第56話 オオカミとの攻防戦

 演習会へのお誘い。最初はティナも、クライヴ達のことを考慮して遠慮した。だが、結局は首を縦に振る結果となってしまった。


『お父様の知人の御子息が警備隊に所属していてね。ぜひ見に来てほしいと言われたの』

『べ、別に、その方の誘いに乗るんじゃないわよ。断ったりしたら、お父様に迷惑がかかるもの』

『こんな事を頼めるのはティナしかいないのよ。お願い、一緒に来てっ!』


 こうも必死に懇願されれば断れるはずもない。後ろに控えているアニーからも深々と頭を下げられたほどだ。


 一応プリシラには特務隊のメンバーから来てはいけないと言われた旨は話してある。ナンパを心配されているとは恥ずかしく言えないので、理由は適当にごまかしておいた。プリシラ曰く「たくさん人がいるからバレないわ」との事だ。


──エイダちゃんも連れていっていいらしいし。


 なんでも、プリシラが招待された席は半個室のような場所で、一般席とは異なるらしい。プリシラとティナ、それとアニーが入っても広さに余裕があるそうだ。「子供一人くらい構わないわよ」とお許しをもらっている。


 目下の問題は、クライヴ達に何と言われるかだ。絶対引き留められるだろうから、黙っておくしかない。エイダにも内緒にしておくことにした。幼児に秘密事は無理である。


 そんな訳で、演習会を見に行きたいふりを続けながら日々を過ごしているのだが……。


──ものすごく気まずい。


 ティナは自分達に集まる好奇の視線をひしひしと感じて肩身の狭い思いをしていた。それもそのはず、なぜかいまティナはクライヴの膝の上にいる。


「あの、下ろしてほしいのですが……」

「大丈夫だ。誰も気にしてない」

「…………」


 幸せそうな笑顔のクライヴに一刀両断される。少し離れた席にいる隊員達へ助けを求めるも、サッと視線を逸らされてしまった。


──もうっ! 朝っぱらからこんなことされてれば、気にならない人はいないでしょーがっ!


 心の中で絶叫したのは何度目だろうか。ティナの羞恥心は、もはやオーバーヒート気味である。


 ここは特務隊の隊舎内にある食堂で、今は朝食の時間だ。人目がありすぎる。


 ここ最近クライヴは仕事が忙しく、皆とは違う時間に食事をしていた。聞いたところによれば、演習会の準備に奔走しているとのこと。ティナも数日くらいクライヴと顔を合わせていなかった。


 その反動なのか、今朝のクライヴは、顔を合わすなりティナを膝に抱き上げてきたのだ。ついでに言えば、ティナの膝の上にいたエイダごとだ。


『はぁ、久しぶりのティナ……癒される』

『徹夜で仕事を終わらせた甲斐があった』


 こんなことを言いながら全く離してくれないのだ。あとからやってきた隊員達のニヤニヤ顔といったら――気まずい事この上ない。


「クライヴ様、エイダちゃんのご飯を邪魔しないで下さい」

「エイダは気にしてないから全く問題ない」

「……いえ、問題ありまくりです」


 そう言い返すも、既にエイダは餌付けされていた。クライヴからどこからか取り出したキャロル特製ソフトジャーキーをもらい、もちゃもちゃと美味しそうに咀嚼している。


 クライヴの膝の上の、ティナの膝の上。食べづらそうだが、エイダは本当に気にしていなそうだ。食欲が上回っているだけともとれるが。


「エイダが食べているのに動いたら危ないだろ。しばらくこのままでいよう」

「うぐっ……ず、ずるいですよ」

「こうしていると家族みたいだな。俺は妻も子供も大切にするぞ?」


 凛々しくも整ったご尊顔でクライヴがニコリと微笑む。甘く蕩けるような笑みを向けられ、ドキリと心臓が高鳴った。


 以前も似たようなセリフを言われたが、クライヴの流れるような口説き文句はいちいち心臓に悪い。


「ティナが頷いてくれれば、俺はいつでも結婚する準備が出来ているぞ」

「エイダちゃんの前でやめて下さい」

「大丈夫だ。エイダは食事に夢中だからな」

「ひぃっ!」


 腰を抱くクライヴの手により力が込められ、さらに密着する。


 外野からは「あっつあつ~」とか「見ていてむず痒いんだけど」とか聞こえてくる。お願いだからニヤニヤしながら見ないほしい。周囲を全く気にしないクライヴのメンタルが鋼すぎる。


「ティナ。ほら、あーんだ」

「じ、自分で食べれますっ!」

「困ったな。ティナが食べないとエイダにあげられないんだが。なぁ、エイダ?」

「うん。つぎエイダー」


 クライヴとエイダが結託している。いや、クライヴがエイダをいいように利用している。幼い子供をダシにするとは、なんて狡猾でいやらしいやり方だ。せめてもの抵抗に睨みつけるも、それすら嬉しそうに微笑み返された。


──くっ! この余裕……なんか腹立つ!


 お代わりがほしいエイダに「はやくー」と急かされれば、ティナとて覚悟を決めるしかない。


 ティナはクライヴの顔を見ないようにしながら、差し出されたサンドイッチにかぶりついた。


「美味いか?」

「…………はい」

「エイダも! エイダもほしいー!」

「分かった分かった。ほら」


 池の鯉のごとく、口を開けてご飯をねだるエイダに、クライヴがジャーキーを差し出す。勢いよく食いついたエイダは、またもちゃもちゃと味わうように咀嚼していた。


「こいつ結構食い意地はってるよな」


 ジャーキーを貰ってご満悦そうなエイダを見て、クライヴがくくっと楽しげに喉を鳴らす。


 ジャーキーを噛み噛みしているエイダは実に幸せそうだ。可愛い癒し系もふもふは、この場で唯一の救いだ。


「あ、あの……クライヴ様もご飯を食べないと仕事に遅れますよ」


 だからいい加減下ろしてほしいという意味を込めて言えば、クライヴがニヤリと笑った。それはまるで悪戯好きの少年のような笑み。だが、なぜかその瞳の奥に肉食獣の恐ろしさを感じさせる。


 そして、あろうことかティナが怯んだ隙を狙ったかのようにクライヴが顔を寄せて来た。


──ひぃ! ち、近いっ! な、な、何なのっ!


 動揺しまくるティナをからかうように、クライヴが耳元へ唇を寄せる。そして、周りを憚るかのように声量を落として甘い言葉を囁いてきた。


「俺としてはティナが食べたいんだが。ティナは甘い匂いがして……そそられる」

「は…………はいぃぃっ!?」


 僅かにかかるクライヴの吐息。それだけでもめまいがしてきそうなのに、低音ボイスの色っぽさたるや――その威力は絶大であった。


 ティナの顔は一瞬で茹で上がったかのように赤くなる。


「な、なっ……!」


 開いた口が塞がらないとは、こういう事を言うのだろう。ティナは真っ赤な顔でわなわなと唇を震わせた。


「はぁ、どうしてティナはこんなに可愛いんだ。俺の番いが可愛すぎて困る。このままどこかに閉じ込めてしまいたい」


 わざとらしい溜め息をついたクライヴが、ティナをさらに抱き寄せる。その上、至近距離で可愛い可愛いと連呼してくる。朝っぱらからこんな距離感は心臓に悪すぎる。


──た、食べ……わ、わ、私をっ!?


 そんな時、ふと視線を感じれば、ジャーキーを食べ終わったエイダがキョトンとした顔でこちらを見ていた。その無垢な瞳のおかげで動揺が一気に引いていく。


 お世話を任せられている者がこんなになっていては、エイダの情操教育によろしくない。ここは自分がきちんとクライヴを諫めて、今すぐこの状況を脱却しなければ。


 そう思ったティナは、毅然とした態度でクライヴへ向き直った。


「い、今すぐ離してくれないと嫌いになりますからねっ!」


 その瞬間、食堂がシンと静まり返る。そこでようやく自分の発言がおかしかった事に気付く。


──い、今の……私がクライヴ様の事、好きみたいに聞こえるような……。


 気のせいでなければ、外野からもツッコミが聞こえてくる。「痴話喧嘩みたいじゃない」とか「もうバカップルだよね」とか言われている。無茶苦茶恥ずかしい。


 おそるおそるクライヴの顔を見れば、明らかに動揺していた。どうやら外野の声は聞こえていないらしい。


 この後、焦ったクライヴがすぐに解放してくれたのは言うまでもない。

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