」

「どうやってじんかできるようになった?」

「あー……いつの間にか出来るようになってた」


 エイダがくしゃりと顔をゆがめる。どうやら、もっと参考になる具体的な答えを期待していたらしい。


「大丈夫だ、そのうち人化できるようになる」

「やだ。はやくじんかする。ティナおねえちゃんのかってきたふくきたい」

「服? ああ、ティナが買ってきたっていう」


 それはクライヴもティナから聞いていた。エイダに似合うと思って買ってきたのだと、はしゃぐティナがめちゃくちゃ可愛かった。


 クライヴが可愛い番いの笑顔を反芻して軽くトリップしていると、無邪気なエイダからとんでもない言葉が飛び出した。


「じんかしたらおふろもいっしょはいるー」

「………は?」


 動きを止めるクライヴとは逆に、エイダが得意気な顔をする。


 親代わりをしているティナは、エイダと寝食を共にしている。それは仕方ないと思う。なんせエイダはまだ小さいから。


 だが、実際に言葉として聞くと威力が半端ない。そして許し難い。ずるい。


「人化したなら一人で入れるだろ」

「や! ティナおねえちゃんといっしょ!」

「ティナは俺の番いだぞ。一緒に風呂に入る権利は俺にある」

「だめ! エイダがはいる!」


 エイダが猛獣らしく牙をむき出しにして威嚇してくる。もちろんクライヴとて引く気はない。


「エイダ、俺ら獣人族にとって番いは大切な存在なんだ。それは分かるな?」

「エイダもティナおねえちゃんすき」

「俺はティナを愛してる。ティナへの想いなら俺の方が上だ」

「むむむっ!」


 エイダが尻尾の毛を逆立てた。――が、次の瞬間にその姿がゆらりと揺らいだ。


「おっ? 人化出来たな」

「……う?」


 エイダは人化出来た事が分かっていないのか、きょとんと首を傾げた。その後、不思議そうに自分の手を見つめていた。


「服は……ティナの部屋か。とりあえずティナが帰ってくるまで一旦俺のを──」

「じんか! できた!」


 とりあえず自分の服を着せようとクライヴが自分のシャツを脱ぐ。それとほぼ同時にエイダがソファから飛び降りた。そして、ドアめがけて走り出す。


「わんぴーすきる!」

「お、おいっ! そのままで外に出るなっ!」


 あろうことかエイダは裸のままで部屋を出ていってしまう。


 クライヴは慌ててその後を追いかけた。いくら幼児でもあんな格好でうろつかれる訳にはいかない。


「…………クライヴ……さま?」


 廊下に出ると、そこにはティナがいた。なぜか顔がみるみるうちに赤くなっていく。


 全裸のエイダを追いかける上半身裸のクライヴ。さすがのクライヴも「あ、ヤバい」と現状を理解した。

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