第65話 ヤケ酒
ティナの部屋を後にしたレオノーラは、自室には戻らず、とある場所へと向かった。普段レオノーラは、あまりそこへ行くことはない。だが今回は、とある約束があった。
目的地へ辿り着き中へと入る。室内はアルコールの匂いで満ちていた。
「あら、全員いるなんて珍しいわね」
「ん? 全員ちゃうよ。キャロルは遊びに行っとるんよ」
ああ、とレオノーラは適当に相づちを打った。あの女好きウサギが夜に遊びに出かけるのはいつものことだ。
「テオまでいるなんて珍しいと思ったのよ。それに、あんた達だって普段ここには滅多に来ないじゃない」
そう言ってレオノーラは室内を見渡した。そこには、クライヴ・テオ・ダン・ルーク・リュカが一つのテーブルを囲んでいた。
この談話室は普段あまり使われていない。いつもは食堂でデザートをつまみながら寛ぎ、その後は各々部屋に帰るからだ。
「自分は雨だから出掛けられないんよ」
「ワタシは副隊長と酒を飲んでいるだけだ」
「……同じく……」
「ボクは何か面白そうな気配を察知しただけー」
一羽と三人がそれぞれ答える。一羽というのは、他でもないフクロウ姿の奴だ。
テオは雨の中を飛ぶのが好きではない。そのため今日のような雨の日は、夜間飛行に出掛けない。暇を持て余して談話室へやって来たのだろう。出掛けないなら人化すればいいのに。
約一名ここにいる理由がおかしい奴もいる。楽しい事が好きな獣人族らしいといえばそうだ。面倒だからそこは突っ込まないでおく。
それよりも一番気になるのは空の酒瓶が異常に多い事だ。ダンは酒に弱く、ルークも付き合い程度しか飲まない。未成年のリュカは飲まないだろうし……フクロウ姿でグラスに顔を突っ込んでいる奴もいるが、あれでは大量に飲むことは出来ないだろう。
そうなると、この量の酒を飲んだのは一人しかいない──。
「副隊長ってば飲みすぎじゃない?」
「そこまで飲んでない」
「どう見ても飲んでるでしょ」
「……俺だって、たまには飲みたくなる事もある」
「あは、ヤケ酒だよねー」
リュカの鋭い指摘にクライヴがまたグラスを空にした。
近くにあった空瓶を見ると、そこそこ度数が高い酒であった。道理でダンとルークの顔が赤らんでいるはずだ。
とりあえず、レオノーラも酒の席へと混じる事にした。イスを引っ張ってきて、どかりと腰を下ろす。自分も酒を飲みたくなり、手近にあったグラスを手に取ると、一気に口へと流し込んだ。
「あっ、おい! それはワタシのだぞ!」
「別にいいでしょ。それで、ヤケ酒の理由は?」
「……気晴ら──」
「えっとねー、副隊長はフィズがうらやましいんだって」
気晴らしとでも言おうとしたのか、クライヴの言葉をリュカが遮った。
「はぁ? 何よそれ……ああ、副隊長も子リスちゃんと結婚して幸せになりたいってことね」
「そういうことー」
なるほど。番いを見つけたフィズがめでたく結ばれたのがうらやましいと。
唯一無二の番いが愛しくて恋しくて、身も心も自分のモノにしたいと渇望するのは、もはや獣人族の本能だ。『一途』『愛情深い』などと言われているが、『執着』とか『独占欲』とかの方がしっくりくる。まぁ、自分は番いがまだ見つかっていないのでその気持ちはよく分からないが。
さらにぶっちゃけると、フィズの電撃結婚なんて獣人族からすれば別に電撃でも何でもない。結婚より体の関係が先だなんて獣人族では当たり前だ。
「……副隊長……我慢してる……」
「当たり前だ! 俺だって……俺だってティナとイチャつきたい!」
「副隊長、お労しや……」
「いやいやいや。まだアプローチ中なんやから、そこは我慢せんと」
「副隊長のエッチー」
男5人でアホな話しをしていたら酒が進みに進んだと。なぜ男共が集まると、こうもエロ話しになるのだろうか。
「で、副隊長。例の件は? 報酬が先よ」
レオノーラはクライヴに対して手を広げた。談話室へ来たのはクライヴから報酬を受け取るためだ。とある約束というのは、クライヴとしていたものであった。
クライヴが懐から一枚の紙を取り出し、レオノーラへと渡す。それを隣からリュカがひょっこりと覗き込んだ。
「何それ?」
「マリガンの食事券よ」
「マリガン? それって超人気レストランやん」
「……高級肉の店……」
「えー! ボクも欲しい~」
レオノーラは券をさっさと懐へとしまった。リュカだけでなくダンもジッとこちらを見てきたからだ。ヒグマの食欲に対する執着は恐ろしい。獲られる前に隠さねば。
「報酬とはどういう事かね?」
「副隊長に何か頼まれてたん?」
「ふふふ、子リスちゃんの本音を探るよう頼まれたのよ。これはその報酬ってわけ」
美味しいお肉をたらふく食べられるというだけあり、レオノーラはご機嫌だ。対して、レオノーラの言葉に察した顔をしたのは、他の者達であった。
安くはない店の──しかも人気店の食事券を準備してまでティナの本音を探ろうとするとは。もしやクライヴは、ティナに「最低」「番いを辞退したい」と言われたことが相当堪えたのではなかろうか。
そういえば、ここ最近獣化したオオカミ姿を見かけることが多かった気がする。あれは少しでもティナの気を惹こうとしていたのかもしれない。
頼れる副隊長の涙ぐましい努力を知り、ダンがそっとクライヴのグラスに酒を注ぐ。ルークも酒のつまみをさりげなくクライヴの方へと寄せている。
そんな気遣いをスルーして、クライヴは覚悟を決めたように拳を握った。
「で、ティナは何て言っていた?」
「まずは率直に『副隊長の番いを辞退したいか』って聞いてみたの」
「……それで?」
クライヴを含めた全員がゴクリと息を飲む。
答えによっては、明日からクライヴがオオカミ姿で過ごす可能性が出てくる。獣化が悪いという訳ではないが、オオカミ姿で書類仕事は不可能だ。サインが肉球ハンコに取って代わるなど前代未聞すぎる。
妙な緊張感が漂う中、レオノーラが口を開いた。
「『結婚とかすぐには決められない。ちゃんと考えたい』ですって」
「「「「「 ………… 」」」」」
それは結果的にどういう事だろうか。番いを辞退する可能性もあるということか。全員が何とも言えない表情へと変わる。
実際は『クライヴ様の想いが真剣だからこそ、ちゃんと考えたいんです』というのがティナの言葉だが、大雑把なレオノーラのせいで、その真意は伝わらない。
「やっぱりお姉ちゃんは番いを辞退したいんじゃない?」
「バカ! 何て事を言うんだ。このデリカシーのないキツネめ!」
「う、うーん……真面目な番いちゃんの事や。じっくりちゃんと考えるって意味かもしれんよ」
「……子リス……真面目……」
グサリとクライヴの心を抉るリュカに、他のメンバーが慌ててフォローを入れる。だが、そこに無慈悲な追い打ちがかけられる。
「とりあえず、フィズみたいな事をしたら間違いなく嫌われるわね。そこんとこは気を付けた方がいいわよ」
「でもさ~、副隊長は既に無理矢理キ──っ!」
抉ってはいけない古傷をリュカが容赦なく掘り返そうとする。ルークが素早くリュカの口を手で塞いだが、クライヴは既にどんよりとした空気を漂わせていた。
クライヴとて初対面がどれだけマイナスからのスタートかは分かっている。ティナとの距離を少しずつ縮めて、積極的にアプローチを重ね、こつこつ努力をしてきたおかげで、最近ではかなり近い距離が許されるようになったのだ。
膝抱っこなど、あれはたまらない。良い匂いがするし、照れるティナが可愛いし、抱きしめると柔らかいし……実に最高だ。
もしや、明日から膝抱っこすらも控えた方がいいのだろうか。髪を触るのも頭を撫でるのも――。
「……オオカミの姿なら嫌がられないのに」
クライヴの落ち込みようは凄まじかった。獣化する理由が下心満載で不純すぎるが、いまそこに触れる者はいない。
「い、いや、オオカミ姿よりも人の姿でいた方がいいと思います!」
「ルークの言う通りやん。『飼い主とオオカミ』よりも『恋人』目指さな!」
「……副隊長……頑張れ……」
「玉砕しても骨くらいは拾ってあげるよー」
これを見ていたレオノーラは、つまみを食べながらこう思った。
──副隊長がこんな風になるなんて……子リスちゃんってば罪作りね。
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