第60話 プリシラの幼馴染み

「ねぇ、あの方はどこへ行ってしまったの?」

「え~と……どこでしょう……」


 フィズがどこかへ行ってしまってから大分時間が経った。既に演習会は終わりを迎え、あんなにいた観客達もまばらになっている。


 クライヴに言われてティナを迎えに来てくれたらしいフィズは、「ちょっと出かけてくるわぁ」と言い残していなくなってしまったのだ。その少し前に、舞台上を見ながら「見つけたぁ」と意味深な言葉を呟いていたのが大変気になる。


「フィズさんを置いて帰る訳にはいかないし……」


 迎えに来てくれた人を置いていくのは気が引ける。かと言って、ずっとここで待つ訳にもいかない。エイダなど、はしゃぎ疲れてキャリーバッグの中で眠ってしまっているのだ。


 クライヴと合流できればフィズの事を伝えられるのだが、それも無理そうだ。運営側なら今頃は後片付けで忙しいだろう。


「プリシラ様のお迎えももう来てるんじゃないですか?」

わたくしは混雑が嫌いなの。馬車乗り場は、まだ混んでいるでしょうから、もう少しここで時間を潰すわ」


 どうやらティナに付き合って一緒に居てくれるらしい。何だかんだ理由をつけているが、根は優しいお嬢様だ。こういうツンデレな所がとても可愛らしい。


 プリシラの分かりにくい優しさにほっこりしていると、扉をノックする音が耳に届いた。フィズが戻ってきたのかもしれない。ティナが立ち上がるも、アニーが素早く対応する。


──あれ、あの人。


 ティナの位置から来客の姿がちらりと垣間見えた。その姿はフィズではない。


 プリシラは来客が誰なのか気付いていないようだ。応対は付き人に任せる──さすが生粋のお嬢様だ。


「お嬢様、お客様がいらっしゃいました」

「やぁ、お邪魔するよ」


 爽やかな笑みを浮かべて入室してきたのは、この部屋を準備してくれた青年──トリスタンだ。プリシラとは父親同士が知り合いで、幼馴染みでもあるらしい。


 まさかの人物の登場に、プリシラは勢いよく立ち上がった。大きな目をさらに大きくして驚いている。


「な、なんで貴方がここにいるのよっ!?」

「ん? キミがまだ居るかなぁと思って」


 にこやかなトリスタンとは違い、プリシラの動揺がすごい。


 困ったようにティナを見つめてくるので、とりあえず『頑張れ』の意味を込めて頷いておく。


「おや、プリシラの友人かい? 初めまして、僕はトリスタンだ。いつもプリシラが世話になっているね」

「え、あ……どうも、ティナです。えと、この部屋を準備して頂きありがとうございました」


 そう言って頭を下げると、トリスタンは「丁寧にありがとう」と返してくれた。


 そのフランクな態度に少し驚いた。プリシラの幼馴染みならトリスタンも貴族のはずだ。全く偉ぶることがないうえに、見るからに庶民のティナをプリシラの友人と言ってくれた。


「プリシラと仲良くしてくれて嬉しいよ。彼女は、ちょっと……素直ではないから友人がいなくてね」

「ちょっと、トリス! どういう意味よ!」

「あはは。ごめんごめん」


 唇を尖らせて反論するプリシラに、トリスタンは慣れた様子で謝っていた。今の言葉から察するに、トリスタンもプリシラのツンデレぶりには理解があるようだ。


「ところで、演習会は楽しめた? キミが来てくれたから、いつもより頑張ったんだけど……見ててくれた?」

「え、ええ。まぁ……そこそこ頑張ったんではなくて」

「ははっ、ありがとう。本当は優勝を狙ってたんだけどね」


 プリシラの素直ではない褒め方にもトリスタンは明るく笑う。


 何だか二人の雰囲気も良い感じだ。プリシラも相手を愛称で呼んでいるし、気心が知れているといった感じだ。見ているこちらがムズムズしてくる。


『勝ち抜いた後にプロポーズする奴とかいるわよね』


 いつぞやに聞いたレオノーラの言葉が急に思い浮かぶ。


 もしやトリスタンは、優勝してプリシラにプロポーズをしたかったのではないか。演習会終了後に、わざわざここまでやってきたくらいだ。あり得ない話しではない。


 お邪魔になりそうな気配を察知したティナは、そっと後ろへ下がった。そこへ音もなくアニーがやってくる。


「トリスタン様は幼少時からお嬢様へ好意を抱いているそうですよ」

「わっ! ア、アニーさん」


 アニーがぬっと隣に現れるので、叫びそうになったが根性で堪えた。二人とも気付いていないようで内心ホッとする。


「や、やっぱりそうなのですね」

「はい。私は少し前に勤め始めたので噂で聞く程度ですが、昔からお嬢様を温かく見守っていたとか」

「だからあんなに仲が良いのですね。……もしや、プリシラ様がイメチェンされて焦っているとか?」

「そのようです。ケバケバしい厚塗りと派手な衣装さえ改めれば、お嬢様は見てくれだけはいいですから」


 どこかで聞いたセリフだ。アニーはマナーがしっかりしているのに、中々の辛口だ。


 ティナ達の会話はもちろんプリシラ達には聞こえていない。むしろプリシラ達も談笑していた。


「プリシラ、帰るなら馬車乗り場まで送るよ」

「べ、別にいいわよ! 子供じゃないんだから!」

「私が心配なだけだよ。お友達と一緒に送っていこう」


 ね、と言うようにトリスタンがこちらを向いた。突然矛先がこちらに向き、無意識に背筋を正す。


 トリスタンは善意で言ってくれているのだろうが、完全に自分はお邪魔虫だ。それにティナは、隊舎に住んでいるので方向も真逆だ。アニーの言うように、トリスタンがプリシラを好いているなら答えは一つしかない。


「あ、いえ。私は……えーと……寄るところがあるので大丈夫です。プリシラ様、今日はありがとうございました!」

「それでは私もティナ様を見送りつつ馬車の準備をしてまいります。トリスタン様、お嬢様をよろしくお願い致します」


 ティナは適当な理由を付けるとエイダ入りのキャリーバッグを抱え頭を下げた。プリシラが何か言おうとしていたが、アニーが上手く言葉を遮ってくれた。


 そうして、二人でそさくさと半個室を後にする。


「これでお嬢様にも婚約者が出来ればいいのですが……」

「貴族は大変ですね。でもトリスタン様は優しそうで、プリシラ様の性格も分かってくれてましたね」

「そうなのです。あの、あまのじゃくのお嬢様を貰ってくれる猛者は、トリスタン様くらいしかおりません」


 二人で並んで歩きながらプリシラ達の行く末を気にかける。アニーは、少し前にプリシラの家で働き始めたと言っていたが、プリシラを心底心配しているようだ。その様子は、まるで姉のようでもある。


「プリシラ様のご家族はトリスタン様のことを知っているのですか?」

「もちろんです。両家のご両親は乗り気だったのですが、プリシラ様がクライヴ様に一目惚れされて……まぁ、良いお灸にはなりましたけどね」

「あはは……」


 クライヴの番いであるティナからすると、とても反応に困る。


 クライヴに熱を上げていたプリシラは、ティナにも突っかかってきた。最終的にはクライヴがプリシラの家まで行き脅しをかけたらしい。


 そんな事を話していると、闘技場の出入口までやってきた。アニーがピタリと歩みを止める。


「ティナ様はどうされますか? このまま帰られますか?」

「はい。エイダちゃんも寝てますし、このまま帰ろうと思います。なのでここで失礼しますね」


 フィズには悪いがこのまま帰ることにした。熟睡しているエイダを連れ回すわけにもいかない。


「送っていけず申し訳ございません」

「いえ、とんでもないです。今日はありがとうございました」


 ティナが頭を下げると、アニーも同じくお辞儀を返してくれた。そして、馬車乗り場の方へと去っていった。


 アニーと分かれたティナは、とりあえず一旦周囲を見渡した。もしかするとフィズがいるかもしれない。


 だが、それらしい影は見当たらなかった。帰路につく客すらもういなくなっている。


「……ん? なんか少し騒がしいような?」


 遠くの方から何やら騒がしい声が聞こえてくる。


 興奮冷めやらぬ客が話しているのだろうか。エイダが起きないようにと、ティナは隊舎へと歩み始めた。


 この騒ぎがあんな事になっているとは思いもせず――。

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