第62話 丸刈り

 フィズの番いが見つかった。そんな吉報にみんなが少なからず動揺した後、ティナはいつもの芝生に連れて来られていた。一緒にいるのはエイダと──。


「あまり遠くには行くなよ」

「うん! ……ギャウ!」


 なぜか獣化しているクライヴだ。


 穴に足を取られて転んでしまったエイダを、鼻でつついて起こしてやっている。オオカミと子トラ……実にシュールな光景だ。


 ちなみにエイダがつまずいた穴は、数日前にエイダ自身が掘ったやつだ。


「とりあえず、この穴は埋めておきますね」

「ああ、頼む。またエイダが穴掘りしそうだけどな」


 的確な予想にから笑いを返す。


 いまエイダの中で穴掘りがブームとなっているのだ。何が楽しいのか、夢中になって穴を量産している。一応後から埋めるようにしてはいるが、クライヴの言うようにすぐに穴が量産されるに違いない。


 ティナがシャベルで穴を埋めていると、クライヴも前脚でガリガリして手伝ってくれる。「ここ掘れワンワン」、そんな言葉が頭を過る。


 なぜティナ達がこうして外にいるのか。それは少し前に遡る。


『ティナー! 半日休みだから、俺らも番いとしての絆を深めよう』


 とかなんとかクライヴが言い出したのだ。どうやら演習会の準備で休みなく働いた分の半休らしい。


 これを聞いたティナが身構えたのは言うまでもない。まぁ、実際はただのブラッシングの要求だったのだが。


 穴を埋め終わると、ティナは最近の定位置に腰を下ろした。夏に座っていた木陰ではなく日が当たる場所だ。秋の足音が聞こえ始めたこの季節は、こちらの方が過ごしやすい。


「そうだ、クライヴ様。昨日は黙って演習会に行ってすみませんでした」


 ブラッシングを始める前に、ティナはクライヴへ頭を下げた。フィズの件でうやむやになって、まだちゃんと誤っていなかったのだ。


「ああ……まぁ、しかたないさ」

「すぐ連れ戻されるかと思ったのですが……最後まで観戦させて下さりありがとうございました」


 クライヴは何だかんだでティナを連れ戻しに来ることはなかった。全部が終わってからフィズを迎えに寄こしてくれただけだ。


 クライヴの寛容さに素直に感心するティナだが、クライヴは内心でダラダラ汗を流していた。


 クライヴとしてはティナを即刻連れ戻そうとしたのだ。もちろんこの状況ではそんなこと言える訳がない。「狭量な男は嫌われますよ」というレナードの言葉が身に染みる。


 そこでクライヴは、あることに気が付いた。


「……なぁ、ティナ。フィズがアルヴィンのところに来たってことは、帰りはどうしたんだ?」

「少し待っていたのですが、エイダちゃんも寝てしまったので先に帰りました」


 その瞬間、クライヴの耳と尻尾がへにゃんと垂れ下がる。


「すまん、代わりの奴を行かせ忘れた。……ハッ! へ、変な男に声をかけられたりしなかったか!?」

「いえ、何もなかったですよ」

「本当か? ど、どこかに連れ込まれたり──」

「してませんっ!」


 いったい何の心配をしているのだ。ティナは力いっぱい否定した。


 常々思ってはいたが、クライヴはちょっと発想が突飛すぎやしないだろうか。なぜ、お迎えなしで帰っただけで、貞操の危機を心配されなければいけないのだ。何度も思うが、初対面でキスをしてくる人に言われたくない。


 そういえば、フィズも番いであるアルヴィンを襲──……。いや、深く考えるのは止めよう。やぶ蛇になりそうで怖い。


 ティナは気持ちを切り替えようとクライヴ用に使っているスリッカーブラシを取り出した。そして、尻尾を振るクライヴを見て、いたずらを思いつく。


「クライヴ様、お座り」


 条件反射のようにクライヴがすちゃっとお座りをする。見事な反応だ。


「すみません。冗談のつもりてだったんですが……」

「そうか? ティナのためならお手もするぞ?」

「……クライヴ様、人としてのプライドはどこへいったんですか」

「ティナが望むんだ。応えずにしてどうする」


 どやっ、と誇らしそうな顔で言い切られてしまった。こういう所が『獣人族は情熱的』だと評されるのだろうか。いや、何か違う気がする。


「とりあえず、ブラッシングをしましょう。午前中なんてあっという間ですし」


 そうして、ティナはブラッシングへと集中することにした。


 心地良い風が吹き抜ける中、穏やかな時間が過ぎる。エイダは、いつの間にか穴掘りをやめ、虫を追いかけて遊んでいた。


「演習会は楽しめたか?」

「はい。皆さん、とても強くてびっくりしました」

「獣人族は身体能力がいいからな。剣を扱うよりも体術の方が力を発揮出来るんだ」

「そういえば……武器を使っていたのはテオさんだけでしたね」


 正直なところ、リュカとルークの試合はうろ覚えだ。クライヴが乗り込んでくるのではないかと気にしていて、試合に集中出来なかったのだ。


「一応他の奴らも武器は扱えるんだが、面倒くさいそうだ。逆にテオは剣の方が楽らしい」

「そうなんですね。剣術には明るくないですが、とてもかっこ良かったです」


 実際にテオの試合は大盛り上がりであった。一進一退の攻防は、まさに手に汗握るといった感じだった。


 素直な気持ちでの賞賛の言葉だったのだが、クライヴがもの言いたげな目を向けてくる。その目の恨みがましいことといったら…。


「俺も剣は扱える」

「えっ?」

「体術も出来る」

「そ、そうですね」


 誘拐犯を一人で制圧したのは他でもないクライヴだ。体術が出来るのは十二分に知っている。一対多数でも余裕で勝ってしまうくらい強いのも知っている。


 そこでティナは気が付いた。もしやテオの事を褒めたから、ヤキモチを妬いているのだろうか。


「えっと、クライヴ様の戦う姿もかっこ良かったですよ?」


 疑問形で言ったのがまずかったのか、クライヴのジトリとした視線は変わらない。


「オオカミの姿も可愛──凛々しくて素敵ですよ」


 またも失言のせいでジト目は変わらない。もふもふしてて可愛いなんて、成人男性としては不本意なのだろう。


「クライヴ様の優しいところも素敵だと思います。子供の接し方も上手ですよね」


 ニッコリ笑みを浮かべながら褒め言葉を述べれば、ふわふわの尻尾が左右に揺れ始める。犬みたいな反応で大変分かりやすい。これは、あとひと押しで機嫌が直りそうだ。


「クライヴ様がモテるのも分かる気がします」


 そう言った途端、クライヴの表情がパァっと明るくなった。だが、何だか嫌な予感がする。


「本当かっ!? それなら是非とも俺と結婚──」

「しません」


 予想した展開に即答でお断りをすれば、ガーンという効果音が聞こえてきそうな勢いでうなだれてしまった。


「……いっそ俺もフィズを見習って既成事実を……」

「クライヴ様、不埒な真似をする気なら丸刈りにしますからね」

「ティ、ティナ!? そ、それは……?」

「毛を剃る魔道具です。羊の毛を刈る用ですが、いけると思います」


 オオカミ姿で器用に口をひくつかせたクライヴに、魔道具をオンにしてみせた。低い電動音にクライヴの腰が引ける。


 この魔道具は頑固な毛玉対策に新調したものだ。もちろんティナの自費である。


「そういえば、獣化した時に丸刈りにしたら、人化したときはどうなるんでしょうか?」

「お、落ち着け。丸刈りなんて悲惨すぎる」

「クライヴ様には反省が必要だと思います」

「ぐっ……す、すまん」

「では、尻尾の丸刈りだけで許してあげましょう」

「っ!」


 一騎当千とまで評されるクライヴが、青ざめて猛ダッシュで逃げ出した。


 この日、オオカミがティナと子トラに追いかけ回される光景を、多数の隊員が目撃したとかしなかったとか……。

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