第57話 演習会

 あんなに蒸し暑かった日々も落ち着き、いつの間にか秋の心地良い風が吹くようになった。とは言っても、まだ昼間は少し暑さを感じたりもする。


 澄み渡った青い空が広がる今日は、演習会が行われる日だ。天気にも恵まれて、まさに演習会日和である。


 演習会へ参加する特務隊の皆は、揃って朝早くから出かけていった。隊長のレナードを筆頭に、隊服姿の皆が揃った場面は実に壮観であった。


 皆が出かけてしばらくした後、演習会不参加のキャロルとフィズの目を盗むように出かけたのが少し前のこと。ティナは人でごった返す演習会の会場へと来ていた。


 演習会が行われるのは、エルトーラ城に隣接する屋外闘技場。中央の舞台を客席がぐるりと囲む、すり鉢状の闘技場だ。


「すごい人……」


 キャリーバッグを抱えたティナは、その人の多さに思わず足を止めた。突然立ち止まったので後ろから来た人が邪魔そうに追い越していく。


「思ったより人が多いけど大丈夫? 今からでもキャロルさんの所に戻ろうか?」


 ティナは腕の中に抱えたキャリーバッグへと話しかけた。この中にはエイダがいる。さすがにトラの姿で連れ歩く訳にもいかず、こうしてキャリーバッグへと入ってもらっているのだ。


 人見知りが激しく、人の多い所があまり好きではないエイダを気遣ってのことだったが、不機嫌そうな声で「るすばんいや!」と返されてしまった。通りがかりの人が不思議そうにこちらを見てきたので慌てて歩き出す。


──うーん……半個室って言ってたから大丈夫かなぁ。


 プリシラ曰く、半個室は主に貴族が使う席らしい。左右を壁で仕切られているらしく、プライベート感があるそうだ。少しでも人目を避けられるなら、エイダも大丈夫かもしれない。


「あっ! アニーさん!」

「ティナ様、お待ちしておりました」


 待ち合わせ場所の半個室の前には、プリシラ付きのメイド・アニーがいた。どうやらティナを待っていてくれたらしい。近付くと、扉を開けて中へと案内してくれた。


「うわぁ、広い!」


 一歩中へと足を踏み入れた瞬間、思わず感嘆の声をあげる。


 先程通ってきた一般席とはまるで違う。闘技場とは思えないほど小綺麗な内装で、床には高そうな絨毯まで敷かれている。観覧席に至っては、座り心地の良さそうな一人掛けのソファだ。


「ティナ。来てくれたのね。ありがとう」

「こちらこそお誘いありがとうございます」


 ティナの来訪に気付いたプリシラがこちらへとやってくる。今日のプリシラは、淡いベビーピンクのドレスで髪をハーフアップにしている。上品な装いで、とてもよく似合っている。


「あら? 子供も連れてくるのではなかったの?」

「あっ、ここにいますよ。エイダちゃん、プリシラ様にご挨拶しようか」


 そう言ってティナはキャリーバッグをふかふかの絨毯の上に下ろす。不思議そうにするプリシラとアニーをよそに、おそるおそるエイダが顔を覗かせた。


「う?」

「ここが演習会を見るお部屋だよ」


 エイダは知らない場所が怖いのか、すぐにキャリーバッグの中へと引っ込んでしまった。


「すみません、緊張しているようです」

「子供って……そ、その子のことっ!?」


 なぜかプリシラがとても驚いている。


 そういえば、プリシラ達には「面倒を見ている子も連れて行っていいか」としか言っていない。その子供がトラであるとは、すっかり言い忘れていた。突然トラが現れたのなら驚くのは当たり前だろう。


「え、えっと……ただのトラではなく、獣人族の子供です。噛んだりしないので大丈夫ですよ」

「獣人族の子供?」

「はい。最近喋れるようになったばかりなんです」


 人見知りを発揮中のエイダには悪いが、ティナはキャリーバッグからエイダを引っ張り出した。招待してくれたプリシラへの挨拶は欠かせない。


「トラ獣人のエイダちゃんです。とっても可愛いんですよ」


 少しでも仲良くなれればとエイダの可愛らしさをアピールしてみる。プリシラ達は物珍しそうにエイダを凝視した。見られてさらに緊張したのかエイダがピシリと固まる。


「獣人族の獣化した姿なんて初めてみたわ……」

「私もです」

「そうなんですか?」

「獣人族は基本的に人の姿で過ごしているもの。特務隊の方達が何の動物なのかも知られていないのよ」

「……え?」


 プリシラの言葉にティナの目が点になる。


 ティナは全員何の動物が祖なのか知っている。割とあっさり教えてくれた記憶がある。獣化した姿も頻繁に見ているうえに、変化の瞬間だって見せてもらった事がある。


「そ、それは機密情報か何かでしょうか?」


 ティナの背中に嫌な汗がじわりと滲む。


 よく考えれば、獣人族はエルトーラ王国の貴重な戦力とされている。何の動物が祖なのかは、秘匿すべき情報なのかもしれない。


「どうかしら。もともと特務隊の方とは、こういう機会じゃないとお目にかかれないもの。アニーは知ってる?」

「推測になりますが、何の獣人か知られると弱みにも繋がるからではないでしょうか?」


 なるほど。その推測は納得がいく。


 そうなると、やはりエイダを連れてきたのはマズかったかもしれない。今からでもエイダをキャロルに預けてきたほうがいいのではないか。


 ティナがそう悩みだした時、抱き上げていたエイダが暴れ出した。


「るすばんいや! いっしょがいいー!」


 そう言うなり、離れないとばかりに抱きついてきた。爪を立ててきてちょっと痛い。


「ま、まぁ……ここは他の人がいないしいいんじゃないかしら。ねぇ、アニー?」

「はい。移動もキャリーバッグでされたのなら問題ないのでは」

「あの……エイダちゃんの事は内密にお願いします……」

「もちろんよ。よろしくね、エイダ」

「うー!」


 ここに居てといいと分かるや否や、エイダは右手を挙げるような仕草で元気よく返事をした。人見知りにしては珍しい反応だ。それほど留守番が嫌なのか。


 そうこうしているうちに、一際大きな歓声が響き渡る。


「あっ、始まったわ! ティナ、早く早く!」

「は、はい」


 急かされるがままに、エイダを抱いたままソファへと座る。ふかふかのソファは長時間観戦していても疲れなそうなくらいに座り心地がいい。


「あっ、あの人」


 闘技場の中央にいたのは、以前廊下で会ったことのある人物だ。片手には声を拡張する魔道具を持っている。全隊長の彼が開会の挨拶をするのだろう。


『あー……本日は天気に恵まれ、演習会日和で何よりだ。たゆまぬ鍛錬の成果を披露できる事、嬉しく思う。正々堂々戦い抜くことをここに誓う』


 若干緩い挨拶ながらも、観客席からは大きな歓声が上がる。


 今年の演習会は模擬戦形式だと聞いている。予選会を勝ち抜いてきた隊員が、一対一で戦うそうだ。特務隊は人数が少ないので全員参加だが、警備隊は事前に予選会なるものを行ったそうだ。


「プリシラ様を誘った方も出るのですよね?」

「ええ。警備隊の中での予選会は五位だったそうよ。あっ、あの人よ!」


 プリシラが扇で指差した先には、キャラメル色の髪を一つに結わえた青年がいた。温和そうな顔立ちで、目鼻立ちの整った人だ。


 一心に見つめているところを見ると、案外プリシラもまんざらではないのかもしれない。


「特務隊の方達も来たわよ」

「す、すごい歓声ですね」

「ほとんど獣人族がお目当てだもの。本当に美形揃いだわ」

「あはは……」


 ティナには彼らの今の気持ちが分かってしまい、乾いた笑いしか出てこない。


 聴覚の良い獣人族にこの歓声はキツいだろう。ルークなんてあからさまに顔をしかめている。


「……あー!」

「どうしたの? あっ、クライヴ様」


 エイダが声を上げたので何かと思えば、舞台側にクライヴがいた。


 クライヴはテキパキ指示を出しては忙しそうに動き回っていた。運営側だと言っていたから忙しいのだろう。何となくクライヴを目で追ってしまう。


 すると、何の前触れもなくクライヴがこちらを振り返った。


「えっ!?」

「あー!」


 驚くティナとは逆に、エイダが喜びの声をあげる


 このシチュエーションは何だか覚えがある。使用人採用試験の時とそっくりだ。先程とは違う意味で嫌な汗が滲む。


「ティナ? どうしたの?」

「……クライヴ様がこちらを見ているような」

「まさか……こんなに人がいるのよ」


 プリシラが半信半疑でクライヴを探し始めた。その間もクライヴの視線が外れることはない。間違いなくこちらを見ている。


「……見てるわね」

「がっつり見てますね。さすが獣人族です」


 プリシラとアニーがあり得ないといったように呟く。獣人族は視力も良い。二人からは憐憫の視線が向けられる。


「……プリシラ様、途中退席する事になったらすみません」


 こうして波乱の演習会は幕を開けた。

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